隣の席に幽霊少女
転校してきた日、皆は僕に無関心だった。誰も目を合わせようとしないし、妙に静かだった。人付き合いが苦手な僕としては好都合だが、その状態が一ヶ月も続けば、嫌でも気になってしまう。
そして僕は知る事になる。どうしてクラスの皆の様子がおかしいのか。僕が転校してくる前日に、学年で人気者だった高嶺という女生徒が自殺した。自殺した理由は、いつ何処にいても他人が群がってくるのが嫌になって、死を選んだらしい。高嶺は放課後の一人になった僅かな隙をつき、カッターで手首を切った。手首の痛みも分からなくなっていく中、呆然と夕陽が沈んでいく様を眺めていたと言っていた。
そう。高嶺の死に至った経緯とその最期の情報源は、隣の席にいる高嶺からの本人談。何の因果か、僕だけが高嶺の姿を目に出来て、会話を交わす事が出来る。
ハッキリ言って、僕は高嶺が嫌いだ。確かに容姿は良いし、ただ座ってるだけで一目惚れも止む無し。
僕が高嶺を嫌いな理由は、聞いてもいない個人情報を聞かせてくる所だ。授業中、休み時間、体育の授業中。僕の隣に来ては、幽霊の体で仕入れたクラスメイトの情報を囁いてくる。
誰かが誰かの悪く言ってる。
誰かが誰かを虐めている。
誰かが誰かの恋人を奪った。
ほとんど悪い事ばかり仕入れてきては、嬉々として僕に伝えてくる。僕は適当に頷いては、話を聞き流している。たまに以前話した事を憶えているか確かめてきては、僕が憶えていないと言うと、半分憑りついて体調不良にしてくる。
僕は高嶺が嫌いだ。大嫌いだ。
でも、たまに目にする寂し気な彼女の姿。沈む夕陽を眺めながら、寂しそうにしている彼女を目にする度に、僕の心は絞めつけられる。嫌いなのに、声を掛けずにはいられない。夕陽に照らされないはずの彼女の表情は、切なく・恐ろしく・美しく照らされていた。
そんな日々を送り続けて、気付けば卒業式前日。僕と高嶺は、いつも通り放課後の誰もいない教室で話していた。
「君は進学? それとも就職?」
「どっちも嫌だね」
「じゃあニートだ。君に凄く似合ってるよ」
「思い切って旅でもしようかな。全然知らない場所まで歩いて、誰もいない場所で死んでさ。地縛霊になって肝試しに来た連中をビビらせるんだ」
「君にそんな度胸あるの? この三年間、私以外の誰とも交流出来なかった君が」
「うるせぇ」
「……死ぬ、だなんてさ。気軽に言わないでよ」
「死んでる奴に説教されたくないね」
「死んでるから言ってるの。死んだら……何も出来ないんだよ……」
「じゃあ死ななきゃ良かったじゃん」
「そうだね……あと一日。あと一日だけ待ってれば、自殺なんてしなかったのに……」
「なんでさ?」
「……ハァ。君って、人付き合いが苦手な上に朴念仁なの?」
「幸いな事に、それで困った事が無くてね」
「じゃあ今がその時だね」
「それって―――」
甘い香りが鼻腔をくすぐった。唇には柔らかい感触。誰もいないはずの教室で、僕はキスをされた。
「……ファーストキス、だったんだぞ」
「私もよ」
「誰にも自慢出来ないよ。幽霊とキスしたなんてさ」
「自慢出来る人なんていないでしょ?」
「うるせぇな……」
「……ねぇ。ここの教師を目指せば? きっと君の学力だと、何年も掛かると思う。でも、この学校の先生になってほしいな」
「……かなり待たせる事になるぞ」
「待ってるから」
「時間が掛かり過ぎて、ジジイになってるかもな」
「それでもいい」
「お前の事、完全に忘れてるかもしれないぞ」
「忘れられないよ。私が君を忘れないように。君も私を忘れられない」
「これだから人気者は……十年だ。十年後、教師か霊媒師になって戻って来るよ。だから、成仏せずに待ってろよ」
「うん……待ってるから」
かくして、僕の無謀とも思える日々が始まった。一年遅れで大学に入り、教員免許を取得し、学校の教師となった。とんとん拍子に事が進んだように思うが、掛かった時間を思い出せば、やはり苦労はしていたようだ。
若い教師というだけで良くも悪くも注目を浴び、気が休まる日は無い。特に学祭や体育祭といった行事では、いつも以上に生徒に絡まれてしまう。学校の先生ってのは、本当に疲れる職業だ。
夕陽が沈む放課後。誰もいなくなった教室に行けば、十年以上前から変わらぬ姿のまま、寂し気に夕陽を眺める高嶺がいる。僕は彼女の隣の席に座り、ため息を一つ吐いてから話し始めた。
「十年以上経ったのに、まだその席は空席のまま。語り継がれし者ってやつだ」
「不名誉な事ね」
「ああ。毎回席替えする時、その席の前と隣がハズレ扱いさ」
「ムカつくわね。いっそ憑りついて痛い目に遭わせようかしら」
「やめてくれよ。誰が説教されると思ってんだ。この間なんか、ちょっと喧嘩があっただけで、小一時間も説教されたんだぞ?」
「あの時の君は面白かったなー。喧嘩の仲裁なんかしちゃってさ」
「応援してる球団が違うだけで、なんで喧嘩するんだろうな?」
「オジサンに若者の考えは分からないわよ」
「まだギリギリ二十代だよ」
少し開いた窓から風が吹いた。フワリと煽られるカーテンのように、高嶺の黒髪がなびく。その髪を手の平に乗せると、指の隙間を通っていった。
空の手の平を見つめていると、高嶺の指が指の隙間に絡まってきた。細くて、冷たくて、温かい。絡めてきた指に重ねるように手を握った後、高嶺の顔に視線を向けた。高嶺がどんな表情を浮かべていたのかは分からない。
ただ、鼻腔をくすぐる甘い香りと、唇に感じる柔らかい感触が色濃く感じた。