第19話【ひと時の休息】
__かぽーん。
白い湯気が立ち込める大理石で出来た浴槽のある大きな部屋に二つの影がある。
円形の大きな浴槽は人が数十人入ったとしても、まだ余裕がありそうなほどの大きさだ。
「良かったんですか?一緒にお風呂に入るだなんて」
「もちろん!リディアとお喋りする時間が増えて嬉しいよ」
恥ずかしげもなく、そんな言葉を紡いだユリナに驚きと恥ずかしさを覚えながら、リディアは赤くなってしまった頬や耳をユリナに見られないように、乳白色になっているお湯に顔をブクブクと音を立てながら沈めた。
「そういえば、ルークくんの傷は大丈夫だった?」
「……ええ、幸いにもかすり傷だけだったみたいで、治癒魔法を施す程の大きな傷はありませんでした」
リディアは手で掬ったお湯を肩にかけながら、危険を犯して外に出てしまった弟に言葉をかけた場面を思い出す――。
『もし、ブライアン団長がルークの逃げている場所に間に合っていなかったら、あのまま命を落としていたかもしれない。いい?もう二度あんな真似はしないと、姉さんと約束出来る?』
『ごめんなさい、僕でも力になれる事があればって思って、だから…!』
『約束、出来る?一人前の騎士になるまでは、しっかり稽古をして、命に関わるような危険な事はしないで。貴方が死んだら、母様も父様も、私だって悲しいから約束して欲しい』
リディアがルークの目を見てその言葉を伝えれば、ルークは涙を堪えながら頷いた。
「リディア?」
「っ…!すみません、考え事を」
「ううん、湯あたりする前に上がろうか」
湯に浸かる前に身体を清めていた二人は、皮膚を滑る水滴を拭きあげ、ラフな動きやすい服装に着替える。
「リディアの私服を見るのは初めてだね!」
「そうですね…これまで、業務でしかユリナ様と接する機会がありませんでしたから」
「そっか…ブライアンの私服も見たこと無いなぁ」
「私も城内でしかお会いしないので私服を見た事は無いですね。正装は何度かお見かけしたことはありますが…」
リディアも見た事が無いというブライアンの私服姿に、彼はいつお休みしているのだろう?という一つの疑問が浮かんで来るが『ユリナ様、そろそろ夕食の準備が整う頃かと…行きましょう』とリディアに声をかけられた為、少しぎこちなく頷いてから脱衣所を後にした。
♢♢
ガヤガヤともう既に会話が繰り広げられている夕食の会場にリディアとユリナは足を踏み入れる。
公爵からの『聖女様、夕食の形式はいかが致しましょう?』と事前に尋ねられていたユリナは『えっと…そう、ですね、騎士団の皆さんもいらっしゃるから皆で談笑しながらだと嬉しいですね…!』と伝えれば『なるほど、では立食スタイルを取りましょう』と公爵は即座に頷き、大勢の使用人たちにテキパキと指示を出していたのが浄化を完了させたばかりのお昼頃で、今は夕刻…たった数時間でこれだけの量の料理や飲み物を用意出来ている事にユリナは驚きつつも感心していた。
「ユリナ様、こちらに」
「え?でも私だけ座るなんて…」
そうやって椅子に座るように促されたのを断ったユリナだったが、リディアに首を左右に振られてしまい『駄目です。また、魔力切れを起こす寸前でしょう?』と指摘されてしまい『なっ…!何で分かるの…!?』そう反応してしまった為に、ユリナは肩を押されながら席に着席することとなった。
立食パーティを提案した張本人が座るなんて…とユリナは落ち着かない様子で椅子に座ったまま髪の毛を手で溶かし始める。
