表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
血の宿命編
122/172

第1話「帰還する者」/5



 齋燈さんが書斎から出て行った後、俺と怜奈は再び二人っきりになった。けれど、それ以降は齋藤さんが来る前の甘い雰囲気になることはなかった。怜奈は真面目な顔つきで黙々と机の上の書類を片づけていき、俺はと言えば、書架に入った書物を読み耽っていた。その間、俺達の間で会話はない。お互い、あんな事の後で、小恥ずかしかったのだと思う。

 結局、次に齊燈さんが書斎を訪れるまで、俺達の間には微妙な空気が流れることになった。


「失礼します。お嬢様、お食事の準備が整いました」


 齋燈さんは入ってくるなり、要件を伝えてくる。


「あら? もうそんな時間?」

「はい。午後7時を回っております」

「そ。それじゃあ、すぐに食堂に行くわ」

「はい。お待ちしております」


 齋燈さんはそれだけ言うと、すぐに書斎から出て行った。


「気づかない内に結構時間経ってたんだな?」

「ええ。集中してると時間が絶つのが速く感じるものよ」

「はは。そうだな。入院生活が長すぎて忘れてたよ」

「ふふ。少しは良いリハビリになってるようね。それで、どう?」

「ああ。まだ二冊ぐらいしか読めてないけど、やっぱり興味深い内容ばかりだよ」

「そ。それは良かったわ」


 良かった。普通に会話できている。あんな事の後だから、どうなるかと思ったが、気にしてないようだ。いや、それとも、彼女なりに普通にしようと努めているだけなのか――。


「それじゃあ、行きましょうか」

「あ、ああ……そうだな」

「ん? どうかした?」

「いや、なんでもないよ」


 怜奈は怪訝そうな顔をしながらも、ドアを開けて書斎を出る。

 無粋な考えだ。どちらでもいいことではないか。一緒にいて、何気ない会話ができている。それだけに十分だ。

 そう思い直し、俺は怜奈に続いて、書斎から出た。

 書斎から出た俺達は、そのまま食堂に向かった。


 食堂に入ると、食卓には既に一人の少女が座っていた。


「あ……」


 その少女が目に入った途端、つい俺は声を上げてしまった。

 そんな俺に気づいた少女は、いきなり俺を睨んできた。


「あってなんですか? まるで私がここにいるが、都合が悪いみたいな」

「あ、いや……そうじゃなくて……」


 初っ端からしくじってしまった。なるべく普通にと心掛けていたのに、いざ目の前にすると、この少女への苦手意識が表層に出てしまったようだ。


「ちょ、ちょっと聖羅! そんな言い方――」

「お姉様は黙っててください!」


 怜奈が仲裁に入ろうとしたが、彼女はその隙を与えない。

 この少女の名は、一ノ宮聖羅いちのみやせいら。怜奈の妹だ。彼女は怜奈とは違い、能力者ではない。普通の人間なのだ。それ故に、彼女には怜奈の能力の事も、一ノ宮家の秘密のことも伏せられていた。だが、一カ月の前のあの事件で、それが露呈した。最初は彼女もその事実を受け入れられなかったが、今では彼女なりに受け止めているようだ。秘密がバレた時には、姉妹の間は険悪なんて呼べない程の仲になってしまったが、現在では良好に戻ったと聞いている。

 ただし、良好になったのは怜奈との仲だけだ。俺との仲は、見ての通り。元々、俺と彼女との仲は良いものとは言えなかった。怜奈から紹介された当初から、彼女は俺に対して、目の敵のような態度しかとってこなかった。無理もない。何せ、彼女は姉の怜奈のことが大好きだったのだから。俺に怜奈を取られたと思った彼女が俺を恨まないわけがない。それはあの事件を通しても変わっていないはずだ。

