第1話「帰還する者」/3
時刻は午後四時。俺はあるお屋敷に来ていた。午後前に退院したが、なんだかんだと時間を取られ、目的の場所に着いたのが、結局こんな時間になってしまった。
如月町から東に行くと、隣町の皐月町がある。その反対側、如月町の最西端には、小高い丘があり、その丘の上には西洋風の大きなお屋敷が建っている。現在、俺はそのお屋敷の大きな玄関前に立っている。
ここは全国でも有数な元財閥であり、現在でも多方面への権威と権力を持つ一ノ宮家の屋敷だ。
そんな場所にどうして俺なんかが来ているかというと、それはここに住むある人物が俺とって重要であり、大切な存在であるからだ。
呼び鈴を鳴らすと、玄関ドアの扉がゆっくりと開いた。開いたドアからは、黒いスーツを着て、松葉杖を持った初老の男性が出てきた。
その男性は俺の顔を見るやいなや、驚きの表情を浮かべると共に、口元をほころばせた。
「おお! 真藤様ではないですか!」
「御無沙汰してます、齋燈さん」
俺は頭を下げて挨拶をする。この男性ともあの件以来だから、一カ月ぶりに会う。
この初老の男性の名前は齋燈禮治。一ノ宮家で執事をしている。執事と聞くと使用人のようなイメージをもってしまうが、実際のところは一ノ宮家の一切を取り仕切っており、一ノ宮家現当主の次に権力を持っていると言っても過言ではない。
「その後、身体の方はどうですか?」
「見ての通りでございます。両腕は治ったのですが、脚の方はまだまだと行ったところで……まだ完全復帰とはいきそうにありません」
「そうですか……」
一カ月前の事件で怪我を負ったのは俺だけではない。この齋藤さんも負傷した。両腕と両脚の筋肉と腱を切られ、骨は砕かれるというなんとも聞くだけでもぞっとする怪我だった。特に左脚の怪我の具合が酷かったらしい。
「この怪我のせいでお嬢様にご負担を強いてしまい、不徳の致す限りです」
齋藤さんは無念そうに呟いた。自分の仕事を十分にこなすことができないことが悔しいのだろう。その気持ちは良く分かる。俺もいまは似たようなものだ。お互い怪我には苦労する。
「齋燈さん、あまりにご自分を責めたらダメですよ。齋燈さんがいたから、いままでだって一ノ宮家は上手く回っていたんですから。いてくれるだけで、きっと心強いはずですよ」
「真藤様……ありがとうございます……」
「いやいやいや! そんな頭なんて下げないでくださいよ、齋燈さん!」
そんなことされたらこっちが恥ずかしくなってしまう。それに俺に御礼を言うのは何か違う気もする。
「そ、それより齋燈さん、れ、怜奈は……?」
俺は堪らず、屋敷の奥を覗きながらそう尋ねた。
「おお、そうでした! これは失礼しました。こんな所で立ち話など申し訳ございません! すぐにご案内いたします!」
齋燈さんは慌てた様子で俺を屋敷の中に招き入れた。案内すると言っているが、別に俺がこの屋敷に来るのは初めてのことではない。屋敷内の構造はハッキリ覚えている。彼女がどこにいるか教えてくれさえすれば自分で行くのだが……。
齋燈さんは俺を食堂へと通した。彼女がいるのかと思ったが、そこにはおらず、齋燈さんは呼んでくるから、待つように言って食堂から出て行ってしまった。
なんだか回りくどいような気がしたが、それも当たり前か。俺は一ノ宮家にとって部外者にすぎない。そんな俺が勝手に屋敷内をウロウロされても色々と困るのだろう。これは齋燈さんなりの配慮だ。
俺はこれから彼女に会う。入院していた時に二回だけ見舞いに来てくれたが、病院以外の場所で会うのは例の件以来だ。病院では人目もあったし、ちゃんと話すことも出来なかったが、ここならばそういう事も気にする必要もない。そう思うと、緊張してきた。
数分程すると、食堂のドアが開いた。そこから、一人の女性が入ってきた。
