33 捜索と反撃
もたらされた驚きの報告に、アンニカは目を見開き立ち上がった。
「……何という無礼、ここをどこだと思っているの」
その言葉に荒々しい足音が重なった。当主の部屋の扉が開け放たれ、黒い制服の憲兵たちがなだれ込んできた。
「軍務卿からの通達である。メリルオト侯爵家を利敵行為の疑いにより捜索する」
女主人に向けて礼状をかざした憲兵が部下に指示し、すぐさま執務室や書斎を中心に捜索が始まった。アンニカは彼らを罵った。
「ここは侯爵邸。憲兵風情が立ち入って許されるとでも!?」
彼女の怒りを素通りさせて憲兵たちは黙々と証拠書類を箱に詰め込んだ。隊長格が鬱陶しげにアンニカを見やり、傍らの女性に尋ねた。
「あれが、例の?」
「そうです」
聖光輪十字を胸に下げた簡素な服装の女性は静かに答えた。
「私はメッツァ聖修道院から参りました。アンニカ様はそこで心安らかにお勤めをされています。この者は修道院から逃げ出した狂女。自分を侯爵夫人と思い込んでいる哀れな病人なのです」
殺意を帯びた視線を女性に向け、元侯爵夫人は叫んだ。
「馬鹿馬鹿しい! 私はアンニカ・メリルオト、侯爵夫人と呼びなさい!」
「アンニカ様はとうに侯爵から離縁されて伯爵家に籍を戻されました。それを侯爵夫人と名乗るなど、狂人でなければできぬこと」
聖光輪十字を掲げ、痛ましげ女性は首を振った。かつての屈辱――夫に罵倒され身一つで侯爵家から追い出され、生家の伯爵家からさえ受け入れを断られ修道院に追いやられた雌伏の日々がアンニカの脳裏に甦る。
彼女の憤怒の表情を観察し、聖職者らしき女性は静かに追い打ちをかけた。
「これはハルキン伯爵家のご当主も認めておられます。姉君が王都にいるはずがないと」
元侯爵夫人は驚愕した。これまで一度たりとも自分に逆らったことのない弟が、彼女の存在を否定したのだ。
「……アールト、あの愚鈍な恩知らずが…!!」
アンニカは叫ぼうとした。だが、限界まで開かれた目と口はそのまま動くことはなかった。彼女の口から細い息が漏れ、伐採された樹木のように硬直した身体が倒れていく。
「奥様!」
駆け寄る侍女頭に聖職者の女性が告げた。
「この者を侯爵夫人と呼ぶなら、国家反逆罪に連座する覚悟があってのことでしょうね」
びくりと身体を震わせ、最古参の侍女はそろそろとアンニカから離れた。執事は無言を通している。
「よし、捜索を続けろ」
もはや、誰も床に倒れた老女に目もくれなかった。小さく痙攣する彼女の様子をちらりと見ると、修道院の女性は憲兵の側から離れ、使用人が控える小部屋に入った。用意された茶器が乱雑に置かれたテーブルの上に、元侯爵夫人愛用の茶葉を入れた壺がある。女性はその側を通り抜ける際に袖で壺を払った。床に落ちた陶器は粉々になり、中の茶葉が散らばる。
物音に気付いた憲兵に、彼女は詫びた。
「申し訳ありません、色々とごちゃごちゃしているのでぶつかってしまいました」
憲兵は壺と茶葉が散乱する床を見て状況を察した。
「ああ、かまいませんよ」
「お邪魔にならないように外に出てお待ちします」
部屋を出ながら修道院からの使者は一度だけ室内を振り返った。そして、アンニカ・ハルキンに飲ませ続けた興奮作用のある薬草入り茶葉の証拠隠滅に満足し、退出した。
「さあ、すぐに公爵夫人に事の次第をお知らせしなければ」
小さく呟く彼女は外に出まるでに幾人もの使用人とすれ違った。その誰もが、この人物が下働きとレータ夫人の二役をこなしていた者だとは気づきもしなかった。
憲兵は侯爵家に巣くう陰謀の証拠を次々と運び出した。
ソルノクート王国北部、バイランダー山脈。
傭兵で構成されたザハリアス帝国先遣部隊は混乱の極致にあった。
「くそっ、奴らますます数が増えてるぞ!」
「迂闊に顔を出すな!」
様子を見ようとした一人が頭を撃ち抜かれ、崩れるように倒れて動かなくなる。
「どうなってんだよ、隊長!」
こんな時だけ自分を指導者扱いする部下たちに、傭兵を束ねるソロンは苦笑した。だが、今は厚かましい奴らを見殺しにできる状況ではない。
「どうもこうも、奴らは仲間割れどころか団結しちまったようだな。固まってると的になるだけだ、死体に銃撃の姿勢を取らせて散開しろ」
