『送信されました』
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「くっそー、殺す! トニー、お前だけはリアル社会に戻って止めを刺してやる!」
そう言う間にオーザの影は薄くなっていった。ログアウトに入ったのだ。
「ふーん。やりたきゃお好きなようにどうぞ」
トニーもそれを追いかけるようにログアウトに入った。
「まってトニー、私も行く!」
今度離れたらもう二度と会えないような気がして、私は必死で追いすがった。
「待っててハニー。ここから先はむしろ僕のホームグラウンドなんだ。すぐ戻るよ」
「ハニーだってよ。やけに熱いんじゃないか。やける~」
外野のハンター達から冷やかしの声と口笛が飛ぶ。
誰かが魔法で空に大きな虹の橋を架ける。
「魔法ってのはこうやって使うんだよ」
「おお、いいな。じゃあオレも」
誰かがそう言うと色とりどりのバルーンや純白のハトの群れが現れ、虹の上に飛び立って行った。
「おめでとう、ミニカ&トニー」
誰かがそう叫ぶと雲が大空で、CONGRATULATION MINICA&TONNYの形になった。
「みんなまだ気が早すぎるよ。トニーとオーザはこれからリアル社会での戦闘本番なんだよ。ねえミニカ」
ミーナがみんなを諌めた。
私はみんなのお祝いで自分の顔が真っ赤になるのを感じてそれどころでは無かった。
キャー、ハッピー、トニー早く帰って来てね~
……そう思った瞬間、突然私の体はログアウトに入った。影が薄れていく。
「どうしたの? ミニカ」
ミーナが心配して聞いてくる。
「分からない。勝手に消えるの。ねえ、ガウ、なんで?」
「分からないけど、おそらくトニーのハッキングだ。大丈夫、気をつけて行って来て」
気がつくと私は元いたミーナのマンションの奥の部屋にいた。
普通のログアウトと違って出る途中なぜかトリップしたような感じだった。
私はそのままメールソフトを立ち上げた。
やっぱり、トニーからメールが入っている。
『プロテクト開発部で会おう』
私はマルチインターフェイスを外し、ネットブックを閉じるとマンションから出てタクシーに飛び乗った。
日本BGM本社ビルに着くと、セキュリティはあらかじめすべて解除になっていた。おそらくトニーが先に手を回したのだ。
開発部のあるフロアには他の社員はだれもいなかった。
ただ、パソコンだけがフロア一面に整然と並んでおり、フロアの両端にはそれぞれ椎野君と王座取締役が立っていた。
ミスリルの時の可愛さが微塵も無くなったオーザは、醜悪な顔に血走った目をギラつかせてトニーの方を睨んでいる。ヴァーチャルといえどもあのやられ方、高感度インターフェイス越しなら相当きつかったはず。リアルに戻っても疲労を引きずっているのが分る。
「邪魔してやるぞ。これからお前が進む先すべてに、わしの手が回っていると思え。官僚OBは日本全国にいるんだからな。警察にも大勢いるぞ。痴漢冤罪なんぞいくらでもでっち上げることが出来るんだ。くくく」
そんな王座取締役の台詞を椎野君はただ黙って聞いていた。
「これから先お前は、外出して誰かと話するだけでも身の危険を感じなければならないだろう。起訴されれば国内の被疑者の有罪率は99%だ。ハッキングの証拠を挙げる必要なんぞ何処にも無いわけだ」
オーザの表情と声音はすっかり妖怪じみていた。
「ブワハハハ、おびえろ、グククク、ブフフフ、ウワハハハハハハ……」
狂っている。
もうオーザの言っていることはむちゃくちゃだ。それを聞いているトニーは、俯いて薄っすらと微笑んでいる。
「言いたいことはそれだけかい?」
トニーが尋ねる。
「おうよ。まず貴様は終りだってことよ」
「トニー……」
私は居ても立ってもいられなくなってトニーに声をかける。
トニーはわずかに顔を私の方に向け、私だけに分かるように小さくウインクしてから、オーザの方に向き直った。
「やれやれ、それじゃあそろそろ反撃させてもらおうかな……」
「クズめ。反撃も何も、お前はもうお仕舞いなんだよ。天下り官僚に逆らったのがお前の運のつきだ。地べたを這いまわって苦しむがいい。この蛆虫が……」
「まったく、よくしゃべる奴だな。フフ」
「てめえ、何がおかしい?」
「王座取締役、あなたは奥さん以外にご両親と二人の娘さんがご家族にいますよね」
「き、貴様、私の家族をどうするつもりだ?」
「僕の家族は誰かさんの所為でとっくに一家離散状態になっちゃったんだけど……」
「けけけ、それがどうした? 間抜けが」
「オーザの娘さん二人には、南米から来てる旅行者と勝手に結婚したことにさせてもらっちゃいました」
「何? バ……バカ、やめろ……」
「もちろん手続き上のことだけですがね。ばっちり戸籍にも載ってます。ビザの取りづらい外人さん達には随分喜んでもらえましたよ」
「や、やめてくれ……頼む」
「ご両親はもう死亡届出しときました。もちろんオンラインで勝手に行政資料を書き換えちゃっただけですけどね。ついでに関連する物はすべて書き換えておきましたんで。特に年金と医療は履歴を完璧に消去したうえに、残りの紙データに至るまで徹底的に抹消指示してます。よって復元は完全に不可能なんで、裁判しても却下ですよ。念のため」
呆然としたまま私は聞き入っていた。そして内容を理解してから青ざめた。
「トニー、あなた本当に……」
