34 分水嶺
「先遣隊が撤退?」
斥候の報告をニキアス・ゼファーは最初信じられなかった。
「うまく双方の領軍を疑心暗鬼にさせて一触即発状態にしたとソロンから報告が入っていたぞ」
「それが、一気に壊滅させる段階で介入者がいたと」
「誰がそんな……」
この山脈で佐連が可能な勢力に思い至り、ニキアスは言葉を途切れさせた。
「まさか、ロイヴァスか?」
「クリオボレアスの目撃報告があります」
ロイヴァス竜騎兵が使役する大型翼竜がいたのなら間違いない。帝国陸軍少佐は楽観論を捨てた。
「奴らが山脈中腹まで出てくる余裕があるということか」
「しかし、輸送部隊は壊滅したはずだぞ」
なおも懐疑的な副官が首をかしげた時、作戦天幕に伝令が飛び込んできた。
「失礼します! 輸送部隊から鹵獲した軍用銃に異変が起きています!」
何のことか分からないまま、ニキアスと副官は伝令が案内する方に急いだ。
彼らが見たのは目を疑う光景だった。積み上げられた銃が月光を浴びて発光している。
「これは……」
唖然とするニキアスの側で副官が兵卒に命じた。
「あれを持ってみろ」
命令を受けた兵は顔をこわばらせながら恐る恐る銃を手にした。そして意外そうな声を出した。
「熱くはありません。特に異常は感じられません」
それを聞き、ニキアス自ら一丁を取り上げる。
「ただ光っているだけか」
大月と呼ばれる銀月は今夜は真円になっている。空を見上げる彼に地元出身の者がおずおずと意見した。
「この地方には月明かりで光るツタがあります。その葉や蔓を潰した汁を塗りつけて夜間の目印にしていました」
「これを目印に夜襲をかける訳か」
ニキアスは納得した。そして、先遣部隊が苦戦する理由も見当が付いた。
「ソロンはこれのせいで実戦経験もない奴らの的にされているかも知れない」
「では……」
副官が今後の作戦変更を考えたが、陸軍少佐は上空を指さした。雲が次第に月を覆い隠そうとしている。
「明日の霧は深そうだ、作戦変更はない。ロイヴァスの翼竜がいくら強大でも視界がきかなければ何もできない」
気がつけば、周囲はうっすらともやがかかり始めていた。
「ロイヴァスの砦に噂を流せ。奴らの大事な翼竜の営巣地が爆破されると」
野生のクリオボレアスの繁殖地は国境近くの崖にある。彼らが何を置いても守ろうとする生き物だ、恰好の餌になる。
「辺境伯の息子ですら、判断を誤ってラウダ峡谷で命を落とすくらいだからな」
副官は気が知れないと言いたげだった。
「これまでは傭兵を使っての小競り合いに終始してきたが、奴らが焦って山脈にこちら側に踏み込めば陸軍を動かす名分ができる。決着をつける時だ」
南西部の対ロウィニア戦はポラリス半島と違い、正式に宣戦布告をした戦役だ。いくら小国相手でも、その背後には帝国の勢力伸長を望まない列強が絡んでいる。戦線を一本化するためにも、国境を挟んでの愚にも付かない突き合いなど終わらせてみせるとニキアスは誓った。
夜を支配していた銀月はぼんやりした円盤のようになり、バイランダー山脈は名物の霧の気配を強めていった。
バイランダー山脈、ソルノクート王国側。大きなロイヴァス松に登り、見張りをしていた輸送部隊の一員がそっと小型投光器を取り出した。暗号の光信号を点滅させると、了解の合図が遠くに見えた。
ほっとして木を降りた彼は、突然背後から喉元にナイフを突きつけられた。
「暗号表を出せ」
輸送部隊のリーダー、ヨーセフの低い声が命令した。反射的に右ポケットに視線を落とすと、すかさず伸びてきた手がそこを探った。
「あったわ」
紙片を取り出したのは薄い金髪の小柄な少女、ソニヤだった。渡されたそれを読み、ヨーセフはニコと呼ばれていた内通者に更に強くナイフを突きつけた。
「さっきの信号内容を言え」
「……へ、辺境伯の救援は来ない、と…」
