管理者
2†2
風は無い。嵐の前の静けさって奴か?
まだ、まだだ。役者が足り無い。
舞台は整ったのに、主役と敵役が壇上に上がってくれない。
トニー、あなたはいつもそうだ。主役のくせにいつも演出家のように振舞いたがる。
観客はもう長いこと待ちくたびれているというのに。
このままじゃあ状況は刻々と変わり、トニーが知らない要素もどんどん増えていくというのに。ミスリルやカマキリが味方だってトニーにすぐ伝えられるようにしとかなきゃ。
ああ、画面の角のガジェットはもう午前二時を指している。
静か過ぎて不気味だ。
地平を揺るがす轟音を聞いて、予感が実感になるのを私は感じた。
我が陣のはるか後方。西方の魔女ナルシスの率いる軍勢との境界付近で地属性の魔法が使われた。あれはイーテュナース(喰い荒らされた大地)だ。
「あれはかなりの使い手じゃないと使いこなせぬ大魔法。さてはナルシスが直々に境界を侵してきたか? 無益なことを……」
現場に向かう途中で、私は酒場の方角から駆け寄ってきたミーナ、ガウの二人と合流した。
「「ナルシスか?」」
ミーナとガウが同時に問い掛けてくる。
「恐らくな。あの地鳴りを聞いたろ。強烈な魔力だ」
「引き締めてかからないとやられちゃうね」
ミーナは嬉々とした表情で舌なめずりしながらマジカルステッキを取り出した。まったく、この女は…… 頼りになりそうだ。
一方ガウは不安を張り付けたような表情で、巨体を揺らしながら必死に遅れまいとついてくる。
「現場に着いたら俺は情報屋モードに入らなければならないかもしれない。その場合、見聞きしたものはすべて管理部へ筒抜けになる。分かった上で話しかけてくれ」
「「了解!」」
私とミーナはそろって答えた。
現場にはイーテュナース以外にもいくつか魔法が使用された形跡があった。けっして誤発ではなかったようだ。割れた大地はあちこちがささくれ立って、いたるところ凍りついたり焼け焦げたりしている。
レベルの低い魔法使い達はそこへ近づくことさえ出来ずに遠巻きに見ていた。
「「レビトラ!」」
私とミーナは同時に浮遊の呪文を唱え、ささくれた大地の上空に舞い上がった。
「ミニカ! お前を待っていたぞ。こっちへ降りて来い!」
ささくれた岩山のひとつから呼ぶ声がする。下を見ると敵軍の将ナルシスがミスリルを踏みつけて立っている。私は一気に頭に血が昇った。
「ナルシス! その子を放せ!! 『ゾディアフレ……』」
「待ってミニカ! ミスリルまで焼き殺すつもり?」
ミーナが慌てて私を止める。
「くそ、ナルシスの奴、汚いぞ」
私は空中で地団太を踏んだ。
「待てミニカ、話を聞け」
ナルシスはミスリルを踏みつけたまま叫んだ。
「聞けるか! この人でなしが。いったいイーテュナースで我が兵を何人殺した? その上ミスリルを人質か? 西方の大魔女が聞いて呆れるわ」
「この早とちりが、冷静になれ。このささくれた大地は先程まで我がナルシス軍の野営地だったのだ」
「何を寝ぼけたことを……」
一時はミーナに止められた私だが、怒りのあまり再度安全装置が外れそうになる。ナルシスめ、目に物見せてくれる。
「待て! ミニカ」
そのとき地上からガウの声が、私の暴走を間一髪食い止めた。
「たった今管理部の情報網経由で確認した。ナルシスの言っていることは本当だ。イーテュナースはナルシス軍の野営地に落とされている」
ガウの言葉は私を大いに混乱させた。
まさか、ではいったい誰がイーテュナースを使ったと言うんだ?
大地を揺るがし崩壊させる巨大魔法イーテュナース。今ここにいる者の中でこれを使えるのは私かナルシスか、もしくはRULER ONLYを持つミーナだけのはず。
ひょっとしてトニーかオーザがたったいままでここにいた?
どこだ?! そしてだれだ?!
