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23 後継問題と帰宅

 キジーの素朴な質問にソニヤが答えたのは周囲を見回した後だった。

「確かに、お館様のご子息はサウル様しか残っていないけど、あの方は庶出なの」


 瞬きを繰り返すキジーにソニヤが苦笑気味に説明した。

「お館様が国境での戦闘後に近くの町の宿屋で傷を治療していた時に知り合った娘があの方の母君。ロイヴァスとは全く繋がりのない平民なの。だから自動的に後継者からは外されていたのだけど、マティアス様があんなことになって…」

「マティアス様にお子様は?」


 ソニヤは哀しげに首を振った。

「婚約が決まったばかりで、結婚式の日取りもまだだったの。ずっとお館様と国境の紛争地帯を転戦されてて。年の離れたサウル様を可愛がっておられたけど」


 キジーの胸に、結婚を目前にして死んだ姉ミッラの事が甦った。

「……可哀想…」

 口を突いて出た飾らない言葉に、ソニヤも頷いていた。


「分家筋で一番血が近いユーティライネン家のお嬢様が婚約者だったけど、気丈にされているそうよ」

 声を潜め、ソニヤは続けた。

「マティアス様が亡くなって、そのお嬢様をサウル様に娶らせる話も出ていたみたいだけど、オーレイリア様のことがあって立ち消えたみたい。あの家もラウダ峡谷で戦死者が出てるし」


 厳しい状況と、辺境伯は親族揃って最前線で戦っていることがキジーにも分かった。そして、これまで抱いてきた不安が頭をもたげてきた。

「オーリー様……お嬢様は、辺境伯様やご親族に受け入れてもらえるのでしょうか」


 ソニヤは口元をひき結び、頭をそびやかした。

「受け入れないなんて、母さんが黙ってないわよ。あの侯爵家には昔、辺境伯のお嬢様が嫁いでて、その縁で前の防衛戦を先代同士が協力して戦ったの」


 先代侯爵のオーレイリア母娘に対する手厚い待遇はその関係もあったのかと、キジーは納得する思いだった。

 そして、もしサウルとの婚姻がオーレイリアの立場を盤石にするのなら、何を置いても協力しようと決意した。たとえ、自分の中に芽生えた感情を枯れさせてでも。

 輸送部隊に出発の号令が出た。人々は本日の予定距離をこなすべく歩き始めた。




 ロイヴァス領南西、バイランダー山脈に続く連峰の麓。


 武装した兵士が天幕周辺を行き来し、慌ただしく装備の点検をしていた。外の喧噪をよそに、ようやく自領軍と合流できたメリルオト侯爵は天幕内で休息を取った。

「やれやれ、こんな苦労させられるとはな」


 母アンニカの言いつけに従い、翼竜に大山羊と経験のない移動手段で国境地帯に到着した侯爵は、暖かな飲み物で生き返る思いだった。

 そこに入り口付近で言い争う声が聞こえた。侯爵は眉を跳ね上げ、厳しい声で言った。

「何事だ、騒々しい」


 彼の言葉に呼応するように、一人の将兵が姿を現した。メリルオト侯爵領軍を率いる老将、カリサルミだった。

「失礼、閣下」


 言葉こそ丁寧だが、領軍長は全身に怒りをみなぎらせていた。

「どうした、カリサルミ。何か異常事態でも起こったか」

 面倒くさそうな侯爵に、カリサルミは唸るように答えた。


「この事態が既に異常ですぞ、閣下。何故に我ら領軍がこそこそとハルキンの若造に顎で使われながら出兵せねばならないのです」

「言ったはずだぞ、国境で不測の事態だと」

「ならば、まずロイヴァス辺境伯に状況を確認するのが筋でしょう」


 ロイヴァスの名を出され、侯爵は舌打ちしたそうな顔をした。

「我がメリルオト侯爵家はロイヴァスの傘下でも隷属でもない。いちいち機嫌を伺うようなことができるか」


 それは彼の母アンニカが常々言っていたことだ。

『辺境の野蛮人どもは殺し合いしか能がないから国境に封じられているのよ。あなたは歴史あるハルキン伯爵家とメリルオト侯爵家の血を引く者。取るに足らない者が不相応な栄誉と富を得ているのを黙って見過ごすの?』


 かつての侯爵夫人は辺境伯令嬢トゥーリアが王都に持参した素晴らしい家具や高価な毛皮を目にして怒りに震えた。田舎娘とことごとく馬鹿にした相手が『雪の女王』と称えられる美貌の持ち主だったことも。