整った顔立ち、そして、腰まで伸びた艶やかな藤色の髪とそれと同色の瞳が印象的だ。服装も黄色のワンピースの上に赤紫のカーディガンを羽織っており、清楚なイメージで固められている。俺のひいき目とかではなく、間違いなく美人の部類に入るだろう。
「や、やあ、怜奈」
俺は右手を上げて、極めて普通に、フランクな感じで彼女に挨拶した。
「こんにちは、真藤君。退院おめでとう」
彼女は俺とは対照的で、微笑みながらも、あくまで礼儀正しく挨拶を返してきた。けれど、それが俺にとってはよそよそしい態度に映った。それに期待していた反応とも違う。
「あ、ああ、ありがとう」
俺は彼女の様子を気にしながらも、気のせいかもと思い、御礼を言うに留めた。
この女性の名前は一ノ宮怜奈。一ノ宮家の長女であり、次期後継者でもある。その立場もあるのか、清楚な女性というだけでなく、昔から女性ながらも凛としたたくましさも併せ持っている強い女性だ。そんな彼女と俺との関係は実は恋人同士だったりするわけで……。
「それで? こっちにまで来るなんて、今日はどうしたの?」
「え? どうしたって……」
怜奈に突然尋ねられて俺は戸惑った。ここに来る理由なんて一つしかない。怜奈に会うためだ。だけど、それを面と向かって言葉にするのは恥ずかしい。
「別に用ってわけじゃないけど……退院したから、その挨拶にと」
「……そ。なら、私はこれで失礼するわね。片づけないといけない仕事が残ってるから」
そう言うと、彼女は踵を返して食堂から出て行こうとする。俺は慌てて彼女の右腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待てよ、怜奈!」
「ちょ、ちょっと! な、何するのよ!」
怜奈は俺の手を振りほどくと、睨んできた。
「どうしたんだよ? なんでそんなに邪険にするんだよ?」
「べ、別に邪険になんかしてないわよ。いつも通りよ」
怜奈は伏し目がちになりながらそう言った後、俺から顔を背けた。
この目を、この反応を俺は知っている。彼女がこういう態度する時は、俺に知られたくないことを心の中に抱え込んでいる時だ。
さっきも言ったが彼女は強い女性だ。だが、それと同時に彼女にも弱いというか、脆い部分があることを俺は知っている。そんな脆さが、いま垣間見えたような気がしたのだ。
「ふぅ……分かったよ。仕事があるって言うなら、待っているから」
「え……待つって……」
「別にいいだろ? ここで待つぐらい。仕事、終わったら話をするくらいの時間はできるだろ?」
「そ、それは、そうだけど……」
この反応、やっぱり俺にこの屋敷にいてもらいたくない理由でもあるようだ。その理由も大体予想はつく。おそらくは、俺がここに来るのを迷った理由と同じだろう。なら――。
「ところで、仕事ってどこでするんだ?」
「え……書斎だけど……」
書斎。その言葉を聞いて、俺の心はグラリと別の方に傾いた。いや、それは口実だ、と自分に言い聞かせ、怜奈にある提案をすることにした。
「じゃあ、俺も書斎に行くよ」
「え……」
「大丈夫。仕事の邪魔はしないし、大人しくしてるからさ。それだったら、問題ないだろ? それに退院したら見せてくれる約束だったろ?」
「そ、それは……」
そう、怜奈とは約束していた。病院にお見舞いに来てくれた時、書斎の中に置いてある物を見せて欲しいとお願いしていた。その時は彼女も快く承諾してくれていた。
「いいだろ? な?」
「……はぁ……分かったわ。勝手にしなさい」
怜奈は根負けして、俺の提案を受け入れてくれた。これでやっと書斎に入れ――いや、怜奈と気兼ねなく話ができるというものだ。
「まったく……どっちが目的よ……」
「ん? なんか言ったかい?」
「な、何でもないわ! 付いてきなさい!」
彼女は怒ったようにそう言うと、食堂を出ていく。俺はその後を慌てて追いかけた。