 そんなこんなで俺も聖羅ちゃんには苦手意識を持ってしまっている。


「この際ですからハッキリ言わせてもらいます!」


 彼女はそう言うと、勢いよく立ち上がり、俺の方へと進み出て、俺の目の前に立つ。


「一輝さん!」

「は、はい!」


 一際大きな声で名前を呼ばれ、俺は背筋を伸ばし、返事をした。

 見れば、彼女の眼は俺を真っ直ぐと見据え、いまにも怒りを爆発させんばかりだ。

 名前を呼んだ時の声の大きさから考えると、余程俺に対して言いたい事が――あれ? 名前? いままで彼女に名前で呼ばれたことあっただろうか? いままでは確か『真藤さん』だったような……。

 そんな思いが巡った次の瞬間、彼女は思いもよらない行動に出た。彼女は突然俺に対して頭を下げてきたのだ。


「え! せ、聖羅ちゃん!?」

「その……いままで、ごめんなさい! 酷い事ばかり言って。私……一輝さんの事、誤解していました。だから……ごめんなさい!」

「聖羅ちゃん……」


 思いもよらない事態に、俺は何を言葉にすればいいのか分からなかった。まさか、彼女の方から俺に謝ってくるとは……。

 そうか――新一さんの言っていた「心配いらない」とはこの事だったのか。


「あの……許して……くれませんか?」


 顔を上げた聖羅ちゃんの目には、不安が色濃く出て、少し潤んでいた。これは早く何かを答えてあげるべきだ。

 しかし――許す、なんて考えたこともない。第一、俺は最初から彼女のことを……。


「ゆ、許すもなにも、俺は最初から君に怒ってないよ。それに謝らなきゃいけないとしたら、俺の方だよ」

「え……なんで……?」

「何時だったか、俺は君に嘘をついて、わざと怒らせたこともあったし、いままで君に無理をさせていたことも分かってた。俺が君とちゃんと話をする勇気があったら、きっとこんな事にはなってなかったって思うんだ。だから、こっちこそ、ごめん!」


 俺は謝罪の言葉と共に頭を下げる。


「そ、そんな……だってあの時、私、一輝さんを叩いちゃったのに……」

「それも、彼が嘘をついたから。それはその代償よ。お互い様ってことよ。だから、もういいじゃない。ね? そうでしょう、聖羅? 一輝も、ね?」

「お姉様……」

「怜奈……」


 怜奈の言葉に、俺も聖羅ちゃんもやっと落ち着き、互いを見合った。


「し、仕方ないですね。でも、今度嘘ついたりしたら、許しませんから! いいですね?」

「ああ。もう、君や怜奈に嘘をつくことなんて絶対ないから安心してくれ」


 俺がそう返すと、聖羅ちゃんは微笑んだ。その微笑みは、俺が初めてみた彼女の笑顔だった。

 そして、そんな彼女を優しく見守るような怜奈の微笑みが、俺の隣にはあった。


 その後、俺は姉妹との楽しい夕食の一時を過ごした。最初はどうなるかと思ったが、それは全部俺の杞憂だった。夕食の時も、聖羅ちゃんは俺に普通に接してくれて、俺も普通に彼女と会話ができていた。

 そして、楽しい夕食会はその楽しさを残したまま終わった。


「それじゃあ、もう遅いし、俺はこの辺で失礼するよ」

「あ、待って! 途中まで送るわ」


 帰ろうとした時、怜奈がそう言ってきた。


「い、いいよ。別に夜道が危険ってわけじゃないんだし」

「いいから。まだ無理がきかない体なんだから、言うことききなさい!」


 まるで母親のようなことを言ってくる。怜奈にしては強引なような気がしたが、逆らってもどうにもならないような気がしたので、大人しく従うことにした。


 俺と怜奈は一ノ宮邸を出ると、夜道を二人並んで歩いた。


「今日は楽しかったよ。ありがとう」

「ううん。こちらこそ、御礼を言うわ。聖羅の気持ち、ちゃんと受け止めてくれて、ありがとう」

「い、いやぁ……そんな大したことはしてないよ」


 それにそんな風に言われると照れてしまう。


「そんなことないわ。実は私もあの子がどう考えているか分からなかったから、不安だったの。だから、あの子の方から歩み寄ってくれて、正直驚いたわ。だけど、こういう事って、片方だけが歩み寄っても無理なことじゃない? だから……」

