第43話「力への渇望」・前編
俺の力では大神には勝てない。そんな事は百も承知だった。けれど、この男にだけは負けたくなかった。この男だけは許すことができない。
「行くぞ、大神。覚悟はいいか?」
「フ――怒りは人を強くするとは言うが、随分と偉くでたものだ。それはこちらの台詞だ、真藤一輝。死ぬ覚悟はいいか?」
「……俺は死なない! 死ぬのはお前の方だ!」
俺は叫ぶと同時に大神に向かって飛び出す。
だが、その行く手は当然のように人形に阻まれる。奴らは大神を守るように、俺に向かってくる。
「どけぇえええ!」
邪魔だ――今、お前たちに構っている暇などない。俺の相手をただ一人、大神だけだ。
向かってくる人形に力任せに木刀を振るう。斬撃は人形の頭部を完全に捉え、叩き伏せる。
「ほう――ずいぶんと戦い馴れてきたものだ」
倒れた人形を見ながら大神は不敵な笑みをこぼしている。
「余裕のつもりか?」
「余裕? そんなものではない。貴様の運命は既に決まっている。それに対して焦りも余裕もないだろう?」
「――ふざけんな! 何でもお前の思い通りなると思うなよ!」
そうだ――大神の思う通りにさせるわけにはいかない。運命というもの自分の力で切り開くものだ。決して他人が勝手に決めていいものではない。
この男は、三人もの女性の運命を自分勝手な願いのために変えた。三人とも大神さえいなければ、また別の運命を自分たちの力で掴み取っていたはずだ。それがこいつのせいで、あんな事に、こんな事に――絶対に許すことなどできない!
「どんなに喚こうと、もう遅い。人の運命は生まれ出た時から決まっている。どんなに望もうとも、願おうともな」
言いながら、大神はパチンと指を鳴らす。それを合図に数体の人形兵たちが再び襲いかかってくる。
「故に紅坂命も、荒井恵も、その存在が生まれた時から、その結末も決まっていたのだ。そして、貴様の運命はここで散ることだ。それは変えようのない事実だ」
人形兵は腕を鋭い刃に変え、それを振るう。俺はそれを寸でのところで躱し、逆に木刀で人形を薙ぎ払う。これで一体目。
「違う! 運命は、自分で切り開くものだ。お前が勝手に決めつけるな!」
二体目の斬撃を躱し、その叫びとともに木刀を人形の頭部に突き立て、振り払う。そして、次の標的に向かって――。
「人は――人間は自分の願いのためなら、たとえどんなに傷ついたとしても、叶えようと努力だってする強い意志を持ってる。願いも、運命も、自分の未来は自分の手で手繰り寄せるもの――なんだ!」
その叫びは言葉になり、言葉は意志を持つ。そして、その意思は強き力へと化し――三体目の人形をなぎ倒した。
「そうだ――だからこそ、人間は愚かなのだ」
「え……」
大神のその言葉に突如人形の動きが止まる。
大神のその声はくぐもった低い声だった。まるで暗い感情を押し込めようとしているように。
「貴様が口にする願いを叶え、運命を変える意志を確かに人間は持ち合わせている。だが、その意思が正しいものばかりと限らない。人間はその願いの為に――いや、その己の欲望のために様々な命を犠牲にし、嘆きと悲しみを生み出しながら、それを叶えてきた。それが正しいことか? それが正義か? そんなことは断じてない! だからこそ、私は人間などという生き物を――」
大神はそこまで口にすると、我に返ったように口を噤んだ。
大神の言葉には今までにない感情が籠っていた。それは全てを飲み込むかのような真っ黒に淀んだ濁流のような感情だ。これは――憎悪? いや、そんな言葉なんかでは片づけられない。憎悪と超えた感情だ。
「大神……お前、まさか――」
分かったような気がする。この男の過去と、これまでしてきた事、そして、今の言葉で、こいつのやろうとしていることが。俺の想像が正しければ、こいつは過去誰もが望みながらもなしえなかった事を、過去の誰よりも最低最悪な方法で行おうとしている。
