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腐れ縁のふたりシリーズ

【短編】腐れ縁の公爵令息から初夜達成を条件に契約結婚を迫られていますが、離婚してくれなさそうだから嫌です!

作者: 燈子

番外編(二人の周囲の苦労譚・悪役令嬢やヒロインになるはずだった人々etc.)を開始しています。上の「腐れ縁のふたり」シリーズからどうぞ。

「え、絶対嫌ですけど?」

「なぜだ!?」


目の前の超絶美形令息が提示してきた『うまい話』を、私は猜疑心丸出しの半眼でお断りした。


「カミラ、なぜ断るんだ!?」

「いや意味がわからないので普通に無理です」


目の前の男は、国で一番威勢が良い公爵家のご令息であり、腐れ縁の友人でもあるコーリーだ。彼が提示してきた条件はざっくり言うとこうだ。


・コーリーと結婚する

・コーリーと初夜を達成する

・初夜達成以外に条件はない

・カミラに公爵夫人の業務は負担させない

・カミラの自由を約束する

・二人でいつまでも幸せに暮らす


「だって不可能でしょ」

「どれが?」

「全部!!」


どれもこれも不可能だろ馬鹿なのか。

私はしがない金なし男爵家の五女だ。公爵家に嫁ぐとかあらゆる面で無理すぎる。


「初夜だけ達成すれば君は晴れてお役御免だぞ!?あとは悠々自適に暮らすだけだぞ?」

「いやいや、どうやって?コーリーと結婚した時点でいろいろお役目も降ってくるでしょうが」

「大丈夫だ!一切やらなくていい!君には自由を約束する!」


何を自信満々に言い放ってるんだコイツ。公爵家嫡男の妻が引き篭もりで遊び暮らしてたら国中で非難囂囂の笑い物だろうが。

それにそもそも、コーリーが約束してくれるという自由ってのが信用ならない。


「この契約書の自由って、公爵夫人の業務からの自由でしょう?それとも初夜だけ達成したら離婚してくれるの?」


離婚を確約してくれるなら、この話に乗らないでもない。しかし、コーリーは眉を顰め、極めて難解な問題にでも向き合うかのような険しい顔で首を振った。


「……いや、それは分からん。なにせ体を重ねると情が芽生えると聞くからな。抱いたら好きになるかもしれんから約束できん」

「なんだそれ」


やっぱり全然信用できない。


「でも公爵夫人としての面倒な業務はやらせない」


必死に言い募るコーリーに、私はもはや呆れてため息しか出ない。やらせない、というか、私にその仕事は出来ない、の間違いだろう。


「まぁ男爵家の五女には無理だものね」

「うーん、まぁ君の性格的にも向いていないだろうしな」


コーリーは言葉を選んでくれているが、生まれ持っての地盤がない私は、当然ながら人脈もない。本人の能力や資質なんかより、公爵家に嫁ぐ上で必要なのは家の力だ。私にはそれがさっぱりない。


「じゃあ初夜達成の後はどうするの?愛人になれと?」


契約書でパタパタと扇ぎながら投げやりに尋ねれば、コーリーは真面目な顔で否定する。


「情がうつった女を愛人にするわけないだろう」

「じゃあどうすんのさ」


話にならない。私は契約書をバサリと近くの机に放り投げ、テーブルの上のティーセットを行儀悪く引き寄せた。コーリーの真面目な性格を表すようにきちんと綴じられていた書類は、適当に投げてもバササササっと音を立てながらきちんと着地している。横目に見てもそこそこの厚みがある紙の束だ。私のメリットを延々と書き綴ってあって、無駄に長い。


「相変わらずコーリーって夢見がちよね。現実見てよ」

「君は現実主義すぎるよカミラ」


嘆きながらコーリーが手を差し出す。


「同級生のよしみじゃないか。ここは手を結ぼうよ」

「同級生ってだけならもっと候補はたくさんいるでしょう」

「僕の情けなさをよく知っている君が良いんだよ。じゃなきゃこんなお願い、出来やしない」

「……はぁ、ほんとうに情けない……」


この公爵令息との付き合いは意外と長い。入学式に行こうとして道に迷っていたこの馬鹿を助けてやった日から、丸五年だからね。

見た目が完璧すきて中身がポンコツなことを周りが気づかず、半泣きで講堂を探して彷徨っていたのを察して助けてやったのだ。




「入学生の方ですか?」

「そ、うだが」

「もしよろしければご一緒しても?私、あちらの講堂で合ってるのか心配で」

「!あ、あぁ、是非一緒に行こう!そうかあっちかあれかあそこか、小さくて分かりにくいな!」

「ほほっ、私は大きすぎて分かりませんでしたわ、さすが国立王都学園ですねぇ」

「はっはっは!そうだな!」




本当に初対面からポンコツだったな。


だが、当時十三歳にして見事な紅顔の美少年だったコーリーは、現在壮絶な色香を誇る美男子である。相変わらず外見だけは最強だ。中身がこんな残念童貞だとは、誰も思うまい。

なんなら社交界では、あらゆる美女を袖にしている罪作りな遊び人と言われているらしい。絶対見かけ倒しの外見のせいで噂が暴走しているんだろうなぁ。

だがまぁ、学生時代の友人であっただけの私には関係のない話だ。


「私は五年以内に未亡人にしてくれそうな爺子爵の後妻になって、さっさと金のある余生を送りたいのよ。邪魔しないでくれる?」


なぜか顔見知りになってしまっている公爵家の有能な侍女が丁寧に淹れてくれた紅茶を、まずは上品に啜る。いい具合に温かったので、二口目からは威勢よくごくりと飲んだ。私は猫舌なのだ。


「その目的で選ぶのがバイヤー子爵ってのが納得いかんのだ!あの好色ヒヒジジイに嫁いだら何されるか分からんぞ!」


目の前でコーリーは端正な美貌を歪めて、憤懣やる方ないとばかりに怒り狂っている。だが、そんなの承知の上に決まっているではないか。


「いや、結婚するんだから当然でしょ。処女のまま結婚生活クリアできるとは思ってないわよ」

「ああああ!なんでそんなに妙なところで物分かりが良いんだ君は!」


男爵家の五女が貴族の家に嫁げるだけでラッキーなのだが、そんなこと分かっていないのだろう。いや、分かっていても「カミラには勿体無い」と怒るのだろう。コーリーは()()()を高く評価してくれているから。


「白い結婚なんか期待してないわよ。一度しかない処女はなるべく高く売りたいの。私は処女を支払う代わりに、優雅な余生を手に入れる。完璧な計画よ」

「どこが完璧だ!カミラは自分の価値を安く見積もりすぎだよ!君は自分の身をもっと大事にするべきだ」


ほら、やっぱり。

学生時代から相変わらず、コーリーは面倒な正義感と道徳心をお持ちである。さすが良いとこの坊ちゃんである。


「あと嫁入り前の娘が何回も処女って言うな!そこは清い体とかなんとか言い換えろ!」

「あーもーうるさいなぁ」


お目付役の如く面倒臭いことを言い出したコーリーに、私はうんざりと息を吐いて、サクッと話の主導権を奪い返した。


「別にいいじゃないー、平民糞女のハニトラを一緒に潜り抜けた仲でしょ?ベッドの中まで助けに行ってやったでしょ?」

「うっ」


過去の黒歴史、もはやコーリーにとっては暗黒歴史とも言うべき話題を引っ張り出すと、コーリーは顔色をなくして体を小さくした。


「やめろ、思い出させるな!」

「大変だったわよねぇ、あの頭髪も脳内も桃色な女の相手をするのは……」

「うわぁああ!言うなッ」


コーリーは学生時代の三年間、なぜか己をこの世の主人公だと信じるピンク頭のアホ女に絡まれ続けたのだ。そして卒業前夜には、どうやったのか男子寮の中に忍び込まれて夜這いを仕掛けられ、大変な羽目になったのである。


「ううっ……いや、あの時は本当に助かった……」


項垂れるコーリーを半笑いで見ながら、過去に思いを馳せる。

卒業前夜。なぜか食事に睡眠薬を仕込まれていたらしく、目が覚めたら四肢が寝台の柱に拘束されていて絶望していたコーリーを助け出したのが、私である。




「えっ!?なんで続編の主人公がここにいるの!?設定の崩壊じゃない!?」

「ピンク頭さん、うるさいので黙ってくださる?」

「いや、だからなんで!?そんなのいやよー!!このタイミングで現れるキャラじゃないのにおかしうぐっむー!」

「お黙り」


意味不明の内容を喚きながら、雄叫びのような悲鳴をあげる平民女を、私はとりあえず護身術を応用して抑え込み、猿轡を噛ませた。これ以上この場に人を集めてしまい、高貴なご令息のあられもない痴態を他人に見せるわけにはいかなかったので。


「さて、これでよし。コーリー、大丈夫?未遂?」

「み、未遂だ!」

「間に合ってよかったわー」


縄でくくりあげた平民女を放置して、素っ裸のコーリーにシーツを被せてやる。その後に拘束を解いてやれば、半泣きでお礼が言われた。


「あ、ありがと……カミラ……」

「気にしないで。ひとまずここを片付けましょう」

「あの、……見た?」

「気にしないで。ひとまずここを片付けましょう?」


恐る恐る聞いてきたコーリーに、私はにっこり笑って同じセリフを繰り返した。私の意図を察して、がっくりと肩を落としているコーリーに彼の服を押し付け、私は朗らかに続けた。


「早くしてちょうだいな。これ以上男子寮にいると、私まで変態認定されかねないもの」

「そ、そうだね」

「こんなに品行方正に生きてきたのに、変態扱いされちゃ堪らないわ!就職に差し障るじゃない」

「そ……そうだね……ごめんね……」


落ち込んだコーリーが涙目で、私を上目遣いに見上げて呟いた。情けなくて、大層可愛い顔で。


「今日見たものは、誰にも言わないでね」

「もちろんよ」

「助けてくれてありがとう、カミラ」

「……気にしないで。友達でしょう」


悲壮な顔で半泣きだったコーリーの精神状態を考慮し、必死に真面目な顔を取り繕って対処したが、帰室して一人になってから爆笑した。

外面は完璧で、完璧令息とか言われてるくせに!あの間抜けな姿と、可哀想で情けない顔と言ったら!私がいなかったらどうなっていたことかと思うとわりと恐ろしくもあるが、でもまぁ未遂で助かったのだから良いだろう。

