36 霧の決戦
死に物狂いで逃走する別働隊は、死神の手から逃れられないことを思い知らされた。翼竜が姿を消すのと引き換えに、樹上から鉄管爆弾が降ってきたのだ。
「蛮族め、どこから……」
木に向けて闇雲に銃を撃った別働隊は勘違いに気付いた。凶悪な鉄管爆弾は木の枝から落とされるのではなく、木々の向こうから飛んでくるのだ。
ロイヴァス輸送部隊は爆発と金属片の被害が及ばない距離から彼らに爆弾を浴びせていた。投擲できる距離ではない。
「鉄管追加、急いで!」
ソニヤが構えるのはヒカリヅタの蔓を使った装置だ。伸縮性がある蔓を使えば好きな所に即席の投石機を作れる。輸送部隊は少しずつ位置を変えながら別働隊を攻撃した。
爆発と金属片から逃れようとする別働隊は、もはや部隊の体裁をなしていなかった。気がつけば生存者は小部隊ほどの数も残っていなかった。
「くそっ、とにかく本隊に戻るんだ!」
必死で走る彼らの後を、一人の兵士がよろよろと寄ってきた。
「…助けてくれ、助けて……」
全ての指を失った彼は、血だらけの顔で泣きながら戦友の元に行こうとする。仲間は彼が背負った物に戦慄した。
「よせっ、来るな!」
重症を負った兵士は背嚢に崖の爆破用の爆薬を背負っていたのだ。背嚢は金属片に裂かれてたのか穴が空き、そこから黒い粉のような物が流れ落ちている。火薬だ。
「……火が、火が追っかけてくる……」
彼の後にできた火薬の筋に燃え移った火が導火線と化していた。その有様に恐慌状態に陥った兵士が哀れな仲間に銃を向けた。
「来るなーーー!!!」
銃声が響き、火薬を背負った兵士は撃たれた腹部を押さえて倒れた。
「何やってんだ!」
「だって、あいつ、爆弾を!」
口論する兵士たちを仲間が揺さぶった。
「おい、あれ……」
火薬の導火線が撃たれた兵士の背嚢に追いついたのはその直後だった。ルオデ壁が揺らぐ勢いで大爆発が起きた。
その煙は霧の中で黒い柱のように立ちのぼった。
爆音は分水嶺の帝国側にまで届いた。
「崖の爆破に成功したようだな。これでロイヴァスは手足をもがれたも同然」
ラウダ峡谷でも取った作戦は成功だったと帝国軍陣営は疑いもしなかった。そこにもたらされた続報は彼らを唖然とさせた。
「爆破作戦が失敗? 別働隊はどうした?」
ポラリス半島攻略の実行責任者、ニキアス・ゼファー少佐は怪訝そうな声を出した。斥候は深刻な顔で告げた。
「別働隊は一人として終結箇所に現れません」
「まさか、寝返ったのか?」
山岳戦に強い特殊技術を持つ者たちで編成したはずが何の成果もあげないまま消えたなど、にわかには信じられなかった。
「それが、不審に思い犬を使ってみたところ、持ち帰ったのが……」
手にした包みを斥候は開いた。ニキアスは息を呑んだ。それは千切れた人間の腕だった。
「これは、何があったのだ」
副官が眉をひそめながら観察した。
「ただの戦闘ではなさそうだ。弾痕がない代わりに無数の切り傷がある」
軍刀での斬り合いでできる数ではない。ニキアスは軍医を呼んだ。テーブルに置かれた腕を見て、経験の長い医師も驚いた。
「これは切断ではなく何かの力で引きちぎられたようですな。爪や牙の痕跡がないことから動物ではなく、おそらく爆発によるものかと」
「あの爆音か。用意した爆薬が暴発でもしたのか」
「それにしては損傷が……」
言いながら軍医は傷口から一つの破片を取り出した。小さな金属片のようだ。
彼の表情が険しくなった。
「このような破片をあらかじめ詰め込んだ爆弾であれば説明が付きます。……しかし、これは非道すぎる……」
一人として生きて帰さない。小さな破片が彼らに無言で訴えているようだ。
軍医が退出した後、怒りと嫌悪感をこらえながらニキアスは敵の意図を探ろうとした。
「竜騎兵をおびき出す作戦は裏をかかれたと見ていいだろう。別働隊を殲滅した理由は何だ?」
「本隊に復帰させないためだろう」
「爆破に特化した部隊で戦力的にはそこまで大きくないのに?」
