5話【嫌なことは嫌】
体調が万全になってから一週間後。
ハーランド陛下に呼び出され、大きな中庭のガーデンテラスにブライアン様と共に足を運び、椅子に座ると、陛下から即座に言葉が紡がれた。
「ユリナ、来てくれて感謝する。早速ですまない、私は今から大変無理を言うのだが…」
「?はい」
「聖女お披露目の準備が進んでいる。もし可能であれば、出席してくれるだろうか?」
驚きのあまり、口元に近付けていたカップの持ち手をギュッと握り、そのままの姿勢で固まってしまった。
聖堂の時に左右に並んでいた煌びやかな人たちを思い出して、思わず眉をひそめてしまったのは申し訳ない。
「…わ、かりました。頑張ります」
「断らないのか?ユリナよ」
心配そうに私の瞳を見て言ってくれるハーランド陛下は、凄く優しい人だ。
たぶん、聖堂での儀式で体調を崩したから、心配してくれているのだろう。
お披露目の場なんて、きっと聖堂に居た人数より遥かに大勢の人たちに【聖女】として見られる事になる。良い気持ちはしないと思う。
かと言って、お披露目の場に聖女が姿を表さないとなれば、王であるハーランド陛下にご迷惑を掛けることになる、絶対に。
「陛下」
「なんだ?ブライアン」
「少し、口を挟んでもよろしいですか?」
「ああ、構わんよ」
ハーランド陛下の肯定した返事が聞こえて直ぐに、ブライアン様が私の名を呼んで鼓膜を震わせた。
膝に置いて握りしめていた両手を、ブライアン様が解いてくれる。
「ユリナ様、嫌なことは嫌と、そう言ってください」
「でも…っ!」
言葉が詰まって、呼吸が上手く出来なくなる。
言って困らせたら?いやきっと困らせるはずだ、それが分かってるのに言うの?
――俺たちには、本当の気持ちを無理のない範囲で言ってください。必ず、耳を傾けます。
ブライアン様が以前言ってくれた言葉を、再びブライアン様が言葉にしてくれて、呼吸が落ち着きを取り戻す。
「俺たち、には俺だけではなく、リディア、リュード、ジークフリート団長、そしてハーランド陛下も含まれます。だからどうか、ユリナ様の気持ちを吐き出してください」
視線は足先しか見れていないが、隣にブライアン様の存在を感じる事で、ゆっくり深呼吸してから声を、勇気を振り絞った。
「すみません、陛下。このまま言わせて頂いてもいいでしょうか?」
「もちろんだ。ゆっくりでいいよ」
陛下の肯定の言葉を聞いて、本当に…こんな優しい人たちが居る世界で召喚されて良かったと心から思う。だからこそ、今言うと決めた。
――本当の事を言うと、断りたい気持ちはあります。人前に立つのは苦手ですし、きっと大勢の方が参加されるであろうお披露目の場で何か言葉を…と言われても言えません。それにもし、私が断れば、陛下にご迷惑が掛かると考えました。ですので誰とも話さずに、本当にお披露目だけ、姿を見せるだけ、だったら…大丈夫、だと思います。
「それと…ブライアン様が近くに居てくださったら、とても心強いです」
吐き出した、私の思った全てを。
私の言葉を受け止めたハーランド陛下は、少し考えるように息を漏らす。
チラリと隣に居てくれているブライアン様を見れば、心配そうに私を見ていた瞳と目が合う。
「言って頂けて嬉しかったですよ」
「嬉しい、ですか?私は今、皆様を大変困らせる事を言ったのに?」
刺々しい声音が口をついて出た。
自分のこういう所が嫌いだ。遠ざけて、困らせて、誰も頼らずに強がる自分自身が本当に嫌い。
「ではユリナ、姿を見せるだけとしよう」
「えっ?よ、よろしいのですか?」
「構わないさ。何か言われれば…聖女に手を出すことはサイフィンス王国に手を出したと同じことだと言ってしまえばいいのだから」