コーリーも大して気にしていなかったようだし。

……と、思っていたのだが。




()()で、完全に初夜不能の呪いかけられちゃったのねぇ」

「初夜失敗と言ってくれ!聞こえが悪い!」

「私たちしかいないんだからいいでしょ」


テーブルの真ん中に鎮座する茶菓子を手元に引き寄せ、遠慮なく頂戴する。コーリーが食べる気のなさそうな茶菓子ばかりだから構わないだろう。これは私向けのチョイスだ。


「あれ以来どんな魅力的な女がやってきても、寝室では恐怖に震えて役に立たないんだ」

「うーん、大変ねぇ」


悲壮な顔で打ちひしがれているコーリーには悪いが、私も己の破瓜がかかっているので気軽に了承しかねる。


「でもコーリー、高等研究機関に進学したんだから、卒業はまだ来年でしょ?もう少し猶予はあるじゃない。なんでそんなに急いで結婚したいの?」

「卒業したら二十歳、もう時間がないだろう!?」

「男はそうでもないんじゃない?」

「高位貴族は婚約も結婚も早いんだ!それまでになんとかしとかなきゃ!」

「へぇー」

「今まで婚約者なしで許されていたのが奇跡だ!早く対応しないと大変なことになる!」


なるほど、奥さんに不能であることがバレてしまうのか。というか、婚約者に不能であることを事前にお伝えしなければならなくなるのか。家同士の結びつきなのに、あとから子作りに問題があると判明したら一大事だものね。


「ありゃー、役立たずな息子を持つと大変ね」

「そんなことないからな!一人の時はちゃんと気合い入れて立ち上がるんだからな!」

「ふぅーん」


完全に駄目ってわけじゃないなら、そのうち回復するんじゃないの?と他人の私は思うけれど、本人にとっては一刻を争う一大事なのだろう。知らんけど。


「てか卒業早々に結婚して、そのまま離婚歴ありになってもいいの?」

「初婚という条件は男にはそんなに必要じゃない」

「身勝手ぇ〜、女の私はどうなるのさ」

「早く死にそうな爺と結婚するつもりの君には言われたくない。あと離婚するかどうかは結婚してから考える」

「私の希望条件とは違うなー?」


コーリーのご希望ばかり言われても困る。

離婚の約束さえしてくれれば、契約結婚しても構わないんだけどねー。……いや、よく考えたら。


「と言うか、結婚にこだわらなくても、要はヤッちゃえば良いのでは?」

「は?」

「だから、私と結婚なんて面倒な手間をかけなくても、どっかのご令嬢との初夜本番の練習がてら、娼館行って童貞捨ててきなよ。そうすれば呪いも解けるって」

「そんな簡単に言うな!見知らぬお姉様に手解きされるなんて繊細な僕には無理だ!それに僕はわりと有名人なんだぞ!?」

「守秘義務あるでしょ」


自意識過剰な青少年を白けた目で見るが、コーリーは真顔で真剣だった。


「無理だ……陰で『公爵家の完璧令息、息子は本物の愚息』とか言われたらと思うと耐えられない」

「……っふ」


きっと切実な悩みなのだろうが、あまりの語呂の良さに思わず吹き出しかけた。なんとか堪えたが、私が笑いを堪えて震えていることを察したコーリーに恨めしげに見つめられる。仕方ないでしょ面白かったのよ。


「完璧令息ねぇ……その二つ名、さっさと返上しなさいよ?学生時代から使われてるじゃない。そろそろ飽きない?」

「無理だ、今更」


喜んでいるわけでもなさそうなコーリーは、疲れた様子で首を振った。


「一度手に入れた名声をつつがなく手放すのは難しいよ。落ちぶれた印象を持たれてしまうからね」

「学生時代にあなたが()()だったのは、半分私のおかげでしょうに」


コーリーのあらゆるポンコツ言動を、私が綺麗にフォローし尽くしたからこそである。


「その通りだよ、心から感謝してる。あと君が居ないせいでメッキが剥がれそうでマズイから早く戻って来て欲しいです」

「さすがに正直すぎて笑っちゃうわよ」


私の両手を掴んで切々と語りかけてくるコーリーに、私は断った上でケラケラと遠慮なく笑った。本当に正直な奴だなぁと呆れる。

私が笑い終わるのを苦笑しながら眺めていたコーリーは、ため息を一つ吐いて真面目な顔で続けた。


「それは冗談としても、社交界では噂も命取りなんだ。平民の間なら面白おかしい冗談で済んでも、僕にとっては全てを失いかねない大打撃となりうる。下手な相手に知られるわけにはいかないんだ」


そして澄んだ瞳でじっと私を見つめてくる。言いたいことはよく分かったから、私もはぁ、とため息を一つ吐いて、己を指さして首を傾げてみせた。


「えー……だから私?」

「そう、だからカミラ、君だ」


力強く頷いて、コーリーは熱く語った。


「君のことは僕は誰よりも信頼している。そして君になら、どんな姿を見られてもダメージがない」

「なんでよ。使い物にならん愚息を恥入りなさいよ」

「君なら笑わないだろ?」

「いや笑うわよ、遠慮なく大爆笑するわよ。いいの?」


私の言葉にコーリーは困ったように笑って、「それでも良いよ」と頷いた。


「多分、君になら笑われても平気だと思う」

「なんでよ」

「君に馬鹿にされるのは問題ない」

「被虐趣味なの?良いところのお坊ちゃんに多いって言うわよね。女王様探したら?」

「話を逸らさないでくれるかい?わかってるくせに、意地悪だな」


コーリーが不貞腐れたように唇を尖らせて、拗ねたように睨みつけてくる。


「僕は、君のことを誰よりも認めている。自分より優れていると思う相手になら、笑われても気にならないということだよ」

「……あーもー」


恨めしそうに見つめてくるコーリーに、私はため息が止まらない。


「はぁ……まったく。しょーもない人ね、相変わらず」


差し出されたのは、あまりに無防備で純粋な本音だった。高価な身分のご令息とは思えないあけすけな好意に頭痛がしてくる。


「あーもーーー」


うんざりした顔で、私は自分の眉間をぐりぐりと押した。頭痛を治めるために。そしてついでに、ついついにやけそうになる顔を隠すために。


「私は他人で、あなたのお姉さんでもお母さんでもないんだけど」

「そりゃ姉や母に筆下ろしは頼まないさ」

「ああ言えばこう言う」


まったく、甘えん坊も大概にして欲しい。そう思いながらも、私はわりと絆されていた。


「頼むよカミラ、一生のお願いだ」

「下手すると一生拘束されそうだから嫌よ。あなた、気に入ったおもちゃは手放したくないタイプの甘えん坊なんだもの」

「えー」

「……でもまぁ、筆下ろし()()ならいいわよ」

「え?」


情けなくて可愛い友人のために、一肌脱いでやってもいいかなと、思わなくもない。


「なっ、や、あの、え!?」

「あと報酬は弾んでよ?結婚しなくても一生生きていけるくらいにはね」


破瓜を捧げるというのは、嫁ぎ先を失うこととほぼ同義なのだから、それくらいはお願いしなくては。


「え?え?ええ!?」

「何?不満なの?」


ジロリと睨め付けると、コーリーは動揺丸出しに縋りついてきた。


「やっ、あの、いや、えっと、け、結婚はしてくれないの?」

「しないわよ面倒くさい」


しどろもどろの問いかけを、私はバッサリ切って捨てる。


「なんで!?年寄り好色爺より僕の方がマシでしょ!?」

「マシとか情けない語彙使ってんじゃないわよ、未来の公爵閣下が」


雲の上の存在になるはずのコーリーなのに、いつもあまりにも距離感が近すぎる。こちらも色々誤解してしまいそうになるからやめて欲しい。


「はぁー、てかアナタだって、男爵家の五女と婚姻歴ありとか、無駄な経歴汚しでしょうが」

「で、でも婚前交渉なんて、そんなのふしだらで破廉恥だよ!」

「ふしだらも破廉恥もなにもないでしょ、自分が頼んできてる内容を振り返りなさい」

「ぐっ」


自分の頼み事を思い返して反論の言葉をなくしているコーリーに、私はこれで話は終わりだとばかりに立ち上がった。


「じゃ、そういうことで。筆下ろしのみの契約書に作り直してからまた呼んで」

「嫌だよそんな……えっと、風情がない!」

「風情ぃいい?」


胡乱な目で見ている私を、真っ赤な顔をしたコーリーが必死の形相で引き止める。


「せ、せめて恋人、契約恋人でどうだろうか!?」

「恋人ねえ」


また新しい面倒な手間をかけようとするのか。高貴なお方の日常というのは須く手間がかかるものと聞くが、もう少し即物的で効率的になった方が良いと思う。


「恋人って何するの?」

「そ、そりゃデートしたりとか」

「却下」

「なんで!」

「噂になるでしょ、人に見られるのは嫌よ」

「なんでさ!?前はよく出歩いてたじゃないか」

「学生時代はね。生徒会長と会計というお仕事もあったし、私も最優秀生徒とか貰っててそれなりに立場も対等と言えたから。でも」


薄く笑って、私はコーリーはしっかりと見据えて口を開いた。


()()()()でしょ?」

「カミラ……」


言葉をなくすコーリーに、私は肩をすくめて苦笑する。


「今の私たちは、高等研究機関で研鑽を積む優秀な公爵家の嫡男と、単なる義務教育課程の学園を卒業しただけの男爵令嬢よ。釣り合いが取れないって言ってんの」


これは卑下することもない、ただの事実だ。


「……研究者として、君の方が優秀だと、僕は知っている」

「でも私には、お金がないもの」


苦しげに絞り出されたコーリーの言葉に被せるように、私はあっさりと言い切った。


「分かってるでしょう?研究にはお金がいるの。生まれ持った能力も、生まれた家の力も、才能のうちよ」

「家の力、なんて」

「ははっ、甘っちょろいこと言わないで?」


否定しようとしたコーリーの言葉を叩き潰すように、私は嘲笑った。


「生まれ持って、私は優秀だったわ。努力してこの能力を得たわけじゃないの。能力があったから努力できただけの話」


聞きようによっては傲慢な、けれどこれは、事実に裏付けられた台詞だ。私は私の能力に揺るぎない自信を持っている。私は学園で、誰よりも優秀だった。この目の前にいる、銀の匙を咥えて生まれてきた、とてつもなく優れた男よりも。


「でも、個人の持つ能力も、その人の家の力も同じようなものよ。私たちは無から()()()()()()で生まれるわけじゃない。何もかも、親から受け継いだものでしかありえないのよ」

「それは……そうだけれど」


どう反論して良いか分からないのだろう。恵まれて生きてきたコーリーが、私のような叩き上げの皮肉屋と口喧嘩して勝てるわけがないのだ。


「どうでもいいから、さっさと契約書作り直しなさいな」


書き物机から取り上げた厚みのある契約書を、バサリとコーリーの目の前に叩きつける。


()()()()()を解きたいんでしょ?」


そしてどこかのご令嬢と結婚して、幸せに暮らせば良いのよ。






***






「……で、作り直した契約書がこれ?」

「あぁ」


半眼で分厚すぎる契約書を眺める私に、コーリーは達成感に満ちた爽やかな笑みを返した。

あまりに機嫌の良い態度に、つい胡乱な目を向けながらも、私は契約書を開いた。


「ふーん……『甲と乙は半年間の恋人契約を結び、半年後の聖夜に初夜を迎えるとする』?」

「ああ、ロマンチックだろう?」

「却下!」


自信満々に言うコーリーに、私は眉を吊り上げて言い切る。


「なんでだ!?」

「時間かかりすぎよ」 

「体を重ねるのに半年は適切だろう!普通は何年も婚約期間を設けるんだぞ!?むしろ早いくらいだ!ここは譲れないぞ!」


絶対に譲らないと鼻息荒いコーリーをうんざりと眺め、私は次のページの一文を指差した。


「結婚じゃないからなぁ……あと、『両者が合意した場合はそのまま婚姻契約を結ぶこととする』ってのも何?」

「良い考えだろう!」

「だから結婚しないってば!」

「する気になるかもしれないじゃないか!」


真っ赤な顔で言い張るコーリーと、青筋を立ててキレ続ける私。堂々巡りすぎてイライラする。


「だぁから、私もあなたじゃ釣り合わないから!したくなっても結婚できないから安心して!」

「なんでだ!」

「だから、男爵家の五女が公爵家嫡男とは……結婚できないって」


何十回説明すれば良いんだ。

そもそもコーリーだって分かっているはずなのに。

苛立ちの中に惨めさや悲しみが僅かに混じる。生まれを恨んだら妬んだりするのは私の主義に反するのに、とますますコーリーに怒りが募った。しかし、コーリーはケロリとした顔で言った。


