第43話「力への渇望」・後編
どうする――すぐにでも大神の後を追わなければならない。だが、俺の目の前には人形兵の大群がいる。しかも一体一体の戦闘能力は弘蔵さんに匹敵している。それが数十体。俺に万が一の勝てる見込みなんてない。
「くそっ、ここまでか――」
諦めの言葉を呟いた時、ふと、自分が先程まで背負っていた重みがないことに気づく。
俺は自分の右手を左肩に当てる。そこには今まで背負っていたはずの木刀袋がなかった。俺は慌てて辺りを見渡す。すると、自分の足元に木刀袋が落ちていた。どうやら、先程地面に叩きつけられた時に落としてしまっていたらしい。
俺は木刀袋を拾い上げよとした。だが、それと同時に一体の人形兵はその行動を開始した。
「くっ――来るか!」
今度は俺の視界から消えることなく、正面から恐ろしいスピードでまっすぐ突っ込んでくる。
俺は慌てて木刀袋を拾い上げる。
『できれば使ってほしくない。もしもの時に使いなさい』
弘蔵さんが俺にこの木刀袋の中身を渡した時の台詞が甦る。あれはそれだけ危険なものだということ表している。だが、この状況を打開できるとすれば、もうこの〝刀〟以外にありえない。
迷っている暇などない。躊躇えば、俺の命がない。もしもの時が、今なのだ。
俺は木刀袋から日本刀を取り出す。
刀身は鞘に覆われたまま。だが、鞘から引き抜く時間などもはやない。俺は柄を握ると鞘が付いたまま刀を振るった。
振るった刀はまっすぐ突っ込んできた人形の腕と交錯する。その途端、刀の鞘は砕け散った。
「ぐっ――!」
強い衝撃を両手に感じるとともに、砕けた鞘から刀身が剥き出しとなる。そして、刃と刃がぶつかり合うキーンという甲高い音が鳴り響いた。
「――――」
その音を耳にした時、俺は奇妙な感覚に襲われていた。
甲高いその音のみが反響し、世界からそれ以外の音が消えていた。他の音は一切聞こえてこない。
それだけではない。俺の視界に映るものが全て停止していた。俺自身もこうして意識があるだけで、体を動かすことはおろか、息すらもしていない。
まるで、刃と刃がぶつかり合った瞬間だけが世界から切り取られているようだった。
これは――一体、何がどうなっているんだ?
『我を呼び覚ますの誰だ?』
え――声? 誰だ!?
突然聞こえてきた声に俺は頭の中でそう叫んでいた。
『我を眠りから起こしたのは汝か?』
感情のない男とも女とも言えない声が再び問いかけてくる。
違う。これは聞こえてるんじゃない。頭の中に直接話しかけられているんだ。この感覚には覚えがある。これは――来栖女医の能力、テレパシーと似ている。
『テレパシー? なるほど――人外の知り合いが多いようだな?』
なっ! 俺の思考が読まれている!?
一体誰だ! どこにいるんだ!?
『どこに? 汝の眼は節穴か? 汝の目の前に我はいる』
え……俺の目の前にだって?
そんなの嘘だ。俺の目の前には俺が握っている刀と刃を交わしている人形しか――ま、まさか――人形?。
『うつけもの。我は汝が握っているその刀だ』
か、刀!? 刀って……一体どういうことだ!? そもそも、刀が喋るなんて聞いた事がない。
『――どうやら今度は随分と変わり者の手に渡ったようだな。だが……似ている。懐かしい程に』
似ている? 誰が誰に似ているって?
『自覚なし……か。まぁ、そんなことはどうでもいいことだ。それよりも我を呼び覚ました理由を聞こう』
呼び覚ました理由って……そんなものはない。俺ただ、目の前の人形と戦うために刀を振るっただけで……。
『このガラクタ共と戦うためか……それには汝はあまりにも非力に見えるが?』
そ、そんなことは言われるまでもなく分かってる。けど、それでも俺は戦わなくちゃいけないんだ。一ノ宮を――怜奈を助けるためにもここで死ぬわけにいかないんだ!
