RULER ONLY
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真夜中のリーマス全土に緊急告知のサイレンが鳴り響いた。
今現在から一週間、全ユーザーのディスプレイの角にトニーのアバターがWANTEDの文字と共に表示される。
ついにスタートの号令が鳴ってしまった。もうだれも止めることはできない。
それからわずか1時間ほどで、アロウの周辺は全リーマス世界から駆けつけたハンター達でごったがえした。
ならず者から伝説の騎士までアロウに集まった兵は総勢30万人。
実に全リーマスユーザーの5分の1がこの街に集まったのだ。さながら街はオンシーズンの観光地か通勤電車の中のような混み具合になっていた。
言うまでも無く、今回のは史上最高のタスク報酬。
どの参加者にとっても2度とは無い最大のチャンスだ。
アロウの中でも特にトリッシュの酒場はかつて無い混雑に沸いていた。
「久しぶりだな、調子はどうだ? ミニカ」
不意に背後から野太い声が私を振り向かせた。昔、長期タスクを解くのに共にパーティを組んだことのあるデメドラーが声をかけてきたのだ。
「ああ、久しぶりじゃないの。元気してた?」
デメドラーのすぐ横には翻訳ソフトが立ち上ってウインドーには中国語が表示されている。彼はチャイニーズなのだ。
酒場に集まったキャラの周りには様々なアプリケーションが立ち上っている。
その多くが翻訳ソフト。対応言語の多様さがこのゲームの裾野の広さを物語る。
ハングル、イングリッシュ、チャイニーズ、フレンチ、ジャーマニー、ラッシャ……。
集まったならず者のうち、半数以上がなんらかの翻訳ソフトを立ち上げている。
そういえば『ルピナ』時代からそうだった。トニーの紡ぎ出したエンターテイメント性は当時から万国共通の魅力を持っていた。やはり彼は天才なのだ。
気がつくと周囲には知った顔が大勢うろついていた。
普段南サンドラでタスクをこなしているデメドラー、ダウトラル、ゲムネマ。
西部で天然資源を発掘しているディグゾー。
北方で幻獣狩りをやっているエスキムとビガーフット。
そしてアロウの郊外でルール違反者のバウンティハントを専門にやっているドヘルガンとべクティム。
いけ好かない奴も中にはいるが、どいつもこいつも腕は確か。一筋縄ではいかない凄腕ぞろいだ。まあ大魔法使いミニカほどじゃないけどね。
「あんたたちまだ生きてたんだね。こんなところまで出張ってくるなんて、相変わらず御盛んだこと」
「あったりめーよ。一億のタスクだぞ。10年に一回あるかどうかだ」
「まったくだ。タウンタスクの報酬より高額なんてありえねえよ」
一人一人が自分こそタスククリアすると思っている。相変わらず威勢の良い奴らだ。
ああ、この雑踏に包まれている感じ。冒険に出る直前の緊張感。
リアルの浅倉小娘を知らない昔の仲間達と話しているときだけ、私は真に大魔法使いミニカに戻れる。自分の心に暗示の魔法がかかっていくのが分かる。
世界を足下に見下ろす恍惚感。
ダウトラル、ゲムネマ、ディグゾーの3人が立て続けに私に声をかけに来てくれた。
それぞれのホームグラウンドではひとかどのハンター達が、ここではみんなミニカに一目置いてくれる。以前の私ならこのビッグタスクをこなすため、昔の仲間達と一緒に喜んで旅に出るのに。こいつらと一緒に戦いたい。お互いに助け、称え合いたい。
なのに、なんて悲しいんだ。このタスクのターゲットがトニーじゃなければ。
ちくしょう! 管理部とBGMの奴らめ。私の大事な魔法世界を侮辱しやがって。
ここに集まった奴ら全員にトニーが無実だってばらしたい。でも、喋ったらどうなる?