「だから、結婚だけなら出来るさ!君の性格的にも公爵夫人は無理かもしれないけど」

「はぁ?」

「まぁ、それは置いておくとして」


意味不明な御託に眉を吊り上げた私の不満を放置して、コーリーはさっさとペンを用意して、契約書の表紙を差し出してきた。


「さ、サインして!」

「なんでよ」

「あと血判も頼むね!」

「こわ、本気のやつじゃん!?」


血判なんて普通使わないでしょう。己の魔力の込められた血液を使うなんて、普通しない。違反したら神の罰が下ると言われているから、そんな気軽に使うものじゃない。それこそ本当に呪われてしまう。


「いいから頼む!ちょっとここに署名するだけだ、それで君は望むもの全てを手に入れることができるんだぞ!」

「完全に詐欺師の口車なのよね」


どんどん怪しい発言ばかりになる腐れ縁の公爵令息を私はしかめ面で見上げた。ちっともサインする気のない私に剛をにやしたのか、コーリーは私の手にペンを押し付けて頭を下げた。


「いいからサインしろ!頼む!人助けだと思って!後生だ!」

「いやなんでそんなに必死なのよ」

「君が来週に見合いの予定を早めたからだよ!何でこの流れで、よその爺と結婚する気になってんだよ!」

「このままだと危険な気配を察したのよね」

「あっちの爺の方が絶対危険だからな!?」

「媚薬中毒ってやつ?ちゃんと山ほど解毒剤仕入れたし、仕込む睡眠薬と幻覚剤も仕入れたから平気よ?」

「僕は大切な友達が犯罪の加害者になるのも被害者になるのも嫌なんだよ!」

「大切な友達、ねぇ……はぁ、まぁいっか。そこまで言うんなら仕方ないからサインしてあげるわよ」

「本当か!?」

「どうせサインしないと拘束して地下牢に閉じ込める気でしょ」

「うーん、そんなことはしたくないんだけれどな」

「する気じゃん」

「君のためだよ」

「ヤバい奴の台詞よね」


はぁ、とため息を吐きながら、サラサラとサインをした。


「相変わらず君の字は綺麗だな」

「努力したからね」


感心したコーリーの言葉に肩をすくめる。学園でも卒業の時には流麗と褒め称えられたが、入学時点では下級貴族丸出しのみっともない字だった。学園の教師に頭を下げて弟子入りした成果だ。


「字が綺麗だと有能そうでしょう?」

「君は実際有能だからね」

「まぁそうですけど」

「謙遜しないところが好きだよ」

「そりゃどうも」


こうやって気軽に好きとか言うから、勘違いする馬鹿女が現れるんだよねぇ、と内心で思いつつ、一言で罵った。


「この勘違い濫造機」

「は?」

「言動に注意しろって言ってんの」

「僕ほど注意深い人間はいないと思うけどな」

「自覚なしかー」


じゃあ言っても無駄だなぁと私は乾いた笑みを浮かべてペンを置いた。


「さ、これで良い?」

「あぁ、完璧だ」

「これで私は次の聖夜まで、アナタの恋人ってわけね?」


剽軽に肩をすくめて笑ってみせれば、コーリーは大層良い笑顔で「その通りだ」と笑った。


「次の聖夜まで、君は僕のモノだよ、カミラ」

「……え?」


何その不穏な台詞。


「じゃ、綺麗にサインしてもらったし、とりあえず神殿に預けてくるね!」

「は?」


なんで神殿?

嫌な予感に血の気がひき、思わず立ち上がって契約書に手を伸ばせば、サッと手の届かない高さまで持ち上げられてしまった。


「ちょっと待って、どういうこと!?」

「これ一応神前契約書の形にしておいたから」

「はぁああ!?」


私は頭を抱えて絶叫する。公爵家クラスの政略結婚、しかも放っておいたら誰かが死ぬレベルに危うい状態で結ばれた政略結婚の時くらいにしかやらなくない!?どうやって神殿に話をつけたんだ?あ、コイツ公爵家の息子だったわ!ちくしょう!


「あははっ!うっかり破棄されたら敵わないからね。これ、違反した場合は違約金の代わりに魔力を十年間問答無用で奉納されることになるから気をつけてねっ」

「いやいやいや、やりすぎでしょ!?」


恐るべき罰則に私の顔はきっと真っ青になっているに違いない。魔力なければ人間は動けないんだからね!?それ十年寝たきりになるって意味でしょ!?

ブチ切れて文句を言い募る私に、コーリーは子をあやす乳母のような慈愛に満ちた穏やかな顔で見下ろした。


「君みたいな行動力と決断力の塊みたいな人相手は、これくらい慎重さが必要なんだよ。ほら見なよ、今君の右手は僕の持つ契約書を燃やそうと火の魔法を練っている」

「くっ」 


気づかれたか……と睨みつければ、呆れ顔のコーリーが既に書類に鉄壁の保護魔法をかけていた。相変わらず手が早いやつだ。

攻撃魔法を含め、学生時代の私たちは基本的に同等で対等だった。精度は私が勝るが、速さはコーリーが優れる。今の私たちが魔力一本で真っ向勝負すれば、体力と魔力の持続性からもコーリーが優勢だろう。書類を奪い取るのは難しそうだ。

私は諦めて手を下ろし、そしてそのまま床にしゃがみ込んで頭を抱えた。


「うっそぉ……ってことは本気で今後半年週に一度デートするわけ!?コーリー、あなた暇なの!?」

「時間ってのは作り出すものだよ、カミラ」


キラキラ輝く笑顔で言われるが、全然胸に響かない。全く嬉しくない。


「うそぉおおお!私、一昨日仕事クビになったから、新しい仕事を探してて忙しいんだけど!?」

「だから僕の秘書やってくれればいいじゃない、前から誘ってるだろう?」

「嫌だって言ってんでしょ!?」


以前から何度も繰り返した会話だ。誘われては、何度も叩き返している。秘書業務なんかやりたくないし向いてない。いや向いていてもやりたくない、だわ。なんでコーリーの人生をサポートしてやんなきゃいけないのよ、自由にさせてよ。私は魔法と研究で食っていけないなら、自力で金稼いで自分の好きに生きていきたいのよ。なお爺の後妻業務と未亡人業務を含む。

そうやさぐれでいた私に、コーリーはニンマリと笑って悪魔の誘惑を寄越した。


「じゃあ、……研究補助業務がメインの、補佐官はどう?」

「うっ」


金がなくて研究者になることを諦め、ついでに魔法に関わる人生も諦めた私にとって、それは正直、かなり魅惑的なお誘いだった。


「僕の研究室でのお仕事だから、かなり自由が効く。君自身が何か思いついたら、もちろんジャンジャン研究してくれても構わないよ?君は補佐官という大義名分のもとで僕のお金と設備を使って研究し、成果は僕との連名で発表すれば良いんだ!補佐官の成果は研究室長である僕の成果になるから。お互いにメリットしかない」

「そ、それは……その……ちょっと魅力的ね……?」

「未来の妻との共同作業と言えば聞こえも良いし」

「それはどうでも良いけど」


立板に水とばかりに流れる誘い文句に、私はウーンと唸りながら悩む。散々断ってきたのに、今更受け入れるのも癪に触るが、しかしこれは確かに魅力的なお誘いだ。どうせ仕事は探さなきゃいけないし、半年間はこの馬鹿に拘束されることが決まっちゃったから、下手に婚活も出来ないし。


「しかも仕事ってことにしておけば、連れ立って歩いてもデートと思われにくいかもよ?」

「うわぁ、策士じゃん……」


おまけとばかりに、私が不安かつ不満に思っていた点にも言及され、私は大きくため息を吐いた。これはどうも負けが決まっているらしい。というか、どうやら私はコーリーの計画の通りに動いているようだ。


「まさかと思うけど、私がクビになったのアナタが手を回したんじゃないわよね?」

「いやそれは君が客と派手に喧嘩したからだろう、手を回すまでもなかったよ」


半ば呆れた顔で告げられた言葉に思わず目を見開いて怒鳴った。


「本気で回そうとしてたの!?」

「いやごめんほんと人手不足で!手が足りないんだってば!僕の研究についてこれる人材がいない!……あぶなっ」

「避けるな」


パチンと己の額を叩いて大袈裟に嘆いて同情を買おうとするコーリーの頭目掛けて、私はとりあえず手近にあったフォークを投げた。軽々と避けて捨てられた仔犬風の目でこちらを見てくる忌々しい男に、私はあからさまに馬鹿にした目を向ける。本当に腹が立つ男だ。


「そりゃアナタの夢見がちな話を聞いて、真面目に取り合おうと思う人間の方が少ないわよ。何よ空から花を降らせる魔法についてって。バカなの?」

「神話にあるだろう?アレ、実現可能なのかなって昔から思ってたんだよね……だからフォーク投げないで!?」

「うるさい」


目をキラキラさせながら、夢見がちな研究に突っ走る愚かなボンボンのような台詞を吐くコーリーに、私は腹立ち紛れに三本目四本目のフォークを次々と投擲した。フォークは全て空中で停止して、コーリーの周りをくるくると踊っている。なんなら二組に別れてダンスし始めた。まったく器用な男だ。そしてこんな時まで目に楽しげな趣向を凝らしてくるのがうっとうしい。


「馬鹿よねほんと。()()()()()()()()()()()()()なのよ」

「カミラ……」


私の言葉にコーリーが目を丸くして、言葉を止めた。この飄々とした完璧男を、一瞬だけでも動揺させられたことに、私は溜飲を下げた。


「カミラ……」

「ねぇ、夢みがちな可愛いコーリーくん?」


次第に嬉しそうに顔を紅潮させていくコーリーに、私は薄く微笑んだ。


「あなたは一体、オトモダチ相手にどんなものを降らせるつもりなの?」

「あはは、本当にカミラはすごいな。僕の研究の目的、言わなくてもわかってるんだ」


嬉しそうに破顔したコーリーに、私は苛々と目の前のマカロンを二つまとめて口に放り込んだ。


「そりゃそうよ。無駄に長く付き合ってないからね。コーリーが夢だけを見てる可愛い脳内花畑さんじゃないことは身に染みてるから」

「あはは、君はいつも小気味良いな」


ふわりと心底幸せそうにはにかむコーリーは、それこそまるで神話の登場人物のような美しさだ。コーリーは見た目と裏腹にかなり性格は捻じ曲がっているけれど、神話の人たちも、よく考えると頭がおかしい人ばかり。比喩として適切だったかもしれない。