さっきまでのオーザの脅し文句がかわいく聞こえる。私は本気のトニーの恐ろしさをまざまざと目の当たりにした思いだった。
「もちろん、娘さん二人とご両親の預金口座や有価証券、土地家屋財産などの名義はすべて赤の他人に書き換えさせてもらいました。変更先には親切にこちらからお知らせもしておきましたんで、今ごろは解約されたり、第三者に転売されてるころだと思います。念のため」
トニーの責め苦はまだまだ終わる気配が無い。
「おまけとして、娘さん二人とご両親には銀行および消費者金融から限度額いっぱいの借金もプレゼントしときました。100社ほどで合計7億くらいかな」
「た、たのむ…… や、やめて、やめてくれ……」
「最後にオーザ、あなた自身ですが」
「い、いやだ…… ほんと、うに、やめ、て、やめてく、ださい」
「資産ゼロと借金はご家族とほぼ同じです。加えて、国内国外のあらゆるブラックリストにあなたの名前を載せときました。国内のものは、あなた御自慢の天下り仲間に頼み込んで急いで消して回った方がいいですよ。書きかえるのにいちいち裁判で確定判決を取らないといけないものもありますから、お急ぎください。放っておくと指名手配書が印刷配布されてその辺に張り出されますよ」
「も、もうやめ……」
「国内のはそんなもんでいいとして、問題は国外のものです。あなたはまず国際裁判所に不実記載の確認申請と文書開示を求めないといけないんですが、この段階ではねられる国が半分以上あります。実際上、すべて消すのは不可能でしょうね。あ、それと、東京はスパイ天国って知ってました? 彼らエージェントは、10万分の1グラム舐めただけで死亡する毒物とか持ち歩いてますんで気をつけてくださいね」
「た、たすけ……」
「…………」
トニーは喋り終えたようだった。オーザは黙り込んでしまった。
長い長い両者の沈黙。
「トニー……」
私はたまらず声を上げた。
トニーもオーザも時間の概念が無くなってしまったかのように固まっている。
二人の間にあった深い深い溝はそのままに、時だけが進むのをやめた。
スパイ映画のようにドラマチックじゃなくてもいい。
でも、でも、こんなに泥臭い終り方ってある?
あんまりだよ神様……
「あやまってください」
トニーが自ら長い沈黙を破った。
「え?」
「とりあえず謝ってください。名も無い中小企業の飯の種だった発明を取り上げ、破綻にまで追い込んだ事を自ら認めて、謝ってください」
「ゆ、許してくれるのか? このわしを、このわしと家族を……」
「きちんと謝って頂ければ、その先はそれから考えることにしましょう」
「よし、謝る。本当だ。この通りだ」
オーザは床に額を擦りつけて謝罪した。
「……」
「ど、どうだ? 許してくれるのか?」
トニーはオーザとは視線を合わさず、遠方を眺めるような目でそっと口を動かす。
「嘘なんですよ」
「え?」
「娘さん二人やご両親に何かを行ったと言う件はね。心配なら区役所に問い合わせてみてください。まだちゃんと生きてることになってますから。財産もそのままで借金も別に増やしてません。偽の婚姻届も出ていませんから戸籍もそのままです」
「ふぅ、そうだったのか。なんだ……」
「ただし!」
空気が再び張り詰めた。
「あなた自身の分については、僕がこのケータイの送信ボタンを押すだけで、後はさっき言ったような手続きが自動で完了する。あなたが自分から日本BGMを去って静かに暮らすなら、このボタンは押さないでおいてやろう」
「わ、分かった、従う。悪気や個人的恨みがあったわけじゃないんだ。わしはただ、日本経済とBGMのことを思って……」
「もういい。それ以上何も言うな」
そう言ってトニーは向きを変え、オーザに背を向けた。
その刹那!! オーザはすばやくトニーの右肩背後から駆け寄り、トニーが右手に持っていたケータイを引っ手繰った。
「グハハハハハ、バカめ。取ってやった、取ってやったわ」
オーザはこの世のものとは思えぬ醜悪な笑い顔でトニーを振り返った。
「これでお前は外部に指示も連絡も取れなくなった。この状態でわしが警察を呼べばどうなると思う? お前はもう二度とネットに繋がることは出来なくなる。ハッキングの出来ないトニー・ハッカーなんぞ取るに足らんただのハナタレ小僧だ。バハハハ、一発逆転とはこのことだな。ハハハ、見たか、ブワハハハハハハハハハハ」
「何か言ってみたらどうだ? あ? 悔しいか? どうした? フフ、ハハ」
「ハハハ、グワハハハハハ、ハハハハハハハハ、バハハハハハハハハハハハハハハハ……」
「くう~っくっくっくっくっくっくっくっくっく、グワハハハ、ハハハ……」
オーザの声は、可笑しくも無いのに無理に搾り出すような、雑音のような笑い声となって唾液と共に口角から溢れた。
その笑い声はまるで鉄板の軋みのように無機質に響く。
オーザの目はその行動とは裏腹に、形勢変化の起伏についていけない戸惑いと強がりによって彩られ、どの一瞬を切り取っても威厳の欠片も見出せなかった。
「すくえねえ……」
その時見せたトニーの表情を私は一生忘れることが出来ないだろう。
「良く見ろオーザ、それはモックだ」
「え? そ、そうなの?」
「本物のケータイはこっちだ」
「え? や、やめ」
「死ぬまで怯えてろ」
ピッ!
『送信されました』の文字がトニーのケータイに浮び上がった。
…… …… …… ……