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6 『亡霊』の離籍

 突然の決意表明に、商人は片眉を上げて驚きの表情を作った。部屋を見回しながら侯爵令嬢は語った。

「王都でこれを知る者はどのくらいいるのかしら」

「国王陛下直属の者くらいでしょうか。ここの人々は辺境の小競り合いにあまり興味を持たれないので」


 クロニエミは必死で計算をする少女の答えを待った。オーレイリアはきっぱりと言った。

「三日あれば全て片付けるわ」

「では、こちらも情報の堰き止めにかかりましょう」


 頷く商人に侯爵令嬢が言った。

「叔父様にお悔やみを。それから、私は決して希望を捨てないとお伝えして」

「かしこまりました」


辞去するクロニエミを玄関ホールまで見送ったオーレイリアは、背後に控えるキジーに聞こえないように告げた。

「あの子はミュラッカ村の生存者なの」

 商人の顔に緊張が走った。


「それは……」

「ここに保護しているけど、王都ではどこで嗅ぎつけられるか分からない」

「では、ロイヴァスには」

「連れて行くわ。もちろん本人の了承は取るけど」

「身の安全のためには早い方がいいでしょうな」

 侯爵令嬢は頷いた。いつものように彼が運び込んだ食材や生活用品の受け取りにサインをし、平静を装う。


 彼女の背後で、キジーは客間での会話を思い出そうとした。ロイヴァス辺境領での異変が何を意味するのか分からないが、自分達の運命が大きく変わるような気がしてならなかった。


 クロニエミの姿がドアの外に消えると、オーレイリアは呟いた。

「計画を実行に移す時が来たのね」

 そして彼女は状況が分からない様子のキジーに笑いかけた。

「お茶にしましょう。本邸は今日も賑やかね」

「あ、ファンニお嬢様の婚約者様が毎日のようにおいでになるんだってカーナさんが言ってました」

「暇なのかしら」


 身も蓋もない感想を述べると、オーレイリアはキジーと一緒にお茶の時間を楽しんだ。本邸から寄越される苦いものではなく、クロニエミから仕入れた香りの高い茶葉を使用した一杯だ。


 ひと息つくと、オーレイリアは勢いよく立ち上がった。

「さあ、出かけましょう」

「お庭で訓練ですか?」

 驚くキジーに侯爵令嬢は悪戯っぽく言った。

「外よ。貴族法院に用事があるの」

 キジーの灰色の目がまんまるになった。


 


