15話【蒼の騎士】
扉を開けた先にはブライアンだけが居て、リディアは部屋を出ているようだった。
リディアが用意してくれていた着替えの中に紙ナプキンもあって、この世界にも紙のナプキンあるんだ…!と感動と共に安堵したのを思い出していればブライアンに名を呼ばれる。
「ユリナ様」
「は、はい!」
「リディアはお茶の準備をするため出ております、よろしければ此方に」
窓際に配置されているテーブルセットの方に手招かれ、引かれていた椅子に腰をかければ、ブライアンはそのまま流れるように跪く。
「ブライアン…?」
「ユリナ様、何かして欲しい事があれば申し付けください」
え?あれ?思ったより、重く受け止められてしまってる…?
なんて、言うべき?確かに吐き気もするし、腹痛もあるけれど、温まったから随分と気分は良くなっているし、何よりこの症状はいつもの事だ。そんなに心配することではないと思った。
――だから『心配ありがとう。でも大丈夫ですよ…月のものが来た時は、いつもこんな感じですから慣れてます』と笑顔で返せば、困惑しているブライアンと目が合う。
「?…あの、ブライアン?」
「いえ……俺に、なにか出来ることはありますか?」
何かを言おうとして、その言葉を飲み込んだ様子で再び『出来ることはありますか?』と真っ直ぐ見つめられてしまえば、なにか答えなければブライアンはずっとそのまま動かないつもりなのだろうな…と想像出来てしまい、少し考える。
「うーん……あっ!そうだ、キャンドルに火を付けてくれない?」
「キャンドルに?」
「リディアが寝付けない時用に、って用意してくれたものがいくつかあって」
寝付け無い時のために用意してくれたキャンドルは、仄かに香りが漂うもので、様々な種類を用意してくれていた。
椅子から立ち上がって、キャンドルが収納されている棚を探しながら、この世界の言語で【バニラ】と書かれているキャンドルを手に取って、ブライアンに手渡す。
ブライアンの人差し指に蒼い炎が現れ、キャンドルに灯されて揺らめく。
「あの」
「どうされました?」
「ブライアンのその蒼い炎について、聞いてもいいですか?」
確か、リディアは蒼火って言っていたっけ?彼女に聞きそびれてしまったので、本人に聞いてみたのだが…少し考える素振りが見えたので『イヤなら、言わなくて大丈夫ですよ』そう声をかければ『いえ、この蒼火については不確定な情報ばかりで、どうお伝えすればいいのか…』と悩んでいる様子だったので、話して欲しいとお願いすれば、キャンドルを少し見つめたあと椅子に腰を落ち着けて、ゆっくりと話をしてくれた。
まず話してくれたのは蒼色の火魔法を使える者は現在においてブライアン一人だけだということと、蒼色の火魔法を扱う者は過去に聖女と共に浄化を行っていたらしいということ。
「らしい、とは?」
「不確かな情報なのです。聖女様の侍女頭が付けていた日記に、蒼い火の魔法を使う者を見かけたことがある程度のものらしく、その者が実在していたかどうか確証が得られる文献は見つかっていないのです」
なるほど、と私は頷いた。
ブライアンから更に説明があり、どうやら過去に聖女が居た時代から現代まで、確証があるわけではないが、その人物とブライアンだけしか蒼色の火の魔法を使う者は確認されていないのだと言う。
「火の魔法は赤色が一般的です。それ以外の色を使う者で先天的な者は希少で、後天的な者はその魔法の扱いに長けている事が多く、後者の方が圧倒的に多いとされています。それでも数はかなり限られていますが…」
「ブライアンは、どちらなの?」
先天的なのか後天的なのか疑問に思い、何も考えずに疑問を投げかけてしまった。
「あっ…ご、ごめんなさい、わたし」
「いえ、大丈夫ですよ。俺の場合は生まれつきです」
私が謝ったせいか、それとも答えにくい質問をしてしまったせいなのか…ブライアンは困ったような笑みを浮かべながらも、疑問に答えてくれる。
生まれつきか、生まれつきじゃないか、なんて軽々しく聞いていいものではなかったな…と反省する。
ましてや、ブライアンが努力して積み上げて来た結果の魔法であった場合、かなり失礼な質問だったことは酷く理解できた。
「すみません、失礼な質問をしました…」
