パソッカ色の夕焼けに─fleur de la vie─
皆様こんにちはこんばんは、遊月奈喩多と申す者でございます! 今回は全年齢の短編を投稿しますよ!
皆様、パソッカという食べ物をご存知でしょうか?
年末に親しい字書きさんたちの間で話題となったことから作者も知り、なんとなく調べてみたのですが、美味しそうなお菓子でした。是非実際に食べてみたいものですね(食いしん坊奈喩多です)
それでは、本編をお楽しみください!
「安いよ安いよ! あの銘菓、パソッカが今ならなぁんと3000円! 3000円ポッキリで夢の世界へご案内ってわけだ! 安いよ安いよ!」
そんな呼び声を聞いたのは、数年間付き合っていた奈津美から別れを切り出されたことで塞ぎ込んでいたときだった。学生の頃から付き合い始め、同じ会社に就職してからもそれなりに関係を深められていたはずだった彼女は、新人研修の後で部長に手込めにされていたらしい。俺へのSOSも出していたというがそんなのに気付くこともできず、気付いた頃にはもう部長の子どもまでデキていた。
何か様子がおかしいと思って問い詰めたとき、涙目で言われたのだ。
『なんでもっと早く気付いてくれなかったの?』
『やっと翔くんのこと振り切ったのに』
『部長のいいとこ探して、やっと本気になったのに』
『なんで今になって言うの?』
『なんで今更心配するようなこと言うの?』
『遅いよ、翔くん最低だよ、ほんとに最低』
泣きながら俺をさんざん罵った奈津美は、数日前に渡していた婚約指輪を『こんなの苦しいだけなんだから!』と叫んで、窓から思い切り投げ捨てた。
その後のことは忘れない。
怒声を合図にしたように現れた部長の腕に無抵抗に抱かれて、やつの手指を撫でられて熱い吐息を漏らす奈津美の姿を見せられて、もう何もわからなくなって自分で予約したホテルを逃げ出した。
それからの俺は、もう何もできなかった。
できたことといえば飯を食い、鉄板から逃げ出したたい焼きを海で釣るくらいのものだった。勤めていた会社でも辺鄙な地方に飛ばされることが決まって、居たたまれなくなって退職した。
思えば、いろんなところに一緒に出掛けた。
スカイツリーも、浅草寺も、旧岩崎邸庭園も、六義園も、新宿御苑も。もう少し足を伸ばしたらランドマークタワーや中華街、日光東照宮や中禅寺湖……本当に、いろんなところへ行った。映画も見た、ディナークルーズも乗った。スカイダイビングも何回やっただろう、スキューバダイビングも何回しただろう、流行りのバンドのライブにも何度も行ったし、他にも一緒にカップルチャンネルを開設して動画投稿なんてのもやっていた。
何をするにも奈津美と一緒だった。
だからだろうか、別れてからというもの、何をするにも奈津美の影がチラついて仕方なかった。胸が締め付けられて、息が苦しくなって。こないだなんて、エリンギパスタを食べている途中で奈津美のことを思い出して、他にも大勢の客がいる中で盛大に吐いてしまった。
もう、生きることすらやめてしまいたいくらい。
そんな俺の耳に届いたのが、パソッカ売りのおっちゃんの声だった。ターバンを頭に巻いた浅黒い肌は、どう考えてもパソッカの国であるブラジルの装いとは思えなかったが、パソッカだけは奈津美と一緒に食べていなかった。
だからだろうか、ピーナッツ粉の旨さ、ホロホロとした食感、口の中に広がる程よい甘やかな味わいを、心の底から楽しむことができた。ピーナッツ粉の味と食感が旅情を掻き立て、俺の脳内ではサンバ衣装の女たちがカーニバルで躍り回り、コルコバードのキリスト像が群れをなして月面宙返りで飛び回って、THE WAVESの「WE ARE THE CHAMP~THE NAME OF THE GAME」を合唱し始めている。
なんだかとてもいい気分だ。
「Ole ole ole ole~♪」
口遊みながら歩いていると、「危ない!!」という声が後ろから聞こえて。
立ち止まって振り返った俺のすぐ後ろで
ドチャッ!
