パートナー
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夜明けとともに容赦無く鳴る目覚まし。若干アルコールが残っているせいか胃も体もだるい。
昨日は色々なことがありすぎた。偶然で片付けるには困難な符合の数々。ちゃんと出社して椎野君に確認しなきゃ。リーマスは私が青春をかけたアイデンティティーのよりどころ。疑問はぜんぶ解明しなきゃすっきりしない。
それに同じ趣味ならゲームの中でもデートできるじゃん。現実世界のスキルよりゲーム内でのスキルの方が自慢に値する私。
偽トニーの正体は気になるところだけど多分その他大勢の愉快犯。なんせ150万人も登録してる有名ゲームだ。変人もアウトローも大勢いる。私と本物椎野君が組めばあっという間に捕まえて正体解明できるだろう。
顔を洗いつつ歯を磨き、仕掛けたトーストが焼けるのを聞きながら服を着替えた。
今日は念のため満充電のネットブックも持っていこう。
出社してみると社内の様子が昨日までとはまったくちがっている。所属セクションは慌しい雰囲気に包まれていた。常にどこかで誰かが大声で呼び合う。ダブルクリップで留められた書類が空中を飛び交った。
みんなが走り回っていて私もお茶くみどころじゃない。宇賀さんとすれ違ったのであわてて呼びとめた。
「なに? 浅倉さん。うちの部署早朝から緊急事態警報発令中なんだよね。お茶ならまた声かけるから」
「お忙しいのにすいません。何かあったんですか?」
「トニーだよ。全面戦争中だ。トニーって名札の付いたウイルスソフトでハッキングとは舐めた真似してくれるよ。本社の防衛にてんやわんやで顧客をフォローし切れてない。下手すりゃ今夜は徹夜だな」
「ちょ、ちょっとトイレ行ってきます」
私は注ごうと持っていた急須をその場にほったらかし、家から持ってきたネットブックを掴んでトイレにかけこんだ。
こんな事態だ。だれも私に注意を払うものはいない。個室に鍵をかけるとパソコンを立ち上げ、トニーの項を検索してみた。
!
なんとヒット300万件以上! 引きこもりのネットゲームっ子だった私がなぜ今までこんな有名なハッカーについて知らなかったんだろう。
ゲームばっかりやりすぎか?
トニーは新聞やニュースサイトでも連日取り上げられている有名人だった。フリー百科辞典にもしっかり登録されている。
トニー
出典: フリー百科事典『ジェネペディア(Jenepedia)』
トニー (Tony) 、トニ (Toni)
●実在の人物
日本の映画俳優、赤木圭一郎のニックネーム。
日本のプロ野球選手、田島俊雄の1996年の登録名(1995年はトニー田島)。
Tony - 日本のイラストレーター。
トニー・カーティス - アメリカの映画俳優。
トニー・グウィン - アメリカの元野球選手。
トニー・ベネット - アメリカの歌手。
トニー・テニール - アメリカの歌手。キャプテン&テニールのボーカリスト。
トニー・スコット - アメリカの映画監督。
トニー・ウィリアムス - アメリカのドラマー。
トニー・ザイラー - オーストリアのスキー選手。
トニー谷 - 日本の喜劇俳優。
トニーたけざき - 日本の漫画家。
トニ・コレット - アメリカの女優。
トニー・オリバー - アメリカの声優、脚本家、プロデューサー、音響監督。
トニー・ホーク - アメリカのスケートボーダー。
……
●架空の人物
ミュージカルおよび映画『ウエスト・サイド物語』の主人公。本名アントン・ウィチェック。
トニー・シプリアーニ - 米国Rockstar Games社のゲームソフト『Grand Theft Auto III』の登場人物であり、同社の『Grand Theft Auto: Liberty City Stories』の主人公。
トニー・アルメイダ - アメリカのテレビドラマ『24 -TWENTY FOUR-』の登場人物。
トニー・モンタナ - アル・パチーノ主演の映画『スカーフェイス』の主人公。
……
●その存在が公式に確認できない人物・その他
ハッカー ‐ トニー・呼称ではカタカナ表記。主に日本企業・日本政府に対する情報攻撃を得意とする。架空人物の欄に分類されているが、何らかの形での実在がほぼ確実視されている有名ハッカー。
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カテゴリ: 曖昧さ回避 | ヨーロッパの人名
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トニー ‐ ハッカー。
英語名のようだが日本人であると推測されている。
日本BGM株式会社(日本ブロードバンドジェネラルマネージメント株式会社:日本のIT企業)の開発部とその委託元日本国省庁オンラインサイトへ執拗に侵入を繰り返す名物ハッカー。
その目的はいまだ明らかになっておらず、そのため企業も政府も有効な対策を打てずにいる。愉快犯であるという説と何か大きな目的があるという説があるが想像の域を出ていない。
……
なにこれ? 日本BGMってこの会社のことじゃないの。
え~と、
……
トニーは政府の窓枠システム普及プロジェクトと同時期に突然現れ、本プロジェクトの主要受託先である日本BGM社開発部とのハッキングおよびプロテクトのいたちごっこで有名である。必ずなんらかの形で進入が分かる足跡を残すのが特徴。
BGM社は自社のもつ権利関係には厳しいが、他から提供を受けた権利の管理には杜撰な面があることを指摘されており、ネットユーザーからは評判が悪い面がある。