『――汝から強い意志を感じる……汝、名を何と申す?』
名前? 俺の名前は――真藤一輝だ!
『――やはり、か……いいだろう。汝を我の担い手と認めよう。そして――』
その声には、何か強い意志を感じた。それまで感情のなかった声に明らかに感情めいたものが込められていた。
『――汝の願いを叶えよう。喜べ、汝は今この瞬間にこのガラクタ共と戦う力を手に入れた』
戦う力って……それはどういう――。
「ぐっ!」
刀に尋ねようとした時、俺は弾かれるようにして後方に飛び退いていた。
気づけば、時が再び動き始めていた。
「一体、何がどうなって……」
訳が分からない。さっきまでのは一体何だったんだ?
だが、俺にはそれを気にしている暇などなかった。人形兵の追撃が迫っていたのだ。
俺はすぐさま刀を構え直す。だが、何かがおかしい。あれだけ目にも留まらぬ速さだった人形兵の動きが、完全に見て取れる。
俺は人形兵から繰り出される斬撃の嵐を難なく躱し、再び後方へと飛び退いた。
「……遅く……なってる?」
いや――違う。奴が遅くなっているわけじゃない。俺のスピードが上がっているんだ。
気づいていた。さっきまでとは体の感覚が全然違う。まるで自分の体ではないみたいに軽い。これが――この刀が言っていた〝戦う力〟か。
これなら――戦える!
俺は刀を構えなおすと、一息おく。そして、人形兵の軍団に視線を向ける。
再び一体の人形兵がこちらに突進してくる。俺もそれに対峙して、人形兵へと向かっていく。
一瞬で俺と人形兵との距離が詰まり、俺の刃と人形兵の刃が再びぶつかり合い、交錯する。先程は弾き飛ばされたが、今度は完全に互いの力が拮抗した。互いの刃は弾かれ、俺も人形も態勢を崩しながら一歩後退する。
まだだ――まだ、こんなものだじゃない。俺が自分で無意識のうちにその力を抑えてしまっているだけだ。もっと、速く踏み込める。もっと、強く刀を振るえる。もっと速く、もっと強く!
「もっとだああああ!」
俺と人形兵は態勢を立て直すと、踏み込み、互いの刃を振るった。だが、俺の方が一瞬早かった。そして、その速さも、力も俺の方が上回っていた。俺の刀は人形兵の腰から下を一刀両断していた。
噴き出す血。受肉したが故に血を流す。血を流すが故にその命は失われ、機能を停止する。
肉を持たなければ、あるいはどんな状態になろうとも動けたかもしれない。それは常軌を逸した戦闘能力を得たことへの代償だった。
俺は二度刀を振るい、血を振るい落とす。そして、その刀身を看る。刃こぼれなど一切ない。まるで今打ち直されたばかりのような刃だ。
やれる――この刀ならば、この力を以てすれば、この人形兵の軍団を倒すことができる。
人形兵は一体だけでは仕留めきれないと踏んで今度は二体同時に襲い掛かってくる。俺は再び刀を構え直し、その人形兵へと突っ込む。
殺陣――それは本来時代劇やアクション映画で用いられる演技の一種だ。だが、俺が弘蔵さんから教えられたのはそれと違う。本当に相手と戦うための――自分が生き残るために相手を殺す殺陣だ。それには、一対一の殺し合いだけに限らず、複数を相手する場合の殺法も含まれいた。
俺は人形兵側が刃を振るう前に二体の人形兵の間に割って入り、刀を振るう。すると、二体とも俺の横をすり抜け、崩れ落ちた。
狙った箇所は首。俺は高速で刀を振るうことで、二体の人形の首からの上を切断したのだ。
崩れた落ちた人形兵が身動き一つしないことを確認すると、俺は人形兵の軍団を睨む。
人形兵には動揺はない。当たり前だ。奴らには意志がない。故に、どんなに仲間がやられようともその戦い方は変わらない。一体でダメなら、二体。二体がダメなら三体。そうやって数を増やしながら相手を追い詰めていく。最終的にはその全勢力もって襲い掛かってくる。そうなれば、さすがに一溜まりもない。
