18話 転機
オレは、美味い朝食と久々に柔らかなベッドで眠ったことで、心も体も確かに休まっているのを感じていた。目覚めた瞬間、思わず天井を見上げて呟く。
「……最高の朝だ」
昨夜のことを思い出す。どうやらこの家には、初老の男・クルワンと、寡黙な大男・チャンの二人が暮らしているようだった。
オレはゆっくりとベッドから起き上がり、昨夜食事をしたリビングへと足を運ぶ。部屋の中には香ばしいパンの香りが漂い、暖かなスープの湯気が立ち上っている。
キッチンにはチャンが立ち、手際よく朝食の準備をしていた。クルワンは、すでにテーブルの椅子に腰を下ろし、本を読んでいる。オレが「おはようございます」と挨拶すると、クルワンは顔を上げて軽く手を振った。
「よく眠れたか?」
「はい、ぐっすり眠れました」
そう答えると、クルワンは満足そうに口元を緩めて微笑んだ。
テーブルに座りながら、オレは自然な流れを装って、この家のことやこの土地の状況について尋ねてみる。
「クルワンさんたちは、ここで何をされているんですか?」
クルワンは少し姿勢を正し、誇らしげに胸を張って言った。
「儂は、こう見えても公爵様の顧問じゃ。しかも、水の魔術師じゃぞ」
魔術師、しかも公爵に仕える者。中々に大きな肩書きだ。しかし、驚いた素振りを見せないオレを見て、クルワンは少し苦笑いを浮かべた。
「……そうじゃったな。お前は記憶が無いのだったな」
「はい、すみません……」
「いや、構わん構わん。では、簡単に説明してやろう。この一帯は公爵様の領地でな。ここの森は特別に儂に預けられておる。いわば、儂の領地というわけじゃ。時折、こうして隠遁しておるのじゃよ」
(公爵様……となると、ここは中世風の王政国家か?)
クルワンはさらに続ける。
「お前は火の魔法使いだが、儂はその上級職である水の魔術師じゃ。敬ってよいぞ!」
そう言って、目を細めながらこちらをじっと見つめてくる。
オレも苦笑して合わせる。
「すごいですね」
会話の流れで、ふと気になっていたことを尋ねた。
「チャンさんは、あなたのお弟子さんとか……?」
クルワンは、さらりと口にした。
「チャンは儂の奴隷じゃ」
オレの思考が、一瞬止まった。
(奴隷……? まさか、本当に奴隷制度があるのか?)
チャンの様子を見ても、従者や家人のような印象だった。まさか、そんな扱いだとは夢にも思わなかった。
だが、ここではそれが“普通”なのかもしれない。
ちょうどその時、チャンがテーブルに朝食を並べ終え、落ち着いた声で言った。
「ご主人、朝食の準備ができました」
クルワンは、オレとチャンを見て頷き、穏やかに言う。
「では、食べようかの」
食卓には、昨夜の残りの野菜スープと、少し硬めのパン、薄くスライスされたチーズが並べられていた。
オレはまずスープを口に運ぶ。昨夜よりも味に深みが増しており、野菜の甘みが染み出していて美味い。続いて、パンにチーズを乗せてかじる。塩気と旨味が口の中に広がり、朝から幸せな気分になる。
オレが満足そうに食べていると、クルワンが話しかけてきた。
「ところで、お前には魔法の師はいるのか?」
「いません」
オレの返事に、クルワンは少し口角を上げた。
「では、どうじゃ? 記憶が戻り、自分のやるべきことを思い出すまで——儂の弟子になる気はないか? 才能がありそうじゃし、顔も少し変わっておる。興味深いのぉ」
(確かにオレは魔法が使える。でも、それはゲームシステムの補助があったからで……。本当の魔法が使えるようになるなら、それはそれで面白そうだ)
「ぜひ、お願いします」
クルワンは満足げに頷き、立ち上がると戸棚から分厚い本と、深い藍色のマント、そして短い杖を取り出してきた。
「この本は初級魔法の指南書じゃ。もう知っていることもあるかもしれんが、まずは復習から始めるが良い。マントは魔法のマントで、ある程度の攻撃を防ぐ。杖は魔力を高める効果がある。全部、くれてやる」
「ありがとうございます!」
(……やったぞ。装備が整った。あとはこれをどう使いこなすかだ)
「前の弟子の置き土産じゃ。どうせ、もう使われることもないしな」
後でチャンに聞いた話では、前の弟子は貴族の息子で、手のつけられない問題児だったらしい。悪さばかりして、ある日勝手に出て行ったとか。クルワンも、その弟子を失って寂しそうにしていたから、オレが来て喜んでいたのだという。
午後、オレは与えられた本を開いた。
ページをめくると、ゲームシステムのおかげで読むことは出来るが難解な用語や魔法陣の図が並び、正直さっぱり理解できない。オレは思わず顔をしかめた。
それを見たクルワンが苦笑いしながら言う。
「まあ、お前も記憶が無い身じゃからな。無理もない。魔法とは、マナから生まれる力。マナは世界のあらゆる場所に存在し、外にも内にも、もちろんお前自身の中にもある。まずは、そのマナを“知覚する”ことが魔法の第一歩じゃ」
マナ……知覚する……?
オレはクルワンに尋ねる。
「師匠、すべての人がマナを知覚できるんですか?」
クルワンはゆっくりと首を横に振る。
「そんなわけなかろう。マナを知覚できる者など、ごく限られた才能ある者だけじゃ。前の弟子もそれが出来ず、自暴自棄になって出て行った……。じゃが、お前は火の魔法使い。つまり、“できる”ということじゃ。自信を持て」
クルワンは、そう言って静かに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
翌朝、まだ夜の気配が残る時間に、チャンがオレの部屋の扉をノックもせずに開けた。
「おい、タダ飯食らいの弟子。狩猟に行くが、一緒に来るか?」
まだ眠気が残る頭で、オレはもぞもぞと起き上がり答える。
「……チャンさん、はい、行きます……」
バックパックを背負い、昨日もらった魔法のマントを羽織り、杖とサバイバルナイフを装備する。チャンの後ろ姿を追いながら、森へと踏み出していく。
そしてオレは学ぶ。
〈この世界には奴隷がいる〉
と言うことを。




