第10話「告白」
一ノ宮の傍に駆け寄ると、目にとび込んできたのは、驚くべき光景だった。彼女の衣服や体には、細かい傷が多数あったのだ。
「一ノ宮! 大丈夫か!? 一ノ宮!」
出血は少ない。息もしている。しかし、意識がない。気絶しているようだ。細かい傷が体中にあるものも、どれも小さな傷で致命傷なものはないようだ。
「でも、この傷は一体……まさか!?」
どうやら、あの男の攻撃の全てを防ぎきれていたわけではないようだ。あの時、数十の風の刃を一ノ宮は全て防いだかのように見えたが、本当は自分の竜巻で威力は弱まったものも、刃のほとんどが当たっていたのだろう。
「……って、そんな事考えてる場合じゃないな。早く一ノ宮を手当しなきゃ」
しかし、時間はもう深夜。薬局はどこもしまっているだろう。
「そうだ! コンビニがある……けど、一ノ宮をこのままにしとけないし……」
無論、一ノ宮をつれて行くわけにもいかない。どうしようかと思い悩んでいるときに、ネオンが光っている建物を見つけた。
「………あれって……あれだよな?」
誰に話しかけるわけでもなく、自問自答。非常時とはいえ、流石にあそこに連れて行くのは色々とまずいような気がする。
「って……まず、金がないだろ!」
そう思って、財布の中を見ると一万円が入っていた。
「ある……って、彼女の許可もなく、あんな場所には連れていけないし……けど、ここじゃ手当てもできないし……ああもう! どうにでもなれ!」
半狂乱になりながら、一ノ宮を抱えてネオンの見える建物の方向に歩き出した。
「よし! これは別にやましい事をしようとかじゃないんだから……一ノ宮を助けるためだ」
そう自分に言い聞かせて、その建物の入り口に着くと、誰にも見られていないかを確認してから、建物に入った。
「はあ……なんかとっても悪い事してるみたいだ……」
事実、傍目から見れば、これは犯罪だ。
高校生の男女があんな所に、しかも女性の方は男に抱えられて意識がないなんて、誰かに見つかりでもしたら、真っ先に警察行きだ。こんな事、かおりんにでも知られたら、鉄拳制裁だけでは済まされないだろう。
俺は一ノ宮を抱えながら、部屋に入り、彼女をベッドに寝かせた。
「うう……」
一ノ宮から苦しげな声が漏れる。
「ごめんね、一ノ宮。少し待っててね」
俺は部屋を出て、コンビニへと急いだ。
コンビニから帰って来ると、一ノ宮はまだベッドで寝ていた。
俺は買ってきた消毒液や包帯で手足の手当てを始めた。
「ふぅ……大体これでいいかな。後は……」
手足の手当ては終わったが、胴の方はまだだ。しかし、勝手にそういう所を触っていいものか。そう悩んでいた時だった。
「うぅ……こ、ここ……は……?」
「一ノ宮! よかった。目を覚ましたか!」
「真藤……君?」
おぼろげな眼をして、一ノ宮は俺の名前を呼ぶ。
「ああ、そうだよ」
「私は……一体……?」
「大丈夫かい? 君はあの男が消えた後に倒れたんだよ」
「……そう」
一ノ宮は悔しげな表情を浮かべる。おそらくはあの男に負けたことを悟ったのだと思う。
一ノ宮は体を起こそうとする。
「イタッ!」
「わわ! まだ動いちゃだめだよ。まだ傷の手当てだって全部終わってないんだから」
「傷の手当て?」
俺に言われて、彼女は自分の手足に巻かれている包帯に気づいた。
「これ……貴方が?」
「あ……うん。細かい傷ばかりだけど、いっぱいあったから……」
「そう……ありがと」
彼女は頬を微妙に赤く染めて、俯きながらお礼を言ってくれた。
「あ、でも……その……まだ体の方ができてなくて……その……俺がしたらマズイかなって……自分でするかい?」
「え? え、ええ、そうね。そうするわ。ありがとう」
俺は彼女に消毒液と包帯を渡す。
「それじゃあ、向こう向いてるから、終わったら呼んでね」
「ええ、ありがとう」
一ノ宮がいる反対側を向き、彼女の手当てが終わるのを待つ。
布と肌が擦れる音が聞こえてくる。俺は少しばかり緊張していた。
振り向いた先には、一ノ宮の裸があるこの状況。意識しない男なんているわけがない。振り向きた衝動に駆られてしまうのは当然だ。
――って、俺は何考えてるんだよ! そんなことできるわけないだろ!
