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イエスマンの沈黙

作者: 悦子

西野は私のイエスマン、私の可愛いイエスマン。私が同意を求めれば迷う事なく肯う。私が質問すれば必ず、" はい "。同意、肯定。素直で従順で可愛い西野。私の、西野。




「西野くんが隣のクラスの森さんに告白されたって!」


そんな声が教室の隅から聞こえた。不必要に高くて耳障りな声。私は、耳を疑う。森さんと云えば校内でも別格の美人と評判の、あの森さんじゃないの。若しかしたら違う森さんかも知れないけれど、森なんて苗字の人は幾らでも居るのだけれど、隣のクラスに森さんは一人しか居ない。抑々その噂自体が不確かなものかも知れないけれど、だけど、何故、西野が。彼は何も云っていなかった。西野が告白された事なんて私、知らなかった。彼はいつもと同じ喜怒哀楽に乏しい無気力な顔で、私の話に頷いていたのに。何故、私に何も云わなかったの。





「西野、あなた私に何か隠してない」

「…何の話ですか、先輩」


抑揚に欠ける、落ち着いた声。西野は本当に何も分かっていない様な顔をして訊き返してきた。本当に分からない時にはちゃんと訊くように昔から教え込んではきたけれど、私の前で惚けるだなんて。白々しいにも程が有る。そう言えば彼、中学の頃よりも少しだけ生意気な顔立ちになった気がするわ。憎らしい顔をしている。違う、違う。私の西野はもっと可愛い顔をしていたもの。あの柔らかな頬は淡いピンク色をしていて、睫毛が長くて、背なんて殆ど私と変わらなかった。――なのに、


「隣のクラスに、森って子が居るんだけど。」

「…何で、先輩が知ってるんですか。」


ああほら、本当に素直な子。

西野は少し瞠若して訝しげに眉を顰めた。核心に触れられて、動揺しているのでしょう?私が知る筈も無いあなたの秘密を、私が何処まで知っているのか、と。私は西野の事なら何でも知っているもの。誰も知らない彼の癖だって、幼い彼の恥ずかしい思い出だって、私は知っている。西野は暫く私を見詰めた後で、仕様が無い、とでも云う様に眉の尻を下げて溜息を吐いた。


「告白、されました。ずっと見ていた、好きです、って」

「…何で私に教えてくれないの。何て、返事をしたの?」


こんな事は初めて。西野はいつも私と一緒だったし、女の子に告白された事なんて無かったもの。西野は無口で、私以外の女の子と会話らしい会話なんてしなかったもの。それなのに何で、西野が告白なんてされたの。まさか付き合って下さいと云われて、頷いたりしていないだろうか。いつも私の言葉に頷く様に、逡巡せず、当たり前といった顔で、


西野は気不味い様子で視線を伏せた。長い睫毛は昔から変わらない。けれど、顔の輪郭は昔よりも確りしている。頬はほっそりして昔ほど柔らかそうではないし、目線は私より上、声は昔よりずっと低くて、耳には反抗的なピアスが光っている。脱色された髪は一寸傷んでいて、私のよく知る少年の影は限り無く薄れていた。


「あなたの事を知らないから、何とも云えない。応えられない、って」


軈て口を開いた西野がゆっくりと、数日前の返答を繰り返した。根が真面目な彼らしい言葉だと、私は心の何処かでホッと息を吐く。西野は昔から、暗い、生気の窺えない目をしている。そんな目で私を見詰めていた。


「それならいいの。ちょっと驚いただけ、あなた昔から女の子と喋らない子だったでしょう」

「余計な世話ですよ。けど、確かに…そうかも知れません」

「ほら、中学の頃にクラスの女の子からテスト範囲を訊かれてた時、あなた"知らない"って返したら女の子に"ごめんなさい"って返されて。きっと怒ってるって勘違いされたのよ。昔から無愛想だし、きっと私以外にあなたがどんな気分なのか分かる人なんて居ないわ。そうでしょう」

「…そう、思います」


西野、西野。私の可愛いイエスマン。

着崩した制服位は許してあげる。少し前までは私が居ないとネクタイもまともに結べなかった彼が、今はネクタイを結べる迄に成長したんだもの。余りに厳しく接すると西野が可哀想、だから、


「あなたいつも私の傍に居るものね。私が居ないと何も出来ないし、いつも私の後を着いて来て、はい、はい、って。何でも云う事聞いてくれる、好い子。あなたは反抗しないから可愛い。ずっとずっと、傍に居てね西野。…言うなればあなたは私のイエスマン、って所かな。あなた絶対に私を否定しないもの。拒絶しないもの。ね、西野」


私の可愛い、イエスマン。ちょっと生意気な目をする様になったのは仕様が無いよね、西野。反抗期だもの。けれど一言、はい、って、返事をする迄に時間を掛けるのは何故。私が最後に訊いてから何十秒も過ぎているの、気付いてる?貴方が返事を渋るだなんて、こんな事は初めてだよ。



目を瞑ると幼い彼が私を見詰めている。遥か前方に流れる雲はスローモーションで私達を見下ろし、少年の儚い睫毛が揺らぐ頃、訳も無く私は悲しくなった。



暫時の沈黙、結局彼は一度も此方と目を合わせようとはしなかった。子供のように黙りを決め込んで、それで私が許すとでも思ったのかな。何か訊いたら必ず返事をする様に昔から何度も教えてきたのに。頑なに口を閉ざす目の前の彼が、丸で私の知らない男に見えて―――…。


何か有ったら私に知らせる様に、意見が有るのならハッキリ云う様に、何が有っても私を拒まない様に、あれだけ教えてきたじゃない。私の知らないあなたになるなんて許さない、私の知らないあなたなんて、要らないよ。今なら又、笑って許してあげるから。だから口を開いて、私の目を見て、肯定して。泣きそうな顔、しないで。これじゃあまるで私が悪者みたいじゃない。



ねえ西野、答えてよ。





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