28 竜騎兵たち
ワゴン襲撃場所からひと山を超えた山脈中腹。
傷ついた翼でカーモスはどうにか安全な岩棚に着地できた。サウルは小柄な少女を抱えるようにして大型翼竜の背から下ろした。キジーは涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠そうともしなかった。
「……お姉ちゃん、……オーリー様……」
幼い妹を床下に隠し、ケダモノたちに連れ去られた姉と自分だけを翼竜で逃げさせたオーレイリアの姿が重なる。彼女が敵に捕まれば姉と同じ運命が待っているかも知れない。キジーはぎゅっと両手を握りしめた。
「……どうして……」
「君を僕とカーモスに預けた方が助かる可能性が上がると計算したんだろう」
サウルが静かに言うと、メイドの少女は涙で汚れた顔で彼を睨んだ。
「何ですぐに助けに行かないんですか! お嬢様と結婚して辺境伯になるのに!」
突然の糾弾にサウルは目を瞠った。
「いや、誰がそんなことを」
「みんな言ってました、お似合いだって。オーリー様はサウル様に会うために山脈に来たって……」
辺境伯の末息子は常の伊達男ぶりを放り捨てて彼女に縋るように言った。
「確かに、オーレイリアの帰還は嬉しかった。これで親父殿の後を継がなくていいんだって」
「……え?」
頓狂な声でキジーはまじまじとサウルを見た。やっと誤解を解けるとばかりに彼は話し始めた。
「僕は再従妹殿とは全く面識がなかった。継承に反対する者も多いし、ロイヴァスの内紛の種になりたくないんだ」
「領主様の息子なのに…」
「庶出だからね。血統で言えば分家筋のユーティライネン家当主の方がロイヴァス直系に近いくらいだ」
「でも、オーリー様ととても親しそうで……」
「彼女の作戦を教えてもらっていたんだ。それにしっかり釘を刺されたよ。遊び半分で君に手を出して泣かせたりしたら、山脈で一番大きいロイヴァス松の枝に吊してやるって」
想定外の状況に言葉も出ないキジーの黒っぽい髪に、サウルはそっと触れた。
「再従妹殿が会いたがってたのは僕じゃない」
キジーの胸の奥で何かがすっと外れた気がした。この気持ちを、サウルへの好意があふれ出すのを罪だと思わなくて良いのだ。
新たな涙が流れる頬に手を添え、サウルは静かに囁いた。
「可愛いキジー、その涙は僕のためだとうぬぼれていいのかな?」
いつも女性たち相手にへらへらしていた彼が、どこか不安そうな真摯な目で少女を見つめていた。
ごしごしと顔を拭い、キジーは負傷したカーモスの様子を見た。
「手当てしないと…、早くオーリー様を助けに行けるように」
薬の袋を渡し、サウルは空を見上げた。気がはやる少女を落ち着かせるように肩に手を置き呟いた。
「僕が見たのが勘違いでないなら…」
怪訝そうなキジーと並んで、彼は相棒の手当てをした。
輸送部隊と混成軍・ザハリアスの偽装銃撃隊との遭遇戦の混乱も届かないバイランダー山脈南西部。
安全な場所を動くこと無く成果の報告を待つ者がいた。
ウリヤス・メリルオト侯爵。苛々と天幕内をうろつく彼は、何度目か分からない癇癪を起こした。
「まだ連絡が来ないのか!」
首をすくめた侯爵領軍団長カリサルミは抑揚に乏しい声で答えた。
「最後の信号から新しいものは入っておりません」
「あの役立たずどもが! 大した武装もしていないワゴン相手に何を手間取っているんだ!」
折りたたみの椅子を侯爵は飛ばした。そこに、斥候班が戻ってきた。
「遅い!」
侯爵の叱咤も聞こえない様子で、斥候は軍団長に耳打ちした。歴戦の老将が青ざめた。
「本当なのか?」
「間違いありません」
斥候が差し出したのは領兵札だった。本人に何かあれば身元確認になるそれは、赤黒く変色していた。
「何だ? どういうことだ?」
メリルオト侯爵もさすがに事態の異常さに気付いた。カリサルミが主に説明する。
