39 急降下爆撃
「メリルオトとハルキンが参戦?」
ソルノクート側後方の異変はザハリアス帝国陣営にも報告がもたらされた。ニキアス・ゼファーは皮肉な結果に笑うしかなかった。
「利用した後に同士討ちで全滅させるはずが、奴らに予備兵力を与えたとはな」
副官が動揺を隠せない様子で彼に尋ねた。
「作戦の変更は?」
「ない。体制が整い次第、総員反撃するまでだ」
国境間近まで司令部を動かしたニキアスは、越境で大打撃を受けた部隊を下げて本体に組み込み、迅速に再編成を行った。
「乱戦に持ち込み、奴らを引き返せない状況にして一気に押しつぶす」
いささか乱暴な作戦だが、この峠に関しては消去法で詰めていくしかなかった。
副官も異論なく、彼らはロイヴァスへの攻撃の機会をうかがった。
帝国軍の観測班は翼竜の攻撃パターン掴み始めていた。
「やっぱり、長く戦場にいられないようだな」
「数が多く見えたのは交替で攻撃に参加しているからだ」
その報を聞いたニキアスは全軍に命令した。
「空砲でも何でもいい、砲声と銃声で奴らを弱らせろ!」
帝国軍は国境ぎりぎりまで進んだ。峠の尾根が国境ということは誰もが知る事実だ。彼らは迷うことなく斜面を登った。
既に多数の砲弾と爆弾が行き交った戦場は足場が悪く、峠道は崩れることも珍しくなかった。まだ完全に晴れていない霧がうっとうしくまつわりつく中、帝国軍は尾根の手前に終結した。
「砲撃用意!」
砲兵隊が曳いてきた大砲が設置され、ロイヴァスの竜騎兵部隊への砲撃が始まる。さしもの大型翼竜も迂闊に近寄れず、数に勝る帝国軍はじりじりと圧倒していった。
「よし、もう少しだ!」
更に前線を押し上げようとした時、彼らの足元が弾けた。峠の稜線に沿って次々と爆発が起こり、帝国軍兵士を吹き飛ばす。
「……何が」
呆然とするニキアスの側で、副官は双眼鏡越しに見た惨状に口元を抑えた。地面に仕掛けられた爆弾で脚を吹き飛ばされた者が続出し、峠道は赤く染まっている。
ニキアス・ゼファーは叫んだ。
「越境攻撃だ、総攻撃!」
今は空にクリオボレアスの影はない。さすがに限界を超えたかと帝国軍は勢いづいた。その時、監視班から緊急連絡が入った。
「南東に翼竜の編隊発見! 我が軍の右翼を攻撃する模様!」
その報告にニキアスは冷静に対処した。
「砲兵隊を右翼に向かわせろ。火力を集中させて翼竜を狙え。撃ち落とせなくとも音で混乱させるんだ」
直ちに砲兵隊が陣地を移動させる。ロイヴァスの誇る大型翼竜が編隊を組んで飛ぶのが見えてきた。
「撃て!」
大砲と銃が空に向けて無数の弾丸を放つ。それを前にしたクリオボレアスたちは次々に旋回し、あっさりと前線から離れていった。
「やったぞ!」
「この弾幕だ、かなわないと逃げ帰ったんだろ」
砲兵たちは快哉を叫んだが、ニキアスははっきりとしない違和感を抱えていた。
「わざわざ危険を冒して姿を見せたのに何もせずに逃げる……?」
反射的に彼は南西の空を振り仰いだ。霧が空へと昇っていく中、翼を持つ者の影が見えた。急上昇する大型翼竜クリオボレアスだった。
雲間からこぼれる日の光に紛れた翼竜は一転、急降下に移った。
「よし、右翼に火力が集中してる」
ラヴィーニの背でカイ・ユーティライネンが興奮を抑えながら呟いた。彼の前に座るオーレイリアは搭載砲の射出装置を握った。カイが彼女に囁く。
「一気に地上すれすれまで行く。きついだろうが堪えてくれ」
「分かった」
短く答えた辺境伯の令嬢は意識を地表にある物に集中させた。
傷だらけのクリオボレアスは、それでも「雪崩」の名にふさわしい速度で急降下した。固定具がぎしぎしときしみ身体が空に持ち上げられそうになるのを耐え、オーレイリアは風防眼鏡越しに目標を確認した。
