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4 『亡霊』とメイド

 キジーが眠りについた頃、同じ離れの中で侯爵令嬢オーレイリアは考え込んでいた。厚手のストールにくるまり暖炉の火を眺めながら彼女は独り言を呟いた。


「……あの子をどうするべきかしら」

 『あの子』とは、思いがけず出会った下働きの少女キジーのことだ。まさかミュラッカ村の生き残りがこの家で働いているとは想像もしなかった。

「もう十年も前だから事件の時は幼かったはず。気の毒に……」


 小柄で痩せこけた下働きの少女は年齢より幼く見えた。

「私と一歳しか違わないのに」

 彼女は無意識に壁の肖像画に目を向けた。亡き母トゥーリアに話しかけるように呟く。

「あの襲撃の目撃者であることは絶対に隠さなければ。できれば他の使用人と距離を置いて……、いっそこのまま…」


 ミュラッカ村の事件は祖父や母がまだ生きていた頃に起きたことだった。伏せることが多くなっていたトゥーリアは国境付近での惨劇に心を痛めていた。先代侯爵は辺境の情報を必死に集めていたことを思い出す。

「お祖父様はおっしゃっていた。傭兵の略奪にしては虐殺が徹底しすぎている。まるで武装組織が村そのものを消し去るために行動したようだったと」


 それが事実なら、あの村の生存者である少女は危険にさらされる可能性がある。今の自分が彼女を保護できる方法は……。


 オーレイリアは立ち上がった。暦をめくり日にちを確認し、しかつめらしく頷く。

「次にクロニエミが来た時に相談しましょう」

 そして、かなり遅くなったが日課をこなそうとした。だが庭園の向こうの本邸からはまだ宴のざわめきが伝わってくる。


「朝まで続ける気かしら、あの乱痴気騒ぎ」

 小声で毒づくと、仕方ないとばかりに侯爵令嬢は隣室に移動した。そこにはうら若き令嬢とはかけ離れた器具が並んでいた。

 中に入るなりストールを取り上着を脱いだ彼女は、鉄棒に飛びつくと懸垂運動を始めた。




 窓から差し込む日の光でキジーは目を覚ました。妙に静かなのに寝返りを打つ。掠れた声で彼女は仲間に問いかけた。

「……みんな、まだ寝てるの?」

 答える者はいなかった。そもそも他人の気配すらない。キジーは跳ね起きた。

「え? ここ……」


 彼女が寝ていたのは広くはないが整然とした印象の小部屋だった。侯爵家の本邸裏にある使用人の長屋の一室、五、六人を押し込めた汚い部屋とは似ても似つかなかい。


 キジーは呆然としながらも考えた。寝起きの頭は働きが悪かったが、それでも昨夜からのことは思い出せた。

「オーレイリアお嬢様の離れに泊まったんだ…」


 とにかく大急ぎで下働きの服を着込むと廊下に出た。背の高い時計を見て、朝の支度の時間を大幅に過ぎていることにキジーは気付いた。血の気の引く思いで廊下を走ると、不思議そうな声に呼び止められた。


「早いのね、どうしたの?」

 この離れのただ一人の住人、メリルオト侯爵家の長女オーレイリアが階段を上がってきた。肌寒い時間帯なのに彼女の額には汗が浮かんでいる。


「……あ、おはようございます」

 焦りを隠せない少女の様子に小さく笑うと、侯爵令嬢は説明を始めた。

「あなたは今日からこの離れ付きになってもらうわ。散歩のついでにメイド長に言っておいたから」

「……え?」


 早く持ち場に着かないと怒られる、今日も朝食抜きかもしれないと考えていたキジーは予想外の展開に目と口をまん丸にした。

「そのうち、朝食とあなたの荷物が届くから部屋に入れて片付けて」

「あ、あの、お嬢様」


 どうしてと視線で訴えかけてくるのに、オーレイリアは汗を拭きながら答えた。

「その方が私の都合が良いからよ。仕事は掃除と本邸との連絡係が主になるわ」

 疑問符を貼り付けた顔でキジーが立ちすくんでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。下働きの少女は階段を駆け下りた。