「銃撃部隊は全滅しました」
「……何?」
彼の言葉の意味が掴めず、侯爵は唖然とした。領兵札を握る軍団長の手は白くなっていた。
「同士討ちです。裏切り者が出たに違いありません」
「まさか……」
一応同盟を結び共同作戦をとる形だが、侯爵は若いオルヴェル・ハルキンを目下としか思っていなかった。ハルキン伯爵家の暫定当主は、彼の母アンニカにずっと頭を押さえつけられてきた優柔不断な人物だ。その息子など、当然自分に絶対服従するはずだと侯爵は疑いもしなかったのだ。
それが自分を欺いていたかも知れない。疑惑はすぐさま恐怖にすり替わった。侯爵は震える声で言い渡した。
「あの若造から目を離すな。少しでも怪しい動きをしたらすぐに知らせるんだ」
「了解しました」
軍団長は静かに天幕を出て行った。残された侯爵はふらふらと椅子に座り込んだ。全身の力が抜けていくような感覚が彼を襲った。
ワゴンを遺棄した場所から峰一つを超えた北側。
大木が倒れた後の狭い草地に大型翼竜クリオボレアスは音もなく着地した。
「大丈夫か?」
正体不明の騎手はオーレイリアが降りるのに手を貸した。
「ありがとう」
辺境領の令嬢は素直に礼を言った。この翼竜に乗る者は敵ではないと知っていたからだ。
「あなたはマティアス様の部隊の人なの?」
その問いに竜騎兵はぴくりと肩を揺らした。騎乗帽と風防眼鏡を外してオーレイリアに向き直る。
「君は?」
くすんだ金髪と青灰色の瞳。ロイヴァスに連なる者の特徴を持つ青年だった。オーレイリアは息を呑んだ。
彼の精悍な顔立ちがもっと幼かった頃を知っている。まだ母が生きていた頃、クロニエミの商会に紛れて見舞いに来てくれた少年。
「……カイ? カイ・ユーティライネン」
青年は目を見開いた。木漏れ日を浴びて朱金色の艶を帯びるオーレイリアの髪に見とれ、彼女の中に何かを探そうとする。そして彼は決定的な名前を呟いた。
「オーリー……」
辺境伯の令嬢は目の前の青年に歩み寄った。ラウダ峡谷で生死不明と聞かされてから押さえ込んでいた絶望が溶けていく。
「私、来たわ。お母様とあなたが教えてくれた分水嶺に」
カイは痛ましげにオーレイリアを見た。
「迎えに行けなくて済まない。手紙すら届けられなくて」
「いいの、私が自力で来なければ意味がないから」
誇らしげにオーレイリアは宣言した。
「お母様とお祖父様が多くのものを残してくださったおかげよ。手つかずの持参金、生前に贈与された遺産、王都で力を持つ貴婦人との交流、何よりロイヴァスの人たち」
何かを隠すような饒舌ぶりをカイの手が止めた。彼はオーレイリアの肩を抱き寄せて囁いた。
「頑張ったな。お帰り、オーリー」
笑おうとして辺境伯の令嬢は失敗した。目尻の涙を指で払い、彼女は重大な情報をもたらした。
「聞いて、サウル様は無事よ。輸送部隊に合流できたの」
「サウルが…」
幼馴染みの消息が掴めたことに、カイの顔が輝いた。オーレイリアは頷き、続けた。
「王都の侯爵邸でミュラッカ村の生存者が働いていたのよ。この輸送計画にも着いてきてくれたわ。サウル様はあの子に夢中よ、隠しているつもりだけど」
カイは笑い、顔をしかめた。その様子にオーレイリアは不安そうに尋ねた。
「怪我をしているの?」
右肩を押さえながら青年は答えた。
「落石を逃れたはいいが、このラヴィーニから落ちてしまって」
彼の相棒である翼竜にオーレイリアは目をやった。負傷したカイの支えとなってくれたクリオボレアスに、彼女は近寄った。
「守ってくれたのね。ありがとう」
母の手記を思い出し、目の周囲の柔らかな皮膚を優しく撫でる。大型翼竜は気持ちよさそうに目を閉じ、嘴を打ち鳴らした。
「気に入られたようだな」
翼竜の大きな頭が突き飛ばす勢いで擦り付けられる。よろけるオーレイリアを支え、カイは笑った。




