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40 過去の清算と国境線 

 逡巡するオーレイリアのただならぬ様子に気付いたカイがそっと尋ねた。

「ユッカという名は君から聞いた気がするんだが」

 我に返った彼女は心配そうなカイに向けて小声で説明した。

「水席案内人として私たちに近づいてワゴンを襲った帝国の傭兵よ、ミュラッカ村を襲撃した犯人の一人」


 さすがにカイも表情が険しくなった。

「どうする?」

 しばらく考えた後でオーレイリアは首を振った。

「私はあの子の約束したの。家族を殺した者に復讐する機会をあげると。破るわけにはいかないわ」

 そう答え、辺境伯の令嬢は小柄な少女の側に立った。キジーは不思議そうに彼女に質問した。


「ユッカって、『オタヴァ』号で一緒だった人ですよね。何でここに…」

「聞いて、キジー」

 オーレイリアが真剣な声を出した。つられてメイドの少女も真顔になる。

「…ワゴンが襲撃された時に、あなたの村を焼いた者がいると言っていたわね。覚えてる?」


 目を瞠った後でキジーは頷いた。襲撃者の露骨な欲望を剥き出しにした声は今も幼い頃の記憶に巣くっている。

「その男がユッカなの」

「……え?」

 彼女の中の記憶――いつも冗談を言って笑っていた陽気な水先案内人と悪夢のような襲撃者が繋がらない。

 混乱するキジーをオーレイリアは静かに見守った。やがて黒っぽい髪を揺らし、少女は顔を上げた。


「気付かなかった。ザハリアス語を話さなかったから…」

「本性を隠すのが上手い男よ。私もあの時までは確信を持てなかったし」

 しばらくの沈黙の後、キジーはきっぱりと言った。

「どこにいるんですか」

 小さく頷き、オーレイリアは一緒に騒ぎの場所に向かった。




 爆風で根元から倒れた木の側に帝国の傭兵は座っていた。

 座ると言うよりたまたまそこに置かれているように見えるほど、彼は生気に欠けていた。 ざっと傷の具合を診たヨーセフが小声でオーレイリアに告げる。

「あれは長く持たないですね。どうしますか」


 辺境伯の令嬢はメイドの少女に尋ねた。

「あなたはどうしたいの?」

 しばらく迷った後、キジーはユッカと呼ばれた傭兵ソロンの前に歩いて行った。心配そうなサウルがカイとオーレイリアと並んで傍らに立つ。


 少女は何度も息を吐いた後で、死にかけている傭兵に問いただした。

「どうして、村の人にあんな酷い真似ができたの」

 言葉が届くのに時間がかかったのか、ソロンが顔を上げたのはしばらくしてからだった。

「……そうか…、あの、村の生き残りか……」


 彼はこんな時でも馬鹿にした笑顔を作ろうとした。笛のような息が漏れるだけだったが。苦労しながら傭兵は返答した。

「何やってもいい、そう言われたからさ……、役得って奴だ」

 キジーの背後で嫌悪の囁きが起きた。露骨な敵意はソロンを束の間饒舌にした。


「ああ、やりたい放題さ、女どもは最初抵抗しても、家族や男を助けてやると言えば何でもしたぜ。雌犬そこのけだったなあ……」

 キジーの頭に恋人を追って死んだ姉の無残な姿が浮かぶ。無意識のうちに握りしめた拳が震えた。更にソロンはオーレイリアに視線を向けた。

「今度は、そこの赤毛で楽しめると思ったのに」


 反射的にカイが銃を抜いた。オーレイリアが止めようとした時、小さな手がそれを奪った。

 輸送部隊の人々に教えられたとおり、機械的に撃鉄を上げ引き金を引いたのはキジーだった。瞬きもせず、ソロンの身体に一発二発と次々に銃弾を撃ち込む。

 弾が出なくなっても、キジーは引き金を引き続けた。オーレイリアの手がそっと彼女の手を包む。カイが無言で銃を取り戻した。


 小柄な少女をしばらく抱きしめた後で、オーレイリアは彼女の背をサウルに向けて押した。辺境伯の末息子の胸にしがみつき、キジーは声もなく涙を流した。彼女の震えが止まるまで、サウルは小さな背中をさすり続けた。


