第18話【リディア・グランヴィル】
ユリナ様たちが部屋を退出してから数分も経たずに、大きな咆哮が邸宅を揺らす。
「いまのは!?」
「間違えようがない、マウンテンビッグボアだ…!」
「ユリナ様とブライアン団長に合流しよう!」
アルフレッドの言葉に頷きながら、父には声をかけずに部屋を早足で退室した。
咆哮が響き渡ったからなのか、公爵家の騎士たちも屋敷内を駆け回っている。
一階へ続く階段をアルフレッドと共に駆け下りていけば、何やら話しをしているブライアン様とユリナ様の姿が視界に映ったため声をかけた。
「リディア、アルフレッドさんも」
「ユリナ様…!お顔色が優れないようにお見受けします」
「だ、大丈夫、ただ…」
そのあとに続いた『マウンテンビッグボアからも、私の居場所が分かるみたい』という言葉に私もアルフレッドも驚きを隠せない。
「マウンテンビッグボアからも…という事はユリナ様も相手の位置が分かるのですか?」
アルフレッドから純粋な疑問を投げかけられたユリナ様はゆっくりと頷いた。
聖職者は瘴気の色のようなものが視覚的に見ることが出来るのは知っていたが、位置まで把握出来るとは――と驚いていたのだが『以前から、瘴気を纏った一際強い個体の位置を把握した事はありましたか?』とブライアン様が尋ねれば首を左右に振りながら『位置の特定まで出来たのは今回が初めて…』と不安や困惑などといった感情が混じる表情を浮かべてユリナ様は両手を固く握りしめていた。
マウンテンビッグボアは咆哮を上げはしたものの、こちらに来ている気配は無い。
ユリナ様の位置を特定はしたが、屋内に滞在しているため襲って来ないのだろうか?
疑問は尽きないが、この状況でユリナ様が外に出てしまうのは危険極まりない行為だ。
「ブライアン様、ユリナ様の事は我々にお任せください」
「…アルフレッド、リディア、ユリナ様を頼む」
ブライアン様は頷き、そう告げたあと邸宅を去っていく。
玄関のドアを一枚隔てて聞こえてくる隊員達を纏める声を聞きながら、ユリナ様と共に安全な場所に移動しようとすれはアルフレッドが静止してきた。
「相手に位置がバレているなら下手に動かない方がいいと思う」
「なんで、そう思う?」
「ユリナ様、マウンテンビッグボアが動いているかどうか分かりますか?」
アルフレッドの問いかけに、肯定の頷きを返したユリナ様は『動いてはないみたい…ただ、ジッと見つめられてる様な気配はします』と目を閉じ意識を集中させながらそう答えた。
「こちらの出方を窺ってるってことか?」
「そうだろうね、そしてユリナ様が自身にとって一番の脅威だと、どうやら理解しているみたいだ」
今回のマウンテンビッグボアのように、増え過ぎた魔物の中には、突然変異を起こしてその個体の中で一際大きく、強い力を持つ個体が出現してしまい周りもその能力に引っ張られ凶暴性が増したりといった事は良く聞く事例だが…人の居る位置まで特定するという個体が居たという事例は聞いた事が無かった。
憶測を語ったアルフレッドも初めての知った事だったのか、二人で顔を見合わせる。
「もしかすると、ユリナ様の聖属性の力が他の聖職者よりも強力な為に相手からも分かりやすい、というのがあるのかもしれません」
「…私が瘴気を纏う強い個体の魔物が分かるように、魔物側も一番強い聖属性魔法を扱える者が分かる…かもしれない?」
ユリナ様が語った憶測にアルフレッドは肯定するように頷きを返す。
つまり、この憶測が正しいのであれば、ユリナ様がこの場から動けば相手も動きを見せてくるかも知れないということ。
マウンテンビッグボアが咆哮を上げたことを考えれば、興奮状態にあることは確かだ。
下手に動いて刺激をしてしまうと、邸宅の方へ向かってきてしまい陣形が整いきっていない騎士たちの下へ突進し暴れてしまう可能性を考慮するのならば、ユリナ様はこの場に留まることが正解なのだが…。
「ユリナ様、浄化は距離が離れていても可能なのでしょうか?」
「この距離では無理かな…せめて、門扉の前まで引き付けて貰えれば届くと思う」
「ここから門扉まで…?」
私の疑問に誠実に答えてくれたユリナ様だったが、そのかなりの範囲の広さに驚いてしまう。