「花が降らせるなら他にも()()()()()が降らせられるでしょうからね。随分と色んな応用が効く、危険なアイデアだと思ったわよ」

「ふふ、だから僕は君が大好きなんだよ」


蕩けるような熱くて甘い視線でこちらを見つめてくるコーリーに舌打ちをして、私はぷいと横を向いた。直視するにはあまりに刺激が強い顔面なのだ。目が焼けてしまう。


「平和ボケのボンボンみたいな顔して恐ろしいこと考えてるアナタ、私も嫌いじゃないわよ」

「熱烈な愛の告白に感激だよ」

「違うけどね」


悔し紛れに本音をこぼせば、ウキウキとしたコーリーが書類を宙に浮かせたまま、私の足元に跪く。


「結婚する?」

「しないからね」

「おや残念、半年後に再挑戦するよ」

「やめてよ……それより」


くだらない言葉遊びをしてから、私は半眼でコーリーを見据えた。


「研究、どれくらい進んでるの?」

「んー、まぁ、実証実験には程遠いかなぁ。理論はだいぶ詰められたんだけどね」

「……へぇ」


思ったよりも進んでいて驚いた。本当に、我が友ながらコーリーは優れた才能に加えて根気や気合い、体力と魔力、ついでに優れた権力と財力まで兼ね備えていらっしゃるようだ。もはや嫉妬する気も起きない。


「あなた、()()を完成させたら、下手したら魔法師団から勧誘が来ちゃうわよ?」

「ははっ、そうかなぁ?」


我が国の防衛を一手に引き受ける魔法師団は、国で最も優秀な人間が集うとされるが、実態はほとんど闇の中だ。閉ざされた組織で、入団は狭き門、とかではない。門は開かれていない。入団試験などというものはなく、採用は完全なスカウト制で、自薦も他薦も不可だ。賄賂も裏口ももちろん無し。


「あそこに入るのは、内部からの引き抜きのみだからね。僕にもどうにならないよ」

「知り合いとかいないの?」

「いるけど、そういうのが通じる場所じゃないでょ?あそこは」

「そうね」


完全実力主義なため、身分などは無視されてる。魔法で生きていきたいと思う人間は皆一度は憧れる場所だし、例に漏れず私もずっと憧れていた。

まぁ、魔法研究で一番成果を挙げていた学園時代に勧誘が来なかったから、私にはもう入団の可能性はないのだけれど。


「ま、そんなことは置いておいてさ、カミラが手伝ってくれると心強いよ。お手伝いの子達の魔力が弱くて、最近思ったより実験が進まなくて困ってたからさ」


心底ほっとした顔を見せるコーリーに、私は眉を顰める。コーリーはそんなに焦っているのか。そんなに焦る理由がある、のか。


「ねぇ、お隣は友好国よ?」

「そうだね、まだ友好国だ」

「……そんなに危ういの?」

「さぁね。僕は君の住むこの国が君の生きている限り平穏であることを願っているだけだよ?」

「嘘ばっかり」


適当な言葉で煙に巻いてくれる友人にため息をつき、私は頷いた。お偉い貴族様であるコーリーには、私も知らないようなことを色々知っているのだろう。ほとんど平民みたいな男爵令嬢が考えることじゃない。偉い人たちにお任せしよう。


「まぁ、いいわ。あなたが望んでくれるなら、私は補佐官としてお手伝いさせて頂くわよ。給料も弾んでくれるんでしょうね?」

「もちろん!君がそばにいてくれるとますます張り切っちゃうね!思考が冴え渡りそうで楽しみだよ!」

「ハイハイ」

「あと、とりあえず初デートは来週だからね!楽しみにしてるよ」

「まじかー」


ウキウキと声を弾ませるコーリーに、私は努めてやる気のない返事をした。正直少しは楽しみだったけれど、調子に乗らせるのも癪だったので、興味のない風を装ってしまった。思春期の小娘の反抗みたいだと思わないでもないが、仕方ない。コーリーといると学生時代に戻った気がしてしまうのだ。


「あ、あと補佐官の仕事は明日からよろしく。本当に人手足りないから。一日も早く形にしたいし」

「明日から!?いや、え?……い、今ってそんなに()()してるの?」


キラキラ笑顔で告げられた急すぎる決定に、私は目を剥いて顔を引き攣らせた。一日も早く、って何?そんな今日明日明後日に何か起こるような予感があるのか?偉い人たちにお任せするつもりとは言え、『近々お隣と喧嘩するね!』みたいな予定があるのだとしたら、さすがに冷静ではいられない。


「んー、いや、まだ当分は大丈夫だと思うけど……」


不安そうな私の様子に、コーリーは眉を下げて、肩をすくめて苦笑した。強張った私の背中をとんとんと軽く叩き、私の緊張を解く。


「お隣さんの王子様が血気盛んなお方でねぇ、自ら鍛え上げてるらしく、兵隊がどんどん強くなってるみたいだし……今すぐ何か起こるかはわからないけど。念のため、早めに完成させたいかなぁ。ほら、僕、心配性だからさ?」


お茶目にウインクして見せるコーリーに、私は覚悟を決める。コーリーの空からお花を降らせよう研究を、一刻も早く完成させることを。


「はぁ……仕方ないわね」


当面は寝るまま惜しんで働くことになりそうな予感がするが、仕方ない。この人の性格を分かっていて、研究室補佐官になると言ってしまったんだから。


「あ、デートの時間はちゃんと確保するから安心してね」

「いやそれは別にいらない」

「えー」


デートしないと魔力奉納の刑らしいから、デートしなきゃならないのはわかってるんだけど。


「それより寝る時間を頼むわ」


呑気に満面の笑みを寄越してくれたコーリーに、私は本心から呟いた。






***






さて、今夜は聖夜、つまりは初夜である。


「月日が経つの早いわぁ……」


ペラッペラの下着みたいな寝巻きを着せられて、公爵家の侍女に足の爪の間まで綺麗に磨き上げられ、まるで娘を嫁に出すような顔をした侍女頭に


「お綺麗でございます、坊ちゃんもさぞお喜びでしょう」


とウルウルの眼差しで激励されて押し込まれた公爵令息の寝室。


「いやちょっと待って、本当に。なぜこうなった?」




馬鹿みたいに研究に没頭して研究室で寝泊まりし、気絶するように寝てはコーリーに公爵家へ運び込まれてせっせと介抱されること、この半年で何十回。侍女頭にはもはや娘のように思われているのかもしれない。まぁそれは良い。


「なんでみんなこんなに好意的なの?というかなんで歓迎ムード?おかしくない?未婚の二人が初夜ですよ?いいの?」


公爵家は頭がおかしいのかもしれない。いや、大事な坊ちゃんの不能を治すための一大計画だから、気合が入るのも当然なのか?


「でもなー、毎週のデートにも全面協力だったし、本当に意味不明だわ……」


コーリーとのデートに相応しい格好なんて我が家と私の財力では不可能である。だから最初の頃は身分差があっても可能な市場食べ歩き(研究試料を買いに行った帰り)とか、森にハイキング(研究試料の熊狩り)とか、比較的お手頃価格の宝石店を訪問してペアアクセサリー購入(魔石を買い取るついで)だったりとか、そうやってデート(ミッション)をこなしていた。


しかし。


「カミラお嬢様、本日は私どもにお任せくださいませ!」

「は?」


例によって例のごとく、研究室で白衣を寝袋代わりに寝ていたところを公爵家に連れ去られた私は、起きた瞬間目を爛々と輝かせた侍女集団に拘束された。


「え?え?え?」

「今からお嬢様を、王家の姫君にも負けない美少女にして差し上げますのでね!気合い入れて踏ん張ってくださいませ!」

「は!?いや、ちょ、えーー!?」


ずるずると早朝から風呂に入れられ磨き上げられ、よく分からない高そうな水とクリームと香水を振りかけられ、コルセットで締め上げられ、髪を複雑怪奇に結い上げられ、とんでもなく上等の砕いた宝石があしらわれたドレスを着せられ、耳と首と頭にコーリーの目の色のサファイアを飾られ、そして。


「綺麗だよカミラ!まるで女神だ!」

「……さようですか」


死んだ魚の目になった私が連れ出されたのは、大公様主催の夜会だった。


「いやぁ、パートナーがいないならウチの娘と、って大公閣下がうるさくてね!カミラが居てくれてよかったよ!」


もはやはしゃいでいると言っても過言ではないコーリーに、全身を満遍なく観察され、事細かに描写されながら賛美の限りを尽くされ、精神的に灰になった気分で辿り着いた夜会。

さぞ悲惨な目に遭うのだろうと……つまりは、三文小説のごとく、お綺麗で高貴な身分のお嬢様方に遠回しな悪口雑言を叩かれたり酒をかけられたり、周囲のお偉い人たちから嘲弄と侮蔑の目で見下されたり、まぁいろいろ散々な羽目になるだろうと思っていた。だが。


「おや、コーリー殿。そちらが噂の才媛ですかな?」

「コーリー殿が口説き落としたと言うご令嬢か」

「やっと恋人にしたと仰っていたのがそちらですか」

「なるほどお綺麗で賢そうだ。冷たい氷のような目で睨まれて、コーリー殿もお幸せそうですなぁ」

「なによりなにより、……まぁ若人の恋路にこれ以上口を挟むのはやめておきましょう」

「そうですな、人の閨事に口を出す者は女神に首を刎ねられて死にますゆえな」


「「「「はっはっはっはっは」」」」


と、挨拶回りでは年配のおじ様方から大変に謎な扱いをされた。

しかもコーリーが片時も離してくれないしお手洗いすら「僕の恋人は逃亡癖があるので」とか言ってる付き添ってくるので、こちらを睨んでくる美女や美少女とは接触する暇もなかった。


そして散々お偉いさん……宰相とか大臣とか団長とか、明らかに普通じゃない肩書の御仁に挨拶が終わると、コーリーはさっさと私を連れて馬車に飛び乗って帰った。


「早く家に帰ってダンスしよう!」

「なんでよ!帰るなら早く脱ぎたいんだけど!?」

「そんなに綺麗なカミラ、人に見せるのはもったいない!でももう少し見たいし密着して踊りたいよ!」

「嫌よ変態!」

「頼むよカミラ!この通りだ!」

「絶対いや!!」


まぁ結局、帰路の間続いた懇願に負けて一曲だけ踊った。気を遣った公爵家お抱え楽師のせいで、五曲分くらいの長さがあったけれど。


「もう二度と夜会には行きたくないからね!今後はお仕事に絡めたデートだけでたくさんよ!」


そう宣言した結果、夜会はなかった。しかし、その後も観劇だとか奇術師が来たとか庭園の花が満開だとか、理由をつけては家に招かれ、あちらこちらに連れ回された。その結果私とコーリーの交際については当然王都で話題となり、公爵家と男爵家の身分差については釣り合わないと口さがなく言われることが増えた。研究所でも研究室の外では、面と向かって言われることも多々あった。腹は立ったがその通りだし、まぁ、半年の辛抱だと堪えた。


そして目がまわるような日々を乗り越えて、ついでに研究もほぼ完成に近づき、とうとう迎えた今日である。


初夜だ。

私は今夜、コーリーの初夜不能……いや、初夜失敗の呪いを解かなければならない。


下手にいろいろ考えて構えるよりも、普通にしていた方が良い気がする。コーリーは私といる時はしごく自然体だから、一人でいる時みたいに元気に立ち上がってくれるだろう。多分。


「いや、私も本読んで知識は蓄えたけど、実践経験はないからなぁ。ちゃんとできるのかかなり不安だわ」


なにせこれだけが条件ともいえる、破格のお給料をいただけるお仕事である。

失敗したら大変だ。コーリーの卒業までという制限時間もあるから、のんびり延長というわけにもいくまい。頑張れ私。処女だけど気合いでカバーよ!