 ひび割れた小さな笑い声が起きた。もはや目も見えているかも怪しいソロンだった。傭兵はロイヴァスの人々に向けて呪いのような言葉を放った。

「……帝国は…、北風、の王、を、諦めない…。…絶望、の、底…に、落ち、ろ……」

 最後は吐息とも言葉ともつかなくなった彼の声は途切れ、頭ががくりと揺れた。幾多の戦場を渡り歩いた残虐で狡猾な傭兵の最期だった。




 霧と入れ替わるように、森を沈黙が覆った。それを打ち破ったのは伝令だった。

「帝国側から使者が来た! 国境侵犯を正式に提訴すると言ってる!」

 先ほどの感傷を吹き飛ばし、オーレイリアはカイとサウルと視線を合わせた。

「次の正念場ね」

 竜騎兵二人は頷いた。

 戦いの場は国境線を巡る論戦に移ろうとしていた。




 きっちりと櫛目の入った頭髪、手入れされた口ひげ、皺一つない軍服。帝国軍法務少佐サマラスは一分の隙もない姿で停戦を示す旗の下に立った。勿論、背後には護衛兵を揃えて相手を威嚇するのを忘れていない。

 対するロイヴァス側、辺境伯ヨハンネスは騎乗服のままだ。その後方には忠実な部下と彼の翼竜が翼を畳んで待機している。


「…蛮族が、獣頼りか」

 表情を全く変えないまま、口の中でサマラスは呟いた。彼は事務的に相手に告げた。

「貴国の国境侵犯を西方大陸軍事法廷に訴える。これほど非道な行為の代償は高く付くぞ、覚悟しておくのだな」


 居丈高なサマラスに対し、辺境伯はのんびりと首を揉んだ。

「国境? それはよそ者の死体が転がっている場所のことか?」

 サマラスの額に血管が浮いた。

「他に何の意味がある?」

「あるかもしれんぞ、なあ、国境軍監殿」


 辺境伯の背後から出てきた者を見て、サマラスは驚愕した。浅黒い肌は西方大陸のものではなく、その首には大きな紋章が掛けられていた。

 三つの大陸を表す意匠と協定を意味する鎖模様。国境紛争をの裁定権を有する者の証だ。「国境軍監だと? そんな昔の遺物などとっくに形骸化して…」


 怒るサマラスをヨハンネスが黙らせた。

「貴殿が口にした軍事法廷では有効な身分だよ、法務将校殿」

 顔を引きつらせたサマラスはしかし、どうにか落ち着きを取り戻した。

「誰を引き込もうと、ロイヴァスの国境侵犯に変わりはない」

「こちらは正体不明の部隊が先に越境して工作を行ったと報告を受けておるが」

「それが帝国軍だという証拠がどこにある」


 それに関してサマラスには自信があった。金で動く戦力に先に地ならしをさせ、有利になったところで正規軍を投入するのはザハリアスの常套手段だ。

 ヨハンネスはどこまでものんびりと答えた。

「ああ、証明はできんな、全滅させてしまったことだし。だが、貴殿を見る限り後方でのんびりと見物しておっただろうに、何故こちらが先に国境侵犯したと分かるのか?」


 帝国軍の法務将校は憐れむような目を辺境伯に向けた。

「愚問だな、国境線手前の我が軍に攻撃したのは明白だぞ」

「ほう、国境とは?」

 しつこく問い返され、サマラスはとうとう声を荒げた。

「決まっているだろう、この尾根だ!」


「軍監殿」

 ヨハンネスが振り向くと、国境軍監配下の工兵がすぐさま地図を広げ、測量機を持ち出した。

「何をしている、悪あがきは…」

 帝国軍の法務将校の言葉に簡潔な報告が重なった。


「この尾根はロイヴァス領、つまりソルノクート王国内です」

「……何だと?」

 サマラスは言葉を失った。測量技師は淡々と告げた。

「国境はこの岩とあの岩、そして向こうの岩を繋ぐ線となっています。これは国際法基準の公式地図に記されています」

 目の前に突きつけられた地図と実際の国境線を見比べ、サマラスも認めざるを得なかった。国境線と思い込んでいた尾根がソルノクート領内だということを。

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