リアル
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けたたましく響くベルで明け方の夢は悪夢に変わる。
ガンガンと割れそうな頭をかかえ、止めた目覚ましの文字盤を覗き込んだ。
「げ、今止めたんじゃないの? この目覚まし、何で30分以上もタイムラグがあるのよ?」
7時半に仕掛けたはずの目覚ましはもう既に8時を回っている。
止めた状態で意識を失い、その姿勢のまま30分の時が流れたようだった。
いや、もう何度目だこの現象!
明け方4時にログアウト。そこからウイルスチェックとデフラグを初めていつの間にか意識を失った。ベッドに潜り込んだときの記憶は綺麗さっぱり消失している。
最終的に寝たのは何時だ? 自問自答しながら歯磨きと洗顔と朝食と着替えを同時にこなす離れ業。このトーストなんか味がスースーするよ。
「あ、パソコン落としていかなきゃ……」
つい先月、勝手にファイル交換ソフトをインストールしてばら撒くというとんでもないウイルスに見舞われて、パソコンがぶっ壊れたとこなんだ。
まあクレジットカードはなんとか無事だったし、ただの愉快犯だったみたいだけど、安月給でそうそう突発的な出費があっては生命の危機。
それにしてもウイルスダスター役に立たねえ、訴えるよっ!
テレビを点けるとこれまたハッカーの報道。
困った奴等だけど人が死ぬわけでもないし、ゲームのチート探したりするのにも一役買ってる人たちだから、徹底的に恨む気にもなれない。
頼むからほどほどにやってくれ。
私の名前は、浅倉小娘。
変な名前だろ?
親が遊びで付けたとしか思えん。70歳になっても80歳になっても小娘だぜ? ふり仮名ないと誰も読めないし。
読み辛い名づけするのが流行ったのかな?
ただいま18歳で今月から一人暮らし。
身長低し。顔は美人……じゃないけど不美人でもないと思いたい。だれかそういってくれ。念のためたのむ。
正直、中学までの私は最悪だった。病弱でチビ。友達いない、話下手、根暗の五重苦。
その所為で中学高校の半分は引きこもり。なんとか卒業できたのが不思議なくらいなんだ。実は今でも人前じゃあダメダメ。あがって声が震えちゃう。
しかしまあそのおかげと言っちゃあなんだが、ネトゲキャラのレベルは上がりまくり。
余計なお金は一銭も使わず、一からその世界最強レベルまで引き上げたのは実は私一人くらいしかいないんじゃないかな?
おかげで大量にタスクをこなして、ゲーム内では大金持。
あと、ホントはやっちゃいけなかったんだけど、リアルマネートレードって知ってる?
ゲーム内のアイテムや召喚獣を現実のお金で売り買いするの。
なんせその世界最強レベルだから最後の方は面白いようにレアアイテムが手に入ってさ。
ここだけの話、1年で150万円くらい儲けたんだわ。
だって元はタダだよ。たしかに死ぬほど時間を費やしてはいるけど。
引き受けるタスクは後になるほど難易度上がるから、殆ど私のキャラじゃなきゃクリアできないようなのばっかだったな。
そいで、貯めたお金でさ、一念発起したわけ。このままじゃ駄目でしょ、一人暮らしでしょやっぱ、って。親はびっくりしてたけど、貯めたお金のことは言わないで、ちょっぴりだけ援助してもらって、ワンルームマンションに引っ越したわけ。
自分でもびっくりだよ。
でも、たとえネトゲでも、引きこもりの高校生が一人で150万も貯めたのはなんか自信に繋がったんだと思う。
だから一人でもやっていけるって、なんとか踏み出せたんだ。
これからの目標は、ゲーム内で得た自信を足がかりにリアルでも自信を持つこと。最初にこのゲームを作ってくれた人には今でもホント感謝している。
リアルの私の仕事は派遣社員。
ソフトウエア開発している社員の依頼でコピーを取ったり資料を整理したりする人にお茶を入れたりする仕事。
え? 良く分らない?