一人で密かに己を鼓舞して緊張していると、ガチャリとドアが開いた。


「カミラ」

「……コーリー」


現れたのはもちろんコーリーだ。部屋の外を歩いてきたからか、私とは違ってきちんとした厚みのある羽織りも被っている。


「とうとう初夜だ」

「そ、うね」


感極まったように呟くコーリーに、私は緊張に乾いた声で相槌を返す。


「ふふ、緊張してるの?」

「そ、りゃそうよ。初めてだもの。あなたはしてないって言うの?」

「うーん、してるけど……それより高揚と興奮が強くて、自制するので精一杯って感じかな」

「自制?…………え?」


軽やかな足取りでこちらにやってきたコーリーの言葉に首を傾げ、チラリと視線を落とした私は絶句し、その後で叫んだ。


「アンタ、初夜不能の呪いとやらはどうしたのよ!?」

「だから言っただろう?」

「ぁ……」


火傷しそうな熱い眼差しに蕩ける笑みで、グッと私に近づいてきてコーリーは、私を力強く抱き寄せた。


「カミラなら大丈夫だと思うって」


この大嘘つき。

そう詰ろうと思ったのも束の間、私の罵倒は熱くて荒々しい口づけに吸い込まれた。


「んっ、……離してよ!」


息継ぎの合間に、必死でドンッと胸を叩いて押しやり、私は必死にコーリーを睨みつけた。


「こんなの詐欺よ!馬鹿じゃないの!?」

「馬鹿だよ」


けれど私の罵倒に対して、コーリーは堂々と言い切って、切なげに目を細める。そしてグッと私を抱き寄せて耳元で囁いた。胸の底に渦巻く炎を抑え込むように、熱い声で、激しい求愛の言葉を。


「僕は君が好きなんだ」


ひゅっ、と息を呑む。流石にこの状況で、この愛の言葉を流すことなんて出来やしない。

無言になる私に、コーリーは見栄も外聞もなく、ただ純粋な好意だけを語り、切々と訴えた。


「カミラにくびったけで、散々アプローチしたのに袖にされまくって、諦めて他の女と試そうにも息子はピクリともしない。もうこりゃ何もかも投げ打ってカミラを手に入れるしかないなって思って、死ぬほどしょうもない契約を結んで君を体だけでも手に入れようとしてるんだ。これが恋に溺れた大馬鹿者の末路だよ」

「……コーリー」


聞かなかったことにしたいのに、嬉しくて悲しくて、貰った言葉をしっかり覚えておきたくて、私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。ちっとも思考が定まらない。沈着冷静な私はどこに行ったのだろう。


「でも、むりよ。無理なのよ」


泣き出しそうな声で私は拒否した。身分の違いはひっくり返せない。どれだけ愛があったって、愛のもとに結婚したって、絶対うまくいかない。私はコーリーには完璧な幸せを掴んで欲しいのだ。私じゃそれはあげられない。


「分かってよ、無理なの」

「無理じゃない」


しかし弱々しい私の言葉を、コーリーは力強く否定して、そしてにっこりと笑った。


「今夜のうちに、絶対に結婚するって言わせてみせるからね」

「やっ、絶対言わないんだから!」

「意地っ張りだなぁ……ま、そんなところも好きなんだけれど」


地団駄を踏む駄々っ子のように叫んだ私に、コーリーは死ぬほど色気のある顔で余裕たっぷりに囁いた。


「僕が絶対に君を幸せにするから。……はやく諦めて、僕と結婚して」






そこから負けず嫌いな私は、とても頑張った。経験がないにも関わらず、かなり善戦したと言えるだろう。

けれど戦いは翌朝、いや翌昼まで続き、結局私は一瞬の油断で勝負に負けた。





「もうやだ!信じられない!」

「ふははっ、僕の勝ちだね」

「馬鹿コーリー!卑怯者め!」

「何とでも言うがいいさ、勝ちは勝ちだからね」


指一本動かせそうにない疲労の中で私はコーリーを罵った。しかし勝ち誇ったような顔で幸福そうに破顔するコーリーは気にする様子もなく私の頬に口付ける。


「可愛かったよ、僕の奥さん」

「うるさい!」

「熱烈なプロポーズありがとう」

「うるさいうるさいうるさーい!」


類似の発言でも可、なんて聞いていなかったのだから、私の意思が弱いせいじゃないんだからね!






***






「で、なんでこうなったの?」


公爵家ほどではないが、なかなかに豪勢なお家の庭で侍女に傅かれて紅茶を飲みながら、私は目の前でニコニコ無邪気に笑う美貌の男に問いかけた。


「なんでとは?」

「なんでアナタは魔法師団の団長になってるの?公爵家を継ぐんじゃなかったっけ?」


二年前に卒業したコーリーは、案の定在学中に魔法師団にスカウトされ、そのまま入団した。そしてあっという間に頭角を表し、そろそろ引退したがっていたという前団長の退団とともに、史上最年少の団長に就任したのだ。そんな馬鹿な。


「魔法師団は実力主義だから仕方ないよね。この国に僕より力のある人がいなかったんだもの。家は弟が継ぐから問題無いよ」


にっこり笑うコーリーは昔と同じ無邪気な顔で、たいそう胡散臭い。そんな単純な話な訳があるか。国を揺るがす驚愕人事だったんだぞ。


「最初から狙ってたくせに」

「そりゃねー、君に公爵夫人なんか出来るわけないからさ、こっちも必死だよ。喜んで?良い感じに余ってた伯爵位を貰ったから、男爵令嬢と結婚しても問題ないよ」

「はぁ……まさかこうなるとは」


初夜に散々追い詰められ、感極まってついうっかり言ってしまった台詞で言質を取られた。ついでになにやら寝台周りに結界を張られていたせいで、自動的に契約が成立してしまった。つまり、初夜を迎えた時点で婚姻契約を結ぶ……結婚することが決まってしまったのだ。


「永遠に離れたくない、なんて熱烈なプロポーズしてくれたくせに」

「チッ、あれは一時の気の迷いよ。ベッドの上の言葉を間に受けるなんて」

「言った言葉は口の中には戻らない、諦めたまえ」

「ぐぐぐ」


分かっている。戻らないから焦ったのだ。結婚することになってしまったから困ったのだ。しがない男爵家の五女が公爵家の嫡男と結婚なんてありえないから。


「はぁ……睦言を本気にするなよって、普通は男の方が言うもんでしょう」

「一般的な男たちのことなんか知らないね。僕は僕でしかないし、今の君は僕のカミラだ」

「何言ってんだか」


これは大変なことになってしまったと顔を青ざめさせ、能天気に喜んでいるコーリーを泣きながら詰ったのも記憶に新しい。

しかし、全ての状況は私の想定を上回り、想定していた問題は一つも起こらなかった。代わりに違う面でとても大変だったけれど。


「それに、君だって悪くないでしょ?僕の妻として研究資金を背負って大手を振って研究所入り出来たんだから」

「んーーー、それもなんだかなぁ」


コーリーのお金で思う存分研究できるというのは、コーリーと対等でありたかった私には微妙だ。でもそう言うと「手に入れた環境も自分の実力だよ」と、昔私が告げた言葉を応用されて返されそうなので口をつぐんでいる。

納得いかないまま現在に至っている私とは違い、コーリーは作り上げた現状に大変満足そうだ。


「目指すは、魔法師団団長の妻にして真の権力者であり、団長補佐官であり、ついでに研究所所長!素晴らしい経歴じゃないか、君に相応しいよ」

「やめてよ」


その言い方じゃ夫の威光を背負って好き勝手やる悪女みたいじゃない。


「どうせなら実力で団長になりたかったわ」

「団長は前線に出てナンボだからね。バリバリ戦場で現場仕事があるから、それだけは認められない」

「過保護。アナタより私の方が魔法がうまいのに」


巧拙だけなら負けていないのに、と恨めしく見上げれば、やけに優しい目のコーリーが困ったように苦笑していた。


「でも君の方が優しいからね。人殺しが苦手な君が就くべき仕事じゃないよ」

「……はぁ」


宥めるように頭を撫でられて、私はため息を吐く。本当にコーリーは私に甘くて、優しすぎる。こんな甘やかしを受け続けたら、駄目になってしまいそうだ。とてもじゃないけどもう、一人で生きていける気はしない。


「アナタに騙し討ちされ続けた人生ね、私」

「嫌かい?」


あてこするように言っても、コーリーはにこやかに余裕ある笑みを浮かべて首を傾げるだけだ。やけに大人な対応をされて、己の振る舞いの子供っぽさに、私は不貞腐れてますます頬を膨らませるしかない。


「……まったくもう」


初夜に情けない童貞のはずのコーリーに散々翻弄され泣かされた身としては、過去の平民女の夜這い事件もコイツの仕業なんじゃないかと踏んでいる。

でも証拠はない。どこからコーリーの計画で、どこまでコーリーの仕業なのか、私にはまだ分かっていない。


だから、まぁ、私の負けだ。


「まぁ、コーリーになら負けても仕方ないわね」


自分より強くて賢くて優れた人間に()()()のは、実は快感だと教えてくれたのはコーリーなのだ。


「わりと幸せだから、許してあげるわ」


負け惜しみのように吐き捨てて、ひょいと立ち上がって油断している夫の唇を奪う。


「か、かみら!?」


珍しい私からのキスに、あからさま「動揺して椅子から滑り落ちたコーリーに、私は人差し指を突きつけて、宣戦布告のように言い放った。


「その代わり、一生離れてあげないんだからね!」


初夜のベッドの上で願った、その通りに。

私はこの可愛い旦那様を、永遠に拘束してやると決めたのだ。













ーーーーーー コーリー視点 ーーーーーーー


『僕の女神について語ろう』


 僕はあの日、女神に出会ったのだ。





「はぁ、退屈だ。学園なんて行ってどうしろと言うんだ……」


 うんざりとため息を吐きながら、僕は入学式に向かっていた。


「どこもかしこも人が多いし、僕が迷っているのに誰も声をかけてくれない。声をかけようとすれば逃げられる。もう入学式なんか出ずに帰りたい」


 どいつもこいつも、何を考えているのか分からない目をして僕を見ていて気味が悪い。いや、僕のことを「何を考えているのかわからない、気味の悪いやつだ」と思って見ているのか。