俺は自分の考えている事を恥じ、ぐっと堪える。
「真藤君?」
「は、はいぃ! な、何でしょう!?」
一ノ宮に呼ばれて、つい声が裏返ってしまった。
「君は大丈夫なの? 怪我とかしてない?」
「え? あ……うん。大丈夫みたいだ」
そういえば背中を木に強く打ちつけたが、痛みなど緊張のあまりに忘れていた。もとから大した打ち身でもなかったのだろう。
「そう……ならいいのだけど……」
「うん……」
それから、何かお互い気まずい雰囲気が流れ、俺たちは一ノ宮の手当てが終わるまで一言も話さなかった。
「真藤君。もう、こっち向いても大丈夫よ」
「あ、うん」
一ノ宮の方に向き直る。
しかし、向き直ってもお互いにまだ気まずかった。少しの間、何を話すのでもなく、ただお互いに俯いたままでいた。
まいったな……一体どうやって切り出したものか……。
一ノ宮も俺と同じなのか、彼女も何も喋らない。
けれど、いつまでのこのままではいられない。俺は意を決して彼女に話しかける事にした。
「あ、あのさぁ……」
「な、なに?」
………………。
また暫しの沈黙。話しかけたものも、紡ぐ言葉が見つからない。だが、聞きたいことは山ほどある。だから、俺はその後の言葉を続けた。
「アレは一体何なの? あの風は……」
「……」
彼女は黙り込んだまま、何も答えない。それでも俺は質問を続ける。
「あの男も同じような事、してたよね?」
「……」
彼女は答えない。無論、簡単に答えてくれるとは思っていない。あんな〝力〟のこと、おいそれと口にはできないだろう。
「俺さ。君が来る前に、あの男から聞いたんだ。アレは風を自由自在に操る〝力〟だって」
「――」
俺の言葉を聞いた一ノ宮は驚いた表情をした後、やっと口を開いた。
「そう……そうなの……」
「君もアイツと同じ力を持っているの?」
「……ええ。そうね」
「そうか……あの男の事知ってるの?」
「………」
彼女はまた口を閉ざしてしまった。
「わかった。この際、一ノ宮とあの男がどういう関係なんて聞かないよ」
「ごめんなさい……」
一ノ宮はとても申し訳なさそうに謝った。そんな風に謝られるとは思っていなかった。まるで俺が彼女に尋問しているような気さえしてしまう。
「ううん、いいよ。知っても仕方ないのかも知れないし……でも、これだけは聞かせて」
「な、何?」
「君は今回の連続通り魔殺人には関係してないんだよね?」
「……ええ」
彼女はキッパリと答えてくれた。それだけで安心できた。
「……そうか……よかった。でも、今回の事件、初めから分かってたの? 犯人の事も」
「……いいえ。初めからではないわ。最初は知り合いの警察官僚から聞いたの。初めはこんなことになるなんて思いもしなかった。けど、事件は続いていって、その手口や現場の事を聞いて、もしかしたらって……」
「そうか……けど、奴とはあれが初対面ってわけじゃないんだろ?」
「ええ……あれで3度目よ。いつも逃げられてばっかりだけどね……」
「やっぱりか。じゃあ、犯人が被害者の頭部を持ち去ったのは何故知っている?」
「……それは私にも分からないわ」
「そうか……犯人の事、警察には言ったの?」
「無駄よ。あんな〝力〟、普通信じる人なんていないでしょう? それに、警察が犯人に辿り着いても、返り討ちに合うのがオチよ」
「ま……そうだけどね。じゃあ、なんで君が……その……奴を倒そうと?」
「それは……それが私たちの一族の役目だから」
「役目?」
「ええ。人を超えた〝力〟を持つ人間を、能力者を葬るという役目よ」
「能力者……だって?」
「ええ、人知を超えた〝力〟、それを持つ者を能力者と私達は呼んでいるわ。けど、能力者は〝力〟に溺れて、ああやって殺人を犯す異常者になる事が多いのよ。だから、一ノ宮家は代々から、ああいう異常者を葬る役目を担ってきたの」
それは何かの物語でも読んでいるかのような話だった。それが現実の事とは到底思えなかった。
「信じられないでしょう? でも、現実なの。君も実際に見たでしょう? 私やあの男を……」
「うん……」
「私はいままで誰にもこの〝力〟をバレにように生きてきた。クラスで孤立していたのは、そのためよ。私は……! 私は他の人とは違う。だから……!」
「一ノ宮……君は……」
一ノ宮は今にでも泣き出しそうな顔をしていた。おそらく、今まで自分の持つ〝力〟について悩んできたのだろう。人とは違う〝力〟。それが、彼女が他人から遠ざかっていた理由だったのだ。
「君は私の〝力〟を見て、どう思った?」
「どうって?」