副官と考え込んでいた陸軍少佐はある可能性に辿り着いた。
「合流ではなく、引き返させないことが目的か?」
「引き返させない? 別働隊をか?」
混乱する副官に、というより自身に言い聞かせるようにニキアスは見解を述べた。
「例の崖があるのは国境付近のソルノクート側だ。崖上から爆破するためには本隊から出発して尾根沿いに移動し、発見されないように迂回して到着する必要がある。そして崖を爆破した後は最短距離で戻り、本隊と合流する」
「その帰りが問題なのか」
「そこに何かがある……いや、何者かがいるのだろう」
示された可能性に副官は青ざめた。
「伏兵か? しかし、今のロイヴァスにそんな余力が」
「余力がない者があんな兵器を使用できるか? ソロンたちが戻ってこない理由は? ロイヴァスは息を吹き返した。おそらく武器弾薬が補給され、竜騎兵部隊の再編成を完了させてな」
「だが、潜入者の情報では」
「これまで正確だったことは今後の正確さを保障しない。そうだろう」
それには副官も頷いた。彼は長年の友人でもあるニキアスに忠告した。
「この状態で作戦を決行していいのか? 最悪奴らは万全の体制で待ち構えているかも知れないのだぞ」
「今更? もう部隊は動いている。突然の中止は混乱を来す」
確かに遅きに失している。沈黙が支配する天幕に、ニキアスが息をつく音がした。
「総力戦を仕掛ける。予備兵力も投入してバイランダーを制圧する」
こうなったら物量に物を言わせた力押しが正攻法だ。副官も同意し、彼らは天幕を出た。国境の尾根を見上げたが、ようやく日が上りかけているのに霧でぼやけた影しか見えない。
その中を帝国軍は兵力集結に取りかかった。
オーレイリアたちのもとに撃退成功の鳥笛が聞こえたのは、帝国軍別働隊壊滅から間もなくだった。
「背後を心配する必要がなくなったわ」
地図にある別働隊の印に線を引き、辺境伯の令嬢はほっと息をついた。
帝国軍の戦略はある程度掴めている。南西部の対ロウィニア戦線に集中するためにポラリス半島での諍いを有利に終結させたいのだ。
「面白いというのは不謹慎だけど、こうしてみると意図しない共同戦線になっているのね」
西方大陸でも規模が小さく列強とも呼べない国が大帝国と戦端を開く。一昔前ならたちまち併呑される状況なのに、二つの戦線を抱えた帝国の方が圧倒的な国力差がありながら苦労しているように思えた。
彼女の言葉にカイ・ユーティライネンは苦笑した。
「できれば、対ザハリアス包囲同盟でも築けていれば楽ができたのにな」
二人の周囲に笑い声が起きた。帝国の脅威に怯える国は多いが、正式に手を組むとなるとそれぞれの国益絡みの問題が頻出し実現に至らないのが現状だ。
表情を改め、カイは地図の国境線を指さした。
「そろそろ、別働隊の失敗と未帰還が知れる頃だろう。連中はそれでも国境に戦力を集めると思うか?」
「あれだけの大軍よ。動き始めたものを止めるのは困難だわ」
戦争は始めることより終わらせることの方が難しい。亡き母トゥーリアの研究書にそう記されていた。
「向こうは戦力差でこちらを挫けさせるつもりだと思うわ。事実、ロイヴァスに比べれば帝国軍の回復力は無限大に等しいもの。だから長期戦に持ち込まれては駄目。最大の一撃で分水嶺を超えることの恐ろしさを刻みつけるのよ」
オーレイリアは輸送部隊(今の実態は山岳ゲリラ部隊だが)長のヨーセフに確認した。
「大叔父様の方の準備は?」
「万端です」
確信を込めてヨーセフは答えた。辺境伯の令嬢は懸案事項が一つ減ったことに安堵した。この局地戦を収束させる最大のカードを持っているのはロイヴァスでも帝国でもない。
霧に包まれた周囲は明るさだけを増していく。いよいよ決戦の時だ。
「全員、持ち場について」
辺境領の少女の言葉に全員が従った。ヨーセフがカイに声をかけた。
「ユーティライネンの若様、頼みますぞ」
寡黙な青年は頷いただけで騎乗帽を被った。その動作に顔をしかめたが、彼は構わず相棒の大型翼竜の元に歩いた。




