第49話「贖罪」・後編
銃口から飛び出した銃弾はそのままマリオの額を撃ち抜いた。それだけで人間ならば致命傷となる。だが――。
「……それで、終わりか?」
だが、マリオは平然とそう口にした。
やはりダメか。予想はしていた。このマリオにはどんな物理攻撃も効かない。彼は既に人間という存在を凌駕している。
「失望したぞ、間島新一。その程度で私を止めようなど。これならば、まだ真藤一輝の方がマシというものだ」
「そうじゃないよ、マリオ。いまのは確かるために撃ったんだ」
「確かめるため……だと?」
「ああ。君は正体を見極めるためにね。どうやら、僕の仮説は正しかったようだね。思った通りだ。君はマリオじゃない」
「フ――フフフ、何を言っている。私が私でないなどと、今更何を言い出す。まさか、いまだに現実を受け止められない、わけではあるまいな?」
「まさか。君がマリオだってことはちゃんと受け止めてるよ。僕が言っているのはそういう意味じゃない。〝いまここにいる君が本物じゃない〟と言ってるんだ」
「――――」
暗くて表情は読み取れないが、マリオが驚いているように思えた。
頭部を撃ち抜かれて生きている生物なんていない。ましてや体をバラバラにされて復活するなんてもってのほかだ。ならば、何故彼は生きているのか。それは彼が最初から生きた存在ではないからだ。彼の肉体は――。
「人形だね、君は。生体錬成で生み出した生ける人形。それに君は自分の意志と記憶を埋め込んだ。自分の意のままになる、もう一人の自分を作り出した。そうだろう?」
「フ――貴様といい、真藤一輝といい、どうやら私は貴様らを過小評価しすぎていたようだ。まさか気づかれるとはな」
「本当の君はどこにいる?」
「いるさ。ここに。お前の目の前にな」
そう言うと、目の前のマリオがバタリと倒れた。
「マ、マリオ!?」
突然のことに僕は彼のもとに駆け寄った。彼はピクリとも動いていなかった。呼吸すらしていない。間違いなく、彼は死んでいた。
「心配してくれるな。私は不死身だ」
マリオの声が聞こえる。だが、それは倒れた彼から聞こえてきたものではない。いや――いままで聞いていた声ももしかすると……。
「見せてやる。お前の言う本当の私を」
その声と共に、突然部屋の明かりが燈った。
僕は突然の明かりに目が眩み、目を閉じる。
「見たかったのだろう? 本当の私を。その眼を見るがいい。これが現在のオレだ!」
僕はゆっくりと目を開く。
「……!」
目にした途端、僕は絶句した。
そこにあったのは大きな容器だった。まるで水族館にある巨大水槽を思わせる容器がフロアの殆どを占めていた。
その水槽の中に、それはあった。
それはまるで人間の脳髄ようなものだった。けれど、脳髄というにはあまりに巨大に肥大しており、それが人間のものとは到底思えなかった。
「まさか……そんな……」
「驚いているようだな。これがいまのオレだ」
「そんな……君は、まさか……体を……?」
「そうだ。捨て去った。人間を変革させる存在として、あの殻はあまりに制限がありすぎたのでな」
「殻……だって? 人として体を君は単なる殻だっていうのか!」
「そうだ。殻に過ぎん。その殻を捨て去り、オレは新たな生命としてこの姿を選んだのだ。貴様ら人間を統治する神としてな」
神――それは偶像の存在だ。どこにもいないようで、どこにでもいる。創造するだけで、何もせず見守るだけの存在。それが本来の神。だが、彼はそれすら否定し、自らが神になると断言している。もはや彼は姿形だけでなく心までも人でなくなっていた。
「マリオ……君は人としての尊厳すらも……心すらも捨ててしまったか……?」
「そんな物は不要だ。言っただろう。心などいうものを持っている限り、人間は愚かな生き物のままだ。ならば、神になる私がそんなものを捨て去らずして、何が神だ」
「マリオ……」
