37 偽装作戦
カイの相棒である大型翼竜は飛び立ちやすい崖付近に待機させていた。
重装備のクリオボレアスは頭を高く上げて彼を迎えた。その側にほっそりとした姿があるのにカイは顔をしかめた。
「どうして君がここに?」
現辺境伯の姪孫、オーレイリアがいたのだ。それも騎乗服を着込んだ出で立ちで。
「ラヴィーニに乗せてもらうからよ」
当然のような返答にカイは言葉に詰まった。彼の側に歩み寄ると、オーレイリアは容赦なくその右肩を掴んだ。青年から苦痛の声が漏れる。
「そんなに痛めて、普通の動作にも苦労して、どうやって帝国軍にとどめを刺すの」
「……一撃だけだ」
「あの搭載砲は反動が大きくて必ず左右両方撃たなければクリオボレアスでも墜落すると聞いたわ。今のあなたは飛行制御だけで手一杯のはずよ」
黙り込むカイにオーレイリアは畳みかけた。
「発射装置は私に任せて。装置の仕組みは教わったし、どうすればいいのかも分かっているわ。発射のタイミングだけ教えてくれればいい」
「それなら他の…」
あくまで抵抗するカイを彼女は笑い飛ばした。
「ヨーセフたちより私の方が軽いし、他にラヴィーニがおとなしく乗せてくれる人がいるの?」
大型翼竜の頭を恐れ気もなく撫でる少女と嬉しそうに嘴を鳴らす相棒を見て、カイは頭を掻いた。
「手懐けられやがって……」
憎まれ口を無視してオーレイリアは自分用の固定具を翼竜に取り付けた。今後の作戦自体は単純だ。自分が現場に留まることとカイの手助けをすることの重要性を比較して彼女は危険が伴う飛行を選んだ。
二人を乗せたクリオボレアスは重装備をものともせずに気流を掴み飛翔した。
ルオデ壁の大爆発が収まった後、現場をさまようように歩く男がいた。えぐられた脇腹を押さえ、薄水色の目だけをギラつかせながら彼は凄惨すぎる光景に低く笑った。
「何だ、これ……地獄かよ」
人としての原形を留めない死体が転がると言うより吹き散らかる様は、確かにこの世の物とは思えなかった。
山肌は所々で円形にむき出しになり、残った樹木には数えきれないほどの破片が突き刺さっている。吹き飛ばされた軽い物がゆっくりとひらひらと落ちてきた。大体が紙や布だがよく見れば細い糸のような毛髪も混じっていた。
長い布が木の枝に引っかかっているのを見て、男――先遣隊長だったソロン――はそれで自身の腹部の止血をした。時に肉片を蹴りどけながら使える物を探すのは傭兵の本能だ。
やがて彼は折れた木の枝に奇妙な物が着いているのに気付いた。
「……何だ?」
何かの蔓が結ばれている。それを引っ張り、意外なほどの伸縮性にソロンは驚いた。
「こいつは、もしかして……」
物音を立てずに攻撃できる道具の知識が彼の頭にひっかかった。
「この太さと長さだと…」
しばらく辺りを探し、遂に彼は目当てのものを見つけだした。鉄管爆弾を。
「不発弾? いや、導火線の火が途中で消えたか」
穴の空いた厚手の布を蔓に通し、それで鉄管爆弾を挟んで引っ張る。腹部の痛みも忘れ、ソロンは単純な装置の原理を理解した。
「こいつで別働隊を餌食にしたんだな。ったく、容赦ねえな、お嬢さんは」
これまで聞いたことのない戦法が辺境伯の令嬢がもたらしたものだと彼は推察した。
「あそこで殺せなかったのが惜しいな」
突然現れた大型翼竜は大砲並みの機銃を備えていた。
「あんなバケモン、連発はできねえだろうが厄介だ…、こいつをもちっと射程距離あげれば使えるか」
呟きながらソロンは未だに霧に覆われた空を見上げた。
帝国陸軍本隊は分水嶺と呼ばれるバイランダー山脈の尾根へと進んだ。これまでソルノクートとの国境での局地戦は傭兵など金で雇える者を使い、失敗時に切り捨て西方大陸戦時法の裏をかいくぐってきた。
だが、先遣部隊も別働隊も壊滅した今は状況が違う。山岳演習で遭難した部隊の救出という名目で出撃した。遭難が事故でなく何者かの攻撃によるものなら即迎撃の許可付きでだ。
