42 エピローグ
最終話は本編から約20年後です
ソルノクート王国、北方国境地帯。
バイランダー山脈の麓に降る雪は分水嶺と呼ばれる国境付近では吹雪になっていた。
国境防衛に当たる辺境伯が治めるロイヴァス領、その最大の町スオメンリンナは緊張感に包まれていた。
荒天をものともせずに大型翼竜が次々と舞い降り、領主の館に続く練兵場は大きな翼が触れ合うほどのクリオボレアスが終結していた。
ポラリス半島個有の大型翼竜は冬期の白い羽毛に包まれ雪と同化しそうだった。翼竜の隣で待機する竜騎兵たちは横殴りの雪にも動ぜず下知を待っている。
館の内部も慌ただしかった。
「国境から続報は?」
クリオボレアス第一竜舎を監督するサウル卿が偵察員に確認した。
「山脈の帝国側に集結する部隊を視認、追跡中です」
回答に彼は眉をひそめた。
「正規軍か?」
「おそらくカルフ族の部隊かと」
それは湖沼地帯に住む一族だった。かつてバルカ家から帝国側に寝返り領地失陥のきっかけを作った者の名は、サウルに嫌悪の声を出させた。
「あの裏切り者共が、性懲りもなく帝国に尾を振るか。二十年前に帝国軍が大敗した時はこっちにいい顔をしておいて」
彼の側にいた兵站責任者が苦笑した。
「結局、帝国が対ロウィニア戦役での賠償金支払いを免れたのが大きかったですね。これがアグロセンなら煌宮の壁を剥ぎ取ってでも搾り取ってたでしょうが」
「小国は弱小であれば同情も援助も受けやすいが、力をつけていけば途端に警戒されるからな」
他人事でないとサウルは兵站責任者に語った。帝国が賠償金のくびきで伸張政策を放棄していればポラリス半島から完全撤退もあり得たのだが、元々が自力のある大国。むしろ二十年もの間に大きな紛争がなかったことの方が奇跡だ。
「それでも、時間に助けられたのは我々も同じだ」
若き日を思い出し、サウルは辺境伯の作戦室に向かった。扉の前で一礼する。
「閣下、帝国側はカルフ族を使って探りを入れるかと思われます」
「分かった、戦獣の種類は?」
地図から顔を上げたのは少年だった。この地には珍しい赤褐色の髪を揺らし、血縁者でもあるサウルに向き直る。竜舎長は地図の一点を指さした。
「カセリヌ峠で鎧熊が目撃されています」
「いきなり大型を出してきたな。初手でできる限り叩くつもりか、それとも……」
考え込む少年の仕草は、彼の両親を連想させた。感傷に囚われかけたサウルはそれを振り払い、作戦立案に集中した。
「鎧熊は破壊力はあるが、暴走すれば制御は不可能。それを利用してこっちに突入させ、国境警備兵を潰すのが目的だろう」
「では、正規軍は出てこないと?」
竜舎長の問いに少年は頷いた。
「帝国も大義名分無しでは動けない。下手に国境を越えれば前回の二の舞になると身に染みてるはずだ」
サウルは口元を緩めた。
「国境軍監殿は出番が待ち遠しいようで」
「待っているのはバイランダーのクリマ酒の方だろう」
少年が辛辣に答えると作戦室に笑い声が起きた。彼らは作戦の大綱をまとめると早速先行部隊の選抜に取りかかった。
しばらくして、練兵場からの伝令が入室した。
「ルーカス様、竜騎兵部隊全騎が揃いました。どうかお言葉を」
「今行く」
厚手のマントを羽織り、少年は作戦室を後にした。
華美より実用性を追求した館は要塞の趣すらあった。広いが装飾に乏しい回廊に響く足音は一つだけだ。
辺境軍を出撃させる時、彼は一人で練兵場への回廊を歩く。それは突然辺境伯を継承した時からの習慣だった。
回廊には一枚の絵が飾られている。三年前に『北風の王』の探索に向かい消息を絶った両親――前辺境伯オーレイリア・バルカ=ロイヴァスとその伴侶カイ・ユーティライネンの肖像画だ。
額縁に手を触れ、ルーカスは声に出さず両親に出撃の挨拶をした。まだ少年であることは国防の責務から逃れる言い訳にならない。母が伝説の撃退戦を勝利に導いた時は自分と一歳しか違わなかったのだから。
彼は回廊を進み、練兵場へと向かった。
雪がますます強くなる中でも竜騎兵の熱気は衰えなかった。
彼らの前に少年辺境伯が現れると、竜騎兵は一斉に敬礼した。雪の中で翼竜と共に言葉を待つ彼らをルーカスは見渡した。
背後に控える第一竜舎長サウル卿、母の侍女で彼の乳母でもあるキザイア夫人、頼もしい乳兄弟たち、厳しい地で共に戦ってきた人々。
ルーカスは檄を飛ばした。
「帝国はカルフの山賊と鎧熊を走狗にして国境を脅かそうとしている。我が竜騎兵はこれを許さず撃ち払う。ロイヴァスは何一つ奪わせない!」
一瞬の沈黙の後、練兵場は怒濤のような歓声に包まれた。
「ロイヴァスは奪わせない!」
「分水嶺の栄光を!!」
熱気に呼応したようにクリオボレアスたちも高く頭を上げて鳴いた。ルーカスは彼らの興奮が徐々に自分の奥深くに伝わってくるのを感じた。
やがて翼竜たちの意識が視界が同化していく。少年の青灰色の瞳に黄金の輝きが加わった。
竜騎兵が騎乗した白い翼竜が次々と前傾姿勢をとり飛翔準備に移る。
ルーカスは片手を上げた。
「ロイヴァス竜騎兵、出撃!」
最後までお付き合いくださり有難うございます。感想、ブクマ、評価、誤字報告感謝します。年内にコメディ寄りの短編二本を予定してます。