中庭までは引き付けなければならないだろうと想定していた私とアルフレッドは顔を再び見合わせる。
「俺は、この事を団長に伝えて来ますのでユリナ様はリディアとここでお待ちください」
「あ…待って!」
アルフレッドが玄関の方へ踵を返したと同時、ユリナ様が声を上げた。
少し言いづらそうにしているユリナ様は、暫く悩む素振りはあったものの意を決したのか言葉を紡ぐ。
「…浄化魔法を範囲展開させるためには数十秒はかかると思います。それと、展開が終わったあとは私が魔力を使い果たして倒れる可能性がある事も、ブライアンに伝えてください」
ユリナ様の言葉を聞き、聖なる力を保持していない自分自身に腹が立った。
瘴気を纏う魔物を倒す事は出来ても、根本的な原因である瘴気の浄化自体は聖なる力を持つ者たちに任せる事しかできない。
魔物に関しては無力ではないが、瘴気に関してはあまりに無力だということを痛感してしまう。
マウンテンビッグボアをまだこの目で確かめる事は出来ていないが、咆哮の大きさから考えれば体長三~四メートル程はあるだろうと予想出来た。
普段であれば、これ程の大きさを持つ個体に対して聖職者が少なくとも十人がかりで対処しなければ浄化が完了出来ないと聞いた事がある。
だが、今回ユリナ様だけがグランヴィル領に赴いた、という事は【聖女の浄化の力】は聖職者十人分――いや、もしかするとそれ以上の人数分をたった一人で賄えてしまうということに他ならない。
ユリナ様が一番最初の浄化任務を行ったトロントは、まだ瘴気に侵され始めたばかりで力を蓄えている状態だったために、凶暴性は比較的抑えられていたのだと聞き及んでいた。
だが、今回は?トロントのように瘴気に侵されている時間が短いとは限らない、それに巨大な体躯を持っているとなれば、かなりの魔力を消費してしまう事はユリナ様の口から聞くまでも無く理解出来ていたのだが――それを言い切るユリナ様の姿はあまりにも凛々しく、清廉だった。
「承知しました。団長に必ずお伝えします」
「お願いします、アルフレッドさん」
ユリナ様の言葉を聞き届けたアルフレッドは、一礼してから庭の方へ駆けていく。
アルフレッドの背中が見えなくなるまで見送ったあと、再びユリナ様の方に向き直る。
「ユリナ様」
「どうしたの?」
「グランヴィル公爵家の長女、リディア・グランヴィルとして再びお願い致します。どうか、どうか…瘴気の浄化をお願い致します」
声は震えていなかっただろうか?上手く、言葉に出来ていただろうか?
私は、この領地のために何か出来ているのだろうか?腕を怪我して騎士になることは叶わず、王宮のメイドになった私にグランヴィルの名は相応しいのだろうか?
「うん!任せて。だからリディア、大丈夫だよ泣かないで」
そう言われてはじめて、私は涙を流していることに気づいた。
ユリナ様はハンカチを取り出して、私の頬を伝っている涙を拭う。
「不安?」
「いいえ。自分自身の不甲斐無さに悔しさが募ってしまって」
「……そっか…ねぇリディア、まだ剣は握れる?」
「え…?いえ、私は…」
「剣を振って欲しいではなく、剣を握れるかを教えて欲しいの」
「振れはしませんが、握ることは出来ます」
私はメイドにはなったが剣を振ることを諦めた訳じゃない。
毎日、メイドの業務が終われば、愛用の剣を手入れし、剣を持つことはしているが、怪我が治ったばかりの頃、剣を試しに振ろうと構えた瞬間に、腕が悲鳴を上げ剣が手のひらから滑り落ちた時の絶望を今でも鮮明に覚えている。
その時からだ、剣を振ること自体が怖くなり、騎士であり続けることが怖くなった。
「じゃあ、リディアが使ってた剣と同じものは、このお屋敷にある?」
「ええ…私が騎士見習いになった時に、母が贈ってくれた剣があります」
「リディアが剣を握っている所、一度も見たこと無いから見てみたいな~」
キラキラと瞳を輝かせながら、私が剣を握った所を見たいと言うユリナ様にジッと見つめられて根負けした私は、数年振りに自室へ剣を取りに向かった。
♢♢
ガチャリと音を立てて自室のドアを開ける。
家を出た直後と何も変わりのない部屋――部屋は埃が積もる事も無く、剣に錆び付いた所は一つも無い。
父が、わざわざ屋敷のメイドに言いつけ部屋の掃除をさせていたのだろうか?