そうなる前に、ここを突破する道を作る。それには先手必勝しかない。この力とスピードで一気に畳みかけ、突破する他ない。
「どっけぇぇええええ!」
俺は群れに飛び込み、次々と前方に立ち塞がる人形兵を切り払っていく。既に奴らは俺のスピードについてこれらていない。それこそ〝リミッター〟が外れたように俺の運動能力は飛躍的に向上していた。
だが、もとより人形兵の役目は俺を殺し、この先に進ませないことだ。どんなに速く動けても、どんなに力負けしなくとも、やつらは俺の行く手を阻んでくる。その全勢力を以て。
「くっ――数が……多すぎるか!」
そう――数が多すぎるのだ。確かに戦闘能力の点で言えば、俺は人形兵を凌駕している。だが、数の上では圧倒的に不利だ。刀一本だけで、この軍勢を突破するの至難の業だ。それこそ、風の能力のように大群に有効な力でもなければ。
人形兵は俺の斬撃に切り捨てられながらも、次々と襲い掛かってくる。決してその動きを止めることなく。
「く、そっ!」
ただ襲い掛かってくるだけならば、切り捨てればいい。だが、奴らの動きは変わってきていた。先程よりもスピードが上がってきている。それこそ俺のスピードについてこれらるまでに。
このままではダメだ。どうなっているかは分からないが、奴らの力は明らかに向上している。俺が真正面から突破を図ったのは、力のアドバンテージがあったからだ。それがなくなってしまえば、軍勢の中を突破しようなど自殺行為に他ならない。ここは一旦退くしかない。
俺は一旦群れの中から退こうと後退を試みようとした。だが――。
「え――」
突然のことに疑問の声が漏れる。俺は動けなかった。いや、正しく言えば、脚が鉛のように重くなり、その場に足から崩れ落ち、気づいた時には片膝をついていた。
「な……に……が……?」
疑問を口に出そうとして、自分が上手く喋れないことに気づいた。呼吸は荒く、うまく息をすることもできない。体も重い上に、全身が軋みをあげ、体のあちこちが痛い。これは――。
「ま、まさ……か……」
自分の体に限界が来たことにこの時初めて気がついた。俺は今まで〝リミッター〟を外して戦っていたのだ。体を守る為に脳がつけていたリミッターを。
リミッターを外し戦い続けた俺は、その肉体が徐々に崩壊していっていたのだ。途中から奴らの動きが速くなったと思えたのは俺の勘違いで、実際は俺が遅くなっていたに過ぎなかった。
「く……そっ! こんな……簡単なこと……どうして……」
もっと早く気づくべきだった。本来、俺にはあんな力なんて使えるはずもない。ならば、その力にリスクが伴うのが道理だ。
俺がまずすべきことだったのは、この力を使ってどうやって一ノ宮のもとに辿り着くかをもっと良く考えることだった。
そんな後悔も、もはや何の意味を持たない。体は限界でまともに戦うことなどできない。前進することも、後退するこも不可能だ。
人形兵は既に俺を取り囲んでいる。今まで暴風のように動き回っていた相手が止まったことに警戒しているようにも見えた。だが、それは俺の希望的な観測でしかない。奴らは俺が動けなくなったことを知ると、一斉に刃を俺に向けて襲い掛かってくる。
死を――覚悟した。俺にはこの状況を打開する力もない。もはや、万事休す――俺が切り捨てた人形兵のように俺も奴らに切り捨てられるだろう。
きっと一瞬だ。痛みなどない。大神も言っていたではないか、苦しませず殺すように命じてある、と。
「ごめんな……怜奈。俺はやっぱり役立たずみたいだ。本当に……ごめん」
その言葉に意味などない。その言葉を聞く者もいない。俺はそんな孤独な中で、絶望と共に目を閉じた。
『やはりは普通の人間……己が力だけで切り抜けられぬか』
え――この声は……。
俺は声に驚き目を開けた。するとそこには真っ白で何もない空間が広がっていた。
ここは、一体どこだ?
