第3話:相棒と政略的婚約
ナターリエ嬢は資料に目を通し終えると、深く息を吐いた。そして私とオリヴィエを交互に見つめる。
「わたくしは、すでに覚悟を決めておりましたの」
あの会話から即日、オリヴィエがナターリエ嬢に面会を求めた。おそらく、本人も自身の婚約者の態度に何かしら思うところがあったのだろう、私たちとの面会はその日の午後早速、学園長室を借りて叶うことになった。
彼女は財務大臣の娘で、次期大公に蔑ろにされている。父親である侯爵をはじめとして貴族院のほとんどがそのことに不満を唱え、反乱を起こす一歩手前のところをナターリエが抑えている状態だった。もし私たちが声をかけなかったら、数日のうちに帝国へ伺いを立てていた、とまで言われた。
状況は思っていたより緊迫していた。私の読みが浅かったか。オリヴィエが先に動いてくれて助かった。
「……エドワード殿下の最近の行動については、当然わたくし共も把握しております。出自があやふやな平民の娘に現を抜かし、このわたくしに冤罪を着せ、断罪しようと企てていることも、すでに掴んでおりました。それが明日になるのか、ひと月後になるのかはわかりませんけれど……卒業までは持たなかったでしょうね」
ナターリエ嬢が嘲笑を浮かべた。その瞳に浮かぶのは侮辱された怒りだろうか。だが、私の視線を避けるように、その感情を隠し机の上に視線を落とす。
オリヴィエは淡々と調査書を広げ、状況を確認する。
私は必要以上の感情を見せず、政治的立場から今後の進め方を述べる。いずれ行動に移すであろう公子のくだらない寸劇である婚約破棄をそのまま了承させ、その流れで私との婚約を結ぶ。手順は明確。個人的な感情は、一切挟まない。
「……ご提案は、ありがたく頂戴いたします」
ナターリエ嬢の声は低く、しかし決意が篭っていた。
「しかし……失礼ですが、あの、御二方はそれでよろしいのでしょうか」
「といいますと?」
「あの……、お二人の仲睦まじさは学園でも知れ渡っています。そんなお二人の仲をわたくしごときが壊してしまうのはいささか、その、申し訳ないと申しますか……」
私とオリヴィエは顔を見合わせた。仲睦まじく見えていたのか。まあ、間違いではないけれど。
「ご心配には及びませんよ、ナターリエ様。私とアーサー殿下は元より政略で結ばれた婚約者であり、この件につきましては、すでに皇帝の了承もいただいております。愛や恋で国を滅ぼすような事変は何としても避けねばなりません」
オリヴィエが微笑みを湛えて、ナターリエを安心させる。父上は無駄を嫌うから私とオリヴィエの婚約の白紙は早々に許可が降りた。『必要であるならば』との注訳付きだが。
私も頷いて同意する。が、何となく居心地が悪いのは気のせいだろうか。
「ナターリエ様こそ、よろしいのでしょうか」
「え?」
「お心に秘めた方がいらっしゃるのかと、思ったのですけれど。まさかそれはエドワード公子殿下ではありませんよね?」
え!?そうなの?と一瞬思ったが、ナターリエ嬢は目を丸くした。
「まさか!わたくしが彼の方に心を寄せたことなど、この人生で一度たりもございません。婚約破棄できるのなら喜んで、ですわ!」
慌てたように早口で言い募るナターリエ嬢に、オリヴィエはふむと首を傾げ、それから微笑んだ。
なるほど。ナターリエ嬢も真実の愛を心に秘めているのかな?だが、どこかのバカとは違って心に仕舞い込む事を決めている、と。それならば、こちらも割り切れる。
「では、互いの国を守る貴族として、計画を進めましょうか」
オリヴィエの淡々とした声に合わせ、私も微かに頷く。そう、これは貴族としての責任であり、首を突っ込んだ帝国の責任でもある。感情を交えず、すべきことだけを進める。それが今の私の立場だ。
エドワード・バッハルト――あの公子は、平民の少女ミラに夢中になり、自分の婚約者であるナターリエ嬢を公衆の面前で断罪する予定らしい。それだけではなく、ナターリエ嬢を断罪後、何らかの罪を被せて一族郎党打首に処しその上で侯爵家の財産を奪い、平民のミラを大公妃へと就かせる。
なんとも馬鹿げた話だが。
そんな事になれば、財務大臣である侯爵どころか、宰相や騎士団、その他の要職についている貴族も黙ってはいない。クーデター寸前というのも当然だった。それを1人で押し留めているナターリエ嬢のカリスマ性と胆力は素晴らしい。公女としてふさわしいどころか、彼女が大公になればいいのではないだろうか。
「無駄が多すぎる」
思わず私の口から漏れる。もちろん、あの公子が予定通り動くとは限らない。そこが一番面倒なところだが。幸いというか、この国の貴族たちは、自分の国が危ういと気づいているため、エドワードの口車に乗る馬鹿はいないらしい。正直国のトップとも言える財務大臣を敵に回すなんて家がいたら、見てみたい。
「屈辱かとは存じますが、ナターリエ嬢にはまず、公子の婚約破棄を受け入れてもらわねばなりません」
オリヴィエが淡々と言った。そうしなければ後が続かない。ナターリエ嬢は黙って私たちの言葉を聞き、資料に目を通している。表情は落ち着いているが、どこか迷いもあるように見えた。いつでも破棄しても構わないとはいえ、屈辱には違いない。
オリヴィエの設定では、婚約破棄をされて直後に私が、ナターリエ嬢に婚約を申し込むというもの。私に衆目でそんな役割ができるのかと不安になるが、まあ、芝居掛かっていたとしても問題はない。皆がわかっている上で、公子を黙らせるための寸劇なのだから。
そうすることで、冤罪からの死刑宣告は少なくとも避けられる。帝国の皇子に望まれた令嬢を殺せなどと叫んだら、そっちの首が飛ぶ事になる。……わかってると思うけど。そこまで馬鹿じゃないよね、あの公子。それならそれで、話はもっと単純になるとは思うんだけど。
その後は簡単だ。公子は切り離され、孤立する。
「その後、公爵家には隠居を願いましょう。それこそ、侯爵令嬢に冤罪をかけた罪、国を混沌に落とした罪などで責任を取り実質の退場です」
まあ、そう言う結末になる。その後病死になるか、隠遁生活を送るかは彼ら次第。ミラという少女はまあ、死罪が確定だろうけれど。追放などしてもすぐ帝国が後片付けをするからね。そこまで帝国にさせるとなれば、公国はもう一つ貸しを作ることになる。それはきっと望まないだろう。
「……わかりました。では、アーサー皇子殿下。今後とも末長くよろしくお願いいたします」
「ああ」
愛も恋も絡まない、純然たる政略。だが、この場での私たちの行動は、この国を守るための真実の一歩だった。
ああ、本当に皇子なんて面倒臭い。




