1プロローグ
春は、あけぼの、どうたらこうたら。という趣あふれる読み物がある。
要約すると春は、夜明けがヤバい。
だんだん白くなってゆく山際の空が、ちょい明るくなって、紫がかった雲が、細くヒュるりと動くのぱねえ。ということらしい。
この文を書いた清少納言という方はさぞ夜遊びにふけっていたのだろうかと僕は思う。
根拠としては、朝っぱらから山と空の狭間を見る機会なんてあるか。という点である。
基本的に朝日が昇るのを見る状況が発生するのは飲み会の後の朝帰り、新宿から乗った中央線が知らない間に終点高尾に到着していたときくらいだからだ。
東京とは名ばかりでほぼ山梨に片足を突っ込んでいる高尾という土地は、春にしては程よく寒い。あの駅では、酔いが覚めるにはちょうどいい気温であって頭も覚める。
そんなときに駅のホームから見る高尾山と空の色彩はまるで自分が詩人にでもなったかのような気分であって、朝になっている絶望と飲み会の覚めならぬ高揚感と、「ここどこだよ...」といった絶望の激重サンドウィッチは東京に籍を置く身としては一度はご賞味あれといったものだ。
早朝の駅は僕らと同じような運命を辿った酔いどれジャンキーたちの妙ちくりんなテンションと仕事に出かけようとしているサラリーマンの辛気臭さで、日が昇った、新しい朝だというのには今ひとつ納得できない雰囲気が漂っている。
そんな風景が未だ薄暗い山の麓と明るんできた山頂とのコントラストのようだなんてたった今から新人ポエマーたる僕は思ったりしながら、眠気覚ましのコーヒーを買い、ホームのベンチに腰を据えた。
普段なら買うこともない隙のない苦さのコーヒーを味わいながら次の電車を待つことにした。
気長に待とう。時間はアホのようにあるのだから。
こう言った苦々しくも清々しい、ただただ時間を浪費し感傷に浸る僕らのようなダメ人間を世間はこう呼ぶ。
大学生と。