「だったら、俺と聖羅ちゃんが感謝しないといけないのは、怜奈なのかもな」

「え? なんで?」

「俺達がそうなれたのは、怜奈のおかげだからさ。俺が聖羅ちゃんと話し合おうと思ったのも、怜奈に促されたからだし。それに、あの時、何のわだかまりもなく、打ち解けたのは、怜奈の言葉があったからだよ」

「そうなの……かしら……?」


 怜奈は俺の言葉に少し困惑していた。どうも彼女にはその自覚はなかったようだ。


「まあ、でも、できれば、今度は四人・・で食卓を囲めると嬉しいかな」

「え……四人、で……?」

「あ、ああ。き、君のお父さんも含めて」

「そ、それって……」


 それはいまの俺にとっての精一杯の想いの伝え方だった。けれど、怜奈の反応は予想外に暗いものだった。


「む、無理よ。それは……」

「怜奈……やっぱり、蔡蔵さんの事、許せないかい?」

「そうじゃないわ! でも、お父様が何を考えているのか、私には分からない! いまだって、家を空けて、どこにいるか分からないし……」

「怜奈……」


 一ノ宮家現当主であり、怜奈の父、一ノ宮蔡蔵いちのみやさいぞうは、現在行方不明だ。一年程前から、仕事と称して一ノ宮邸を離れており、いまは何処にいるのかのかも分からない。当初は時々ではあるが、電話や手紙で連絡がきていたようだが、最近ではめっきりだそうだ。生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 怜奈はそんな父親の事が信用できないのだろう。俺だって、蔡蔵さんに不信感を抱かずにはいられない。それに、俺は彼に訊きたい事が山ほどある。

 蔡蔵さんは二人の娘を置いて、一体、いま何処でどうしているのか。


「あの人の話はやめましょう。いない人間の事を話しても意味ないもの」

「あ、ああ」


 怜奈のその一声で、蔡蔵さんの話は打ち切られてしまった。


「それより、一輝は明日からどうするの? まさか、間島の所で働くわけじゃないでしょう?」

「まさか。新一さんからは、しっかり身体を治すように言われているよ。当分は事務所にはいかないよ。新一さんの邪魔になるだけだからね」

「そう……じゃあ、どうするの?」

「そうだな……」


 訊かれて考え込む――ふりをした。実は既に明日からどうするかは決めていた。まだ、本人・・に許可は取れてはいないが、それでも今日の事を考えれば、問題なさそうだ。


「良ければなんだけど……明日も怜奈のとこ行ってもいいかな?」

「え……」


 俺の返答に怜奈は驚いた表情をする。


「あ、いや、迷惑じゃなければ、なんだけど……」

「め、迷惑ってわけじゃないけど……家にきてどうするの?」

「体を動かすは厳禁だからね。あの書斎の書物でも読んで、勉強しようかと思ってね」

「勉強って、あなたね……」


 怜奈は俺の物言いに何故か呆れた表情を浮かべた。

 俺が何故勉強するなどと言い出したのか、怜奈は知らない。あの書斎にある書物には能力に関する情報が蓄積されている。あれだけの書物ならば、俺の知りたい事が載っている書物がきっとあるはずだ。あの少年・・・・が言っていた俺に宿っているという〝力〟について、何らかの情報が手に入るはずだ。

 一カ月前の事件で俺は一度死にかけた。その時、俺は〝世界の見る夢〟という場所で、不思議な少年と出会い、その少年によって再び戦うための力を与えられた。少年が言うには、その力はそもそも俺の中に宿っていたものらしいのだが、それを俺は三年前に失ってしまったらしい。そう――三年前のあの事件・・・・で。

