7 『亡霊』の交渉
翌日、オーレイリアとキジーはカルヴォネン公爵家の門をくぐっていた。公爵夫人スイーリスがわざわざ馬車を寄越してくれたおかげで体面を保てたことに、侯爵令嬢はほっとしていた。
「公爵夫人は私の母と知己だったから門前払いはされないと思っていたけど、予想外の好待遇ね」
馬車の中でこっそりとメイドに言うと、豪華な内装に目を奪われていた少女は慌てて頷いた。キジーは膝の上の小箱に視線を落とした。オーレイリアが公爵夫人への手土産だと言っていたものだが、中身が何なのかは想像も付かない。
メリルオト侯爵家の長女は今日も簡素な灰色のワンピース姿だった。襟とカフスのレースで辛うじて貴族令嬢らしく見える。
「でも油断はできないわ。あの方は常に冷静で嘘や誤魔化しを嫌うそうだから。母との友誼に甘えるような真似は厳禁ね。私が価値を示さないと」
今日のオーレイリアは口数が多いことにキジーは気付いた。おしゃべりで緊張を紛らわしているのかもしれない。
そうするうちに馬車が止まった。二人の眼前にはカルヴォネン公爵邸の壮麗な門があった。
メリルオト侯爵家を雲上の人たちの住まいと思ってきたキジーは、上には上があるのだと溜め息を堪えた。壁紙から絨毯、シャンデリアや調度品に至るまで公爵邸はあらゆる点でレベルが上なのは新米メイドにも分かった。
ちらりと前を行くオーレイリアに目をやると、侯爵令嬢はすっと頭をもたげてまっすぐ歩いている。その姿にキジーは素直に感心した。
――やっぱりお嬢様は育ちが違うんだ。
当の侯爵令嬢は邸宅の内装など目に入っていなかった。彼女の頭の中にはこれからの会見でいかにして公爵夫人の協力を取り付けるかが渦巻いていたのだ。
案内してくれたメイドが一つの扉の前で立ち止まった。室内の住人に向けて恭しく告げる。
「奥様、メリルオト侯爵家のご令嬢をご案内しました」
「お入り」
カルヴォネン公爵夫人スイーリスの凜とした声が聞こえた。背筋を伸ばし、オーレイリアは開かれた扉の中へと進み出た。
「突然の訪問を許してくださり感謝します」
淑女の礼をする侯爵令嬢に、公爵夫人は答えた。
「ごく私的な会談ですもの、堅苦しい礼儀は不要です」
頭を上げ、オーレイリアは優美な公爵夫人とよく似た二人の令嬢が並ぶのを見た。
「やっとお会いできたわ」
水色のドレスの令嬢が声をかけた。
「楽しみにしていましたのよ」
若草色のドレスの令嬢が微笑んだ。
「シェルヴィア、サネルマ」
公爵夫人が娘たちを窘めるように呼んだ。
くすくすと笑うと彼女たちは改めて自己紹介をした。
「ご機嫌よう、メリルオトのお嬢様。私はシェルヴィア・カルヴォネン」
「私はサネルマ、お会いできて嬉しいわ」
「オーレイリア・ロイヴァスと申します」
メリルオトの名を省いたことに令嬢たちはちらりと互いに視線を走らせたが、追求はしなかった。
「どうぞ、こちらへ」
公爵夫人が招いたのは花で飾られたサンルームだった。湯気の立つサモバールも花の絵が描かれている。夏の花がふんだんに使われているのを見て、壁際に控えるキジーは黄金並みの花だと感心した。
「で、今日はどのようなご用件なのかしら」
おっとりと尋ねる公爵夫人に、元侯爵令嬢は直截に答えた。
「私、成人に際して侯爵家から籍を抜きました」
公爵夫人は薄青色の目を見開いた。令嬢たちも言葉を失っている。構わずオーレイリアは続けた。
「準備が整い次第ロイヴァスに向かいます。その折に持参したい物があるのです」
「あの国境紛争地に何を持ち込むつもりなの?」
興味深そうな声で公爵夫人は質問した。彼女の目をまっすぐに見つめ、オーレイリアは告げた。
「貴女様のご実家の傘下にある商会、アロネンが扱う品物です」
それを聞いた公爵夫人の視線が一気に鋭くなった。
「アロネンの商品を知っての言葉なの?」