――では、剣の手入れは誰が?この剣の手入れは私を含め、爺やか父様しか出来ないはずだ、弟が手入れしてくれていたとしても今の身長では無理があるはずだ。
いや、今はそんな事はいいと頭を振りながら、己の身長と二十センチ程しか変わらない、壁に掛けられた両手剣を持ち上げる。
大丈夫、持てる。グッと腕に力を込めて両手で剣を持ち、銀色に光る剣を見つめて安堵の息を吐く。
帯刀するためのベルトに両手剣を差してから、剣と共にあった母の肖像画に向かって私は『母上、どうか見守っていてください』と決意を固め、両手剣を背中に背負いユリナ様の下へ向かう。
「お待たせいたしました」
「お帰りなさい。…?もしかして背中にあるのって」
「はい、わたしの剣です」
「ええ!?ブライアンやアルフレッドさんが持ってるものより大きいのね…?」
「はい、二人が持つ剣よりも恐らく長いかと」
けれど、百九十センチもある大男が私と同じぐらいの大きさの剣を持っていたとしたら、私が持った時と彼らが持った時とではかなりの印象の差があるだろう。
そんなことを考えながら息を吐いて呼吸を整える。
背中に背負っている剣を引き抜いて、両手でしっかりと柄の部分を握った。
「腕は痛かったりする?」
「今の時点では痛くありません」
心配そうにこちらを見つめるユリナ様に『大丈夫ですよ』と言いながら剣を納めようとすれば、再び咆哮が上がり、調度品などが揺れているのが目視出来る。
「ユリナ様!!庭先までお願い致します!!」
アルフレッドの叫ぶような言葉に私とユリナ様は反射的に身体が反応し、ほぼ同時に駆け出していた。
駆け出した先で確認できたのは興奮状態で、木々をなぎ倒しながら屋敷に向かって猛進しているマウンテンビッグボアの姿だった。
「なんであんな状態に?!」
「どうやら公爵付きの騎士団が以前から仕掛けていた罠を踏んでしまったらしく…だが、あの巨体だから損傷は軽微だろうね。そして気が立っている所に罠が発動したとなれば、こちらから攻撃を仕掛けられたと考えてしまうものだろう」
陣形の真ん中に位置する場所にブライアン団長の姿を確認したユリナ様は、浄化魔法を展開するべく祈りを捧げ始める。
その最中で偵察の騎士が声を荒げながら『団長!逃げて来ている子供の姿が見えます!』との報告が耳に入り緊張が走った。
それに更に追い打ちを駆けるかのように屋敷から息を切らして駆けて来た爺やの『リディアお嬢様、坊ちゃんの姿を見かけてはいらっしゃいませんか?』という言葉に嫌な予感しか浮かばない。
どうするべきかを考えあぐねているうちに、ユリナ様が展開する浄化の魔法陣がブライアン団長が立っている庭の中腹までたどり着く。
「ブライアンお願い!!!」
「承知いたしました!」
瞬間、風が巻き起こり土埃が舞う。
再び目を開けた時にはもう既に団長の姿はそこには無く、先に駆けて来ている子供とその後ろから駆けて来ているマウンテンビッグボアの間に立っていた。
「リディアとアルフレッドさんも行ってください」
ユリナ様がそう言うと同時に、風の魔法が全身を纏う。
先ほどの風の巻き起こりの原因はこれだったのか、と一人納得する。
__だが、私は再びこの剣を振れるのだろうか?
「大丈夫だよ、私が…聖女ユリナの加護が付いてますから、私を信じてリディア!」
__そんな風に背中を押されてしまえば行かないとい選択肢は排除された。
ビュウビュウと風が耳元で鳴っている。
けれど不思議と冷たさを感じる事は無く、魔物の位置をハッキリと捉えることが出来ている。
「ルーク!」
「姉様!」
屋敷に向かって走っているという子供の正体は弟のルークだった。
「アル、ルークと一緒に一旦屋敷まで帰って」
「…!ああ、分かった。無理は禁物だよ」
アルが何を察してくれたのかは不明だが『行っちゃ駄目だ』と言わない辺り、私が再び剣を振れるようになる事を信じてくれているのだろうか?
