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8 『亡霊』の銀シラカバ

 本邸では次女のファンニが婚約者の来訪を待ちわびていた。

「サロモン様ったら、三日にあけずに会いに来られるなんて、またお友達に冷やかされてしまうわ」

「それほどお嬢様に恋焦がれておられるのですよ」

「そうですとも。贈り物は毎日届きますし」


 メイドたちに褒めそやされてファンニは上機嫌だった。その母親のレータも目を細めて愛娘の幸福そうな姿を見守っている。

 そこに、せわしげなノックの音がした。


「失礼します、奥様、お嬢様」

「サロモン様がお見えになったの?」

 期待に満ちた問いに、メイドは首を振った。

「いえ、それが、カルヴォネン公爵家の奥様とお嬢様方が突然訪問されて……」


 親子は顔を見合わせた。

「公爵夫人が? それにシェルヴィア様たちまで」

 公爵家の夫人と令嬢たちは公子の婚約者に対してどこかよそよそしい態度を崩さないままだった。ファンニとしては不満だが、さすがに口には出せずにいたのだ。


「どうしたのかしら。お約束もしていないのに」

 不安そうな娘を抱き寄せ、レータが言いつけた。

「すぐにお通ししてお茶の用意を」

「それが…、到着するなり離れのオーレイリアお嬢様の元に向かわれて」

「何ですって!?」


 思わず叫びながらファンニは立ち上がった。レータも同様だ。

「どうして『亡霊』なんかが公爵夫人の訪問を受けるのよ! 私だってあちらからお会いしてくれたことなんてないのに」

「……申し訳ございません」


 怒りの矛先を向けられたメイドは平身低頭で詫びるばかりだった。話にならないとファンニは部屋を出た。

「お嬢様?」

「離れに行くわ、あの女、何か卑怯な手を使ったに違いないもの」

 制止するメイドを振り切り、ファンニは駆け出した。レータも後に続くしかなかった。




「ようこそ、お越しくださいました」

 流れるように淑女の礼をし、オーレイリアはカルヴォネン公爵家の女性たちを迎え入れた。午前中の公爵邸訪問からすぐに帰宅し、キジーと二人で彼女たちの訪問の準備をしてきたのだ。


「ちょうど鑑定人に計算をしてもらっている所です」

 メリルオト侯爵家の離れはこれまでの陰鬱さを払い落としたように見えた。玄関扉は開け放たれ、光に満ちたホールには磨かれた家具調度品がずらりと並んでいた。


「ご覧になって、お母様」

「何て素晴らしいの」

 令嬢たちがその光景に感嘆した。オーレイリアは彼女たちを案内してホールを巡った。

「こちらは母の持参金です。すべて樹齢百年越えの銀シラカバのみを用いたロイヴァス様式の家具を一式揃えております」


 繊細で密な木目が美しく樹木の黄金と呼ばれる銀シラカバ。北方のロイヴァス領にのみ自生する貴重な木材を惜しげも無く使用し、緻密な彫刻が施された家具類は溜め息ものの素晴らしさだった。


 離れに来てからたらオーレイリアと一緒に毎日これらを磨き上げたキジーは、公爵家の人々の反応に満足していた。

 ――誰だって見違えるよね。あのホコリだらけのガラクタがこんなに綺麗になるなんて。


 汚れたり煤けた風合いになっていたのはわざとそうしていたのだとオーレイリアから聞かされた時は、彼女の正気を疑ったものだ。侯爵家の長女は『こうしておく必要があったのよ』としか言わなかったが。


 優雅な公爵夫人はライティングビューローの前で立ち止まった。その木目にそっと触れ、彼女は懐かしむように呟いた。

「トゥーリア様はこれを最も気に入っていたわ。この木目が故郷の山脈の稜線に似ていると……」

「母と親しくしてくださったことは聞いています」


 控えめにオーレイリアが言うと、公爵夫人は何度も頷いた。ホールを一周した令嬢たちは感想を言い合っている。

「これが特級品の銀シラカバなのね」

「ファンニ様が自慢げに見せてくれたのとは随分違うわ」

「どうしてかしらね」


 口にした名が呼び寄せたように、離れの外が突然騒がしくなった。

「母上? それに姉上たちまで、どうしてここに…」

 カルヴォネン公爵家の公子は信じられないと目を瞠っていた。

「こちらのご令嬢にご招待をいただいたのよ」

 公爵夫人スイーリスが玄関に立つオーレイリアを紹介した。侯爵令嬢は彼に礼儀正しく挨拶した。


「ご無沙汰をしております、公子様。このたびは妹との婚約おめでとうございます」

「……オーレイリア嬢…か?」

 公子の表情がばつの悪そうなものになった。彼らが前回顔を合わせたのは互いに幼い頃で、先代侯爵が取り決めた婚約の相手としてだった。その後、先代が亡くなるとすぐに現侯爵が妹の方との婚約にすり替え、彼も華やかなファンニに変わった事を喜んだのだ。


