10話【庭園の花】
――翌日、ブライアンに会った直後『素敵な香りを纏ってらっしゃいますね』と微笑まれた。
「リディアがお風呂に薔薇の花びらを散らしてくれて、その香りかな?」
「…そうでしたか、今日は何かご予定でも?」
「魔法の勉強ぐらいしか予定は入ってないけど…?」
「承知しました」
他にも何か言いかけてたみたいだけど、飲み込んだみたいだった。
そういえばピアスを身に付けてくるのを忘れてしまった事に今更気付いた。
まだ魔法を教えてくれる先生が来るまで時間がある事を確認して部屋に戻ろうとすれば『どちらへ』と声が掛かったため『自室に忘れ物を取りに』と伝えれば、頷きを返してくれたので、どうやら付いてきてくれるようだ。
城の中でも護衛の為に付いて来てくれているのは大変だろうなと思う。
「ブライアンは私と一緒に居て楽しいですか?」
「なぜ、そのような事を?」
「あ、いえ、深い意味は無くて…私、口下手だし、その、つまらなくないですか?」
「いいえ、つまらないと思ったことなど一度もありません。それに貴女と一緒だと心が楽しく、穏やかになります」
力強く、私の言ったネガティブな言葉を否定したブライアンと目が合った。
輝きを放つ彼の瞳は、日本人の私が生まれ持った黒色の瞳とは全く違っていて……というか、いまこの世界に聖女として召喚された私も、自分自身では確認できていないが綺麗な朝焼けのような瞳らしいのだがブライアンの瞳は日に日に輝きを増しているように見える。
「ありがとう、ございます。嬉しいです、そう言って頂けて」
ブライアンがかけてくれた言葉は嬉しい。でも、それは本当に?
彼がわたしに気遣ってくれていて、本当はつまらないと思っているのにそう言葉を選んでくれたのではないかと疑ってしまう。
いや、彼がそんな人間性の方ではないという事を、彼が今まで示してくれた行動から良く分かっているつもりだ。
この数週間で分かったことは、ブライアンは私とは正反対で、思ったことを素直に言う人だということ。
最初は勝手なこちらの第一印象だけで、あまり喋らない方なのかも…と思っていたが、そんな事はない。
凄く穏やかに、私が言葉に詰まっても根気強く急かさずに待ってくれる人なのだ。
「ユリナ様?」
「はっ…!あ、すみません!それでは、忘れ物を取ってきますね!」
ブライアンのことを考えていたら、いつの間にか自室に到着していたらしく慌ててピアスを取りに戻る。
小さな包みからピアスを取り出し、ドレッサーの鏡を見ながら彼から貰ったビアスを身に付けて部屋を出るのは酷く緊張していたが、深呼吸をした後…意を決して扉を開いた。
♢♢
――自身が贈ったピアスを身に着けているユリナ様に視線を奪われる。
キラリと輝きを放つソレは、ユリナ様の輝きをより一層の引き立たせており、あの宝石を選んで正解だったと思わせてくれた。
「とても良くお似合いです」
「あ、ありがとう、貴方から頂いたものですから、失くさないように大切にします」
この世界とは違う異世界から来た彼女は、纏っている空気がどこか違う感じがしている。
不思議な感覚だ、今すぐに元の世界に戻ってしまいそうな儚げな雰囲気がありながらも凛とした表情が崩れることはないが、誰かに頼るのが苦手なユリナ様が恥じらいながらピアスに触れている姿に見惚れてしまう。
今回は命を助けて頂いたお礼としてピアスをプレゼントさせて頂いたが、次はユリナ様の誕生日に贈り物をして再び喜んでいる姿を見たいものだと思う。
「ユリナ様」
「は、はい!」
「授業の時間まで少し庭園を散歩しませんか?」
俺がそう提案をすれば、驚いた表情を見せたあと嬉しそうに頬を綻ばせた彼女は柔らかな笑顔で『ぜひ、もう少し庭園を見て回りたいと思っていたんです!』という言葉にこちらも肩の力が抜けていく。
本当に凄いお方だ、と少し先を歩いているユリナ様の後姿を見る。
この世界は彼女の住んでいた世界とは違うはずなのに、こんなにも穏やかでいられるなんて……そういう部分も含めて聖女としてユリナが選ばれたのだろうなと妙に納得してしまう。
――だが、そんな不安を抱え込んでしまっているのではないかと、少し心配をしてしまう自分もいた。
誰かに頼るのが苦手なユリナ様は、誰にも弱音を吐かずに頑張っているのではないかと。
いや過剰な心配も良くないと理解しているつもりだ。しかし、この世界に召喚されてまだ二週間ほどしか経過しておらず、不安が無いと言う方がおかしな話だろう。
俺よりも小さな背中にこの国のこれからが重く伸しかかってしまうのだと考えるとあまり気乗りはしない……だが、聖女の力に頼らなければ魔物の増殖が止められないのもまた事実だ。その証拠に百年も前に聖女が召喚された文献などが少なからず残っているのだから。
庭園にはその聖女が残した聖なる遺物が眠っているとされているのだが、実際に誰かが見たり触れたりした記録は残っていない。
不思議と力が湧いてくるような感覚もある――けれど、ここに本当に眠っているのかどうか確信できるほど『何か』を感じるほどの能力が俺には無い。もしかするとユリナ様はなにか感じているのかもしれないが、特に変わった様子もなく庭園を散策されている。
庭園に設置されている時計を見れば、目的の時間まであと十分を示していたので『ユリナ様、そろそろお時間です』そう伝えると観察していた花から視線を外して『はい、行きましょうか』と先ほどまで視界に入れていた花を気にされながら、城内へ歩みを進められた。
――花に何か感じるものでもあったのだろうか?
あの花々はこの庭園にずっと咲いており、なにか異常などあれば魔導部隊が一番に調べているはずなのだが……。
「ブライアン?」
「ッ!すみません」
「考え事ですか?」
「ええ、ユリナ様は花がお好きなのですね」
「はい!可愛いですよね、あのお花」
あのお花と言いながらユリナ様が指差したのは先ほどの花々が咲いている花壇だった。
花は危険なものではないのだろう。けれど、少し気になってしまうのはユリナ様の身の安全を心配しすぎているせいだろうか。
「ブライアン、行きましょう!」
「はい」
ユリナ様に名を呼ばれ、ようやく歩き出す。
少しばかり元気になっているような気がするユリナ様の姿を見て不思議と心配していた感情は薄れていった。