辺境領軍は国境を脅かされることに神経質だ。少しばかり挑発してやれば反撃してくるだろう。それに合わせて徐々に戦線を下げ、国境を踏み越えさせる。後は全勢力をあげての反転攻勢に移り、完膚なきまでに叩きのめすだけだ。
霧の中の行軍は困難だが、この日のために正確な地図を作り視界が利かない場合の目印も確保している。
「あれが国境の木か?」
列先頭の一人が白く煙る視界の中を指さした。黒い影となって浮かび上がる一本の木は大きかったが、その奥に更に大きな木がぼんやりと見える。
「違うな。この尾根で最も高い木だ」
明らかに高さの違う二本を見比べ、帝国陸軍は行軍を再開した。幸い、日が上ったおかげで視界は急速に回復しつつあった。バイランダー山脈は30サーク(約6000m)を超える最高峰トルニを含む天然の要害だ。部隊を展開できる地形は限られており、昔からの激戦地となってきた。
油断なく進んできた帝国軍は目印となる最大のロイヴァス松がはっきりと見えてくるのに安堵した。だが、それが近づくにつれ不審そうな声が上がった。
「あの木、おかしくないか?」
「何だか、幹が途中で妙に太くなってるな」
「そんな記録あったか?」
疑問は木の側まで来て解けた。国境の木と思い込んでいた物は、途中から木を継ぎ足し高さを偽装していたのだ。
「まさか」
振り向いた先行部隊指揮官は青ざめながら振り向いた。彼の視界に上半分ほどを吹き飛ばされた国境の木が映った。
それが意味することは一つ、辺境領軍を帝国側におびき出すはずが彼ら自身がソルノクート側に越境してしまったと言うことだ。
「まずい、全軍停止!」
伝令が駆けるが、後続部隊はまだ視界が悪く状況を掴めていない。大軍はそれまでの整然とした行進ができなくなっていた。
「落ち着け、国境まで戻ればいいだけのことだ!」
これまで戦端が開かれてきたのは双方からの探るような銃撃戦からだつた。当然、今回も同じだと彼らは思い込んでいた。
それを裏切ったのは、上方からの轟音だった。何かと確認する間もなく、先行部隊指揮官が吹き飛び副官たちが串刺しにされる。
「雷槍砲だ!」
「翼竜が来るぞ!」
ようやく視界が開けた上空にいたのはクリオボレアスの編隊だった。次々と急降下しては帝国軍中枢部を目標に雷槍砲を発射する。
轟音は悲鳴と爆音をもたらした。雷槍砲は槍先に鉄管爆弾を装着していたのだ。狭い峠道を我先に国境まで戻ろうとする先行部隊とそれに押され混乱する後続部隊。
命令系統を寸断された帝国軍は混乱を極めた。
「やめろ! 押すな!」
一人が足を滑らせ倒れる。それは転倒の連鎖を誘発した。数十人の下敷きになった兵士は次々に圧死していき、恐慌状態となった者がそれを踏み越えて撤退しようとする。
その間にも炸裂する鉄管爆弾の猛威が狂乱を加速させた。
もはや醜態とすら言える混乱ぶりを後方から確認し、ニキアス・ゼファーは舌打ちをした。
「あんな子供だましの手品もどきにしてやられるとは……。対ロウィニア戦線の新しい情報は?」
問われた副官は届いたばかりの伝文を彼に渡した。吉報でないことはニキアスの表情で分かった。
「アスピーダ会戦が思わしくない」
「陸軍の主力を揃えてるんだぞ」
副官は信じられない様子だった。ニキアスは首を振った。
「タラクシア失陥の責任を巡って将軍たちが反目し合っているようだ。しかもモルゼスタン騎兵の攪乱で戦力を分断された。アグロセンの紐付き国家が生意気に……」
怒りをたぎらせる前線指揮官の肩に副官が手を置いた。彼の意識をポラリス半島に引き戻す。
「今はロウィニア戦線は忘れろ。ここはひとまず撤退させよう、国境線を偽装したことを訴えればまだ言い訳がきくし奴らを罪に問える」
手をこまねいても被害を拡大するだけだ。ニキアスは副官の助言を取り入れた。
「部隊を国境前で再編制する。一旦撤収させろ」