「チッ! 口が過ぎたな……やはり、お前は目障りだ、真藤一輝。もはや、手加減は無用。早々に消し去ってやる!」
大神の目は怒りに満ちていた。俺に自身の本来の目的を見抜かれた事が許せないようでもあった。
「待て、大神! お前がそう望むのは分からなくもないが、それは間違いだ! お前のやっていることは――」
「黙れ! 貴様に私の何が分かる? 貴様は人間の何を知っている? 否、貴様は何も分からぬし、何も知らん! 貴様のように何も見ようと、知ろうともせず、自分の願いだけを口にするような人間こそが、私とっての〝悪〟だ!」
大神はその言葉を皮切りに、自身の両掌を合わせる。その合わせた手から青白い光が輝き出す。
「もはや、手加減はせん。後悔するがいい。私の邪魔をした事に、一ノ宮怜奈に関わった事にな。そして、それを呪いながら死んでゆけ」
「そんなの……するもんか! 俺は俺の選んだ道を後悔なんかしたりしない!」
「――いいだろう! それと同じ台詞、我が力を前にしても口にできるか、試してやる――生体錬成!」
大神は両掌を地面に叩きつける。すると、大神を中心に青白い光が地面を覆い尽くしていった。
光は人形兵を包み込んでいく。光を浴びた人形兵は、その無機質な身体に、刃に変えた腕を除いて徐々に血が巡っていく。その次には肉が体を覆い、そして最後には皮膚が人形の全身を覆った。それが、この場にいる数十体の人形に同時に起こった。
「こ、これが生体錬成……」
正直、自分の目で見るまでは信じられなかった。生き物を作り出す魔術なんてものを。けれど、大神は今まさにその秘術により、人形から異形の〝人間〟を作り出したのだ。
「感謝しろ。これだけの錬成だ。〝不死身〟にまでにはしていない。さすがの私もこの数を錬成するには消耗が大きいのでな。〝殺す〟ことができれば、倒すことは可能だ。お前に殺すことができれば、だが?」
「なめるな! いくら姿形を人間に似せたからって、こんな人形なんかに躊躇ったりするもんか!」
「そうか――それは何よりだ。だが、勘違いしてくれな。私が言っているのは貴様のくだらぬ覚悟の事ではない」
「な、なんだって?」
「覚悟など意味がない。何せ、こうなったこいつらは性能が違うからな」
「せ、性能?」
「フ――いけ」
大神がそう指示すると、一体の人形が一歩前へ――。
「え――」
自分の目を疑った。一歩前へ踏み出そうとした人形が俺の視界から一瞬にして消えてしまったのだ。
「――左!」
ほとんど直感だった。視界から消えた人形が左側から攻めてくる、そんな気がして反射的に木刀を振るった。その瞬間だった。
「ぐっ!」
木刀から強い衝撃が伝わる。振るった木刀は人形の腕と交錯していた。だが、交錯した刃は決して拮抗などしていなかった。
その力の差は歴然だった。俺の木刀は軋みをあげる余裕もなく砕け、俺自身はその衝撃に耐えきれず、吹き飛ばされていた。
「あ――ぐ!」
一瞬、自分が宙に浮いた感覚がしたかと思うと、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。
叩きつけられた瞬間、痛烈な痛みが全身を襲った。だが、その痛みに悶えている暇など俺にはない。俺は痛みに堪えながら立ち上がる。
「く……そ……どう……なってるんだ?」
何故、と疑問に思う。
確かに本物の刃と木刀では強度の差は明らかなのだが、それでもこれ程の差があるとは思えない。何よりも俺自身が吹き飛ばされている。純粋な強度の差などではない。何よりも、人形の動きが先程までとはまるで違う。スピードもパワーもまるで別物だ。
「だから言っただろう? 性能が違うとな。そもそも、何の為に生体錬成をした思っている? お前を驚かせるためだけとでも?」
「そ、それは――」
