32話 教育
オレは、貴族の一員としてふさわしくなるため、ここ数日、アマンダ姫による特訓のような教育を受けている。
礼儀作法から王国の制度、歴史、さらには地理に至るまで、ありとあらゆることを朝から晩まで詰め込まれている毎日だ。
公爵の計らいで、オレには城内に専用の部屋が与えられていた。だが、その部屋も今や、姫の怒号と教鞭の音が響く“戦場”と化している。
「パン! パン!」
鋭い音が机に響く。アマンダ姫が細身の教鞭で机を叩く音だ。
「カズー! 王族の名前を覚えずに貴族を名乗るなど言語道断ですわ!」
姫は真剣だ。だが、彼女の手に握られた教鞭の威力は本物で、時折オレの手の甲や肩を軽く打つその痛みはなかなかのものだ。
(くっ……これは完全にS気質だろう……)
そんな折、部屋の扉がノックされ、ひとりの従者が入ってきた。
「カズー様、公爵様がお呼びです」
その言葉を聞いた瞬間、オレは内心でガッツポーズを取った。
これは渡りに船だ。逃げ出すように立ち上がると、アマンダ姫の静かな視線を背に受けながら、オレは足早に部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
公爵のいる大広間に着くと、彼の傍らには一人の男が立っていた。見るからに商人風の服装に、笑顔を絶やさないがどこか底の読めない男だ。
「カズー、アマンダの教育はどうだ?」
公爵が穏やかな笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「はい。丁寧に教えていただいております」
オレが答えると、公爵は満足げに頷いた。だが、その次に発せられた言葉は、オレにとって重要な分岐点となる。
「そうか。それは良かった。……ところで、この男だがな、儂の御用商人をしてもらっておる。カズーの領地――マーブル島の収入も、これまでこの者が管理しておった。……カズーはどうする?」
……今まで、領地の収入はこの男が握っていたのか。
しかし、オレには“アイテムボックス”がある。物資の保存も管理も一人でできるし、何より、商人に任せれば手数料がかかる。
オレは迷わず口を開いた。
「公爵様、自分で管理させてください」
公爵は意外にもすんなりと頷いた。
「うむ、それも良かろう。魔王討伐の準備にも資金は必要だしな」
その言葉に、商人がすぐさま応じる。
「公爵様、マーブル島の収益は公爵領全体の中ではごくわずかですので、全く問題ありません。……ただ、最近は海賊の影響で収益が減少しておりまして……」
「なに!? 海賊だと?」
公爵の声に鋭さが宿る。どうやら初耳だったらしい。
商人は手慣れた様子で説明を続けながら、オレに金貨10枚を手渡した。
「こちらが今月の収益です」
公爵がちらりとオレの手元を見て言う。
「……うむ、確かに少ないような気がするな。だが、領地は信頼できる領主代行のキールに任せてある。何かあれば、向こうから報告があるはずだ」
本当にそうか?
ふと、オレの中に疑念が湧く。
御用商人――こいつに全てを任せるのは危険かもしれない。
だから、オレは提案する。
「公爵様、一度、自分の領地を見に行きたいのですが……よろしいでしょうか?」
「ふむ、それは領主として素晴らしい心がけだ。領主代行とよく話すのだぞ」
公爵は快く許可をくれた。
◆ ◆ ◆
オレは、城の御用商人に船の手配を頼んだ。
代金として金貨1枚を取られたが、他にあてがあるわけでもなく、言い値で承諾するしかなかった。
今、オレはその待ち合わせ場所——城塞都市の港に立っている。
潮風の匂いと、魚の生臭さが混じる空気。人々の声が飛び交い、重たい荷を運ぶ荷車の軋む音が響く。活気のある港だ。
ふと、視線の先で騒がしい声が上がる。
「この泥棒猫がァ!」
怒鳴り声と共に、店主らしき男が1匹の猫を追いかけていた。
その猫は、スリムな体にシャム特有の美しい毛並み。口には大きな魚を咥えている。見覚えのある猫だ。
オレは、駆け寄って男の前に立ちはだかる。
「店主、すまない。オレの猫だ。これで勘弁してくれ……」
そう言って、大銅貨1枚を男に差し出すと、男は渋い顔をしながらも金を受け取り、鼻を鳴らした。
「まぁ、今回は許してやる!」