もはや人の言葉はマリオには意味がない。彼は人間として生きていない。人間である僕の言葉で彼は変わらない。動かない。神と人間が意志疎通できないように。
もう――答えは出ている。僕がしなければならないことが何であるかなんて明白だ。
けれど、その前に僕は彼と最後の会話をしなければいけない。真実を知るために。
「その大きさ。それは君の脳だけではないね?」
「ああ。オレだけのでは能力の出力が小さすぎたのでな。いくらか我が血肉となってもらった。雑魚と混じり合うのは吐き気したが、致し方ない。これも一ノ宮怜奈という最高の器を手に入れるためだ」
「やはりか……それじゃあ、三年前の被害者達に頭部がなかったのは……」
「オレの手によるものだ。もっとも、権藤だけは取り込まないでやった。奴は貴様への復讐心を抱え込んでいたからな。魔術使いとしての素養もあった。脳髄を移し替えて、死んだことすら忘れさせ手駒にしたのだ」
それで全てが分かった。何故権藤が自分の正体を知って愕然としたのか。何故自爆なんて真似をしたのか。
「〝カレ〟はどうした? いまどこにいる?」
〝カレ〟――三年前の殺人鬼。そして、怜奈君と血を分けた双子であり、一輝君と因縁を持つ――一ノ宮貴志。
「さてな。奴は三年前にオレの支配から逃れ、去った。優秀な手駒ではあったが、まさか支配から逃れようとはな。狂っても受け継いだ血は流石と言うべきか」
「そうか……君ですら……」
それだけ聞ければ十分だった。マリオは怜奈君や一輝君が知りたがっていたことを知らない。興味すらないのだろう。ならば、もはや聞くことも、語ることもない。
僕は水槽に浮かぶ巨大な脳髄に銃口を向けた。
「やめておけ。貴様用の対策ぐらいはしてある。この容器のガラスは我が錬金で生成した特注品だ。貴様の魔弾は決してこの容器を突破することはない」
「ああ、そうだろうね。でもだからって、このまま見過ごすことはできない。君をこのまま放っておけば、また怜奈君を狙ってくるだろう?」
「当然だ」
「なら、僕が君をここで倒す。これ以上、僕の大切な人達を傷つけさせるわけにいかない……!」
そう――もう、こんなことはまっぴらだ。誰かが傷つけられるのも、誰かを傷つけるのも。それがたとえ自ら生み出した憎しみだとしても。だから、終わらせなくちゃいけない。
「愚かな――その感情が、その心こそが人間の最も醜きところだと何故分からない!」
「違う! 人間は醜くなんてない。その心があるからこそ、人間は生きていける。誰かを愛せるんだ!」
「何を、馬鹿なことを……!」
「馬鹿なことなんかじゃない。それは怜奈君と一輝君が証明してくれている。あの二人は互いを強く想い合い、互いを守る為に戦っている。その結果、君はあの二人に負けた。力ではなく、心に。だからこそ、いま君はここで僕と相対しているんだろう?」
「……認めぬ。断じて認めぬ。力ではなく、人の心に負けたなど、断じて認めるか!」
マリオは否定し続ける。彼は決して認めようとしない。人の心を捨て去り、神になると宣言した彼が、その最も侮蔑していた人の心に負けたなど認めることができるはずもなかった。
人の心を捨てた彼。人としての生き方を求めた僕。そんな相克する二人が分かり合えるはずもなく――なればこそ、僕のやることは決まっていた。
「マリオ。君がそれを認めないと言うなら、仕方ない。僕は君を――ここで討つ!」
僕は引き金を引く。放つのは対象以外のどんな遮蔽物でも透過する魔弾。かつて魔弾の射手と呼ばれいた僕の最大の切り札。
けれど、マリオは言った。脳髄の入った水槽はその弾を透過することはないと。それは僕の魔術を無力化する物資だという事だ。
「無駄なことを……!」
マリオは叫ぶ。無駄なこと、だと。そう――無駄な事だ。いくら魔弾でも透過できなければ単なる銃弾だ。強化ガラスすら打ち抜くことも許されない。故に、魔弾は水槽によって弾かれる。だが――。