 侯爵家の裏門を開け、使用人らしき二人の女性が敷地の外に出た。小柄な方が不安そうにきょときょとするのに、もう一人が笑った。

「言ったでしょう? 使用人二人で買い物に出るのを誰も気にしないって」

 それは離れから出ないと思われている侯爵令嬢とお付きのメイドだった。古い灰色の服の上にエプロンを着けたオーレイリアは疑われることもなく外出できたのだ。


 侯爵邸から離れるとオーレイリアは物陰でエプロンを外し、レースのカラーとカフスを着けた。それだけで古いワンピースは全く違って見えた。

 驚くキジーに片目をつむり、オーレイリアは大きく息を吸い込んだ。


「昼間に外に出るのは久しぶりだわ」

「外出、されたことあるんですか?」

「クロニエミが来た時に、連れ出してもらうことがあったの。地図だけでは分からないことがあるから」


 彼女たちは大通りを進んだ。立派な建物が並ぶ一角はお屋敷街とは違った印象があった。

「……ここは」

「官庁街よ。あれが法務省、その隣が貴族法院」

 髪を整えヴェール付きの帽子を被ったオーレイリアは、メイドを従えた貴族令嬢として堂々と法院の正門を通った。


 受付にはキジーが用件を告げた。その後待合室で静かに待っていると、案内係が彼女たちを呼んだ。

「オーレイリア・ロイヴァス・メリルオト様、こちらへどうぞ」


 廊下を歩いた先には小さな部屋があった。法務官が座る机の前にオーレイリアは座り、キジーは壁際に控えた。眼鏡を直し、法務官は事務的な声で確認した。


「ご令嬢、成人を迎えてメリルオト侯爵家から籍を抜きたいという申し出ですが、間違いありませんか」

「はい、これよりロイヴァス姓を名乗りたいと思います」

「確かに、証人として二人の署名があり、ご両親の許可は不要となります。侯爵家における権利全てを手放すことになりますが、了承されていますか」

「はい、母の遺産以外のものは望みません」

「分かりました。貴族法院はあなたの申請を許可します」

「ありがとうございます」


 優雅な仕草で立ち上がり、オーレイリアは法務官に微笑みかけた。認証の書類を受けとったキジーは侯爵令嬢のあとを急いで追った。

「お嬢様、侯爵家から出て行くのですか?」

「そうよ」


 オーレイリアの返答はいたって簡潔だった。

「あそこにいても良くて飼い殺し、悪くて適当な所に嫁がされてロイヴァスとの縁が切れてしまうわ」

「でも、こんな急に」

「急がなければならないの。辺境の異変を侯爵が耳にして、私の利用価値に気付く前に」


 言いながら彼女が移動した先は商業施設が並ぶ通りだった。商会らしき建物の一つに、オーレイリアは迷わず入っていった。

「クロニエミの紹介で来ました」

 キジーが教えられたとおりに店員に告げると、すぐに二人は中に通された。


 建物はそれほど大きくなかったが、奥の内装は思ったより豪華だった。思わずきょろきょろしてしまうキジーは主と一緒に法務院より余程広い部屋に入っていった。

「これは、メリルオトのお嬢様」


 恰幅の言い中年男性に迎えられ、オーレイリアはすまして答えた。

「今日からロイヴァスの人間よ」

「ほう」

 彼の目が細められた。それだけで全てを納得したように男性は頷いた。


「さすがに行動がお速い」

「勘付かれる前に全てを終えたいの。辺境の続報は?」

「マティアス様の部隊が全滅したのは痛手でした。歴戦の竜騎兵を失いましたから」

「軍備的損害は?」

「補給拠点を潰されましたから、銃器火薬類全般が不足しております」

「すぐに買い付けできる所は?」


 男性は用意していたように書類を取り出した。受けとったオーレイリアはざっと目を通した。

「できるだけかき集めて。なるべく足元を見られないように。それから輸送の手配も」

「承知しました。お嬢様は?」

「もちろん同行するわ」

「即断即決ですな」


 喉の奥で笑い声をたて、男性は数枚の書類を令嬢に渡した。オーレイリアは隅から隅まで読んだ後に署名し、一部を受けとった。

「では、こちらも最速で準備にかかります」

「お願いするわ」

「ロイヴァスの分水嶺の栄光を」


 彼が神妙な表情で述べる言葉にオーレイリアは苦笑した。

「それは私があの地に受け入れられてからの祝福になるわね。この血の半分は歓迎されないものだから」

「貴女様の無事のご帰還を願っております」


 オーレイリアは彼に皮肉げに言った。

「ありがとう。叔父様にお買い得だと宣伝しておいて」

 近未来に侯爵家を出奔予定の令嬢が出て行くと、商会の男性は感慨深げに呟いた。

「トゥーリア様の失われた血脈がロイヴァスに戻るか……」




 その夜、お使いから戻ってきたキジーをオーレイリアはねぎらった。

「お帰り。あちらの返事は?」

 メイドの少女が封筒を手渡すと、オーレイリアは中のカードを読んだ。

「良かった、公爵夫人は会ってくださるわ。明日は朝から忙しいわよ」


「あの、お嬢様」

 不安そうにキジーは問いかけた。振り向くオーレイリアはメイドの真剣な表情に戸惑った。

「ここを出て行ってお母様のご実家に行かれるのですか?」

「そうよ。厳しい道のりになるだろうけど本格的な冬になる前にロイヴァスに着きたいの。ああ、あなたの旅支度もいるわね」


「あたしの?」

 仰天するキジーを見て、オーレイリアは自分の過ちに気付いた。

「いけない、後回しになってしまったわね」

 そして彼女はメイドに向き直った。小さな手を取り告げる。


「あなたに一緒に来て欲しいの」

「あたしが、ですか?」

「そう、あなたに。良い条件でないのは分かっているわ。気候は厳しいしこの街のような華やかさもない。でも、来て欲しいの」

「……どうして……」


「理由は二つ。一つ目はあなたを気に入っていること。一緒暮らしてみて素直で働き者だって分かったから。二つ目は私の北部の知識は書物と伝聞しかないこと。あの地を知る者が必要なの」

 必要と言われてキジーの胸は高鳴った。今まで、どこに奉公しても使い捨ての下働きとしか扱われなかったからだ。オーレイリアは尚も説得した。


「危険がつきまとうことだから、断っても良いのよ。私があなたにあげられる報酬は微々たるものだし。そうね、あとは……」

 すっとキジーの耳元に唇を寄せ、侯爵令嬢は囁いた。


「あなたの家族を殺した者への復讐の機会をあげる」

 メイドの少女はびくりと身を震わせ、令嬢の青灰色の瞳をただ見つめた。

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