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第12話:旧神殿の悲劇

 帝国から先駆けの馬が宮廷に到着した頃、アーサーは緊急の報告を受けていた。


「あと半刻ほどで、シルヴァン第2皇子殿下率いるクレメンテ帝国軍第3部隊が到着します。つきましては——」


「——大公が、死んだ」


 使者の口上を遮るように、アーサーが言う。周囲の大臣たちは目を丸くし、しばし言葉を失った。


「は……?」


「……オリヴィエが危ない。兄上には緊急の用事ができたと謝っておいてくれ!お叱りは後で受けるから!」


「アーサー様!?」


 ナターリエが慌てて声をかけるが、アーサーは振り返らず走り出した。


「大公が、エドワードに撲殺された!かなり取り乱していて、理性のかけらもない。オリヴィエが現場にいた――通信が入ったばかりだ。私はオリヴィエの元へ行く!」


「オリヴィエ様が……!?」


 周囲は騒然となった。大公の死は権力の不安定化を意味する。しかも加害者は次期大公であるエドワード。帝国との条約や承認も揺らぐ事態だった。


 いち早く気を取り直したナターリエは状況を判断する。


「皆様。ここは落ち着いて対応しなければなりません。騎士達を公爵邸へ、状況確認を願います。それからこの事は口外無用とします。宰相様、緊急箝口令を出してください。大臣の皆様方は、帝国の使者様をお連れして、落ち着いて第2皇子殿下の到着を待ちましょう」


 アーサーがいない今、当事者である自分が立つしかない。ここで動揺しているようでは、国を動かすことなど出来はしない。帝国を怒らせる方が、大公の死よりも怖いのだ。


 ナターリエは覚悟を決め、ぐっと顎を引いた。






 ——その頃、オリヴィエはエドワードを追って、公爵邸から旧神殿へと向かっていた。かなり取り乱して駆け抜けていってくれたおかげで、道筋ができている。石畳は苔むし、ほとんど使われていないようだ。いかに秘密裏に隠れていたかが窺える。


 森は奥まるにつれ、色濃く影を落としていく。影のように森を抜け、荒廃した神殿の入り口に足を踏み入れると、ひんやりした空気とカビの匂いが漂う中、オリヴィエは魔導具を手に魔素の濃度を測った。高い。魔獣が湧き出してもおかしくないほどの魔素の濃さだ。それに視認できるほど瘴気が強い。


 間違いなく、危険な存在――ミラは潜んでいる。


 耳を澄ます必要もなく、辺りにエドワードの咆哮が響いた。コウモリたちが驚いて地下の入り口から湧き出してきた。


 ——まるで魔獣のようだ、とオリヴィエは気を引き締める。彼は、もうすでに人間ではないのかもしれない。ミラによって、吸血族にされた可能性もある。いや、彼は腐っても剣聖の子孫。よほどのことがない限り、闇に染まる事はないはず。


 とはいえ、簡単に魅了され、理性を失った男である。自信はない。もしかしたら光の血はどこかで途切れ、剣聖とは全く関係のない家系の可能性もある。


「勇者の剣よ。闇を切り裂き、我を守りたまえ」


 オリヴィエが持つ短剣は、母国エリン王国の祖である勇者が託したものだ。


 国家最大の機密である、勇者と聖女の意志を引き継ぐ者。それがオリヴィエだった。


 闇の種族が人々を脅威に晒した時。その剣を持って生まれ出づるものこそ、勇者である証。闇を裂き光の子らを守るべし。それがオリヴィエに課せられた使命だった。


 そのために、オリヴィエは鍛錬を繰り返し、常に意識を闇へと向けていた。帝国の権力を利用したのも、アーサーの婚約者になったのも、全てはこのために。



 地下へと続く階段を慎重に降りると、錆びた鉄の匂いがした。壁に飛び散った黒い染みは、血の跡だろうか。動物も人間も、すべての血を吸い尽くされた様に、ミイラのようにカラカラに乾涸びた姿で横たわっていた。