要するに雑用係のそのまた下ってこと。
月給は10万ちょい。
だから今でも夜間は大魔法使いとして稼ぎまくらなきゃいけないし、そのせいで毎朝目覚ましの前で行き倒れの旅人みたいな姿勢になってるわけ。
派遣の仕事はまだやり始めたばかりだし、今からリアルでもレベル上げしなきゃ。
「おはようございます」
突然背後から元気の良い声。
「お、おはよう……」
リアル社会での私の声はなんて小さくて元気が無いんだ。
ゆっくり振り返ると後輩の椎野君が立っていた。
後輩といっても、私は3月下旬採用、彼は4月上旬採用で10日余りしか違わないんだけどね。でも先に入って一通り仕事の手順を教わっていた私はそのまま彼の教育係になったのでした。なんせ仕事は簡単。数十人いる社員さんのそのまたアシスタントさんのその下で細々と雑用を聞いてればいいんだから。こんなので先輩気分を味わえるなんてちょっとお得。引きこもりのおちこぼれがなんとなく偉くなったもんだわ、ふっふっふ。
椎野君はチビの私なんかより遥かに背が高く、スラリとした細面で頭がちっちゃい。私にとって彼はトテーモ気になる存在。でも私自身、まだ自分の思いには自信が無い。
中高の大部分を引きこもりとして過ごした私は、長い間恋人どころか普段会話を交わす異性さえもいなかった。当時の私は極度の対人恐怖症。
宅配業者や近所のご老人と話すのでさえドキドキして声が震えた。当時より幾分マシになったとはいえ、今でも他人と話すとき私の心臓はしばしば駆け足になる。悔しいけどその所為で、私は私のドキドキが恋愛感情によるものなのかそうでないのか分からない。私だって女の子なんだ。人並みに恋愛感情だってあるんだ、って信じたい。
「あのお、椎野さん。午前中はA列B列のならびに付いてもらっていいですか?」
あ~、指示するだけなのに声が震えるぅ。そういえば同年代の男の子と直接話したのは中学校のグループワーク以来のような……
「はい。分りました。A・Bですね」
良く通る椎野君の声。圧倒されちゃう。
仕事に入ってしまえば、あとは担当先の指示に従ってただ黙々と雑用をこなすのみ。
昼は気弱な派遣社員。夜は天地を揺るがす大魔法使い。あ~、早く帰りたい。
「君新しい子? こういう記事わかる?」
休憩中の社員さんから突然話しかけられた。最初は誰に声をかけてるのかよく分らなかったが、新しい子って私と椎野君しかいないし。
「はい? いえ、あの良くは……」
な~んで返事するだけで声が震えるんだ。まったくもう私の意気地なし。
記事は今朝テレビで見たハッカーのものだった。
「俺達の仕事ってどんなかわかる? あんま詳しくは言えないんだけどさ」
上手く返事できないが、社員さんの聞きたいことはなんとなく分った。
「俺達の仕事ってこいつらと戦うことなんだよね。もしくは有効な予防線を張ること」
おお! ひょっとして私今すごいことを教えてもらおうとしてるんじゃないかしら。
「宇賀さん達のお仕事が、ハッカーと戦うこと、ですか?」
私は慌てて目の前の男性のネームプレートをチラ見し、会話に生かした。
宇賀さんは少しやせ型でメガネにボサボサ頭の、30歳前後の男性。見た感じ典型的なシステムエンジニアだ。
「あ、ああ……」
男性は自分のネームプレートを見て納得し、苦笑いした。
「ええと君は、浅倉さんか。そうだよ。俺達は全世界の天才たちと戦ってるのさ」
「天才って、ハッカー?」
「俺達のチームは総勢50人、君たちも入れてね。一般的で汎用性が高い、改変が容易で、解除されにくいプロテクトを開発してるのさ」
「物凄く重くなりそうですね」
素人の私が聞いても難題に聞こえる。
「俺達の仕事は理論図とフローチャートを作ってテストプログラムを走らせること。残りは解除手法を開発するチーム。いたちごっこをチームの中でやってるわけだ」
「どのくらいで出来るんですか?」
「いま、有効だと思える方法が15種ほど挙がっている。いまから一ヶ月で50種まで増やし、それをまた25種ほどにまで絞り込む。そのうちの3~5種を組み合わせ一つのプログラムに組み込む。組み込み方はランダムだし、ダミーも混ぜる」
「それでもうハッカーを防げるんですか?」
「いや、無理だろうね。時間は稼げるかもしれないが」
「破られたらどうするんですか?」
「また作るよ。人間が作るものだからね、絶対は無い。相手はプログラムジャンキーみたいな連中だし、俺達が作ったデータを遡って解析してくるよ」
「大変なお仕事なんですね」
めったに聞けない仕事の内側を教えて貰い、私は興奮した。
「時間稼ぎだね。これで仕事になってお金もらえるわけだし。絶対完璧なプロテクトなんかが開発されたら逆に俺達が干されちゃうよ」
宇賀さんは軽く笑ってコーヒーカップを置き、手を上げて自分の席に戻っていった。
「あ、そうそう」
席に着く手前で宇賀さんは私の方に向いて思い出したようにいった。
「ある有名なネットゲーム上で妙なアクシデントがあったんだ。友人に開発者がいるんで問い合わせてみたんだけど良く分らないって言うんだよね。天変地異か核爆発みたいな現象なんだけど、そんなイベントの設定は無いって言うんだ」
「天変地異か核爆発……?」
私はドキッとした。
「もちろんゲーム内での話だよ。俺はそのときたまたまログインしてたんだけど。みんなが集まる酒場で、そのときはじめて見かけたキャラの名前が……」
心臓が口から飛び出てきそうだ。
「トニーって言うらしいんだけど」
え……?