 彼女の持つ全ては本来なら高貴な自分のものとなるべきだ。そんな歪んだ信念が息子を唆してトゥーリアを襲わせるという暴挙に至ったのだ。

 元侯爵夫人とその息子以外は、この件に関してロイヴァスに大きな負い目と感じた。筆頭は先代侯爵だったのは言うまでもない。


 現侯爵ウリヤスは、自分になびかない生意気な女を強引に手に入れた程度のことで父に勘当寸前まで叱責されたことを未だに納得していない。

 自分が今こんな苦労をしているのも恩知らずな辺境伯と長女のせいだと疑いもしないのだ。


 領軍長カリサルミはそんな彼の内心を易々と見抜いたように戯れ言を受け流した。

「失礼ながら侯爵閣下のお考えは詭弁にすぎませんぞ。ロイヴァスがいかに多くの犠牲を払って帝国から我が国を守護してきたのか、王国内で知らぬ者がいるとでも?」

「うるさい! これは我がメリルオトとハルキンの共同作戦だ。ロイヴァスの連中が息子が死んだくらいでメソメソと引きこもる醜態を晒すのが悪い!」


 これも母の受け売りを叫び、侯爵は老将を追い払った。

「出て行け! 私は休息しているのだぞ!」

 もはや何もかける言葉もなく、カリサルミは主の前を辞した。


「領軍長閣下」

 忠実な部下が心配そうに呼びかけるのに、彼は一気に老け込んだ表情で口元を歪めた。

「ああ、ここに至っては侯爵領軍の栄光も潰えるだろう。儂にできるせめてもの手段は、国防に必要な兵士を極力無駄死にさせないことだ」

「それでは……」

「内密に連絡手段を用意しろ。決してハルキンの者に気付かれるな」


 領軍長の部下は表情を引き締め、すぐさま彼の指示を実行した。老将は木々の隙間から輝く銀月を哀しげに見上げた。




 ソルノクート王国、王都アームンク。


 メリルオト侯爵家の屋敷は、一見常と変わらない様子を保っていた。

 その正面の門が開き、一台の馬車を迎え入れる。馬車にはカルヴォネン公爵家の紋章が入っていた。


 玄関の大扉の前で馬車から降りたメリルオト侯爵令嬢ファンニは、久しぶりの自宅に感じるよそよそしさに戸惑った。

「お嬢様」

 公爵家から付き従ってきた二人の侍女が彼女を促し侯爵邸に足を踏み入れた。


 侯爵令嬢を迎えたのは最古参の侍女頭だった。

「お帰りなさいませ、何用でしょうか」

 この家の娘に対してかなり冷淡な言葉に、公爵家の侍女たちが素早く視線を交わした。ファンニは気圧されながらも用件を告げた。


「お母様が具合がよろしくないと聞いて、お見舞いに」

「では、まず奥様にご挨拶を」

 母の見舞いに訪れたのに挨拶とはどういうことだろう。ファンニはやや混乱しながらも背後の侍女たちの強い視線を受けて背筋を伸ばした。


 彼女たちが通されたのは侯爵家の主が使う部屋だった。

「お父様がいらっしゃるの?」

 ファンニの呟きを侍女頭は素通りさせた。そして、恭しくドアの外から呼びかけた。

「奥様、ファンニ様を連れて参りました」

「お入り」


 答えたのは聞いたことのない声だった。ファンニは自分の手が汗ばんでいるのに気付いた。彼女の背後から、侍女の一人がそっと囁く。

「大丈夫です、私どもがおります」

 ファンニは大きく息を吐き出した。侯爵令嬢にこれほど尊大な態度を取れるのは一人しか見当が付かない。


 部屋の中央の長椅子に、炎のような赤毛の老婦人が座っていた。視線だけを動かして侯爵令嬢を見据える。

 この女性がアンニカ・ハルキン。自分の祖母だとファンニは直感した。冷徹な薄水色の瞳に晒され、逃げ出したい衝動を必死で堪える。


 彼女の頭の中に、優雅で容赦のない公爵夫人スイーリスの教えが甦った。

『相手が頭を押さえつけにかかるなら、進んで跪きなさい。その可愛い顔を上手く活用して、純真で愚かな小娘を装うの。御し易いと思わせるのよ』


 ファンニは祖母の前に進み出た。丁寧に大げさに礼を取る。

「初めまして、侯爵夫人」

 孫娘の爪先から頭まで幾度も視線を往復させ、アンニカは答えた。

「母親よりはマシなようね」


 頭を下げたまま、ファンニは来訪目的を告げた。

「母の具合が悪いと手紙を受けとりました。見舞うことをお許しください」

 しばらく思案した後で、アンニカは侍女頭に行った。

「案内しておやり」

「はい、奥様」

「ありがとうございます」

 笑顔で礼を言い、ファンニは侍女と共に部屋を出た。

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