 ポタリ、ポタリ、と水音がする。鼻をつく強烈な匂いと共に、それが水ではないことを物語っていた。


 そしてその奥で、エドワードが呆然とその先を見つめていた。視線の先には、ミラ――吸血鬼が幼い子供の首に牙を立て、血を啜る姿があった。


「……ミ、ミラァ……っお、俺の真実の、おま、お前が、う、ウワァアあぁぁああっ!!」


 エドワードの声はもはや言葉ではなく、悲鳴と怒号の混ざった音だった。人々に認められず、父を嬲り殺し、そして、真実の愛と豪語した女の実態が吸血族。目の前でエドワードを睨みつけながらも、力無く横たわる子供の首筋から口を離そうとしないミラ。ジュウ、と強く吸い込み、搾り取るように血を飲み込む。


 エドワードの理性はとうに吹き飛び、泣き崩れ、怒りに震えながら叫ぶ。


「ああ、ようやく来てくれたの。アタシのテディ」


 手の甲で、口元を拭い、妖艶に微笑んだミラ。怪しげな瞳が紫色に染まった。


「孤児の痩せた体だけじゃ、満足できないの。あなたってば、全然役に立たないんだもの。アタシの計画は狂いっぱなし。国は荒れないし、大公妃にもなれない。あなたのお父様は何もかもが不味そうで食欲は無くなっちゃうし。もっと眷属を増やしたかったのに、ここの連中ときたら、みんな脆弱な人間ばかり。……それに、なあに?うるさい小蝿も連れてきちゃうなんて。ほんっと、役立たずの、グズね」


「グ、あ、ああ………き、貴様、俺、オデ、を、グロウ、グド……っ」


 怒りのあまり、ブルリと体を揺らしたエドワードは両手両足を使って床を蹴り、ミラに飛びかかった。その姿は魔獣そのものだった。


「でも、最後に餌にはしてあげる。いらっしゃい」


エドワードの巨体が小柄なミラに襲い掛かるが、その体はぬいぐるみのように、いとも簡単に振り払われた。薙ぎ払って転がるエドワードの首を片手で掴み、晒し出した首筋に徐に噛みついた。


「ぐアッ………っっ!!??」


鮮血が舞う。しかしすぐ様、それはミラの口の中へと吸い込まれていく。


「ああ、美味しい……っ!これが、光の子の味なのね?んん、なんて甘美なのかしら。うふ、うふふ。もっと早くにこうしておけばよかったわ!!そこの、小蝿ちゃん!あんたは次よ。大人しく待っていなさいな」


 ごくりと喉を鳴らしながら血を含み、ミラの視線はオリヴィエに向かっていた。


 ここで逃げるという考えはない。オリヴィエは短剣を握り、ミラの前に躍り出た。


 


 同時刻。


 アーサーは必死に駆けながら冷静さを失っていた。旧神殿に向かうには、公爵邸を通過しなければならず、何も知らない門番たちは狼狽え、アーサーを止めようとする。


「緊急事態だ!そこを退け!」


 そうはいっても、門番たちも訳もわからず通すわけにはいかない。公爵邸で何やら騒ぎになっているようだが、外門までは、まだ情報が入ってきていないのだ。


「邪魔をすれば切る!そこを退け!オリヴィエの危機なんだ!」


 オリヴィエの危機。そう、冷静でいられるわけがないのだ。


 早く。早くいかなければ。


「そういえば2時間ほど前にオリヴィエ・キーヴァ伯が訪れてきていたな」と門番の1人が呟き、公爵邸の騒ぎと何か関係があるのだろうか、と訝しむ。


「おい、わかっているのか!私を通さねば、帝国軍が攻めてくるぞ!それでもいいのか!」


 殺気立つ顔でそのようなことを言われれば、門番たちは狼狽た。なにしろここにいるのは帝国の皇子殿下だ。緊急の用らしいし、通さなければ後でお咎めを食らう可能性もある。脅しではない、と感じ取った2人の門番は恐る恐るアーサーに道を開けた。


「恩にきる!」


 こうして、アーサーに切り刻まれることなく、門番たちは生き延びたのだが、その後で大公が惨殺されたと聞いて、紙のように顔色を白くした事は言うまでもない。



「頼む、オリヴィエ……!1人で危険な事はしないでくれよ…っ」


 焦るアーサーの言葉は、森の中へ吸い込まれていった。



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