「はぁ……どうせ会話の通じない奴ばかりだし、もう家に帰って研究したい……」


 朝までいた自分の研究室が早くも懐かしくて、僕は涙目だった。周りは僕と目が合わないようにしているくせに、チラチラと観察してきて気持ち悪い。動物園の檻の中に紛れ込んだような気分だ。


「それにしても、入学式の会場……講堂はどこだ……なんで見つからないんだ……」


 人がたくさんいるから分かると言われたが、どこもかしこも人がたくさんだ。会場に辿り着けなかったから参列できなかったと言っても、家族以外は絶対信じてくれない。また公爵家のコーリーが妙なことを言っていると思われるだけだ。くっ、僕が出来ないことは何もない天才であるばかりに。


 人の冷たさに絶望しかけた、その時だった。


「あの、すみません」

「え?」


 僕に声をかけてくれた者がいたのだ。


「入学生の方ですか?」


 涼やかな声に振り返れば、そこにいたのは冬の日差しのように透き通った金髪と、冬晴れの朝のような碧眼の少女だった。


「そ、うだが」

「もしよろしければご一緒しても?私、あちらの講堂で合ってるのか心配で」


 救世主の出現に、僕は生まれて初めて、心から神に感謝した。


「!あ、あぁ、是非一緒に行こう!そうかあっちかあれかあそこか、小さくて分かりにくいな!」

「ほほっ、私は大きすぎて分かりませんでしたわ、さすが国立王都学園ですねぇ」

「はっはっは!そうだな!」


 理知的な笑みを浮かべて話す彼女は、僕に対して至極ニュートラルで、他の者たちのように怪物を見る目をしていない。それだけでも僕の胸は大層弾んだ。なにせ僕は物心つく前から突出して尋常ならざる傑物だったので、生まれてこのかた、こんな()()()()で見られたことはなかったから。


 僕は()()気が短いようで、すぐ苛立ってしまうのだ。

 至極簡単な話しかしていないのにちっとも理解しない人間ばかりだし、理解しようともしない者も多い。そして彼らはみんな僕を「公爵家の奇天烈天才児が、また何か意味のわからないことを騒いでいるぞ」と陰で笑うのだ。

 そして僕が苛立つとつい膨大な魔力を抑えきれず、チラチラと漏れてしまう。魔力が漏れてしまうと、当てられてしまう脆弱な人間がほとんどだ。そして言うのだ。


「公爵家の癇癪玉が、またどこかを吹き飛ばすぞ」

 と。


 家の外で家や土地を吹き飛ばしたことなんて一度もないのに、だ。

 彼らは怯えながら、同時に僕を馬鹿にしている。

 まったく腹立たしい。


 ……いかん、また魔力が漏れかけた。

 入学式で魔力中毒による意識不明者を続出させてしまったら、さすがにまずいだろう。みんな今日を楽しみにしてきているらしいからな。






「あ、お二人とも、受付……で、すか、ね」

「そうです。新入生です」

「は、はい、どうぞこちらへ」


 受付の女性は僕らが連れ立って現れたことに驚き、そしてあからさまに動揺した。そしてどちらから声をかけるべきか迷った後で、僕の方を向いた。


「あ、あの……コーリーさ、んはこちらにどうぞ」


 学内では生徒に対して職員はさん付けが基本だ。けれど公爵家の僕に対して緊張したのか、顔色まで悪い。

 座席表が渡されちらりと目を落とす。分かっていた通り、前から二番目だ。


 そう、驚くべきことに、僕は、入学試験でどこかの誰かに()()()のだ。


 これは生まれて初めてのことだった。

 僕を負かした相手に会うことだけは、今日の唯一の楽しみと言えた。


 密かにワクワクしていると、受付の職員は、チラチラとなぜか僕を気にしながら、横に立つ彼女に、二枚の紙を渡した。


「カミラさん、あなたには……こちらを。今日の進行表です。あなたの出番は七番目です。先にお伝えした通り、今日は王太子殿下も入学生として参列されておりますので、ご来賓の方々に高位貴族の方が多数おられます。代表挨拶は首席入学者というのが習いですのでカミラさんにお願いすることになっておりますが、どうかくれぐれも、失礼のないように重々注意して……」

「なんだって!?君が入学生代表なのかい!?」

「ひっ」


 僕は驚いて、思わず食いついてしまった。職員が蒼白になって後退っているが、僕は全然気にならなかった。心底どうでもいい。そんなことより、彼女だ!


「そうか!君か!」


 僕は脳内に天使のファンファーレが聞こえた気がした。

 これはまさに、運命の出会いだ!


 弾けるような笑顔を見せ、浮かれ切った声で叫ぶ。


「僕を負かした首席入学者とは一体どこの誰だと思っていたら、君だったのか!」


 最高じゃないか!

 本心から僕はそう思った。

 

「あ、あなたが次席の方なのですね。私より代表挨拶向いてそうですね。代わってもらえます?」

「あはは、君、面白いね!」


 僕に人前で挨拶させようなんて、なかなか良い度胸しているじゃないか!


 ちらりと見渡せば、周りが凍りついている。この子の発言は、あちこちの方面に衝撃を与えたようだ。色んな意味でタブーな発言だったからねぇ。


「無理に決まってるじゃないか。代表挨拶は首席!これは王家でも変更出来ないって有名な話じゃないか」

「そうなんですか?」


 ぱっと見の身のこなしは貴族令嬢のようだが、あまりにも王都の常識に疎すぎる。柄にもなく心配になってしまって、僕らお節介をしたくなった。つまりは、暗黙の了解もしくは公然の秘密とされている過去の王族の間抜けな悪行を、ちょっとばかし口に出してあげるってことだ。


「昔、馬鹿な王子様を賢く見せたい馬鹿な王様がいてねー、大騒動になっちゃって、それ以来は裏口裏金が一切効かなくなったんだよー」


 誰もが知りながら、口にしてはいけないと思っている昔話……といっても、数代前だからまだ関係者も生きているがな。少し前の話を聞かせてやれば、少女はクスリと笑って首を傾げた。


「へぇー、物知りですね」

「王都に住んでたら誰でもしってるよ」

「へぇー、生憎と私は王都民じゃないもので」


 物知りというほどでもない、と謙遜したつもりが、王都の人間ではないのか?という質問に受け取られたらしい。


「私、地方の学校からの推薦なんですよね」

「そうなんだ!地方にも賢い子っているんだねぇ!」


 なんと、地方から!これまで親の付き添いで視察に出向いたことはあったが、家畜の延長線上にいそうな人間しかいなかったけれども。どんな土壌からこんな少女が自然発生するんだろうな。神様のとっておきの隠し球みたいな子じゃないか。


「親御さんが賢者だったりする?」

「へ?賢者とか神話世界だけでは?」


 半分本気、半分冗談で問い掛ければ、彼女はキョトンと瞬いて首を傾げる。比喩ではなく、種族としての賢者を指していると理解してもらえて嬉しい。


「ジョークだよジョーク!」

「ジョーク分かりにくいですねぇ」


 半ば呆れたような顔で苦笑されてしまった。

 ジョークを笑ってもらうというのは、コミュニケーションの中でも割と難易度が高いと思う。だってそのためには、同じ知識、思考、教養レベルが必要なのだ。だから、僕のジョークはなかなか通じない。

 これは実は時事ネタでもあったのだ。英雄、勇者、賢者、聖者と呼ばれる傑物たちは魂の質が一般的な人類とは違うのではと、最近の霊魂学会でも発表があったのだ。ほぼ文学とか哲学、宗教の範疇の議論だけれどね。なにせ、ここニ百年ほど英雄とかっていう人物は現れていないから、研究を進めるのが難しいのだ。まぁ、つまりは平和ってことだからありがたい話なのだが。

 ……って、まぁ、こんなことを語り続けても嫌がられるだろうということくらい、僕でも予想はつく。何度も経験しているからね。だから僕は、あっさりと話を切り上げて笑ってみせた。


「あはは、ごめんごめん」


 僕が話を続けたそうだったのを察した彼女は、少し待つような顔をしたが、すぐに切り替えて自ら口を開いた。


「親は普通に領地をそこそこおさめてる男爵ですよ。得意なことやるのが幸せだよねって王都での学費出してもらえました」


 僕が種族の特殊性と魂の質について語りたそうだったのを、彼女の背景についてより深く詮索したがっていたと思ったのか、金髪の少女は肩をすくめて自己紹介を続けてくれた。


「へぇー!素敵な親御さんだね」

「ありがとうございます。代わりにお前の持参金はないって言われましたけど」

「あはははは!ジョークも分かるんだ、すごい!」

「冗談じゃないんですけどねー」


 娘に持参金はないからな、なんて面白いジョークだと思ったが、少女は半笑いで肩をすくめた。


「ここの学費、寮も含めてとはいえ、田舎貴族の持参金くらい高いんですよ」


 僕の周りには金に不自由しない者たちしかいなかったから知らなかったが、学園というのは金が必要な場所だったのだ。

 いっそ優秀で奨学生として推薦された平民であれば全額補助が出るが、貴族にはそれがない。

 親御さんは大変な決断をしたのだと、僕は後に彼らの財政状況を調べて理解した。





「君のご両親はご立派な方なんだねぇ」

「普通の男爵夫婦ですってば」


 何度か僕は本心からそう告げたが、彼女はいつも妙な顔をして首を振った。


「あはは、()()ってのは、凄いことだと思うよ」

「コーリー様が言うと、一周回って本気っぽいのが面白いですね」

「面白い?それは良かった」

「褒めてないですよ?」


 この美しく賢く勇敢で肝の据わった、最強で最高の少女は、カミラと名乗った。


 本当に実家は平凡な男爵家で、今の男爵も善良さと真面目さだけが売りの、大した面白みのない男である。その妻もまた、田舎の女性らしく堅実で欲の少ない平凡な者のようだ。カミラの姉妹もまた、同様に凡庸な者たちだった。


 けれど彼らは同時に、非凡でもある。

 飛び抜けて優秀で、圧倒的に有能で、世が世ならば賢者か勇者として選ばれてもおかしくない、明らかに()()()()()を、彼らは家族と呼んでいるのだから。

 なんの躊躇いも疑いも、恐れも怯えもなく、忌避も嫌悪もなく、ただ純粋な愛情と親愛だけを胸に湛えて。



 





「カミラ、機嫌がいいね」

「あら、コーリー」


 カミラは次第に打ち解けて、僕のことも呼び捨てで呼んでくれるようになった。カミラに気安く名前を呼ばれるたび、まるで精神空間で光魔法を使った時のように、僕の胸の中にパッと光の玉が跳ねる。ピカピカと跳ね回り、あちらこちらに衝突しながら僕の思考を明るくしていくのだ。


「何かいい事でもあったの?」

「ふふ、別に。実家から手紙が来ただけよ。誕生日のお祝いを送ってくれたらしいわ」


 それだけ、と言いながらも、カミラの目は嬉しそうに緩んでいるし、頬も綻んでいる。


「そうか、よかったね!」


 僕は感情を読み取ることはもともと得意だ。けれど、僕はカミラに関しては、その原因まで理解できるようになっていた。

 カミラは誕生日が来ることも、それを祝ってもらうことも好きで、嬉しいのだ。


 つまり僕がカミラをお祝いしたら……きっと、もっともっと喜んでくれるに違いない!


