プロローグ「幕開け」
・あらすじ
街で発生する連続猟奇殺人。それに興味本位で首を突っ込んだ一輝は殺人鬼と出くわしてしまう。
その殺人鬼は、実は人としてありえない力を振るう能力者であった。
そんな殺人鬼に命を狙われる一輝。それを救ったのは彼が恋い焦がれていた一ノ宮怜奈だった。
挿絵は本作のイメージイラストです。
いわゆる、表紙絵というものであります。
男の子は本作の主人公、真藤一輝。
女の子は副主人公兼ヒロイン、一ノ宮怜奈。
描いてくれた方はウサミンさんです。
この度は本当にありがとうございました。大変感謝しております。
暗い路地を男は走っていた。まるで何かから逃げるようにして。
暗闇には駆ける足音と男の荒い息づかいのみが木霊する。それ以外には何もないように思われた。
だが――そこにもうひとつの足音が混ざる。
「ひっ……!」
男は声にならない悲鳴を上げる。
足音はゆっくりと歩くようにしか聞こえない。だが、聞こえてくる度にそれは近づいて来ているように男は感じていた。
ありえないことだ。男は走っている。対して謎の足音は明らかに歩いている。それも一歩一歩ゆっくりと。なのに、何故追いつかれるというのか――。
男は大通りから偶々この薄暗い路地に入り込んだだけだった。その日は仕事帰りに酒を飲んだ。世の中の嫌なこと、プライベートでの嫌なこと、そして自分自身の愚かさを忘れるため酒を大量にあおった。
その結果として、ままならない足取りで帰宅の道を歩いていた。だが、飲みすぎたためか、途中で気分が悪くなり吐きそうになった。慌てて男は近くの路地に駆け込み、そこで吐いた。何度も何度も。まるで嫌なことを全て吐き出すように。
そして、一頻り吐いた男はすっきりしたところで路地を出るため来た道を戻ろうと振り返った。
「……なんだ?」
男は疑問の声を上げる。目を擦り、自分の見間違いでないか確認する。
男が振り返った先には――黒い影が浮かび上がっていた。それは人間のようにも見えれば、そうでない歪な何かのようにも見える。それは男が酔っていたせいかもしれない。
だが、その影は笑った。白い歯を見せてニタリと笑ってみせた。
男はその笑みを見て、影の正体が人間であることを確信したのと同時に恐怖した。
まともな人間ではない――。
男は黒い影が見せた笑みが、この世のどんなものよりもおぞましく感じていた。
そして――男は反射的に逃げ出していた。大通りとは逆方向、路地の更に奥へと。
男はただひたすら走って逃げた。自分が何から逃げているかも分からないまま。それでも黒い影は、足音は、近づいてくる。
「はっ……はっ……はっ……」
どこをどう走ったかも、どのくらい走ったかも分からない。男の息づかいは荒く、いまにも倒れそうだった。
だが、それでも男は走るのを止めない。それは、男の中で走るのを止めれば確実に嫌な想像が現実のものになると予感があったからだ。故に、男は必死に脚を前へと動かした。
その時だった。突然ガクンと視界が揺らいだ。いや――視界ではなく足の感覚なのかもしれない。気づけば男の視界は地面にあった。
男は何が起きたのかすぐには理解出来なかった。だが、考えなくとも分かることだ。男は地面に倒れたのだ。
男はすぐさま立ち上がろうとした。だが、何故か足に力が入らず起き上がれない。いや、正しくは右足の感覚が無かったのだ。
男は自分の右足の状態を確認しようと振り返り――。
「……え?」
男は愕然とした。そこにはあるはずのものが無かった。右足が、膝から下が無くなっていた。
「な……なんで……?」
足からは赤い液体が大量に流出していた。だが、男は痛みを感じていなかった。自分に起きたことを脳が理解出来ていなかったからだ。
男は目を泳がせ探した。あるはずのものを。自分の右足を。
それは男よりやや後方に落ちていた。切り離された膝より下の右足だ。
「ハ、ハハ……う、嘘……だろ?」
乾いた笑い声が漏れる。笑っている場合でないことを百も承知なのに、男は笑わずにいられなかった。
突然切断された足を見て、いま自分が見ているのが夢なのか、それとも現実なのか、それを見極める判断力すら、もう男には残されていなかった。
そんな状態だからこそ、彼は判断を間違えた。夢であれ、現実であれ、声を上げるべきだった。助けを求めるべきだった。夢であれば、目覚めるきっかけとなったかもしれない。現実ならば、助けがきたかもしれない。けれど、彼の自我が矮小だったが故に、それすらも彼は思いつかなかった。
そして――黒い影は彼の目の前に現れた。
「ひっ……!」
その瞬間、男の恐怖は頂点に達した。まともな声を上げることもできず、ただただ目の前の恐怖をみつめることしかできなかった。
そんな彼を黒い影は二つの眼で直視する。そして、ニタリと笑った。
男が最後に見たのはその二つの眼の白目と笑った口元から覗いた白い歯だった。
「あ……あ……」
男は恐怖のあまりその意識を失いかけた。だが、その意識が失われる前に全てが終わった。
「ぁ――」
男の視界は一瞬にして赤く染まった。そして、暗転した。
残ったのは、大量の赤い液体とほんの数秒前まで人間だったものの残骸。それを見て、黒い影はせせら笑っていた――。