暗号表を見てヨーセフは頷いた。
「間違いないな」
紙片をソニヤに渡すと、悪戯な妖精のような少女は苦もなく大木を登り始めた。輸送部隊長はニコに詰問した。
「何故裏切った」
顔を引きつらせて青年は弁解した。
「だって、相手は帝国だぞ、勝てるわけないだろ。あんたらどうかしてるよ」
「そうだな」
短く答えると、ヨーセフは霧の中にニコを押しやった。
「な、何だよ、どこに…」
彼の言葉は突然途切れた。隠れていた急斜面を滑り落ちる音と悲鳴が他の底に吸い込まれていく。
そこに、光信号を送ったソニヤが戻ってきた。
「あれ、あいつは?」
「奴の魂など分水嶺に留まることも許さん」
ヨーセフの答えに片眉を上げただけでソニヤは理解した。
「これで、味方だけで戦えるって訳ね。向こうにはいきなり作戦変更になったって伝えといた」
「そうか、お館様からクリオボレアス営巣地が危ないと砦で噂が回っていると連絡が来たぞ」
「ラウダ峡谷もう一度ってこと? 芸がなさ過ぎ」
「効果的ではあるが……」
考え込むヨーセフをソニヤがつついた。
「早くお嬢様にお知らせしないと」
「そうだな、あの方の作戦のおかげで武器弾薬類が無事ロイヴァスに届いたのだし、このことも意見をくださるだろう」
本拠地の戦力回復の報を聞いてすっかりオーレイリアに心酔したヨーセフは、すぐさまソニヤと共に仲間と合流に向かった。
霧に紛れた輸送部隊の作戦基地は、ようやく手に入った暗号表を元にこれまで記録した光信号の解読が急速に進められた。
「思った通り、こちらの状況を事細かく伝えていたようね」
「向こうは全く疑っていないようだ、泳がせていた甲斐があったな」
ことあるごとに樹上での見張りを買って出るニコの不審な行動には早くから警戒してきた。敵に情報を流していることが判明してもそのままにしていたのは、最終決戦の時まで敵を信用させるためだ。
「彼を排除しても次を送り込まれるだけだわ。監視できない者の方が危険だし」
オーレイリアの意見にサウルとカイも同意した。
「確かにそうだな」
「むしろ通信内容を把握できる方が有利だ」
辺境伯の令嬢は輸送部隊長に尋ねた。
「大叔父様は何と?」
「帝国の情報に惑わされたように装い営巣地に向かうと」
「あまり簡単に出て行くと向こうに警戒されないかしら」
「お館様御自身での視察と言うことです。餌は大きい方が食いつき甲斐があるだろうとのことで」
豪胆な辺境伯らしいとオーレイリアは苦笑した。ヨーセフは意外な情報も付け加えた。
「メリルオト侯爵家とハルキン伯爵家の領軍は、完全にロイヴァスの支配下に入りました。双方の指揮官がお館様に絶対服従状態だとか」
そして彼は元侯爵令嬢に小声で言った。
「メリルオト侯爵は負傷のため作戦終了までは人事不省とのことです」
「作戦終了まで、ね……」
微妙な言い回しで意図的なものだと推察し、オーレイリアは皮肉な笑顔を浮かべた。
「王都のことはカルヴォネン公爵家が取り計らってくれるそうよ。銀シラカバの家具と雪貂の毛皮製品の取引量を増やしたいのですって」
美しくしたたかな公爵夫人を思い出し、彼女は感謝した。
周囲は徐々に明るくなっていくが、霧は一向に晴れる気配が無い。
「いよいよね」
オーレイリアの言葉を合図に、ロイヴァス輸送部隊の人々は動き出した。彼らは仲間の合図となる鳥笛の確認をして散開した。
オーレイリアは二頭のクリオボレアスの元に歩いた。サウルのカーモスとカイのラヴィーニは装備完了状態で待機していた。
夜間飛行を得意とするカーモスはいつでも飛び立てそうだ。大型翼竜の側に小柄な人影があるのにオーレイリアは気づいた。
キジーが大きなクリオボレアスに語りかけていた。
「必ず戻ってきてね」
カーモスは頭部を少女に擦りつけた。キジーがよろめき、尻餅をつきかけるのをオーレイリアが背後から支えた。