このためトニーの行動は時に英雄視されることがある。
……
記事にざっと目を通すと、私はネットブックを折りたたんでトイレを飛び出した。
何かとてつもない事件に巻き込まれているような気がする。私の中で瞬く間に大きくなってくる嫌な予感。彼に会わなきゃ。椎野君と会って話しなきゃ。
廊下の角を曲がろうとしたが大きく膨らんでコースアウトしてしまった。
顔と胸に大きな衝撃。一瞬呼吸が止まって星が光った。
相手も同じだったらしく苦痛にうなる声が私自身の声に重なって聞こえてくる。
ようやっと見上げると自分が雑務担当している列の女性開発者だった。
「すいません。あの、私急いでて……」
初めて話す相手なのにいつもよりは声が震えていない。
「もう、なんなのよ。廊下は走っちゃだめでしょ」
ハイヒールの似合うやり手のキャリアウーマン・矢田美奈さんだ。
「派遣の浅倉さんじゃないの。どうしたの? そんな慌てて」
「あの、雑務の椎野君どこにいるかご存知ですか?」
「ああ、椎野くん? 今日は来てないわよ。始業前に総務に連絡があったらしくて、今日は別の派遣さんが来てるみたいだけど」
「ええ? ひょっとして辞めちゃったとかいうことは無いですよね」
「知らないわよ。ははあ、昨日一緒に帰ってるの見たけど、あんたたち何かあったんでしょ?」
えー、この人なんで私と椎野君が一緒に帰ってたの知ってるの? 油断ならないな~
「何にも無いですよ。食事に行っただけで。昨日はまた明日って言って別れたのに…… 聞きたいことがあったのに困ったなあ」
昨日あれだけ一緒にいたのにケータイ番号やメアドのひとつも聞いてないなんてなんてドジなんだ私は。
「聞いたわよ。浅倉さんネトゲやるんでしょ? 実は私もやってんだけど、今日付き合ってくれない?」
「最強ハッカーが現れてそれどころじゃないんじゃないですか?」
「だれにでも向き不向きや分業ってものがあってね。たったいま有給申請してきたところなの。こんななら朝寝しとけばよかったな~」
私と矢田さんが話しているところへ宇賀さんが通りかかった。
「おいミーナ、何やってる。早く持ち場にもどれ」
「残念でした。たったいま自由の身になったとこ。どうでもいいけどあんたなんで私のこと呼び捨てなのよ。階級は同じなんだからね。チーフマネージャーだからって偉そうにしないでよね」
さすがキャリアウーマン矢田女史。いついかなるときも気高さを失わない。
「ぐ……」
宇賀さんは何かいいたそうだったが、言葉を飲み込んでその場を去った。
「矢田さん格好良いですね。憧れます」
「あたしは女にはやさしいの。もっと砕けた感じで話してくれていいよ。さっき宇賀が呼んだから気づいたかも知れないけど、下の名前はミーナ。矢田美奈よ。
よろしくね」
「こ、こちらこそ、、よろしくお願いします」
「堅い堅い。こっちこそいろいろ教えてもらわないといけないのに」
彼女は軽い調子で笑った。
「なんだったらタメ口でもいいよ。ミーナって呼んでね。よろしく、大魔法使い ミ ニ カ さん」
それを聞いた私は、心臓を握られたみたいになって竦んだ。
ミーナさんゲーム内の私を知ってる!
「どうして知ってるんだって思ったでしょ? でもま、あのゲームの中では結構有名人だしね、あなた」
もし目の前に鏡があれば確認できるだろう。今の私、動揺が顔の上でダンスしてるはず。
「な~んちゃって。オンラインゲーム会社『リーマス』は我が社『日本BGM(日本ブロードバンドジェネラルマネージメント社)』の子会社なの。宇賀君がゲーム内での出来事を知ってたのも管理者に直接問い合わせられるからなのよ。私自身プレイヤーとしては全然大した事無いけど、管理者特権引っ張ってこれるから、連れて歩くと色々役に立つと思うよ」
ミーナはいたずらっぽく微笑み、ウインクした。
ここまで聞いて私はなぜミーナが私と一緒にログインしようと言い出したのか、その理由を想像した。BGM関係者は昨日今日のリーマス、リアル両方の出来事を関連付けて考え始めているのではないか。おそらく昨夜リーマス内でトニーらしき人物が暴れて私と一悶着起こしたことも、トニーと同じ名前の読みを持つ椎野君が今日突然BGMを欠勤したことも。そしてそれと殆ど同時に今朝から有名ハッカーであるトニーが現れてBGMのシステムに障害を与えていることも。
彼らは私をハッカー=トニー=椎野君をおびき出すための餌として利用しようとしてるんじゃないだろうか?
真意は分からない。
それでも私は椎野君に会いたい。
彼が犯罪者でもただの派遣社員でも、どっちだっていい。とにかく会いたい。
そして彼の口から真実を聞きたい。
「よろしくお願いします!」
私はミーナをパートナーに選んだ。
気さくだし、女性にはやさしそうだし。管理者とのつながりもあるから椎野君を探すのにきっと力になってくれる。もし椎野君がトニー・ハッカーだったら…… それはそのとき考えよう。
ミーナと私は顔を見合わせてニッと笑い、それぞれの机に戻って猛スピードで帰り支度をはじめた。平日の真昼間からログインするなんて引きこもりやってたとき以来だ。
リアルの仲間と一緒にもぐるなんてそれこそ生まれて初めてだ。
なんだかわくわくしてきた。一匹狼もいいがやっぱりゲームは仲間がいたほうが楽しい。
私はネットブックを持ったままミーナのマンションにお邪魔することにした。
コンビニ弁当と炭酸と大量のお菓子を買い込んでいざログイン。
「ミーナ、私トニーに会いたい」
ミーナは目を細めながら私を見て、フフンとわざとらしく微笑んだ。
BGMが私を利用しようとしているならここはひとつ利用されてやろう。