「この手の質問には慣れていますので大丈夫です、ご心配頂きありがとうございます」
キャンドルの火がゆらりと揺れるのを見ながら、さっき言ってしまった自らの『いつものことだから慣れています』という言葉を思い出して、今ブライアンが言った言葉が重なり、胸が締め付けられる。
大切に思っている人から『いつものことだから慣れています』と言われてしまうのは、こういう風に胸が苦しくなるのだと初めて知った。
さっき私が『慣れています』と言った時に、困惑している表情だったブライアンも同じだったのかな…?いや、でも…ブライアンから直接的に想いを聞いたわけではなく、あくまでブライアンが私を想っているのではないかというのはリディアの憶測であって、ただ護衛の騎士として、護衛対象を心配しているだけかもしれないし…。
「ユリナ様?」
「はっ…!はい!」
「やはり、お加減が良くありませんか?」
「いえ!すみません、少し考えごとを…」
「…そうですか」
ブライアンは私の考えごとについて、言及する事はなく『そういえば、ノエル隊長に庭園に咲いている花のお話は出来ましたか?』と問われ、数回瞬きをする。
「い、今のいままで忘れてました…!」
本当にすっかり忘れていた。最近は、目が見えなかった事もあり自分自身のことで精一杯でブライアンが今言ってくれていなかったら、次に庭園へ赴くまで忘れていたかもしれない。
笑んだ息を零しながらブライアンは『ふっ…そうですか、俺から伝えておくことも出来ますが、如何されますか?』と言ってくれた為、きっと私よりノエルに会う回数が多いであろうブライアンの言葉に甘えることにして、伝えてくれるようにお願いをした。
ブライアンは私の護衛騎士、リディアは私のメイドという役目があるため毎日顔を合わせる事が出来るけれど、ノエルやリュードとは中々顔を合わせる機会は無い。
かたや魔導部隊隊長、かたや国の神父たちを纏める神官。二人とも大きな肩書きを持つ人物の為、城内ではもちろん、城外でも会うことは少ないのだ。
「ユリナ様」
「はい」
「気分転換に庭園まで散歩など…」
ブライアンが言葉を言いかけた所でノックと共に『ご歓談中、失礼致します!グランヴィル領で、瘴気の魔物が確認されました!陛下から、至急の要請がございます!』と、慌てた様子の騎士団員からの報告を受けた私たちは顔を見合わせ、共に頷き、陛下の待つ場所まで急いだ。
♢♢
ノックをし『入ってくれ』という陛下の声を聞き、ブライアンと共に陛下の執務室に足を踏み入れた。
そこには何故か、リディアも居たのだが疑問を口にする暇もなくブライアンが先に事情を伺い始める。
「近年、グランヴィル領での瘴気の発見はなかったはずです。なぜ瘴気の魔物が?」
「ああ…どうやら、グランヴィル領が治めている鉱山の奥深くで瘴気が発生していたらしく、その瘴気に当てられた魔物が鉱山から降りてきているようなのだ」
陛下の冷静な報告を聞きながら、リディアを見れば凄く苦しそうな表情をしていて『リディア、大丈夫?』と声をかければ『ええ…まだ人に被害が出たという報告はありませんから、大丈夫だと思います』そう気丈に振舞っているが、きっと領地内に家族などの大切な人がいるのだろうなと感じるぐらいの心配の仕方だった。
「ユリナよ、頼めるかい?」
「はい!精一杯、頑張ります!」
「ブライアンも頼んだよ」
「承知致しました」
私たちは急ぎ出立の準備を、と言われ部屋を退室しようとしていたら『私も行かせてください、陛下!』とリディアの声が響いた。
「リディア…」
「無理を言っているのは承知しています!ですが…っ」
あまりにも強く握られている拳を見て、私は息が詰まりそうになる。
あんなに辛そうな表情をするリディアを見たのは初めてで、思わずブライアンを見上げれば目が合い、何かを思案するように目を閉じたあと、再び開かれた目と目が合う。
「……彼女の名前は、リディア・グランヴィル。その名の通り、グランヴィル領は彼女の父、グランヴィル公爵が治める領地。そして、彼女の生家がある場所です」
私にしか聞こえない程の声量でブライアンは喋ってくれているはずなのに、やけに大きく、そしてハッキリとその言葉は脳内を駆け巡った。