リディアはというと少し離れた場所で隊員たちと会話をしているブライアンと目が合い小さく会釈をし、再び彼を見れば意図が伝わったのか、隊員たちと会話を切り上げてユリナたちの下へと歩き出す。
「ブライアン様、私は少し席を外すので、ユリナ様をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないが…何か用事か?」
「アルフレッドと改めて父に挨拶をして来ます」
リディアのいつもより柔らかな笑みに気付いたブライアンは、少し目を見張ったが直ぐに『…!そうか、ゆっくり戻って来るといい』と言葉を続けた。
ブライアンは歩き始めたリディアの背中を少しだけ見つめてから、落ち着きの無い様子のユリナを視界に映しながらその場所まで足を運ぶ。
「ユリナ様」
「はいっ!?ど、どうしたの…?」
名前を呼ばれただけで、過剰な驚きの反応を示すユリナに声を掛けたブライアンも驚きの表情をしつつも『……申し訳ありません、驚かせてしまいましたね』と片膝を床に付けて目線を下ろし、少しだけ間を置いて眉を下げながら、その言葉を口にした。
「ご、ごめんなさい、なぜか緊張してしまっているみたいなの」
「騎士団の者が大半ですが、何せ人数は多いですからね。空気が苦手でしたら、公爵がご用意くださったお部屋に戻られますか?」
ユリナはブライアンの提案に頷きかけて、左右に首を振った。
提案を断った理由は至ってシンプルだ。
この場に置いて、聖女に悪意のある視線を向ける者はいないため、社交の場に慣れる為にも留まるべきだとユリナなりの考えあっての事だった。
「…承知いたしました」
「そうだ、せっかくだから美味しい料理を一緒に頂きませんか?」
ブライアンの瞳を真っ直ぐ見て、ユリナはそう言葉を紡いだ。
騎士が断るはずもなく『どうぞ、お手を』そう言って手を差し出し、聖女の手が乗せられたと同時に優しく引き寄せエスコートを始めた。
煌びやかで豪勢な食事は、空腹を訴え始めたユリナのお腹がどれも美味しそうだと告げている。
サラダやスープ、肉料理に魚料理、デザートにはフルーツやケーキまで揃えられており、目移りしてしまうものばかりだ。
ユリナは、まずはサラダから戴こうと思いシルバーのトングを手に取ろうとすれば、ブライアンの手が先にトングを手にし『俺が取り分けます』と言って、いつの間にか左手に持っていた皿に彩りの良いサラダを盛り付けていくの見つめる。
「サラダは、これぐらいでよろしいですか?」
「う、うん、ありがとう」
ユリナは内心『こんなに任せて大丈夫かな?仕事だからって、こんな事までさせちゃっていいの…?』そんな疑問を抱えながらも、取り分ける役目を辞めようとはしていないブライアンを見つめ、少し不安を抱く――が、周りの騎士たちの言葉がユリナの耳に届き始めると、そんな不安は無くなっていく。
【なぁ…団長があんなに女性と一緒にいるの初めてみるよな】
【そうだな。どんなに重要な任務でも、異性との距離は一定の距離を保って護衛の任務をこなしてらっしゃったからな】
【あんなに柔らかな表情の団長、初めてみたぜ!】
【バカ!おまえ声でかい!聞こえるだろう!?】
【団長、あんな風に笑うんすね】
【確かに、あんな風に優しく笑う団長は初めてみたかもなぁ…】
隣を歩く彼を見上げれば、その耳は赤くなっており、どうやら本人の耳にも聞こえていたらしく、ユリナ自身も頬が赤くなっていく。
――けれど、自惚れてしまってはいけない。とユリナの心が訴える。
彼が抱く好意は【命を救ってくれた恩人】というものがあるからではないか?