そんな事は微塵も思っていない。生体錬成は大神の最大の魔術だ。ならば、何がしらの意味がある事は明白だった。ただ、それが何かが分かっていなかっただけだ。
「生体錬成で得た肉体――この場合は受肉したと言った方がいいだろうな。その受肉の意味が貴様に分かるか? 肉を得ること、それは運動神経を得るということだ。腕力、脚力という人間でいう筋力を人形が持つということだ。それも、常人のそれとは比べ物にならいものをな。もっとも――人間が同じ肉体を持ったとしても先程のような動きはできないがな?」
「――なるほど、そいうことか」
聞いた事がある。人間はその肉体が持つ能力の数パーセントしか通常は使えない、と。脳がリミッターとなり、肉体でいうところの全力とは程遠い力しか出せないらしい。何故そんなリミッターがついているかと言うと、もしリミッターもなく人間が常に全力の力を振るったとしたならば、その体は自身の力に耐えきれず、ものの数分で崩壊してしまうからなのだそうだ。
だが、ここにいる人形兵達は違う。人間としての肉体を持ってはいるが、人間ではない。脳すらもないだろう。故に、リミッターなど存在しない。つまり、こいつらは人間の全力を常に使える状態にあるのだ。しかも、何のリスクもなしで。
「は……ははは……とんでもないな……」
たとえ空笑いだとしても、口に出して笑うしかなかった。それほど、目の前いる存在は既に常軌を逸していた。こんな相手に俺はどうやって戦えばいいっていうのか――。
「諦めろ、真藤一輝。お前の命運はもう――」
大神はそこまで言い掛けて、また口を噤んだ。今度は一瞬だったが驚いたような表情を見せていた。そして――。
「――フ――フフフ……フハハハハ!」
どうしたことか、大神は今までにないほど高らかに笑い出した。
何が起こったのか分からない。けれど、その表情は歓喜しているように見えた。一体、大神に何が起こったか――。
俺は大神の豹変に声を出すことも躊躇っていた。そんな俺に気づいたのか、大神はその笑い声を押し殺した。だが、それでも表情から歓喜の笑みは消し切れないでいる。
「失礼した。私自身も驚いているのだ。感情というものを捨て去ったと思っていたのだがな……積年の願いが叶うことにこれ程歓喜するとは思わなかった!」
「か、叶う……だと!?」
「そうだ。予定とは違ったが、どうやら、その時が来たらしい。貴様の死が最後のダメ押しになると思っていたのだがな……どうやら、その前にあの女の精神が限界を迎えたようだ」
「限界って……ま、まさか、そんな……」
愕然とした。まさか、一ノ宮の精神が崩壊したって言うのか? どうして――一体、屋上で何が起こっているんだ!?
「フフフ……私も驚ている。まさか、一ノ宮蔡蔵が封じた記憶が今更になって戻るとはな!」
「封じた記憶? 蔡蔵さんが? 一体、何の事を言っている!?」
「何も知らぬ貴様はもう黙っていろ。もはや、貴様の役目は終わった」
役目は終わった。そう言う大神の俺を見る眼には侮蔑が表れていた。まるで興味を失ったかのように冷たい視線を向けてくる。
「真藤一輝、貴様にはもう何もできぬ。諦めてここを去れ。そうすれば、命だけは助けてやろう」
「そ、そんなことできるか!」
「――そうか。ならば、仕方ない」
大神はつまらなさそうにそう言うと、奴の背後に真っ黒な空間が突然現れた。
大神はこちらを向いたまま、その空間にゆっくりと引きずり込まれていく。
「ま、待て!」
俺は大神を追いかけようと駆け出そうとしたが、その行く手を人形兵が阻んだ。
「く――そ! どけ!」
「そう焦るな、真藤一輝。我が兵には苦しませず殺すように命じてある。安心して死んでゆけ」
それだけを言い残し、真っ黒な空間とともに大神は姿を消した。
残されたのは俺と受肉した数十体の人形兵だけとなった。