――違うよ、マリオ。君は間違っている。
「な――に?」
マリオは訝しんだ。それはそうだろう。放たれた銃弾は赤くない。僕が魔弾として使用していた赤い銃弾ではないのだから。
何故――そんな疑問がマリオの脳裏に過っているだろう次の瞬間に、銃弾は水槽のガラスを突き破り、脳髄にめり込んだ。
「バ、カ、な!?」
マリオは驚愕と苦悶の声をあげた。決して破られないはずものが破られたのだから、当然のことだろう。
「どういう……ことだ……?」
「別に。どうってことないよ。さっき撃ったのは単なる銃弾だ。ただ、その弾に使った素材がその容器の強度を勝ってただけだよ」
「素材……だと……?」
「ああ。テレスに創ってもらった銃弾だ。決して壊れることのない物質でね」
そう――テレスの魔術によって創り出された決して崩されない壁。それを銃弾の形に加工してもらったに過ぎない。僕はもしもの為に、魔弾が効かない相手が現れた時の為にテレスにこの世で最強の銃弾を創ってもらっていたのだ。
「なるほど……な。貴様の前に本当の姿を晒した時点で……オレの負けは決定していたということか……」
「……すまない、マリオ。僕は君が創造しようとしてた世界が正しいとはやっぱり思えない。君の言う事は正しいかもしれない。けど、それでも僕は人間を信じたい。怜奈君や一輝君を見ていてそう思えた。人間はきっと変われるって」
「フ……言っておけ。そんな夢……いつかは跡形もなく崩れさる。そうなれば……貴様もオレの言っていたことが分かる時がくるだろう。そうなった時、貴様はどうする。それでもなお、お前は人間を信じ続けられると言うのか?」
「君の言う通り、人間は争いをやめられないのかもしれない。でも、僕は君のようには絶望しない。僕は信じ続ける」
「信じる……か。甘い……な。信じるだけでは……何も変わらない。人間は変わら……ない……のだ」
「もちろん、思うだけでじゃないさ。僕も戦う。人と共に、人の心と。未来を勝ち取るために。それが、これまで僕が奪ってきた命と、見捨ててきた命への贖罪だ」
それが僕の出した答えだ。マリオとは正反対の答えだけれど、間違っていないと僕は言い切れる。彼らと共になら必ず成し遂げることができると信じて疑わない。
「フ……ならばもう……多くは語らぬ。歩むがいい……間島新一。その……地獄の道を」
「地獄なんてないよ、マリオ。一緒に笑っていられる人間が傍にいれば、どこだって楽園さ」
そうして、僕は微笑む。その微笑みにマリオがどう思ったかは分からない。彼はそれ以上何も言い返してこなかった。それは彼の命が消えそうになっていることを表していた。銃弾を受けたことで彼自身の意識も消えかけているのだ。
そして、僕は彼に最後の問いかけをする。
「マリオ――君は何が想う?」
彼は答える。
「――ただ人類の変革を」
僕は問う。
「マリオ――君は何を願う?」
彼は答える。
「――ただ永久の平和を」
そして、最後に僕は彼に問うた。
「マリオ――君の幸せはどこにある?」
彼はその問いに答える。
「知れた……ことを。そ……れ……は……」
――もうどこにもありはしない。
そう聞こえた気がした。それは幻聴だったのかもしれない。マリオの声はもう聞こえなくなってしまっていた。
「さよならだ……マリオ」
僕はもう一発、水槽に向けて銃弾を放つ。銃弾は一度空いた穴を通り、再び脳髄へとめり込み、そして――爆散した。
飛び散る脳髄と、水槽の破片。僕はそれを見届けると、小さく囁く。
「――焼き尽くせ、煉獄の焔よ」
その詠唱とともに、フロア全体に火の手が上がる。青い焔、それは正しく煉獄すらも焼き尽くすような炎だ。
それは僕が魔術使いとして使う最後の魔術となった。
僕はフロアの出入り口まで辿り着くと、振り返った。
――さようなら、我が友よ。