しっかりと前を向き、マウンテンビッグボアを見上げたと同時、ブライアン様が吹き飛んだのが見えた。
「ブライアン様!!」
「気を逸らすな!敵を見ろ!」
剣で防御の形を取ったと同時に、今までに無い質量と重量を持った突進をくらう。
そのまま後方に何十メートルと押され、久々のこのヒリヒリとした感覚に少し笑みさえ零れる。
剣を使って、少しだけだがマウンテンビッグボアを弾き飛ばせば後方から声が掛かった。
「無事か?!」
「はい!無事です、屋敷まであとどれくらいでしょうか?」
「ここからは百メートル以上はあるだろうな」
まだ門扉のある場所まで魔法陣が届いていないため、少しの時間稼ぎは必要かも知れないが、このままマウンテンビッグボアが引き下がるとも思えない。
「最後の一撃は任せる」
「…は、い?なぜです?」
「ユリナ様に背中を押されたのなら、その雄姿を見せなければな」
そう言い残し、ブライアン団長は巨大な魔物に向かって行く。
私は駆ける、『私を信じて』とそう言ってくれたユリナ様の想いに応えるために。
「……母様、私に勇気をください」
母から贈ってもらった剣を見つめながら、屋敷を背にして門扉の前に立つ。
魔法陣は間もなく、足元に到着する。
ブライアン様への合図は、私が魔法の詠唱をすることで理解してくれるはずだ。
__なぜか?それは、私が得意としている魔法は雷属性の魔法だからだ。
その詠唱に伴い私の全身が雷属性を帯びてしまうので、その魔力を感知してくれる事を知っているので、魔法陣が足元に到達したと同時に詠唱を始める。
「雷よ、我が剣に宿りて力を放て」
決して長くは無い詠唱の後、ブライアン様が退いたのが見えた。
それを視認した私は、息を吐き出して意識をマウンテンビッグボアと手に握っている剣に集中させる。
「ライトニング・スパーク」
もうあと数歩分しか空いていなかった距離で、マウンテンビッグボアを仕留める。
いや、まだ瘴気を取り除けていないのだから、気絶させた、という表現の方が近いのだろう。
「そういえば、腕…全然痛くない」
右腕の肩に近い部分にそっと触れながら私はそう呟き、浄化を行っているユリナ様を見つめる。
見つめていたらユリナ様と目が合い、ユリナ様からの笑顔が向けられて、少し恥ずかしくなってしまい目を逸らしながら彼女の下へ向かう。
「お疲れ様、リディア」
「ユリナ様もお疲れ様です」
ユリナ様の元に着いたとほぼ同時に浄化の魔法陣の光が弱まっていき、ユリナ様は『ふぅ…』と息を吐き出して、少し疲れた様子で手招されたので静かに体を寄せればハグをされた。
「無事でよかった!」
「…!ユリナ様もご無事で何よりです」
私もユリナ様の背中に腕を回すべきか考えていたら、パッとユリナ様の体温が離れていく。
その背後に視線を移せば、父の姿が視界に入りユリナ様の前に立とうと一歩踏み出そうとすれば、どうやら肉体が思いのほか疲労を感じているらしく、ふらついてしまい、咄嗟に支えようとしてくれたユリナ様まで玄関先で座り込む事になってしまった。
「申し訳ございませんユリナ様」
「大丈夫だよ。今日一番頑張ったのはリディアだから、皆リディアに感謝しているはずだよ」
「…聖女様の言う通りだ。リディアもルークも無事で何よりだ」
涙を浮かべながらそう言って抱きしめて来た父に驚く。
「私は父親失格だ」
「そうですね、否定はしません」
「__おかえり、リディア」
「……っ…!た、だいま、父様」
背中に腕を回しながら、私はそう返す。
父の体温が離れるとユリナ様と再び目が合って抱きしめられた。
ユリナ様に抱きしめられながら、私より先に立ち上がった父を見上げれば『本日は、領地の危険な魔物討伐して下さった皆様に豪勢な夕食を提供いたしましょう!どうぞ、討伐の疲れと領地まで赴いて下さった旅の疲れも癒して帰られて下さいませ!』という言葉に第二騎士団の皆は声を上げた。
「ふふ、夕食楽しみだね」
「ええ…そうですね、楽しみです」
父の今までの態度や、それに対する蟠りは無くなってはいないし、当分許せそうにないけれど今日貰った『おかえり』という言葉と共に抱きしめてくれた体温は暫く忘れられないものになるだろう。