 成長したオーレイリアは地味な出で立ちだが貴族令嬢にふさわしい気品を漂わせていた。それが彼の母や姉たちと共通するものだとサロモンは気付いた。カルヴォネン公爵邸の中ではファンニがどうしても浮いた存在になってしまうことも。

 気まずい沈黙の中、忙しく家具の間を歩き回り評価額を算定していた商人がオーレイリアを呼んだ。


「お嬢様、このくらいの計算になるのですが」

 その紙を彼女は公爵夫人に見せた。

「手付金としていかがでしょうか」

「……そうね、あなたの希望するものはアロネンが責任を持って揃えましょう」

「ありがとうございます!」

 高揚感に満ちた気分でオーレイリアは心からの感謝を述べた。その会話に公爵家の令嬢たちが加わった。


「本当にこれ全てを売却してしまうの?」

「はい、成人して母の持参金を所有する権利ができましたから」

「思いきりのいい方ね。お母様、我が家でいくつか購入しましょうよ」

「素敵、誰も持っていないお嫁入り道具になるわ」

「あなたたち、これを目当てに付いてきたのね」


 はしゃぐ二人を窘めながらも、公爵夫人はその提案を否定しなかった。

「……持参金? 売却とは……」

 話について行けないサロモンの耳によく知った声が響いた。

「何をしてるのよ!!」


 キジーがぴくりと肩を縮めるのを、オーレイリアは背中にそっと触れて宥めた。声の主、継母と異母妹に向けて挨拶をする。

「ご機嫌よう、侯爵夫人。ファンニ」

 挨拶も返さず、普段の貴婦人らしい態度をかなぐり捨てた継母レータは目を釣り上げて詰め寄った。


「図々しく公爵夫人をこんな所に来させてガラクタを見せるなんて、何のつもりなの?」

 今にも掴みかかりそうな彼女に冷水を浴びせたのは、公爵令嬢たちの華やかな笑い声だった。

「お聞きになって?」

「この見事な銀シラカバの家具がガラクタですって?」


 我に返ったレータは改めてホールの家具類を見渡した。めぼしい物は前侯爵が亡くなった時に強奪し尽くしたはずだった。

 公爵夫人が触れるライティングビューローの見事な木目に気付き、彼女は呆然とした。形は見覚えがある。だが、それは埃を被り薄汚れた物だったはずだ。


「……どうして、こんな……」

 混乱する侯爵夫人にオーレイリアは説明した。

「母の持参金です。今は私が正式に所有権を引き継いでいますので売却手続きを進めているところです」


 侯爵夫人の背後でファンニも顔を歪めていた。異母姉から奪い取ってやったと思っていた素敵な家具が、これらの前では完全に見劣りすると思い知らされたためだった。

「嘘よ!」

 叫ぶように言うと、ファンニは姉にくってかかった。


「あんたがこんな綺麗な物持ってるはずがない! 隠れてお父様のお金を使って買い込んだのよ!」

「そうね、この家の金で買ったのなら私たちの物よ」

 レータは震える手で最高級の銀シラカバの家具類に手を伸ばそうとした。それをオーレイリアは振り払った。


「触らないで。お母様の持参金だと言ったはずです。疑うなら婚姻時の公正証書を見せましょうか?」

 わなわなと震える継母と口も挟めず突っ立っている公爵子息にちらりと目をやり、オーレイリアは彼女らが知らない事実を告げた。


「お祖父様…、先代侯爵はあなたたちの性根と行動を正確に予測なさっていたわ。ご自分が亡くなれば息子がやりたい放題をすることも。だからお母様が持参金として離れに保管していた家具類に偽装してわざと目立つところに派手なだけの安物を置くよう指示なさったの。息子の愛人たちが手順を踏んで家族関係を築くならそれでよし、日陰の立場に置かれた鬱憤を正妻の物を奪って晴らそうとするなら容赦はするなと言い残されて」


 侯爵家の長女は継母と異母妹を交互に眺め、微笑んだ。

「予想どおりでしたわね」

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