 俺は俺に宿っている能力がどういうものか知らない。だが、手掛かりがないわけではない。あの時、一カ月の前の事件の首謀者である大神と戦った時に、うろ覚えだが、ほんの少しの間だけ、その力を使えたようなのだ。その力に該当する書物を見つければ、俺の力の正体が分かるかもしれないというわけだ。

 そして、それともう一つ。その少年が語った、怜奈の母親に隠された秘密。彼は全てを教えてくれなかったが、怜奈の母親に何らかの秘密が隠されていることだけは教えてくれた。それが、三年前の事件の犯人の秘密でもあることも添えて。


「ちょっと一輝! 聞いているの?」

「へ? あ、ごめん! ちょっと考え事してて……」

「まったく……何考えてんのよ……」

「はは……ごめんごめん。それで? 何だったんだ?」

「別に……ただ、やっぱり書斎の本が目的だったんだと思ってね!」

「へ……?」


 怜奈の言っていることの意味が俺には良く分からない。そんな俺に怜奈はじとっとした目で睨んでくる。


「もういいわよ! 別に期待してたわけじゃないしね!」

「え……あ、ああ! そういうことか!」


 怜奈の反応でやっとさっきの言葉の意味が分かった。こんなことに気づけないなんて、俺も馬鹿だな。けど……。


「馬鹿だな、怜奈は」

「なんですって!?」

「もし、それだけが目的なら、書斎から本だけを持ち出して、自分の家で読めばすむことだろ? それをわざわざ書斎で読むって言っているんだから、察して欲しい気もするんだけどさ」

「そ、それって……」


 怜奈は俺の言葉に少しだけ頬を赤く染める。その反応が少しだけ可愛く見えた。


「俺はそこまで割り切りが良くないよ、怜奈。君がいるからに決まっているだろう」

「な……!」


 怜奈は驚くと同時に、頬を真っ赤に染めた。


「どうした?」

「あなたって……時々、すごく臭い台詞を吐くわよね。聞いてるこっちが恥ずかしくなるわよ……」

「そうかな? 俺は言いたい事を言っているだけなんだけどな……」

「はぁ……それが恥ずかしいって言っているのよ。まったく、あなたって人はいつもいつも……」


 どうやら怜奈の機嫌を損ねてしまったようだ。ぶつぶつと何か呟いている。何やら雲行きが怪しくなってきたので、今日はここまでにしておいた方がいいみたいだ。


「怜奈、今日はここまででいいよ。もう、家までもそんなに遠くないしさ」

「え……ちょっと!」

「今日は送ってくれて、ありがとう。それじゃあ、また明日な!」


 俺はそれだけ言って駆け出そうした。


「ま、待って!」

「え……」


 怜奈は駆け出そうとした俺の手を引っ張り、俺はそれにつられて、振り向く形になってしまった。


「むぐ……!」


 振り向いた瞬間、俺の口は何かで塞がれていた。目の前には目を閉じている怜奈の顔。俺の唇には怜奈の柔らかい唇が触れていた。俺はそれを理解して、目を閉じた。

 どれほどそうしていたか分からない。怜奈の温かい体温と怜奈の匂いに包まれながら、俺はこの状態がいつまでも続いて欲しいと思った。

 そして、俺と怜奈はどちらかが先に離れるわけでもなく、自然とお互いから唇を離した。


「怜奈……」


 唇を離すと、赤く染まった頬と潤んだ瞳が目の前にあった。


「こ、これは退院祝いよ」

「あ、ああ……」

「そ、それじゃあ、私、帰るわ。また明日ね!」

「うん……また明日」


 怜奈は俺の返事を聞くと、来た道を駆けて戻っていった。俺はそれを彼女の姿が見えなくなるまで見送った。


 退院早々、俺は幸せを噛み締めていた。俺の周りにいる人達との日常、そして、最愛の人と過ごす時間が幸せだった。

 けれど、そんな〝幸せな時間〟が長くは続かない事を俺は――俺だけが予感していた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