 扉の向こうには、同じ部屋で寝起きしていた下働き仲間がいた。彼女は不機嫌そうに手にした小さな包みを押しつけてきた。

「ほら、あんたの荷物と、それから朝食」

「……ありがとうございます、カーリナさん」

「ったく、あんたの何が良くて引き抜かれたんだか。ま、『亡霊』の考えることなんて分かんなくて当たり前か」


 平然と主一族を馬鹿にする発言に、キジーは怒りを覚えた。埃まみれの家具が並ぶホールをちらりと見て、カーリナは薄笑いを浮かべた。

「じゃ、せいぜい頑張ってね」

 本邸へと戻る同僚を見送り、妙に疲れた気分でキジーは荷物と朝食を二階に運んだ。




 届けられた食事は今朝も相変わらず使用人レベルだったが、オーレイリアは気にする風もなく備蓄食料を追加して満足いく物にした。

「あの、いつもこんな物しか届かないんですか?」


 おずおずした質問に返ってきたのは平然とした声だった。

「そうよ、お祖父様が亡くなってからはかなり露骨な扱いになったわね」

「侯爵様には…」

「あの人が気にすると思う?」


 公認の仕打ちなのだろうかとキジーは寒気を感じた。当の本人は動揺の気配もない。

「まだ腐った物を寄越さないだけの良心だか理性だかはあるようね。毒物は毎回確認しているし」


 物騒なことをさらりと言ってのけると、『亡霊』と呼ばれる侯爵令嬢は楽しそうに朝食をテーブルに並べた。

 その姿に成人の日を迎えられたことに歓喜していたオーレイリアが重なる。この日のためにどれほどの危険を排除してきたのだろうかと下働きの少女は思った。


 テーブルの食事は当然のように二人分がセッティングされた。キジーはためらいがちに確認した。

「こんな早くからお客様……じゃないですよね」

「ここではあなたも一緒に食べるのよ。慣れてね」


 雲の上の存在と思った貴族令嬢のお相伴にあずかる生活など、少女は想像もしなかった。朝日の中のオーレイリアは昨夜のどこか得体の知れない雰囲気はかなり薄らぎ、普通の同年代の少女のようだ。


 朝から思わぬご馳走にキジーは苦しくなるほどの満腹感に浸った。食後のお茶を淹れながら、オーレイリアは言った。

「あなたはもっと体重を増やさなきゃ。骨と皮じゃ冬を越すのはつらいでしょう」


 自分の貧相な身体を見下ろし、下働きの少女は頷くしかなかった。オーレイリアはいたずらっぽく新たな専属メイドの手を取った。

「やる気を起こすには目標が無いとね」

 引っ張られるように向かったのは衣装部屋だった。キジーは息を呑んだ。


 以前、ちらりと見た本邸のファンニ嬢の部屋は目がくらみそうになるほど豪華だった。この部屋の衣装は古くはあるがきちんと保管されていた。

「使用人の衣類はこっちだったわね……、あった。さあ、あなたのお仕着せよ」

 侯爵令嬢が取り出したのは古めかしいメイドの制服だった。それを渡されたキジーは、手触りの良さに驚いた。


「……お嬢様、これって、すごく高そうなんですけど……」

「『オーリー』よ、二人きりの時はそう呼んで」

「オーリー様…、あの、あたしには似合わなさすぎて……」


 使用人のものだが生地は滑らかで張りがあり、襟と袖口にはレースが付いている。本邸でもこんな贅沢な制服を着たメイドは見たことが無い。

 服を身体に当ててちらりと大きな鏡を見たキジーは、予想どおりまるで似合わない自分の姿にがっかりした。サイズが合わない上に黒くくすんでもつれた髪と不健康そうな顔色がどうしても見劣りする。

 落胆する新米メイドをオーレイリアは励ました。


「だから、似合うようになるのよ。今日から毎日身体を清潔にして髪と肌の手入れをして、何よりきちんと食事を取って仕事をして運動。あ、読み書きも覚えないと。そうすればこの服に劣らない素敵なメイドになれるわ」

 隣で熱く語るオーレイリアにつられるようにキジーは頷いた。満足げに侯爵令嬢は彼女の肩を抱いた。

「これからよろしくね、キジー」

 侯爵家の令嬢付きのメイド。思いもよらない離れでの生活の始まりだった。

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