墜落するかと思えるほどの低高度からラヴィーニは水平飛行に転じた。カイが腕の中の少女に叫ぶ。
「今だ!」
射出装置のレバーをオーレイリアは思いきり引いた。この翼竜しか乗せられない大口径砲が火を噴き砲弾が撃ち出される。
「回避!」
帝国軍は司令部を狙われると思い天幕の人々を移そうとした。だが、砲弾は彼らの天幕を掠めるようにして通り過ぎた。息をついたニキアスはあることに気付き駆け出した。
「……まさか、……!」
砲弾の到達地点、翼竜の真の獲物――それは弾薬集積所だったのだ。目を見開くニキアスの前で砲弾が集積所に突き刺さった。数瞬後、峠が膨れ上がった。
耳をつんざく轟音、立つ者全てを吹き飛ばす爆風、木や鉄の破片が帝国軍を呑み込んだ。黒々とした煙がたちのぼり、バイランダー山脈の最高峰トルニをも超えた。
爆風で倒れたニキアスの目に、急上昇で爆発を回避するクリオボレアスが映った。その背に輝く赤毛が一瞬見え隠れした。
弾薬集積所の大爆発は無数の誘爆を生み、終結していた帝国軍は一瞬で瓦解した。もはや残されたのは軍隊組織ではなく、人の残骸と幽鬼のような生存者の集まりだった。
腕に感じる針の痛みでニキアス・ゼファーは意識を取り戻した。
「……何があった」
問いかける声は掠れていた。彼の覚醒に安堵した様子の軍医が、起き上がろうとする陸軍将校を押しとどめた。
「まだ無理です、吹き飛ばされた先が天幕などという幸運は早々ありませんからな」
幾度も頭を振り、彼は常に側にいた副官の姿がないのに気付いた。
「私の副官……セルジオス・ブナーツァは?」
軍医の手が止まった。しばらくの沈黙の後、彼は告げた。
「残念です。指揮官殿と同じ場所でしたのに、飛んできた荷車の破片が頭部を直撃しまして、ほぼ即死でした」
ニキアスの動きが止まり、シーツを掴んでいた手が白くなった。周囲の温度を下げるような沈黙の後、一人の士官が医療天幕に入ってきた。
「災難だったな、ゼファー少佐」
埃一つ無い軍服の彼は明らかに場違いだった。ニキアスは抑揚のない声を出した。
「……サマラス法務少佐」
憐れむように手入れされた口ひげを震わせて法務少佐は告げた。
「君たちの不始末を挽回するために私がいるのだ。幸い、向こうの国境侵犯は明らかだ。半島の蛮族どもは国際法で黙らせ国庫が傾く額の賠償金を支払わせる。気楽に見物していたまえ」
サマラスは血の臭いが充満する医療天幕を不快そうに眺め、ハンカチで口元を覆いながら出ていった。
ラヴィーニはソルノクート側の山脈を滑空した。地上からの合図を見つけたオーレイリアはカイに教えた。
「ロイヴァスの旗だわ、ソニヤにキジーもいる」
竜笛を吹き、かなり消耗しているクリオボレアスをカイは降下させた。
大役を果たした大型翼竜の周囲に、輸送部隊を始めとしたロイヴァスの領軍が群がった。
「ご苦労様でした、ユーティライネンの若様」
「オーレイリア様もご一緒でしたか」
「凄まじい爆発でしたな」
幾本もの手が彼らを降ろすために差しのべられ、ほとんど胴上げ状態で二人はようやく地に足をつけることが出来た。クリオボレアスの方は、他の竜騎兵がすぐさま治療に取りかかった。
「よくやってくれた」
サウルが乱暴にカイの背中を叩き、痛そうな反応に詫びた。
「オーリー様!」
「お嬢様! やりましたね!」
キジーとソニヤに左右から飛びつかれ、疲労が滲む顔でオーレイリアは笑った。お祝い騒ぎの中に誰かが叫ぶ声がした。
「こいつ、ユッカじゃないか!」
『オタヴァ』号の水先案内人が発見されたのだ。オーレイリアの顔色が一瞬で変わった。素早くメイドの少女の反応を伺うが、キジーは不思議そうにするだけだ。
――これは決着をつける時なのかしら。ミュラッカ村虐殺の。
とりとめのない思考が彼女の頭の中で迷走した。