妙に重いものが、湿ったいやな響きと共に落ちたようだった。
音のした方を振り返った俺は、直前に食べたものがパソッカであることに心の底から安堵した。パソッカをキメていなかったら、たぶん立ち直れなかったかも知れない。
落ちてきたのは、テレビニュースでもよく取り上げられるサッカー名門校の制服を着た、恐らく少女だったと思しき人物。何故「恐らく」と付くのかは、想像に任せる。
捲れたスカートから伸びる、まだ生気すら感じさせるハリとツヤ、程よい肉付きを感じさせる脚。
頭から落ちてきたせいですっかりひしゃげた肩に従うようにあらぬ方へと伸びているスラリと長く、ギターか何か弾いていたらさぞ映えたのではないかと思えてしまう手。
卍を描くように曲がった四肢と、明らかにあるべきそれより縮んでしまっていることが窺える胴体。
それらの1番下で赤黒くベッタリとした血や脳漿で粘っこく汚れながらも、アスファルトに根を張るようにピッシリ広がってこびり付いている艶やかさの残る髪の毛。
それらは、普段ならとても正視に堪えるものではないはずだったのに。
「……花だ…………」
パソッカを食べていたからだろう、俺の目には、そのあまりにも凄惨な状態で着地した死体が、ずいぶん前に奈津美に連れられて見に行った展覧会で賞を獲っていた活け花のように見えた。
今まさに命が喪われたばかりのはずなのに、その肢体はあまりにも「生」というものを表現しているように見えた。俺が対面しているのは、紛れもない「命」だと確信できた。
ありがとう、パソッカ。
奈津美との別れに塞ぎ込んでいたままだったら、俺はきっとこの美しさを知ることはなかった。
ありがとう、パソッカ。
この世にはまだこんなにも美しいものがあることを、晴れた心だからこそ認めることができた。
ありがとう、パソッカ。
きっとこの妙に弾んだ心がなければ、ぐちゃぐちゃにひしゃげた死体の胸元から学生証をスるなんて大それた真似、出来っこなかった。
決して興味本意ではない。
ただこの芸術を、もう少し芸術として残しておきたかったんだ。すぐに身元を特定なんてされて、ただの『人』に堕とされるなんて真っ平ごめんだったんだ。もちろん今じゃ所持品以外にも身元を特定する方法なんて山ほどある、だからちょっとした時間稼ぎにしかならないのだが、少しの間だけでも匿名性を保っていてほしかったんだ。
誰だってそうする、俺だってそうする。
芸術というのは秘密を装飾にして輝く。
なら、輝きを妨げるものなんて不要だ。
なんて冴えた思い付きだろう。きっとパソッカを食べていなければ、こんなこと思い付きもしなかった。
「ふふふ、ふふふふふ」
ああ、人生に光が見えた気さえする。
そうか、これが、俺の。
* * * * * * *
芸術は、えてして人を魅了する。
目を捉え、心を捉え、魂さえも。
「あ、もしもし俺だけど。あのさ、最後にどうしても渡したいものがあるんだ。奈津美もうすぐ誕生日だったろ? だから……今までのお詫びも兼ねてさ。
大丈夫だよ、きっと気に入る。すっごく綺麗にできると思うからさ。だからまぁ……見ててよ。そしたら、もうほんと終わりにするからさ」
命の花が、また一輪。
赤い大輪の花が咲く。
「安いよ安いよ! あの銘菓、パソッカが今なら3000円だ! 3000円ポッキリで夢の世界へご案内ってわけだ! 安いよ安いよ!」
前書きに引き続き、遊月です。本作もお付き合いいただき、ありがとうございます! お楽しみいただけましたら幸いです♪
今回この短編を投稿しましたのは、どういうわけか「パソッカがなろうにない!」という風に喚く(?)ムーブメントが作者のSNSで起きており、そこに多少便乗する形で「ないなら書けばいいんだぜ!」と書かせていただいたのが本作となっております。
いやぁ……パソッカを食べてみたいなという欲求もね、もちろん駄々漏れなお話になってしまったとは思うのですが、パソッカについて調べてみるついでにブラジルの観光名所や世界遺産なども調べたりしていたら、なんだか旅行に行きたくなってしまいました。
さすがに海外は難しいので、隣県とかその辺りでどこか行きたいような……? わりと景色のいいところもありますからね、たまには行きたいものです(と言いながら、仕事が休みになるとどこにも出たくなくなるまでがデフォルトです)。隣県からは離れますが、戦場ヶ原とかまた歩きたいですね。もしくは軽登山とか!
自然の中って、わりと元気をもらえる雰囲気があるにはあるので、皆様にもおすすめですよ!
ということで、また違うお話でお会いしましょう!
ではではっ!!