「ナルシス! お前は見たのか? 誰がイーテュナースを唱えたか」
「見たわ。この目ではっきりと。今私の足の下にいるこの子供が、イーテュナースで我が兵千人以上を一瞬で文字通り地獄に落とすのをね」
「な? 嘘をつけ!! ミスリルが、そんな……」
私は口では否定しながらも、心のどこかでナルシスの言葉を否定し切れないでいる。
「バカな、ミスリル。そもそもなんでこんな敵中に一人でやってきたんだ?」
「この子に襲われた小隊の隊長が教えてくれたわ。この子はたった一人で敵陣のど真ん中までやってきた。でも我が軍も最初はだれもこの子が敵だと気づかなかったらしいの。中心付近までたどり着くと、このミスリルって子はレビトラで上空高く舞い上がり、突然イーテュナースを落としたのよ。ミニカ、あなたも大魔法使いと呼ばれる身なら、そのときどのくらい悲惨なことが起こったのか想像してみて」
「嘘をつけ! ミスリルにそんな力があるか。イーテュナースを使える魔法使いは数えるほどしかいないんだぞ」
心にも無い。残念だがナルシスの言葉に嘘の響きは感じられない。
「信じないなら結構よ。今すぐこの子を殺して全面戦争に入るわ。この子のおかげでうちの前線部隊は殆ど全滅だけどね」
私、ナルシス、ミーナ、ガウ、全員の視線がミスリルに集中した。
「ミスリル、何か弁解して。何でもいいわ。ナルシスはあなたがやったと言っているのよ」
私はがんばって落ち着いた声を作り、出来るだけ穏やかにミスリルに語りかけた。
「ミニカお母さん、ボクわかんない。このおばさんがボクをいじめるんだ」
「ミスリルッ、いい加減にしなさい。まじめに答えて」
「ホントだよ。ボクは悪くないのに、このおばさんがいじめるんだよ。ミニカ、お願い。助けてよ……」
「ミスリル! 千人以上死んでるのよ!」
「ふう……………… じゃあミニカママにクイズを出すよ」
「…………、なっ?…………」
「あるところに間抜けなおばさんが住んでいました。まぬけなおばさんが虫に刺されると呼び名が変わってしまいました。さて、何と呼ばれるようになったでしょう?」
「ミ……スリ……ル……」
「答えは『カ』の一文字が加わって、おば『カ』さん。おばかさんでした~」
その瞬間、ナルシスの体は足元から燃え上がった。ミスリルがナルシスの足首をがっちりと掴み、必死にもがくナルシスは燃え上がる炎から逃れることができない。
「マ、マニテュ……オバ……」
「アンチディスペライズ!! 逃がさないよ、おバカさん」
ナルシスが唱えようとした過冷却呪文は、ミスリルの解呪魔法によってすぐさま打ち消された。
「そろそろ喉が焼けて反対呪文も唱えられなくなったかな? ふはは、焼けろ焼けろ、西方の魔女さん。くっくっく……」
ナルシスはものの二分もかからず、手足を折り曲げた炭の塊になった。
ミスリルがゆっくりと立ちあがり、ミニカ達を指差す。
「クズどもが…… 妙なところで勘だけはいいんだからよ。馴れ合ってんじゃねーよ、この糞タコどもが……」
ミスリルの声はもう先程までの声音とはまったく違い、邪気を帯びて瘴気を放っていた。
「ミスリル、あんた何者?」
「何者に見える? ミニカママン」
「どうも最初から子供っぽくないとは思ってたんだよね」
「おかしいなあ、こんなに可愛いのに」
ミスリルは、意図的に子猫のような笑顔を作り出した。
私はそれを見ると吐き気がして、喉の奥に酸っぱい物がこみ上げてきた。
「仲間じゃなかったんだね、ミスリル」
「誰が仲間だなんて言ったよ? おまえらも適当に早とちりしてナルシス軍と全面戦争にでもなればよかったのによ。くくく」
「今の時点であなたの本性に気づけたのは天の思し召しね」
私はミーナやガウと顔を見合わせた。しかし二人はまだショックから抜け切れていない。
しっかりしろ、ミーナ、ガウ。
「ブリンガル!!」
ミスリルはこの隙を見逃さず、すばやく取り寄せの呪文を唱えた。
マジカルステッキはミーナの手を離れ、飛んでいってミスリルの手の中に落ちた。
いつもならこんな呪文に引っかかるミーナじゃないのに。やられた!!