「私はあの男と同じ力を持っているのよ。怖くないの?」
「え……?」
「君、何も分かってなのね? もしかしたら、私は口封じのためにあの男と同じように、あなたを殺すかもしれないのよ? そんなのを助けて、こうやって一緒にいたりして本当に怖くないの?」
「な、なに言ってるんだよ、一ノ宮! 君が――君がそんなことするはずないじゃないか!」
「どうして……どうして君にそんな事が分かるのよ!」
「わかるよ! だって、俺、君の事ずっと見てたし、一ノ宮の事信じてるから!」
「え……!」
言ってしまった。今までずっと黙っていたことを。けど、もう止められない。止めようがないほど、気持ちが、心が溢れてしまっている。
「俺は一ノ宮の事、怖くないよ。だって、一ノ宮の事……好き……だから。だから……」
遂に言ってしまった。自分の想いを彼女に吐露してしまった。
「………」
彼女は俯き、何も答えてはくれない。
「ごめん……こんな事言われても迷惑だよね?」
それはそうだ。彼女にしてみたら、俺なんて迷惑で仕方がないはずだ。一ノ宮は他人との接点を極力持たないように生きてきたのに、好きだなんて言われても迷惑なだけだ。
「……知ってたよ。あなたの気持ち……」
「え……?」
「毎朝、いつも挨拶してくれて……誰もそんなことしてくれないのに、君だけが毎朝私に挨拶してくれてた。おはようって……それが嬉しかった。それに、いつも私を見ていた事も知ってたし……」
「そ、そっか……そう……だったんだ……」
は、恥ずかしい……。まさか気づかれていたなんて。
でも、嬉しい。嬉しかったと言われるなんて思いもしなかったから。
「本当に……私でいいの? 私のこと怖くないの?」
「そんなの、当たり前じゃないか。一ノ宮の事、怖いなんて思ったこと一度もないよ!」
「………」
「え……!?」
彼女は泣いていた。俯きながら、彼女は涙を流していた。
「わわ……ご、ごめん! 俺、何かひどい事言ったかな?」
「ううん。ごめんなさい。そうじゃなくて……嬉しくって……」
「え?」
「ねえ。真藤君」
「え、な、何?」
一ノ宮が真っ直ぐな瞳で俺を見てくる。
「私……私も真藤君のこと好き」
「え……ええ!?」
思いもよらぬ彼女の言葉に俺は言葉を失ってしまった。
まさか……まさか、こんなことになるなんて!
「ダメ、かな?」
「そ、そんな事ないよ! 俺も一ノ宮の事、好きだし! だから、だから……」
「うん……ありがとう」
彼女は涙を流しながらも嬉しそうな笑顔を見せた。その笑顔に俺は堪え切れず、彼女を抱きしめた。その途端、彼女は声を上げて泣いた。
その夜、彼女は俺の胸の中で一頻り泣いた。
・
・
・
1月20日。日曜日。朝。
俺は目を覚ました。
「あれ……? ここどこだ? 俺の部屋じゃ、ない」
ベッドから体を起こして、すぐに思い出す。昨日の事を。
「そうか……俺、昨日一ノ宮と……」
俺は昨日の事を思い出し、顔が熱くなるのを感じた。きっと真っ赤になっていることだろう。
「そ、そうだ、一ノ宮! 一ノ宮は――って、あれ……?」
隣で寝ているはずの一ノ宮は、既にそこにはいなかった。
「おーい。れ、怜奈ー?」
彼女の名前を呼ぶ。しかし、返事は返ってこない。
「どうしたんだろ? まさか先に帰った?」
一ノ宮のいない事に多少混乱しながら、辺りを探した。だが、彼女は部屋のどこにもいなかった。
「ふぅ……怜奈……どこに行ったんだろ?」
もう一度辺りを見渡してみると、机の上に紙らしき物があるのに気がついた。
「なんだろう、これ?」
それを手にとって見てみる。
「一ノ宮……怜奈……?」
紙の下の方にそう書いていた。どうやら、一ノ宮からの置手紙のようだ。
「なんで手紙なんか……?」
俺はその手紙を読むことにした。
『真藤一輝様
こんな形でのお手紙、お許しください。私は貴方と出会えて良かった。私は、いまとても幸せです。いままで独りだった。それが、ほんのひと時だけれど、貴方という人と過ごせて、嬉しくて幸せいっぱいでした。ありがとう。
私は行きます。全てに決着をつけるために。貴方はこのまま帰ってください。通り魔事件やあの男は忘れて、平穏な日常に戻ってください。勝手なことを言っているのは分かっています。ごめんなさい。
私は貴方に会えて本当に良かったです。ありがとう。そして、さようなら。』
「そんな……」
愕然とした。彼女がいなくなった事に。それと、彼女の決意に気づいてあげられなかった自分に。
「探さなきゃ……」
俺は急いで部屋は出る。一ノ宮を探すために。
そして、俺は再び街へと繰り出した。




