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第10話:オリヴィエと異変

 異変は、数値として現れていた。


 魔素計器の針が、わずかに、だが確実に振れている。


「……やはり上がってる」


 オリヴィエは、窓辺に設置された計器を見つめたまま、淡々と呟いた。公爵領に聳え立つ旧神殿のある森の方角を。目視では何も見えない。風も穏やかで、鳥の声すら聞こえる。


 ――それでも。


 魔素は確実にその色を濃くしている。


 ゆっくりと、だが継続的に上昇している。急激ではない。それに伴い、瘴気量も増えつつある。まだ危険視するほどの量ではないけれど、必ず闇の一族がいる証拠。


「吸血族……最後の1人か」


 背後で、扉がノックされた。


「オリヴィエ」


 聞き慣れた声に、オリヴィエの肩の力が抜ける。


「アーサー。いえ、アーサー殿下。どうなさいました?」


「いつも通りの呼び方で構わないよ、相棒。それより報告を受けたんだが」


 彼は、いつものように穏やかな顔でそう言ったが、その目は鋭い。


「エドワード公子ですか」


「ああ。授業中でも気に入らないことがあると声を荒立てて、生徒だろうが教師だろうが暴力を振るうようになったらしい。他にも夜中に街を彷徨いているだとか、使用人に掴みかかったとか……あと、人を拉致しているらしい、とか」


「もう、動き出しましたか」


「まだ噂の域を出ないけど、以前より話が通じなくなっているようだ」


 口調は淡々としているが、アーサーの声音にはわずかな緊張が滲んでいた。腕を組んだまま、ドアに寄りかかる。扉を閉めるようなことはしない。仮にも正式に婚約者がいるのだ。昔の婚約者の元に入り浸りなどという噂はいただけない。


 オリヴィエは、計器から視線を外し、彼を見る。


「アーサー。ナターリエ様とお話はされましたか」


「……ああ」


「それで?」


 一瞬の沈黙。


「国を背負える、強い信念を持った人だよ」


 オリヴィエは小さく息を吐く。


「彼女が折れなかったのは、幸いでした。もし、彼女が悪感情に呑まれていたら……この国は、今頃もっと不安定になっていたでしょう」


「君が言うと、説得力があるな」


「事実ですから」


 そう答えながら、オリヴィエの脳裏には、ミラという名の“違和感”が浮かぶ。


 学園に入り込んでいる、異物。


 調べても調べても、出てこない。身元も、過去も、家系も、どこかが必ず途切れている。魔力の反応も、人間にしては過敏すぎる。だが、完全な人外とも言い切れない。


 だけど、最近になって彼女も焦っているらしい。遠くから殺意を感じることが多くなった。捕食者の目を向けられている。


 ――対象が私なら、それでいい。


「……狩りの前兆、かしら」


「吸血族?それとも魔人?」


「魔人ほど大胆な行動はとっていませんから、吸血族の可能性が高いです。ミラ嬢が吸血族の生き残りか、突然変異なのかは、まだわかりませんが……ただの人間でない事は確か。彼女、旧神殿に出入りしているようです。そして瘴気が最も深いのも、旧神殿」


 オリヴィエは、机の上に広げた地図を指で叩く。旧神殿。公国の歴史上最も古い、太古の森の中心にあり、公爵邸宅からほど近い。古代歴史書では、勇者と聖女が召喚されたとされる神殿。今は朽ち果て、訪れるものもいないと聞いた。そこにミラが行き来しているとなれば。


「彼女は、エドワード公子を“眷属”にしようとして、魅了を使ったと私は見ています。けれど、それが思いのほかかかりすぎて、精神破綻を起こしてしまったのではないでしょうか。彼が使えない、となって焦りを見せている今、次は、より価値のある獲物を狙うでしょう」


 アーサーが、ふと視線を逸らす。


「……私、か?」


「……いいえ。彼女はかなり慎重に事を進めて来ていたことから、今、帝国の皇子を手玉にとって、帝国を敵に回すとは思えない。もっと脆弱で、魅了にかかりやすい存在か……あるいは、あなたを自由に使うために、弱みになる人間……」


「じゃあ、オリヴィエ。君か」


「私が魅了にかかりやすい脆弱な人間だと?」


「バカ、そっちじゃない」


 即答でオリヴィエを名指すアーサーに苦笑する。気がつくように、と一言添える。


「あるいは、ナターリエ様」


「彼女には私がそばにいる。護衛もついてる。一人きりなのは君だ。私の弱みになる」


 即座に答えるアーサーに、沈黙が落ちる。


 ――アーサーが守るべき人間はナターリエ様ただ1人。私ではない。少しだけ、心が波打つ。私がアーサーの弱みになるなんてことは、あってはいけない。


「……ですから、私が動きます」


 オリヴィエはアーサーから視線を外し、地図を見る。


「まだ、相手は自分が優位だと思っています。帝国が動いていることに気づいていない。そして彼女は私を狙っている。うまく誘いに乗ります」


「私はどうすれば?」


「あなたは、ナターリエ様を安全な場所で守ってください」


「馬鹿なことを言うな。私が君を一人で行かせると思うのか」


「あなたが守るべき人は、ナターリエ様です。そう言う契約でしょう?」


 その言葉に、アーサーはグッと唇を噛み締める。


「確かに。……わかったよ。面倒なことは君に任せる」


 オリヴィエは、笑って少しだけ目を伏せる。


「……私は、あなたを守る役目を離れました」


「何を。今でも、十分守られているよ」


「そうでしょうか」


 オリヴィエは、窓の外を見る。


 穏やかな学園。何も知らない学生たち。平和な日常。穏やかだった12年という年月を、守られていたのは、どちらだったのか。


 だが、今、闇は蠢いている。その闇を追い続けたのはオリヴィエ。積年の念願を叶えるために、ここまできた。これは、オリヴィエの責任であり、使命。


「アーサー」


「うん」


「もし、私があなたを呼び寄せる“餌”として堕ちた場合」


 彼女は、アーサーの目を見て淡々と続けた。


「躊躇なく、私を切ってください」


 空気が凍る。


 アーサーは、首を横に振った。


「くだらないな。君らしくない弱気な判断だ」


 静かな声だった。


「君が自分を切り捨てる前提で動くなら、私がこの国を救う意味を見失う」


 オリヴィエは、少しだけ驚いたように目を瞬いた。


「そのために、私と帝国を利用したのだろう?盟約は違えてはいけないよ、相棒」


「っ、それは……」


「計画は単純だ。君はたとえ囮になろうと闇を切り裂き、最後の吸血鬼を叩き潰し、ナターリエ嬢は国の頂点に立ち、私は安全な場所で君に守られながら、その全てを見続ける。結果、世界はあるべき姿を保つ。どうだ、極めて単純だろう」


 オリヴィエは、しばらく彼を見つめてから、吹き出した。


「……わかったわ、相棒」


 あなたのいる、その場所を守るために。

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