そのとき、憤怒に煮えたぎる私の代わりに地上のガウが叫んだ。
「ミスリル、あんたオーザだね?」
「いや、ボクはミスリルだよ。ガウ、あなたが一番良く知ってるじゃないか。昔からボクは、いや、これからもずっと、ずっとミスリルだよ………………このゲームの中ではね」
「オーザ…… そうか、お前がオーザだったのか? やっと舞台の上に姿を晒してくれたね」
私は自分の舌が引き千切れるほどに舌腹を噛みながら奴を睨みつけた。
「ガウ、お願いだ。野営している私の軍を率いてミスリルを攻撃してくれ」
私の言葉を聞いてガウは静かに頷いた。
「分かっている。心配するなミニカ。出所不明のイーテュナースが使用されたときにすでに指示は出してある」
言うが早いか、ガウの周りにはミニカ軍の小隊長たちが一人、また一人と集まり出した。ミニカ軍は加速度的に数を増し、瞬く間にガウの周りには数千の兵が集まった。彼らは全員オーザを睨みつけて立っている。
「ミスリル、いやオーザ。あなたはミニカに近づくために俺たちがもっとも大事にしているものを踏みにじった。信頼だ。ミニカはミニカ自身の名声と力と醸し出す雰囲気であれだけの軍勢を纏め上げている。一言で言うならカリスマ性だ。それはそこに横たわっているナルシスも同じだった」
ガウの周囲に侍る小隊長達は一斉に頷いた。いつのまにかミニカ軍にはナルシス軍の残兵も加わって一緒にミスリルを睨み付けている。
「ところで、リアルに数万の社員の指揮を取らなければならない立場でしたよね、あなた」
ガウがそう言うと、それを聞いたミーナはプッと吹き出した。見れば必死で笑いを堪えている。
ガウが続ける。
「あなたひょっとして管理職としての才能が無いんじゃないですか?」
そこまで聞くとミーナは大声を上げて笑い出した。
「ついに言っちゃったね、ガウ。これであんたも私やミニカと一連托生だわ。いや、よく言ったよホント」
ミーナは笑いすぎて涙を流していた。
オーザは平静を装っているが、右足のつま先がパタパタと忙しく動いて、心底いかに不機嫌かは一目瞭然だった。
「愛が足りてなかったってのは事実みたいだな」
私は急にオーザがちっぽけな存在に思えてきて、思わず口に出して駄目押しした。
オーザ本人が気づかぬうちに、奴のつま先の動きは一層大きくなってきた。
「信頼? バカのクズほど詰まらんことにこだわるんだな。フン。雑魚が山ほど集まっていったい何をするつもりだ?」
ミスリル=オーザは足の動きを止め、両手を広げてミニカ達を嘲った。そしてミーナから奪ったRULER ONLYを天高く振りかざした。
「支配者は私だ! ひれ伏せい!! ブワハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
オーザの動きと同調して、各兵士の前には突然鉄条網でデコレートされた荒縄が現れ、勝手に兵士達に取り付いてその動きを封じた。とっさに防御魔法を唱えたものもいたが効果は無く、走って逃げるものにも瞬く間に追いついて足元から肩にかけて巻きつく。走りかけ勢いがついた体躯は絡めとられて、そのまま大地に投げ出される。同時に鉄製の棘は兵士たちの防具を簡単に貫通して全身から血の汗を流させた。数万人の兵士がいっせいに自由を奪われると同時に棘の責め苦にさいなまれる。ガウはもがくほどに食い込む棘に苦悶の表情を浮かべるがどうすることもできない。
「次はお前らだ!」
オーザがそう言うと私とミーナの頭上には無数の短剣が現れ、私たちに向かって降り注いだ。短剣の数は一人当たり数十から数百本。もちろんプロテカも効かない。私が瞬時に唱えた高速呪文を短剣はシャボンの膜を破るように易々と貫通し、装備を縫い取って私たちを地面や大木の幹に張り付けた。ほぼフリルで構成されたミーナの装備に防刃性能はまったく無く、引き裂かれた衣装の隙間からは小さい胸の膨らみがこぼれる。
RULER ONLYの効果はすさまじく、一瞬で大軍勢全体の動きが封じられ、形勢は完全に逆転してしまった。
「まさに殺す必要すらないとはこのことだな。わしがお前等の相手なぞまったくの役不足よ。フハハ、ハハハハハ。なんて愉快なんだ。ああ! 弱き者どもよ。さあ、わしに許しを請え! RULER(支配者)に跪いて命乞いの涙を流してみろ、さあ」
オーザがそう言い終わるかどうかの刹那、何の束縛も受けていない兵士がたった一人オーザの背後から近づき、後ろから首根っこを掴んで吊り上げた。
「油断したな。お前には残念だが、たった今すべてのハッキングが完了した」
オーザはその兵士の右腕一本で後ろ首から宙に吊り上げられ、捕まった子猫のような姿勢で身動きするすべを失った。兵士は無骨で質素な身なりながら、その体躯はミニカが見上げるほど。分厚い胸からたくましい上腕の筋肉をあふれさせ、オーザの首根っこをつかんだ手を力強く目の前にかざす。