仲間の死すら利用することにも傭兵たちは躊躇しなかった。静かに前線から退く中、ソロンは考えた。
「実戦経験もないボンボン部隊が何で息を吹き返した?」
おそらく契機となったのは途中で割って入った第三勢力だ。
「あの攻撃は空から。ということは……」
大型翼竜クリオボレアスを駆使して空を支配できるのはロイヴァス辺境伯の一族のみだ。
「辺境伯は物資が届かず苦労してるんじゃねえのかよ」
輸送部隊に紛れ込ませた連絡係は確かにそう伝えてきた。
ソロンの胸にある疑惑が浮き上がった。その連絡係は正しい情報を与えられていたのだろうかと。
「……ああそうかい、こっちに筒抜けなのも計算済みかよ」
彼はクレーモラを進む『オタヴァ』号での記憶を探った。水先案内人に扮した自分に親しく会話をした辺境伯の令嬢オーレイリア。赤毛の少女は気を許したような素振りをしながらも、彼を観察していなかっただろうか。
「なら、あの言葉は本当だったのか」
霧のクレーモラではしけごと積み荷をすり替え翼竜使いの運び屋の手でロイヴァスに届けたと彼女は匂わせた。ワゴンに隠した銃を発見したことでハッタリだと嘲笑したが、それすらも罠だとしたら……。
ソロンは部下たちに素早く目をやった。彼らは新型の銃を手にしている。ロイヴァスのワゴンからの鹵獲品をくすねたのだ。
「あれを使わせるために隠した?」
ひらめいた可能性は戦慄を伴った。敵の使用する武器を手に入れ使いこなし、より強力な武器に発展させる伝統がザハリアス帝国にはある。
ローディンを通して入手したアグロセンの最新式軍用銃であれば、帝国兵は競って手に入れ戦場で試そうとするだろう。
「やばいぞ、こいつは……」
今のところ銃の暴発は起きていない。試射は当然行ったが異常はなかった。だからといってロイヴァスの物を無条件に信じる気などソロンにはない。
彼のすぐ横を銃弾が通過した。傭兵として幾多の戦場を渡り歩いた男は一瞬で思考を切り替えた。
「こんな気の迷いまで計算してたのか? あの魔女が」
赤毛の令嬢の面影を舌打ちしながら打ち消し、ソロンはソルノクートの攻撃を凌ぐことだけを頭に置いた。
山脈は早い日暮れを迎えたらしく、周囲の視界が少しずつ暗くなってきた。
「よし、暗闇に紛れて逃げるのはこっちの得意技だ」
空を見れば銀月が満月となっている。月明かりで移動できそうだ。部下に指示を与え、ソロンは木々の影を伝うように交替した。
森はますます暗さを増していく。その中で何かが浮き上がるように見えた。
「? ヒカリヅタか」
月明かりに反応して発光するツタの一種で、バイランダー山脈では夜間の道しるべに使われる。これほど群生しているのは傭兵たちも初めて見る光景だった。
「あまり明るいと奴らに発見されるぞ、なるべく密集地から離れて移動しろ」
ソロンの命令に部下は従った。この調子なら分水嶺を超えてザハリアス軍に合流できる。
そう思った時、異変は起きた。
「何だ、これは?」
「どうなってるんだ?」
突然、彼らの持つ軍用銃が光り始めたのだ。ヒカリヅタより数倍明るい光は木々の隙間を通しても届いてしまう」
散発的になっていた敵の銃撃が突然勢いを増した。この光を目印にしていることは疑うよしもなかった。
「畜生、これが仕掛けか」
ヒカリヅタの成分を塗料か手入れ用の油に混ぜていたのかも知れない。確かワゴンの二重底から油紙に包まれて隠されていたと聞いた。
「銃を隠せ!」
こちらからの攻撃はできないが、居場所を知られるよりマシだ。
とにかく戦線からの離脱のみを考えることにしたソロンは、急に月明かりが途切れるのに気付いた。見上げる空には翼の影があった。鳥かと思ったが、彼は思い出した。
この山脈に大型猛禽類は生息しない。最強の翼を持つ生き物がいるからだ。
「……まさか、竜騎兵?」
通常の翼竜は夜間には飛ばない。一部の訓練されたプテロか軍事用に特化したクリオボレアスくらいだ。あれが後者なのは疑う余地がなかった。
森の中に点在する光点を目標としていることも。
「伏せろ!」
オーレイリアを追跡した時に翼竜の砲撃を受けた記憶が、ソロンに素早く回避行為を取らせた。大型翼竜が次々に急降下する。山が揺れる勢いで爆音が連続した。