侯爵家の長女は頷いた。
「銃器・火薬類。ロイヴァスが今欲している武器を手土産にするつもりです」
しばしの沈黙の後、公爵夫人はふっと息をついた。
「……そう、辺境の変事を知っているのね」
「もう奥様にまで情報が届いているのですね」
オーレイリアは内心焦った。ロイヴァスの後継者の死が王都にまで知れ渡ればメリルオト侯爵の耳に入るのも時間の問題だ。
緊迫した空気の中に軽やかな笑い声が流れた。
「まあ、そんなに怖い顔をしてはいけませんわ、ロイヴァスのお嬢様」
「ええ、ご自身に余裕がないのを見透かされてしまいますわ」
公爵家の令嬢たちが冗談めかして忠告してくれた。苦笑しながらオーレイリアは大きく息をした。
「失礼しました。この計画は時間との競争ですので」
公爵家の令嬢たちは同情的に微笑んだ。
「あなたの価値に侯爵が気付いたら厄介ですものね」
「でもとても素早い行動ですわ。お母様はもう二、三日かかるかもとおっしゃっていたのに」
オーレイリアとキジーは同時に公爵夫人に顔を向けた。美しい貴婦人は内心を気取らせない微笑を浮かべている。彼女はカップを手にすると核心に触れた。
「それは大変な買い物ね。しかも高価な。アロネンは代金を回収できないと見極めた客を相手にしないし」
その言葉を待っていたかのように、オーレイリアはキジーに合図した。メイドの少女はずっと手にしていた小箱を主の前に置いた。
「こちらをお納めください」
差し出された箱を怪訝そうに公爵夫人は開けた。その中にあったのは水晶だった。しかしただの結晶ではない。
公爵夫人は慎重にそれを取り出した。サンルームの人々は絶句した。水晶の中には赤い炎が舞っていたのだ。
よくみればそれは赤い内包物が光にきらめくためだと分かった。それでも水晶の美しさは見る者の目を奪い釘付けにした。
「……ロイヴァスの炎水晶…、鉱山は枯渇したと聞いていたけど」
溜め息交じりに公爵夫人が呟くと、オーレイリアはここぞとばかりに力説した。
「新たな鉱脈を発見したと報告がありました。情勢が落ち着けば採掘に取りかかれます」
「出るかどうかも分からないものを担保にできるかしらね」
「手付金は別口で支払います」
きっぱりとした返答に、公爵夫人は楽しげに口元をほころばせた。
「聞かせていただけるかしら、ロイヴァスのお嬢様」
同日午後、王都の侯爵邸。メリルオト侯爵はカルヴォネンの公子を迎え上機嫌だった。
「連日お越しいただけてファンニも喜んでおります」
「愛しい婚約者のためならたやすいことだ、侯爵」
白皙の貴公子と評判のサロモンは、庭園を案内されながらふと屋敷の反対側に目を向けた。
「何やら向こうが騒がしいようだな」
それを聞き、侯爵は眉を跳ね上げた。
「あれは離れの……、申し訳ありません、どうやら上の娘が粗相をしているようで」
「ああ、例の『亡霊』令嬢か。珍しく昼間から活動しているのだな」
公子は一笑に付した。安堵した様子で侯爵は彼の後に従った。途中で秘書が焦ったように報告しようとしたが、にべもなく追い払った。
「大事なお客人が見えないのか、まったく礼儀知らずどもが」
主に叱責され、仕方なく秘書は引き下がった。それでもちらちらと離れの方に目をやりながらもの言いたげな顔をするのに、侯爵は怒りを募らせた。
いい加減にしろと怒鳴りかけた時、公子の侍従が慌てた様子でやって来た。
「サロモン様、今、公爵夫人がこちらにお見えになりました」
「母上が? ファンニと約束でもあったのか?」
「それが、こちらの上のお嬢様との面会に約束があると、お嬢様方もご一緒で」
「シェルヴィアとサネルマまで?」
ファンニには一線引いた態度を崩さない公爵家の女性陣が揃っての訪問。しかも面識がないはずの『亡霊』令嬢にだ。
「何があるのだ」
サロモンは離れの方角に歩み出した。侯爵は混乱しながら彼を追った。