「誕生日のパーティーはするのかい?どこを貸し切る?ぜひお祝いに行くよ!」

「あははは!しないわよ、するわけないでしょ!」

「え?なんで?」


 けれど僕がウキウキと提案したら、カミラは大爆笑しながら否定した。


「普通そんなパーティーしないの!田舎じゃどっか貸し切ってパーティー開くなんて結婚式の時くらいよ」

「へぇ、そうなのか」


 カミラが呆れた顔で笑っている。

 カミラはよく僕に「呆れたわ」と言うし、表情にも出す。けれど僕はそれが嫌ではない。

 嫌悪や苛立ちや畏怖ではなく、彼女のそれは純粋な「呆れ」だけだから。


「じゃあカミラ達は何するの?」

「まぁ、家によって違うと思うけど、我が家の場合はねー」

「うん」


 僕は真面目にカミラの話を聞く。

 カミラはどれほど呆れても、僕を見捨てないし見放さない。僕が尋ねれば、きちんと説明してくれるのだ。彼女の声や瞳は、いつも嘲弄や侮蔑ではなく、穏やかな優しさを孕んでいる。


「ふふ、私たちはね、家で誕生日会をするの。王都のお金持ちの人からしたらびっくりするくらいお粗末なものだけれど、とっても楽しいのよ。……まぁ、学園にいる間は、私が王都にいるから無理だけどね」


 今年は誕生日会が出来ない、と言った時、少しだけカミラが寂しそうだったから、僕は勇んで手を挙げた。


「あ、じゃあ僕がしてあげるよ!君の誕生日会!」

「ええっ!?……あははっ、ありがとう」


 カミラは驚いて目を丸くしたあと、嬉しそうに破顔した。けれどカミラは、少し考えを巡らせた後、さっきと同じ顔で苦笑して首を振った。


「ふふっ、でも遠慮しておくわ。コーリーに任せたら大変なことになりそうだもの。とんでもない規模とか、とんでもないお金がかかってるとか」

「そんなぁ。僕も気をつけるのに」

「コーリーの基準で気をつけていても、私には目ん玉が飛び出るようなことになりかねないから、ありがたいけど遠慮しておくわ」


 せっかく張り切ったのに、と僕は肩を落とす。この一瞬で、借りる会場から手配する料理やスイーツ、あらゆる方面に思考をめぐらせたのに。


「無念だ……」

「ふふ、仕方ないわねぇ」


 明らかに落ち込んだ僕を見て、カミラは困ったように呟いてから、ニコッと悪戯っぽく笑った。


「じゃあ、どこかのケーキ屋さんでケーキセットでも奢ってちょうだい。それなら私でもお返しできるから」

「わ!もちろんだよ!やったぁ!」

「私じゃ返せないようなものにしないでね?」

「……うん、わかったよ」


 釘を刺してくるカミラに、僕は少しだけ残念な気持ちになりながらも頷く。たしかに僕が今思い描いていた「ケーキセットの奢り」は、カミラの財力と権力では出来ないことだった。もう少しお金や家の力がなくても出来るサプライズに変更しよう。


「僕の誕生日にも誕生日会してくれるの?」

「あなたの誕生日は公爵家の大々的なホンモノのパーティーがあるんでしょ?誕生日会なんてつまらないんじゃない?」

「いるよ!して欲しい!」


 僕がワクワクしながら問いかけると、カミラは困った顔で首を傾げた。


「誕生日会、してあげたいけれど……私は寮に暮らしているから、飾りつけする会場も用意できないわ。うーん……教授にお願いして、研究室を飾りつけたりしても良いのかしら?」


 懸命に考えてくれるカミラを見ていたら胸がドキドキしてきた。心の中で光がポコポコと跳ね回っている。

 公爵家の長男と男爵家の五女という、全然違う土俵に立ちながらも、僕と対等であろうと、()()()()()としてくれるカミラのスタンスは、僕にとって心地よい。


「あはは!アッサー教授なら良いよって言ってくれそうだけれど、僕はカミラと二人がいいなぁ。教授うるさいし」

「あなた、相変わらず本当に失礼よ。だから教授もチクチク言いたくなるのよ?」


 お小言を口にしながらも、カミラは僕の誕生日を祝う方法を考えてくれている。目の動きが思索に耽っている時と同じだから。


「僕がカミラをお祝いする時とおんなじが良いな!」


 カミラが僕のために悩んでくれるのは嬉しいが、困らせるのは僕の本意ではない。僕は満面の笑みでカミラにおねだりした。


公爵家(いえ)での誕生日パーティーは週末になるからさ、当日に、カミラにお祝いしてほしいなぁ」

「……そうね。じゃあその時は、学校帰りにケーキ屋さん行きましょう。奢ってあげる」

「やった!」


 両手を上げて、僕は幼児のようにはしゃぐ。大袈裟だとカミラは苦笑しているが、ちっとも大袈裟ではない。今すぐ身体中からぽんぽん光の魔力を発射したいくらい僕は大喜びなのだ。


 誰かにお祝いの贈り物をして、誰かからお祝いの贈り物をもらう。

 そんなことがこんなに愉快で心弾むものだとは、僕は知らなかった。これが対等な友達というものなのか、僕以外のみんなはこんな素敵な人間関係を持っていたのかと思うと、僕は体が震えてしまいそうだ。







 僕は最初、カミラのことがとても気に入ったから、いろんなものをあげようとした。そうすれば人は喜ぶものだと、僕が貧弱な対人経験から学んでいたからだ。


 普通の人では手に入らない物品、人脈、経験、知恵、武器。

 僕は大体のものが与えられた。


 王家に頼まれて付き添った王太子の魔物討伐の初陣では、己の力量を弁えず、敵の力量を計りかねて、うっかり死にかけた王太子。彼には、属性に合わせて攻撃力が十倍になる滅雷の剣をその場で錬成してやった。その時は真っ青な顔の王太子に、泣かんばかりに感謝された。

 森の隠者と呼ばれる大魔法使いとのコネクションを熱望していた、人脈作りオタクの宰相の息子。彼には、大魔法使いが好きな春画本のシリーズと、彼に連絡が出来る使い捨ての使い魔(紙の鳥)を貸してやった。そうしたら、真っ赤に顔を染めたオタクに、土下座して感謝された。

 自分より強い相手との終わらぬ戦いを渇望していた騎士団長の脳筋息子。彼には、持たせた武器の所有者の能力を複製できる土人形の兵士を作ってやった。脳筋馬鹿は歓喜の絶叫をしあげながら、感涙していた。ちなみにこれを使った時は、真っ青になった王家の遣いと両親に詰め寄られたが、その土人形は脳筋息子にしか攻撃しないし、回数と時間の制限もあるから大丈夫だ。あれ以来、余計な詮索をされるのが面倒で、攻撃力のある魔法具は使っていない。

 ……まぁそんなことはどうでも良い。


 とにかく、カミラにも何か望むモノを与えてやれば喜ぶと思ったのだ。

 けれど、何か欲しいものはないかと尋ねた僕に、カミラは心底不快そうに言い放ったのだ。


「あなた、何様のつもりですか?」

「……え?」


 絶句した僕に、カミラは淡々と続けた。


「私は()()は求めていないんです。コーリー様、あなたは私に()()になって欲しいと言いながら、なぜ()()()のように振る舞おうとするのです?あまりにも傲慢では?」

「ご、ごめんよ……そんなつもりじゃなかったんだ……」


 僕はしおしおと項垂れて、カミラに謝罪した。


「僕は、君に喜んで欲しかっただけなんだよ」

「子分が欲しいのではなく、友達が欲しいのならば、そのアプローチ方法は変えた方が良いと思いますよ」


 呆れを隠そうともせず、カミラは僕をチラリと見て端的に僕のやり方は間違っていると告げた。そして話は終わったとばかりに教科書に目線を戻したのだ。


 なんと驚くべきことに、()()の中で行われたこの会話に、クラスメイト達は僕でも分かるほど動揺、もしくは恐怖して凍りついていた。

 そりゃそうだろう。


「男爵家の五女が、公爵家の嫡男に何を……」

「あのコーリー様に対してなんてことを」

「あの人を怒らせたら、学校が吹き飛ぶのでは……」


 そんな、彼らの心の声が聞こえてきた。うっかり口から漏れてしまったのだろうね、周りの連中が慌てて口を押さえていたよ。

 彼らは僕が怒り出し、そして生徒諸共教室を破壊するのではないかと恐れていたのだろう。

 だが、僕はもちろんそんな愚行は犯さなかった。

 そもそも僕は腹を立ててなんかいなかったから、怒声の代わりに弾んだ声で尋ねたのだ。


「わかった。じゃあ、どうすれば君と仲良くなれるのか、教えてくれるかい?」

「へ?」


 そうくるとは思わなかったのだろう。僕が満面の笑みでカミラを見ると、彼女は意表をつかれたようで、普段の冷たさの抜けた、年相応の間抜けな表情を浮かべていた。


「え!?えっと……えー、あー、まぁ、お喋りとか?」

「わかった!」

「え゛っ」


 首を傾げて答えを絞り出したカミラに、僕は元気よく首肯した。

 カミラは明らかに「しまった、余計なことを言った」と言うような顔をしていたけれど、僕は構わず無邪気に宣言したのだ。


「じゃあこれから毎日、たくさんお喋りしよう!」


 と。





 今思い返しても、男爵家の娘が、公爵家の嫡男によくもまぁあんな口を聞いたものだと思う。


 学園内では身分による差別は認めない、というのはもちろん綺麗事の建前で、実際の学園は、差別も区別もバリバリの場所だ。彼女がそれを超えられるのは、彼女自身が首席入学者、つまりは()()()()()()()()()()()()()()()()()だからだ。







 

 カミラは家族の話をよくしていた。


「一番上の姉のところに、三人目が生まれたの」

「へぇ、カミラはもう叔母さんなんだね」

「随分前から叔母さんよ?一番上の子は四歳でね、『カミラおばちゃんは可愛いから、おばちゃんじゃなくておねえちゃんよ!』て言ってくれるの。可愛いわー、私にお金があったらなんでも買ってあげちゃいそう」