「それ、いま売り出し中のハッカーと同じ名前なんだよね」
マジですか? 心臓を咥えたまま背筋に氷を当てられた、そんな気持ち。
「まあ、でもありがちな名前だし、関係あるかどうかは分んないけどね」
「そ、そうですよね。カタカナ3文字なんて、被りまくりでしょうし」
「そう思ってアクセスログを確認してもらったんだよ。ほら俺、開発者で管理アクセス権のある友人いるから」
またまた背筋に冷たいものが……
「あの事件の時点でログインしてたのが16万人弱。そのうちトニー名でログインしてたのは8名。そのときの足跡リストで前後1時間以内に酒場にいたトニーは……」
言われる前からもう答えが分ったような気がした。
「ゼロだった」
「酒場にいたトニーは0人だったんですか?」
「その通り。まあでもあのゲームはニックネーム登録も出来るし、ニックネームいつでも変更可能だから。富田さんとかそういう名で登録してて、ニックネーム表示がトニーだっただけかも知れないけどね」
「あ、そう、そうですよね。毎回ニックネーム変える人とかもたまにいるみたいだし、ややこしいったらありゃしない」
そう言いながらも冷や汗が止まらない私。もうやめて~
「え? なんか浅倉さん詳しいみたいだけどそのゲームやったことあるの? まあとにかくハッカーのトニーと同一人物かどうかは分らないけど、ニックネームよく変える奴はPKの可能性が高かったりするし、もしやってるなら近づかない方がいいかもな」
やってるもなにもこのゲームに関しちゃプロ級、最上級魔法使いだよ~ 年収150万で本業より儲けてるよ~ その辺のPKなんかチョチョイのちょいでボッコボコだよ~(笑)しかし、なんか引かれそうで素直にカミングアウトできないのが辛い。もと引きこもりの悲しい性か……
「ところで変わった名前だけど、浅倉さんって下はなんて読むの?」
「あ、ハイ、あの、ミニカです。浅倉小娘……」
「へ~、じゃあ今度からスカートはミニはいてきてよ」
宇賀さんは少し考え込む素振りを見せた後、ニヤニヤしながらそう言って自分の席に戻っていった。
まだ若いくせに典型的オヤジのノリ。そんなんじゃあもてないよ。
それにしても、あ~疲れた。
まさか会社でネトゲの話が出るとは。しかも昨日の今日じゃん。あの超有名ネットゲームの管理アクセス権持ってる友人が身近にいるなんて、さすが業界人は違うなぁ。
ふと時計を見るともう終業時間近くになっていた。
椎野君もそろそろ後片付けに入っている。
さっきまで無駄話ばっかりしてた私。そんなふうにさぼってばかりいる先輩の背中をマジマジと見られてたんじゃないだろうか。
う~、早くも先輩の威厳喪失?
「浅倉さん、もうあがるよね? タイムカード押しとこうか?」
「え? ああ、ありがと」
ん~、たぶん大丈夫。なんか彼十分優しい。
会話の中身は聞こえてなかった? 上手く今風の若者に見えたのかしら?
