2話【騎士ブライアン】
第二騎士団の団長ブライアンが倒れてから翌日。目を覚ましたという報告を受けた聖女は、医務室に足を運んだ。
「聖女よ、よく来てくれた」
「国王陛下!あの…騎士様は大丈夫なのでしょうか?」
「ああ、貴女の聖なる力のお陰で、何処にも怪我はなく、五体満足だ」
意識が混濁している様子もない。との事で、どうやら本当に身体の何処にも怪我は無いらしい。
開かれたカーテンの先に、医者と会話しているブライアン様が見える。
琥珀色の瞳がカーテンを引いた音でコチラに向けられた。初めてバチリと視線が交差して、思わず王様の後ろに隠れるように一歩下がってしまった。
ブライアン様は、ゆっくり立ち上がって恭しく利き手を左胸に当てて自己紹介をしてくれる。
「第二騎士団の団長を務めています、ブライアンです。聖女様に命を救って頂いたとお聞きしました。ありがとうございます」
鼓膜を震わすのは低いのだけど低すぎない、程よく聞き心地の良い声、甘さは控えめで凄く好きな声だ。
「突然倒れられたのですから、私は当たり前の事をしたまでで」
「聖女よ、そう謙遜するな。貴女の魔力は膨大な量だったはずだ。そんな魔力を消費しきって体力まで削ったのだから、相当な事だ」
ハーランド陛下が言っているのは、昨日のブライアン様を助けた時に消費した魔力のこと。
あの紫色のモヤモヤが視えたという事実を伝えれば、どうやらアレは王族や聖女、そして王族や聖女とまではいかないが神官や神父、シスターなどの聖なる力を持つ者にしか視えない瘴気と呼ばれているモノらしい。
「我々王族も聖なる力を持って産まれる。だが、瘴気を完全消滅させる力を持って産まれる者は稀だ。聖女ユリナの聖なる力は、かなりの強大さを持っている事が証明されてしまったな」
まるで証明されてしまう事がマズイ事なのではないかというぐらいの深刻さを帯びた言葉に、思わずハーランド陛下を見上げてしまう。
「ユリナよ、本日の午後に神官が城に来る手筈だ。そこで改めて貴女の持つスキルなどを調べ、正式に聖女として迎え入れる事になる」
まるで今の内に覚悟を決めておけと言われているようで、心に不安が募っていくが、それを察してくれたのか王様は『不安もあるだろうが…私たちとしては、この世界に貴女が居てくれるだけでも有り難い事だ』と言ってくれた。
そんな言葉を素直に受け止めて、私はしっかり頷く。
「そして護衛の騎士の件についてだが、ブライアンに任せようと思っている。それでも良いか?ユリナよ」
「はっ、はい!よろしくお願いします!」
別に断る理由もないので了承する。
なにより、この世界に来てまだ二日目だ。顔と名前が分かる人はハーランド国王陛下、総騎士団長ジークフリート様、メイドのリディア、そして第二騎士団長のブライアン様だけだ。
先程、城に来ると言っていた神官の顔も知らなければ、名前だって分からない。
「ブライアン、聖女の護衛を任せたぞ」
「承知致しました」
私より遥かに背が高いブライアン様が目の前まで来て跪く。そのまま右手を優しく引かれ、右手の甲に口付けされる。
反射的に手を引っ込めそうになるが温かな唇の感触が離れるまで、なんとか我慢する。
唇が離れ、ブライアン様の視線が私の視線と交差して、時間にしたら数秒だったのかもしれないが体感は数分のように感じた。
顔に熱が集中しているので、たぶん顔が赤くなっているんだと思う。
「よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いします…!」
あの琥珀色の瞳はかなり危険だ。吸い込まれそうな、あの瞳は目が離せなくなりそうになる。
午後から神官が来るという事も、なんだか少し気が重いなと思いつつもブライアン様と共に与えられた部屋へ戻ることとなった。
♢♢
ブライアン様に部屋へ送って貰ってから数十分。リディアによれば、騎士は護衛対象人物の部屋の外で待機することが多いのだと説明してくれた。
私的には、どうしてあの時中庭に居たのかお茶しながらでも聞きたかったのだが、ブライアン様には騎士としての役目もあるから…。などとお茶に誘おうか悩んでいる。
「ねぇリディア」
「どうしました?」
「ブライアン様をお茶に誘っても、いいのかしら?」
かなり小さな声だったと思う、一枚隔てた扉の先に居るブライアン様に聞こえないように出した声は思いのほか小さくて。それでも、リディアはしっかり聞いてくれていたらしく少し悩む素振りを見せた。
「そうですね…親しい間柄だとお茶をしている姿を見た事がありますよ。ハーランド陛下やジークフリート様は、良く一緒にお茶をされていると聞きます」
リディアの言葉になるほど…と頷く。
でも私とブライアン様は、先程お互いに自己紹介をしたばかりで親しい間柄とは程遠い気がする。
「なにかお聞きしたい事でも?」
「…リディアはエスパーなの?」
「いいえ、ですが何かを聞きたそうな顔はしてます」
転生する前は体調が悪くても全く表情に出ないから、誰からも心配されずに仕事を終えた事もあったのにリディアには何故かお見通しらしい。
「その…さり気なく聞いて欲しいのだけど」
遠征から帰還したばかりの日、なぜあの中庭に居たのか。ずっと疑問に思っている事をリディアに伝えれば『分かりました、聞いてきます』そう言って一礼してから部屋を出て行く。
あまりに早い行動に呆気にとられ、口があんぐり開いてしまったが誰かに見られる前に閉じる。
何やら話し声が聞こえるが、どんな内容かまではこの距離だと聞こえない。
気になって仕方ないが、気を紛らわす為にリディアが淹れてくれた少し冷めてしまったストレートティーにミルクと砂糖を入れて飲む。
「美味しい」
「それは良かったです」
「っ!!?ごほっ、ごほ!び、びっくりさせないでよ」
突然右隣から声が聞こえたと思ったら、リディアが戻って来ていた。
どうやら収穫があったらしく口角を上げている。
「ブライアン様が中庭に居た理由ですが…」
リディアの口から語られたのは、数百年前に存在した聖女の事だった。
どうやらサイフィンス城の中庭に、その聖女の聖なる遺物が埋められており一部聖域化しているらしい。帰還途中の時点で身体に異変を感じていたブライアン様は、聖域となっている場所まで赴く為に帰還報告もそこそこに中庭に出向いていたとの事だった。
「なるほど…体に違和感があったんだ」
「聖なる力を持っておらず、瘴気が可視化されていなくても何かしらの異変は感じます」
瘴気が及ぼす影響は体調を崩したり、魔物の発生率が上昇したり、土地自体が枯れてしまい作物が育たなくなる等の影響があるとの事。
聖女として召喚されたのに知らない事ばかりだと実感する。
「リディアは中庭に聖女の遺物が埋まっている事を知ってたの?」
「いいえ、ブライアン様からお聞きするまで知りませんでした」
聖女の側仕えとして任命されたメイドであるリディアが知らないということは、ブライアン様などの騎士団長クラスの身分の方にしか明かされていない秘密なのかもしれない。
「リディア、ブライアン様に聞いたこと他言しちゃダメよ」
「……承知しました」
少し驚いた様子のリディアだったが、間を置いて返事をしてくれた。
更に冷めてしまったミルクティーを飲みながら、神官が城へ訪れる時間まで再び気が重いまま過ごすことになってしまった。