オーザは必死でRULER ONLYを振りまわすが、それはもはや何の効力も発揮することは無かった。万能武器RULER ONLYはマジカルステッキの格好をした、ただの棒切れに成り下がった。
「たった今からお前はRULERじゃなくなった。よってステッキの効果も切れたってわけ。ミスリル、いやオーザ、今まで遠大な計画ご苦労さま。そろそろ閉幕の準備を始めるとしますか?」
その兵士がそう言うと全員の束縛が外れ、ミーナやミニカを縫い付けていた短剣も消えた。さらにその兵士が左手の指をチッと鳴らすと兵士自身のコスチュームが一瞬で着替えられた。
兵士帽の取れたその顔がミニカの前に晒される。
「トニー!」
最後の主役がついに舞台の上に立った。
「お疲れ様、ミニカ。そしてお待たせ、みんな」
「トニーお帰り。待ってたわ」「遅いぞトニー!」「もう駄目かと思ったよ。来てくれてありがとうトニー」「トニー、早くそいつをやっつけてくれ」「…… ……」
辺りは一瞬で大歓声に包まれた。もともとトニーを知らなかった者が大半のはずなのにいつのまにか辺り一帯にはトニーコールが巻き起こっている。
「こ、こんなはずでは、こんなはずでは……」
オーザはしつこくマジカルステッキを振りまわしたが、むなしく空を切るばかり。
それは傍目にはもう、首根っこを掴まれた小柄な小学生男子が、小さい女の子用のおもちゃを振りまわして駄々をこねているようにしか見えない。
そんなオーザの様子は自然に兵士達の笑いを誘い、笑いは笑いを呼んで、トニーコールの代わりに今度はオーザをあざ笑う、笑いの連鎖が巻き起こった。
「ねえ、実は僕もそれと同じ物を持ってるんだけどな」
そう言って見せるトニーの両手の甲にはナイフ傷でRULER ONLYの文字が刻み込まれていた。
「そろそろ終わりにしましょうか? オーザ」
再度トニーが左手をチッと鳴らすと、ステッキを持ったオーザの手にはぷつぷつと血脹れが増えていき、互いに繋がってどんどん広がった。
「うわわ、うわわわわ、や、やめ、やめてく……」
顔や首にも出来たオーザの血脹れはあちこちで破れ、全身から噴水のような出血が始まった。
「実はこれ、みんなの分も用意してあるんだ」
トニーがまた左手をチッと鳴らすと、今度はミニカやミーナ、ガウ等他の者の手の甲にもRULER ONLYの文字が浮び上がった。
「おい、オレにもRULER ONLYが刻まれたぞ」
「私にも」
「私も……」
これなら取り寄せで奪われることも無い。
ガウが試しにオーザに向かって軽く手を振ると、その両膝は逆方向に折れ曲がり、オーザは拷問を受ける囚人のように悲鳴を上げた。
「うがぎぃ、いいい、いでぇぇぇ。こ、こんな、こんなことがあるかぁ。ガウ! てめえ何やってやがる」
オーザは、ついに堪らず本性を剥き出しにした。
「は、は、は、早く元に戻しやがれぇ!」
「いや、それが単なる偶然で。やろうと思ってやったわけでは……戻すって言っても」
「これだけ大量のRULER ONLYが使えるのもある意味ガウのおかげかもね。なんてったって管理者コネがある情報屋だもんね」
「バカバカバカ、何言ってるんだトニー! 俺は関係無いだろ」
「またまたまた、ご謙遜を」
なぜかこの期に及んで、トニーはあくまでガウに振る。
「ガウ、き、き、貴様~」
今にも悶絶しそうなオーザが、ガウを睨みつけた。
「うわ、もう諦めてはいたけど、さらに最悪……」
ガウは頭を抱えた。
「ホント最悪~ 私なんでこんな奴と結婚してたんだろ?」
なぜかミーナも乗ってくる。
「ちょっとまて、なんで俺一人に擦り付ける展開なわけ?」
「おまえら、こんなことしてリアル社会でただで済むと思うなよ。どう言う目に遭うか分かってるんだろうな?」
オーザはついに別角度から脅し始めた。
「うわ、汚ねえ。っていうか大人気無い」
私もつい反応してしまう。
「オーザ、ここファンタジーゲームの中ですよ。リアルで復讐って」
トニーも呆れている。
「馬鹿野郎! こうなったらゲームもクソもあるか…… ガウ、ミーナ、お前等全員クビだ、クビ、ぐぐぐ、ぐわは、ぐわはははははは」
「うわ、最悪」
「大人げねえ。なんだこいつ……」
ミーナもその他大勢も返す言葉が無かった。
「それっと」
トニーがもう一度左手をチッと鳴らすと、オーザの両手両足はすべて関節とは反対側に曲がった。その状態で、トニーが掴んでいたオーザの首根っこを放すと、オーザは為すすべなく地面に突っ伏した。
「うっそー? バカなんじゃないの? お前の敵は僕一人だよ。でも僕はもう派遣でも正社員でもないから、そんな脅しは痛くも痒くもないけどね」
トニーは突っ伏したオーザの後頭を背後から踏みつけた。
「くっそー、殺す! トニー、お前だけはリアル社会に戻って止めを刺してやる!」
「ふーん。やりたきゃお好きなようにどうぞ」
このやり取りの間にオーザの影は薄くなっている。
トニーもそれを追かけるようにログアウトに入った。