でも実際話すと声震えちゃうんだよな~ う~んちくしょー
さっきまで心臓が出たり入ったりしてた所為か今日はなんかいつもよりハイテンション。この調子で夜の部もバリバリ稼ぎまくりますか。
タイムカードのお礼を言って帰ろうとするとなぜか後ろから追いかけてくる足音。
おいまさか、社員さんじゃないよな。社員さんは定時帰宅なんか一人もいないんだからこの会社。それどころかマイパソコンと寝具一式持ち込んで寝泊りしてるような人もいるくらい。噂じゃあ殆ど帰らないんで自宅のアパート引き払っちゃったとか引き払ってないとか、もう都市伝説レベル。……てことは、おい、まさか。
「浅倉さん、一緒に帰っていい?」
椎野君だぁ、嬉しいはずなのになぜか嬉しくないこのお誘い。人前赤面恐怖症な私。
同じ会社で同期で、帰る時間も同じならそりゃ声くらいかけるわな。しかし元ヒキコモリのこの地味娘に同年代とのまともな会話が出来るのでしょうか……
ああ私ったらなんてネガティブな… まだおじさんとの方がマシだあ。
恥ずかしいよう。何話せばいいの?
「さっき宇賀さんと話してたのちょっと聞いちゃったんだ。浅倉さんてネットゲームやるんだね」
キター!
「う、うん、ちょっとね」
「へー、見かけによらないなぁ。もっと読書とか音楽鑑賞なんかが趣味なのかと思ってた。実は僕もやるんだよネトゲ。浅倉さんは何に嵌ってるの?」
キタキタキタキター ここではぐらかすのはあまりに不自然。
「んー、いろいろやるけど。一番は『リーマス』かな……」
言っちゃったー
「あー、あれ、今一番熱い奴だよね。僕もやってる。実はつい最近はじめたんだけど、浅倉さんはもう固定パーティーとかいる?」
「ん? うん…… まあね。いつも同じ人たちと回る……かな。それに潜ってる時間もそんなに長くないから、椎野君とはニアミスしてないかもね」
バッキャロー! いつも一人の一匹狼だよ。それでもここ何ヶ月も負け知らずだよ! パソコン開けてる間中ずっとゲーム漬けの傍若無人冷徹残酷大魔法使い様だよ!
し か も うわヤベー ハンドルネーム100%広まってるよ。
ハンネ言ったら絶対ばれちゃう~ 色々とムチャやりすぎたからなー
こんな日がくるならネット上でももうちょっとおしとやかにしとくんだった。
でもそれじゃあ稼げないし。私今、頭の回転物凄く速くなってる気がする!
「ん~ じゃあハンドルネーム聞いても分んないかな…… ところで浅倉さんの下の名前って珍しい字面だけど、なんて読むの?」
し、し、し、しまった~ こんな日が来るなんて思いもよらなかったから下の名前ハンネそのまんまだよ~ でも本名教えないって無理だろ、職場の人間関係上。
「さっきも宇賀さんに聞かれたんだよね。笑わないでよ。ミニカ……。浅倉小娘って読むのよ」
言った、遂に言った。もう駄目だ。絶対ばれてる。下品で暴虐な大魔法使いの正体がいま解き明かされてしまった。
椎野君は何かに気付いた様子で下を向いてぷぷっと小さく噴出した。必死に笑いを堪えているように見える。
おいまて、せめてリアクションはこっちに見せてくれ。反則だ。
「いや、ごめん。なんかこの前アクセスしたときに似た名前の人が居たような気がしたんで……」
ハイ、それ間違いなく私。トリッシュの酒場でもアロウの街でもミニカは私一人しかおりません、ハイ。
ただ『リーマス』の世界は広いから、椎野君がアロウ以外のまったく別のエリアに毎回アクセスしてるなら他にもミニカサンいるかも知れませんが。いまんとこ同名にはまだ会ったことございません。私の名前が他のエリアにも轟いてる可能性なら十分ありますが。
「僕いま、アロウの街から入ってるんだ」
ほらね。その周囲でミニカは私だけ。ハア~
「このまえすごいアクシデントイベントが発生して、そのときたまたまいたんだけど」
「それ宇賀さんの話でも出たけど、昨日のことじゃない?」
咄嗟に聞いてしまった。
「よく知ってるね。浅倉さんやっぱりあの場にいたんだ?」
あ~、やぶ蛇。
そのとき椎野君の名札がチラと目に入った。退社時に外し忘れたらしい。
「椎野君の下の名前もけっこう珍しくない? 始めて見る字面だけど……」
後で思い返すと、ここらが運命の分岐点だったのかもしれない。
「うん。自分でもそう思う。全国探しても殆どいないんじゃないかな。大きい兄って書くの。椎野大兄って書いて、『しいのトニー』って読むんだ」
さっきまでとは違う角度で、私の脳はまたグルグルと回り始めた。