敵は今この世界のルールに則った戦いを仕掛けてきている。それならこちらも正攻法で迎え撃つべきだ。それでこそ私のこれまでの経験が生かされる。トニーは私に、この世界を守ると誓ってくれたのだから。
ドヘルガンとべクティムが丸テーブルの周りに人を集め、パーティメンバーを募り始めた。やつらはこういう駆け引きに慣れている。分け前の説明もそこそこに、いきなりフォーメーションの組み立てに入っているようだ。
こいつらは、雑魚をいくら組み合わせてもトニーにはかなわないって事を分かっていない。しかし、だからといってこのまま放っておくわけにもいかない。
私は天を指差し、声を張り上げた。
「私もパーティを募る。ドヘルガンのところよりも報酬をはずむぞ! どうだみんな」
みんなの視線がいっせいに私の人差し指を見上げた。とにかくできるだけ時間を稼がなければ。
ドヘルガンとべクティムは、私の言葉を聞いてあからさまに嫌そうな顔をした。
そして辺りに響くわざとらしい舌打ちをして、こちらに文句をつけてきた。
「おいおいミニカ、そんなこと言って大丈夫なのか? 人数制限もせずに募ったらいくら一億のタスクでも儲けは吹っ飛んじまうぜ」
「いいんだよ。こちとらできるだけ手間を省きたいんでね」
「一匹狼のお前らしくないんじゃないのか? そっちの魔法少女ちゃんもびっくりしてるぜ」ドヘルガンが節くれだった指でミーナの華奢な顎をなで上げた。
「気安く触るんじゃないよ。雑魚虫どもが……」
ミーナの見た目からは想像できない荒っぽい啖呵が飛んだ。
予想外のリアクションにドヘルガンとべクティムは一瞬呆然とした。
「余計なお世話なんだよ。あたしはすべてミニカに任せてるんだ。端からごちゃごちゃいってんじゃねえ」
おいおいミーナ、言い過ぎだって。不必要に刺激してどうする。
「と、とにかくいくらで雇おうが私の勝手だろ。あんたらにつべこべ言われる筋合いは無い。それは確かだ。私はこの世界じゃあもう十分ナンバーワンだ。今はスピードクリアにチャレンジしたい気分なのさ」
その場をごまかすために、私は思ってもいない適当な動機を口走った。
ただでさえ高額タスクでみんな殺気立ってるのに、これ以上刺激する必要はない。
「分かったらおとなしくすっこんでな。バカどもが」
わー、やめてー、お願いだからそれ以上挑発しないで~
私が大魔法使いじゃなければミーナにすがり付いて止めたいところだった。ミーナはそんな私の心をまったく察してくれない。
「ミニカの連れだからおとなしく聞いてやっときゃずいぶんな口の聞き方じゃねえか。
あ? いったい何様のつもりだ、きさま」
あ~遅かった。静まれドヘルガン。
「バウンティハントのドヘルガン&べクティムっていやあこの辺じゃあ知らねーものはいねんだがな。一度お灸を据えてやんなきゃなんねえか?」
お願いミーナ、引いて~
「間抜けな自己紹介してんじゃないよ。あたしは知らないね。狩りがしたけりゃその辺の野豚でも狩っときな。それ以上汚い面こっちに向けたらぶっ殺すわよ」
ドヘルガンとべクティムはお互いに目配せして頷くと、それぞれの得物をぬるりと取り出した。
人の身長ほどもある片手剣を両手に構えるドヘルガン。
全長12メートルに及ぶ鞭を自在に操るベクティム。
2人はミーナの両側に分かれ、それぞれの武器で床を小突きはじめた。
「今なら謝れば許してやるぜ、お嬢ちゃん」
「ふん、許す気も無いのに良く言うよ」
ミーナは、そう言うとピンクのマジカルステッキを中段に構えた。
「いよっ、マジ狩る少女! がんばれ~」
誰かが囃し立てる。なんて場違いなボケだ。
「おい、ここは酒場だぞ。やるなら表でやれ」「いいぞいいぞ、さっさとやれ」「手加減するなよドヘルガン」ガウが止めようとするが野次に飲み込まれる。
「じゃああんたが代わりにやってやれよ、ガウ」
野次馬の誰かがガウを名指しした。
「ぐ……、それは、情報屋なんで、その……」
ガウが口篭もる。
ガウが喋っている最中にべクティムの前腕だけが残像に消える。同時に、耳を突き刺すような風切り音と、近くにいる者全員の体を浮かび上がらせる程の圧倒的空圧。
べクティムの、体はもちろん上腕から上は殆ど動いてさえいない。