「そうなんだぁ」


 蕩けるような顔で姪っ子について語るカミラは可愛かった。けれどカミラに見惚れていた僕は、続く言葉にコテンと首を傾げた。


「だからお金がなくてよかったーていつも思うの」

「そうなんだ?」


 その価値観はよく分からない。


「だってなんでも買ってあげるなんて、教育に良くないでしょう?」

「そうなの?僕は何か欲しいと思ったことがないからなぁ」


 カミラの言っている意味がよくわからなくて、僕はさらに深く首を傾げた。欲しいものは全て手に入る方が良いに決まっているのでは?と思ったのだ。手に入るのならば手に入れれば良いのに、と。だがカミラは、そんな世間知らずで愚かな僕の発言も笑わず、納得したように頷いた。


「なんでも持っているものねぇ。公爵家くらいになれば、それが正しい在り方なんじゃない?公爵様が十年チマチマお小遣いをためて高級釣竿を買ってたりしたら、領民が嘆くかも」

「そうかなあ?よくわからないや」

「分からなくていいわ、あなたは()()()()なんだから」


 そうあっさりと割り切って、カミラはケラケラと明るく笑う。卑下でも卑屈でもなく、謙遜でも自虐でもなく、単なる事実として。


「でも男爵家は従兄弟が継ぐことになってるし、姪っ子たちは将来平民になる可能性も高いから、あまり物が手に入るのが当たり前にならない方がいいのよ」

「カミラは先のことまでよく考えてるんだね」


 僕が感心して言うと、カミラは当然のように頷く。


「そりゃそうよ。愛する家族には幸せな未来を歩いて欲しいもの」


 気負いもなく言い切って、清々しく笑うカミラに、僕は少し複雑な心境で口を開いた。


「……君は家族を愛しているんだね、カミラ」

「まぁ愛されてるしね」

「あはは、すごいね!言い切るんだ!」


 気持ちいいほどの断言に、僕は思わず吹き出して笑い出してしまった。けれどカミラは僕のそんな対応に、不思議そうな顔で首を傾げる。


「え?普通のことじゃない?」

「うーん、なるほど。幸せな家庭に生まれた子はそう言うのだね」


 僕は驚きと感心、そして少しの胸の軋みとともに呟いた。


「……僕には、その感覚はよく分からないや」







 最近、カミラと話していると胸が軋むことが多い。


 この感情は何を指すのかと書物を漁ってみたが、的確なものは見つけられなかった。羨望、憧憬、嫉妬、悲嘆、憎悪、憤怒、……どれも言葉が尖すぎている。僕の胸に渦巻くこれは、もっと淡くふんわりとしていて、そしてしっとりと湿ったモノだ。


「どうしたの、コーリー。胸なんか押さえて」

「うーん、なんだかざわざわしてね」

「あら風邪?早めに休んだ方が良いわよ」

「うーん」


 そんな言葉を言われたのは初めてだ。僕は昔から魔力過多で風邪なんか引かない子だったから。……そう思うと、またぎしっと軋む。


「魔力は生命力だからね、僕は風邪なんか滅多に引かないよ。これまでも引いたことはほぼないから」


 昔一度、魔鴉集団を壊滅させた時に、はしゃぎすぎて魔力切れを起こした状態で湖に落ちた時以来だ。あの時も親たちは頭を抱えていただけだ。もちろん親たちが即座に魔力を移植してくれたから、ありがたいことにすぐに回復したんだけれども。でも心配の言葉なんてあっただろうか。覚えていないだけかな?……あぁ、また胸が軋む。


「あら、そんなこと分からないじゃない。風邪は万病のもとよ?」

「……そうなの?」


 当然のように言うカミラにまた胸が軋む。僕の知らないことをカミラはたくさん知っている。他の無知で無能な人間が言った台詞なら間違っているのだろうと流せるが、カミラに言われると心配になる。もしかして僕は風邪を引いたのだろうか?


「まぁ王都なら良いお薬と医師がたくさんいるから平気なのかもしれないけど、田舎じゃ風邪を拗らせて死ぬなんてよくある話よ。風邪はひき始めが肝心なの」


 不安そうな僕を慰めつつ無茶をするなと嗜めるように、カミラは優しく続けた。


「私も寝なさい休みなさい!って言われると、いつも『まだ遊びたいのに』ってぐずっていたから、気持ちはわかるけどねぇ。でもちっちゃい子供じゃないんだから、聞き分けて今日は寝てなさいな」

「うん、わかったよ。……そっかぁ」


 カミラにもその方針は適用されていたのか。


 カミラだって、僕と同じように人間とは思えないような魔力量を持つ、規格外の存在なのに。

 魔力が多いから平気だろうと、幼い頃からあらゆる自由を許されていた僕とは大違いだ。

 カミラの話を聞く中で、だんだんと分かってきた。あれは信用という名の無関心、もしくは放置だったのだろう。触らぬ神に祟りなし、とばかりに、僕は距離を置かれて生きてきたのに。

 ざわり、ざわりと胸が騒めき、心臓がぎしぎしと軋む。


「ねぇ、カミラ。君は……」


 珍しく僕は言い淀んだ。


「コーリー?」

「あ、いや、なんでもないよ」

「なんでもないって顔じゃないでしょう。どうしたのよ」


 心配そうに顔を曇らせるカミラから目を逸らし、僕は暫く唸っていた。


「うーん、何というか、不適切なことを聞こうとしている気がする」

「あら!そんな発想が生まれたの!?常人にとっては当然の発想だけれど、あなたにとっては滂沱の涙を流して感激すべき進歩ね」

「あはは」

「で、なに?」


 流されてくれないカミラに、僕は諦めて口を開いた。


「うーん……カミラってさぁ、『魔物の子』って言われたことないの?」


 魔物の子。

 その言葉に、カミラは顔色を変えた。


「はぁ!?魔物の子なんて、言われたことあるわけな……ちょっと待って、あなたは言われてたの?」

「うん」


 真顔のカミラが、厳しい声で僕に問いただす。僕も敢えて隠すことではないと思っていたから、普通に頷いた。だが。


「はぁぁあああ!?」


 カミラは激怒した。そして僕の肩をガシッと掴むと、僕越しに誰かを睨みつけるかのように激しい目で問いを重ねた。


「誰に!?」

「みんなに」

「みんな!?みんなって誰よ!」

「父母弟祖父母叔父叔母その他親戚」

「ほんとうにみんなじゃない!」


 適当に誤魔化そうとしても誤魔化されてくれるカミラではない。僕は大抵どうでもいいと忘れてしまうけれど、これは言われすぎて覚えているのだ。僕が極力素直に、覚えていることを話し終わると、カミラは真っ赤になって激昂した。


「四歳や五歳の子供にそんなこと言うなんて、しんっじらんない!」

「……んはっ、あはははっ」

「ちょっと!何笑ってるのよ!」


 怒ってくれているカミラには申し訳ないが、僕はどうしても笑えて仕方なかった。


「うん、でも僕はその言葉を……褒め言葉だと思っていたんだ」

「は?魔物の子、を?」

「人間離れした能力を持つ子のことだと聞いていたから」


 幼い頃に、おそらくは父母の嘆きの中で、もしくは親類からの畏怖を込めた陰口として呟かれたであろうその言葉を、無垢な僕はマナーの家庭教師に尋ねたのだ。唯一僕にモノを教えられる偉人の称されていた彼は、一瞬だけ言葉を無くし、けれどすぐに微笑みと共に答えた。


「それは、コーリー様が人並み外れて、あまりにも優れたお力をお持ちだと言う意味ですよ」


 と。

 今なら分かる。あれは嘘ではないけれど、優しい衣を着せられていたのだ。


「あまりにも僕が凄すぎたから、彼らはそう口にしてしまったんだろうね。実際、畏怖を込めた賞賛の意図も含んでいたんだと思うよ」

「そりゃそうよ、だけど魔物のように災厄を振り撒くってニュアンスも当然含むでしょうが。子供に直接言う言葉じゃないわ!」


 優れた能力に見合わないほど、とても()()の家庭で育ったカミラには受け入れ難い感覚なのかもしれない。けれど僕には、彼らの言葉を否定できないのだ。だって。


「うーん、でもまぁ、僕はたしかに公爵家にとって災厄みたいなものだったしね」


 そうあっさり口にしたら、カミラは凄まじい形相で僕を睨みつけた。


「コーリー!」

「っ、な、なに?カミラ。そんな怖い顔して」


 怒鳴るでもなく、ただただ強い口調で、僕の意識を引き寄せると、カミラは真剣な顔で僕を見つめた。そしてまるで言い聞かせるように、静かに言葉を続けた。


「あなたの行動はたしかに災厄級だけれど、あなた自身が災厄であるわけではないわ。そこを勘違いしてはだめよ。じゃないと道を踏み外すわよ」

「……カミラ」


 僕は呆然としながら、まじまじと目の前の整った顔を凝視した。カミラの言葉がじわじわと脳に染み渡る。


「あなたがもう少し後先考えて行動できるようになれば、歴史上最大の発明や改革をして、神の使者とか地上に降りた天使と言われることも不可能ではないわ。でも!」


 淡々とした、でも温かさに満ちた声が、自分でも気づかないうちに僕の中で凝っていた自己への不信や嫌悪を、緩やかに溶かしていく。

 そしてカミラは、僕の変化に気がついたのか、柔らかな表情になって、僕の鼻先にツンと人差し指を突きつけた。


「場合によってはそれこそ天変地異級のアホらしい事態になって、とんでもない悪名を轟かし後世に名を残すことになりかねないから気をつけなさい!」

「……でも、どうしたら良いのかわからないんだよ」

「はぁ。しょうがないひとねぇ」


 つん、と鼻をつついて、優しい指が離れていく。カミラはまるで母親のような顔で、柔らかく僕を見つめた。


「じゃあ、まぁ、何かをする前には必ず、私に相談しなさい」


 仕方ないわね、ともう一度ゆるやかなため息を吐きながら、カミラは苦笑とともに肩をすくめる。くしゃりと愛らしく表情を崩しながら。


「卒業するまでにあなたに常識は無理でも最低限の判断基準を叩き込んであげるわ」

「卒業まで?」

「そうよ、あと数年で私から独り立ちできるように、ちゃんと頑張るのよ」

「……うん、わかった」


 カミラは僕の手を離す前提で、優しく僕を諭した。その言葉に、僕は堅く決意したのだ。


「その時までに、ちゃんと整えるよ」


 うん決めた。

 卒業までに、カミラとずっと一緒にいられるように、環境を整えてみせる。

 僕はカミラから独り立ちなんてしたくない。

 永遠に離れたくないんだから。


「これからもよろしくね、カミラ」

「ええ、よろしくね。コーリー」


 楽しげに笑うカミラを見ながら、僕は頭の中で凄まじい数の可能性を考え、検討し、ベストの方法を弾き出す。

 カミラを僕の伴侶にするために、最高で最善の道を。


「……あ、死んでからのことも考えないと」


 思索の途中でふと思いついて、僕は慌てて脳の片隅にメモをした。


 来世でも一緒にいられるように輪廻転生魔法も研究しておかなければ。

 ()()は禁忌だから、バレないように気をつけなくてはいけない。


 特にカミラには知られてはならない。

 きっと本気で怒られてしまうだろうからね。

 カミラはルールは守らなきゃいけない、って言うタイプの、とっても()()の良い子だからさ。









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