『ここは我の意識の中。汝の意識を我が招いた』
真っ白な空間に刀の声が響き渡る。
「意識の中だって!? てぇ――あれ? 喋れる?」
『当然のこと。もはや、汝の意識は我の中にある。我と語り合えるの道理だ』
そうか――意識が同じ場所にあるから、互いの言葉で会話できるのか。
「でも、何故だ? 何で俺をこんな場所に連れてきた?」
『……担い手が命の危機に瀕したのでな。見ていられなかった』
「担い手って……俺のことか?」
『無論だ……汝に問う』
「え……俺に? 何だ?」
『まだ戦う意志はあるか? まだ生きる意志はあるか? 汝が先程我に言った、一ノ宮怜奈を助けるという意志に変わりはないか?』
「そ、それは――」
答えるまでもない。そんなの決まっている。俺の意志は、俺の覚悟は、何ら変わってなどいない!
「――俺は、まだ死ねない!」
『そうか……答えは得た。いいだろう、汝に力を与えよう』
「力って……もう俺には……」
もうまともに戦える力も残っていない。
『そうではない。今度は我の力を授ける』
「力を授けるって……一体……」
『汝が望む力を……汝は何を望む?』
「お、俺は――」
俺が望む力……それは――。
「俺は……奴らを倒して、怜奈を、聖羅ちゃんを大神から助け出す力が欲しい!」
『――受諾した。その力、思う存分振るうがいい。我が真名とともに!』
「え? 真名って――」
問いかけようとした時、俺の意識は真っ白な空間から遠のいていく。
「こ、ここは――」
気づけば、俺の意識は現実へと引き戻されていた。
人形兵は一斉に俺に襲い掛かってこようとしている。もはや、逃げることはできない。
だが――自分の手元の異変に気づき、視線を刀に向ける。そこには――。
「ひ、光ってる!?」
刀身がぼぅっと光っていた。それに先程までの刀とは違う。何か、まるで別物になってしまったように、その刀から受ける印象が違う。禍々しくもあり、神々しくある。言うなれば――妖刀。
『その力、思う存分振るうがいい。我が真名とともに』
言葉が甦る。真名――俺はこの刀の名など知らない。弘蔵さんも教えてくれなかった。なのに――。
「知っている……知っているぞ。この刀の名、それは――」
刀を構える。刀を握る手に渾身の力を込める。力も、想いも、何もかも。
「――〝前鬼〟!!」
その名を口にすると共に俺は刀を振るった。
その瞬間、刀身から光の斬撃が放たれ、この場の全てを飲み尽した。
光に飲み込まれた人形は、その動きを止め、その肉体に異変が起きる。肉が――剥がれ落ちていく。覆われていた皮膚も筋肉も崩れ落ちていく。そこから人形の骨格が露わになる。そして、その骨格すらも形を保てず、崩れていく。
気づけば――人形兵の軍団はその姿を消していた。俺の振るった斬撃が全てを消し去っていた。
「す、すごい……」
自身が起こした事とは思えない。これが、この刀の――妖刀〝前鬼〟の力なのか……。
この刀がこんな力を有していたなど思っていなかった。これは危険なんて言葉だけじゃ済まされない。使い方を一歩間違えれば、大変なことになる。それでも、その力のおかげで俺は助かった。
人形兵は消え去り、俺の命の危機は去った。だが、気を抜くのはまだ早い。まだ何も終わってなどいない。まだ、奴が――大神が残っている。
「……待ってろ、怜奈……今、助けに行くからな」
俺は痛む体を引きずりながら、校舎の中へと向かった。
 