そのときミーナの右胸部直下から腰骨の上辺りまで、フリルに数十の鋏を同時に入れたかのような切れ込みが入った。鞭を逃れようと後ろに飛び退きつつ捲れて露になるミーナのキメ細かい肌。上下とも辛うじて下着は切れずに繋がったまま。
飛び退くミーナは露になった腹部を手の平で隠しつつ、お気に入りの魔女っ娘ドレスを台無しにされたことを悔しがる。
「まったくイライラするねぇ」
ミーナは口の中で何かぼそりとつぶやくと同時にピンクのマジカルステッキを振り回した。すると猛り狂っていたベクティムの鞭は大蛇に変わって鞭の持ち主に襲いかかった。
「げえ、なんだこりゃあ」
ベクティムは愛用の得物に動きを封じられてなすすべなく床に転がった。
「マジかよ…… かわいい顔してえげつない魔法使いやがる」
「ふふ、あんた御自慢の片手剣は太刀魚にでも変えてあげましょうか?」
「馬鹿言え。そんな隙与えるかよ!」
ドヘルガンが両手に構える片手剣は、残像も残さぬすばやさで大気を切り裂き、上下左右から同時にミーナに襲いかかった。
野次馬たちはみんな切り刻まれたミーナを想像して息を呑む。すさまじい剣戟で起こる耳を塞ぎたくなる轟音と巻き上がる破片煙。
しかしドヘルガンの斬撃がおさまると、そこにはミーナはおらず、切り刻まれたカウンターとささくれた床があるだけだった。
「まったく、修理も魔法でやるんだろうな」
ガウはミーナよりも酒場の内装の心配をしている。
「ガウ、ミーナは?」
胸が高鳴る。私は心配して聞いた。
「その辺にいるよ。どうやったって負けるわけないんだから……」
ピンクフリルの魔法少女は、息切れのまだ治まらないドヘルガンの両肩に、頭上からちょこんと舞い降りた。右手にマジカルステッキ、左手は露な腹部と千切れそうな下着を押さえている。
「て、てんめえ、いったいどこから……?」
ドヘルガンの声と目に明らかな当惑の色。それに対しミーナはテレビのクッキングアイドルのような可愛さで、裏腹な毒舌を吐く。
「おばかさん。自分が負ける理由も分からないんでしょ? よく見えてないみたいだからじっくり見せてやるよ。瞼の奥に焼き付けときな!」
そう言って、ミーナはドヘルガンの頭上越しに、持っているマジカルステッキの持ち手を奴の目前に突き出した。
『RULER ONLY』(管理部専用魔法具)
ステッキの柄には、はっきりとそう書かれてあった。
「な、なんだそれ? ズルイぞ……」
「バーカ。それがあんたの最後の台詞か? ご希望なら墓碑に刻んどいてやるよ」
ミーナがそう言うとステッキの先端が回転し七色に光り、ドヘルガンは消えうせた。
そして床には、粘膜が乾いて弱った雨蛙が一匹、力の無いジャンプを繰り返していた。
「このまま踏んづけてもいいんだけど、最後の慈悲で生かしておいてやるよ。
今日は満員だから踏み潰されずに外に出られることを祈っときな」
ミーナがそう言った直後、遅れて到着した集団が世間話をしながら酒場に入ってきた。
彼らは足元を見ることも無くカウンターに近づき、逃げる暇が無かったドヘルガン蛙は変身後一分でスルメのようになって死んだ。
「はい、もしもし、カウンターと床が少々壊れまして……」
ガウは管理部に修理のための連絡をとっている。
ミーナは魔法で引き裂かれた衣装を直している。
集まった野次馬はとっくに散っていて、だれもドヘルガンの死を悼む者はいなかった。
やれやれ。
超高額タスクはもう始まってしまった。
これからはドヘルガンのような奴が無尽蔵に集まってくる。
一方で、トニーが今度リーマスに進入するのはいつ頃だろう?
いくら優れたハッカーでも、この状況で自由に行動するのは不可能な気がする。
いったい私は何をすればいいんだ?
そのとき、表で誰かが奇声を発した。
「いたぞ、トニーだ! 一億のクビだぁ」
その声を聞いて、その場にいる全員が出口に詰め掛けた。
戦闘よりも混雑で死人が出るんじゃないかと思われる混みっぷりだ。
私は自分の耳を疑いながらその雑踏に加わった。
人が多すぎて息ができない。
一刻も早くトニーの姿を確認したかった。
雪崩が起きるように出口から溢れ出す人波。
街の明かりに照らされた通りの真中にトニーはいた。