効果音が付きそうな程にニコニコな笑みを浮かべながら、さらっと恐ろしいことを言った陛下に少しだけ驚いた。
「それは、ご迷惑なのでは?」
「迷惑を掛けているのは、どちらかといえば私たちだ。突然召喚され、まだ環境にも慣れていないだろうに…本当に申し訳なく思う」
陛下からの突然の謝罪に『そんな…!気にしてません!皆さん優しくしてくれますし、私の気持ちを尊重してくれてます。前に居た世界より、すごく居心地がいいんです!!』なんて思ったよりも大きな声で言ってしまった。
「貴女のような人が聖女として来てくれて、本当に嬉しいよ。ありがとう」
「も、勿体ないお言葉です…!」
「ふふっ。ブライアン、ユリナ、二人ともお披露目の日、よろしく頼む」
「はい!」
「承知しました」
♢♢
ガーデンテラスから自室へ戻る途中、ブライアン様やジークフリート様ではない他の騎士を見掛けて、思わず目で追ってしまった。
すると『ブライアン団長!お疲れ様です!』と訓練を終えたばかりだと思われる騎士の方々が次々と挨拶している。
ふと皆さんの視線が私に向けられて、ブライアン様に助けを求めるように見上げれば、頷いてくれた。
「俺が聖女様の護衛をしているのは知っているな?」
「は、はい!もちろんです!」
「え?じゃあ…そちらの方が…?!」
「紹介しよう、聖女様だ」
「お初にお目にかかります、騎士の皆様」
ブライアン様に隠れながら挨拶をすれば、皆さん跪いて『し、失礼致しました!聖女様!』なんて言われたので、ブライアン様を見れば口元を押さえて笑っていた。
「聖女様、如何なさいますか?」
「え?なにがですか?」
「この者たちの事です」
「?…よく分かりませんが、これからどうぞよろしくお願いします」
そう言ったら『よろしくお願いいたします!聖女様!』と少し焦った様子の声が複数響いた。
♢♢
「なぜ、あんなに焦ってらしたのでしょう?」
「聖女に無礼を働いてはならない。という、サイフィンス王国の法律があります」
ブライアン様の言葉にハーランド陛下が『聖女に手を出すことはサイフィンス王国に手を出したと同じことだと言ってしまえばいいのだから』そう言っていたのを思い出す。
なるほど、あの陛下の言葉は法律があったからこそだったのかと納得する。
「私、聖女っぽくないのかな?」
「なぜです?」
「はっ…!すみません、声に出てた…!?」
まさかの声に出てしまって、慌てて口を手で塞いだ。
気まずい空気が流れるが私は頑張って『髪の色、瞳の色も黒だし…先程の騎士の皆様は私が聖女には見えなかったのかも』と言葉を出した。
「は、い?」
「?ブライアン様、どうし…」
「ユリナ様の瞳は綺麗な朝焼けの様な色ですよ」
「えっ?え?朝焼け色ですか?鏡で確認した時には確かに黒で…」
焦る私の背中を摩ってブライアン様は落ち着かせてくれようとしてくれる。
毎朝、鏡の前で身支度を整えているので間違えるはずがない。身支度を手伝ってくれるリディアも特に瞳の色を言及をして来なかったので、元の世界と変わらず黒い瞳なのだろう――と思っていたら、どうやら違うらしい。
「えっと、ブライアン様にだけ、そう見えているのではなく…?」
「他の方には、どう見えているのか分かりませんが、ユリナ様と俺では認識の違いがあるようですね。明日、リュードに聞いてみましょう」
「リュードに?」
「ええ。神官であるリュードなら、何か知っている事があるかもしれません」
「…そうですね」
なんで認識の違いが?分からない事だらけで、頭が混乱しているが、神官のリュードが何か知っていればいいのだけど…そんな風に少しの不安を胸に抱きながら、城の長い廊下を再び歩き出した。