それに何より【こんなに素敵な人が私を好きになるはずなんで無い】そうユリナが思っているからだ。
「ブライアンは食べないの?」
「ユリナ様の分を取り分け次第、自分の分も取り分けますのでご安心下さい」
そう言って、立食スタイル形式を取って頂いたのにも関わらず、私はブライアンに再び椅子に座るように促され一度は断ったのだが、彼も頑なに首を振るばかりなので、大人しく座ってサラダを頬張っているうちに、他のスープやメインのお肉、そしてデザートまで皿に取り、椅子と共に用意されていたテーブルに置いてくれた。
「ありがとう。でも、いいの?こんなにして貰って…」
「構いません、俺が好きでやっている事ですから」
彼の琥珀色の瞳と視線が交わり、離せなくなる。
『好きでやっている事ですから』という言葉に、ブライアンは本当に私のことが好き…?いや、でも、一時的な気の迷い、とか。
――というか、リディアから宝石を贈られる意味を、たまたま聞いてしまっただけで、まだ彼から好きと言われた訳ではない。
私は異世界に来てからの数ヶ月の期間で、ブライアンの見た目は最初から凄くカッコイイ人だな、とは思っていたが、日々を過ごしていくうちに内面まで素敵で好きになってしまって、気持ちがあたふたしているというのに…いつ、この想いを伝えるべきなんだろう?
異世界から来た聖女と、その聖女を護衛する騎士。
この関係性を変えるには一体どうしたら…?ユリナがゆっくりとブライアンから目を逸らし、メインのステーキを頬張る。
使われている肉が高級なのか、口に入れて数回咀嚼しただけど溶けるように無くなっていく。
「ユリナ様」
「…?どうかしたの?」
「いえ…やはり少しお疲れの様子ですね」
「…っ、うん、疲れもあるけど少し考えごとを」
「何か悩まれていることが…?」
『貴方に想いを伝えるかどうかを迷っています!』なんて、本人を前にして言い出せるはずもなく咄嗟にユリナは『大丈夫です!私の気持ちの問題…というか』そう言葉にして、間違った事は言っていないよね?と思いながら、ユリナから見て右斜め前の席に座って、一緒に食事を取っている彼の方を見れば再び目が合う。
「ねぇ、ブライアン今度――」
ユリナが言葉言いかけた瞬間、ゴロゴロと屋敷全体を震わせるような大きな雷が鳴り、突然の大きな音の発生に誰にも聞こえない程の小さな悲鳴を上げたユリナは、手に持っていたシルバーを床に落としてしまい、それを拾おうと手を伸ばそうとすれば再び地響きのような雷が鳴り響く。
「大丈夫ですか?ユリナ様」
「はっ、はい…!突然の大きな雷の音だったから、驚いてしまって」
「驚いてしまうのも無理はありません。かなりの大きさでしたから、周りに落ちていないと良いのですが…」
ブライアンの言葉を聞いてユリナは『そういえば、領地内はかなり木々が生い茂っていたから、雷が木に落ちて火がついてしまって、燃え広がってしまったら大変な事に…』そう考えた。
彼もユリナと同じ思考をしていたのか団員たちに『今の雷で被害が無いかの確認を』とテキパキと指示を出す。
「ユリナ様、被害の確認の為に団員たちと共に屋敷の外に出ますが直ぐに戻ります」
「あの、ブライアン」
「どうされました?」
「加護を…少しだけですが、受け取って下さい」
「……!光栄です、状況を確認次第戻ります」
聖属性の魔法の練習を頑張って、加護を与える魔法を習得した私は、先程のマウンテンビッグボアを浄化する時に、浄化魔法を展開すると同時に、魔力の消費を抑える為にあの時は瞬間的にしか加護を与える事が出来なかったが、対象の人数が減ってしまえば多めに魔力を消費して効果時間を長くする事も出来る為、ブライアンが無事に帰って来れるように、と魔法をかけた。
――段々と小さくなっていくブライアンの背中を見ながら『…今度、二人でお出かけしませんか?って言えなかったなぁ…』とユリナは誰もいなくなった広間で、激しく降り始めた雨粒が窓にぶつかる音で掻き消されるぐらいに小さな声で呟く。
ユリナは大量の魔力を消費したせいで体力があまり戻っておらず、そのせいで腹の虫が鳴ってしまう。
先程、雷鳴に驚いてしまい落としてしまったシルバーを拾い、新しいものに代えてから、誰もいない広間で食べかけの食事に再び手を付け始めた。