男が去ると、魚を咥えたシャムがオレの足元にすり寄ってくる。そして、どこか誇らしげな顔で言った。
「主、あの人は欲張りニャ! あんなにいっぱい魚を持っているのに、くれないニャ!」
確かに、魚屋の台には山のように魚が並んでいた。だが、それは魚屋が漁師から仕入れた商品だ。タダで持って行かれてはたまらないだろう。
オレは軽くため息をつきながらも、再びシャムと目を合わせる。すると、オレはシャムが首輪をつけているのに気付く。メニューを見ると【魔法の首輪】とある。最大MPをアップしてくれるようだ。凄いアイテムだ。
「シャム、その首輪はどうしたんだ?」
シャムは、自慢げに答える。
「これは、あの恐ろしいアイテム店主から貰ったニャ⋯⋯僕はただじゃ起きないニャ⋯⋯」
(どうやら、あの猫好きの店主から譲り受けたのだろう)
——やれやれ、またこの猫と旅を共にすることになりそうだ。
やがて、用意された船が港に滑り込んでくる。乗船客はオレとシャムだけ。
なるほど、これでは船賃が高いのも無理はない。
出航してからおよそ三時間。
波に揺られる中、やがて水平線の向こうに島影が見え始める。次第にその姿が大きくなり、やがて、島全体が視界を覆い尽くすようになった。
マーブル島——オレの新しい領地だ。
港には、かなり大きな船も接岸できる立派な施設が整備されていた。
船が着岸し、オレは甲板から島を見渡す。思っていたよりも遥かに広く、そして……静かだった。
港には一隻の大型船が停泊していたが、そこに人の姿は見えない。
オレとシャムは港をあとにし、町へと足を踏み入れる。
整った石畳の通り。だが、人通りは少ない。町の中心部らしき場所には、大きく立派な建物がそびえていた。
あれが領主の館に違いない。
館の正面扉に辿り着き、オレは拳で扉を叩く。
すると、ギィ……と鈍い音を立てて扉が開き、中から屈強そうな大男が現れた。全身に鎧をまとい、手には武器を提げている。
「なんだ! なんか用か! ここは領主様の館だぞ!」
図体に似合わぬ高圧的な口調だが、門番か用心棒だろう。
オレは動じずに一歩前へ出る。
「オレは新しい領主だ。ここの領主代行のキールに会いに来た!」
声を張り、堂々と名乗る。
男は訝しげに眉をひそめるが、オレはさらに一歩進み、アイテムボックスから取り出した銀板の身分証を差し出す。
「これが、身分証だ!」
大男は銀板を食い入るように見つめ、しばし無言になる。
やがて納得したように頷くと、無言のまま館の奥へと消えていった。
数分後、音もなく現れたのは、細身で洗練された身なりの優男だった。指先まで仕立ての良い服をまとい、整った顔には笑みを浮かべている。
「これは、新しい領主様。ようこそお越しくださいました」
慇懃な口調に、どこか芝居がかった礼儀が見えるが、オレはそれを軽く受け流す。
「領主代行殿、オレはまず自分の領地をこの目で見たい。案内を頼んでいいか?」
「はい、もちろんです。ただ、長旅でお疲れでしょう。まずはこちらでお休みください。ここは、領主様の館でございます」
御用商人から「この館もオレの所有物だ」とは聞いていたが、あえて「そうでしたか」とだけ答える。
相手の出方を見るためだ。
案内されたのは、館の主の部屋ではなく客間だった。どうやら、領主の部屋は使われているらしい。
——まぁ、今までは自分が住んでいたのだろう。広い部屋に居座りたくなる気持ちはわからんでもない。
部屋に腰を落ち着けてしばらくすると、控えめなノックの後、少女が料理を運んできた。年の頃は十代半ば、身なりは質素だが、立ち居振る舞いには慣れが見える。
運ばれてきた食事は、想像を超える豪華なものだった。香ばしいロースト肉、濃厚なスープ、彩り鮮やかな野菜。贅沢すぎる晩餐だ。
皿の上の料理を眺めながら、オレは静かに思う。
——現地を見なければ、何もわからない。
言葉ではなく、目で見て、肌で感じなければわからないことが山ほどある。
シャムが足元で丸くなる中、オレは重たい旅の疲れを感じながらも、心の奥に新たな決意を灯した。
明日から、この島の本当の姿を知るために歩き始めるのだ。
そしてオレは学ぶ。
〈現地を見なければ何もわからない〉
と言うことを。




