20 手紙と再教育
メイドの少女が眠りについたのを確認して、辺境領の令嬢は静かに彼女の側を離れた。数歩歩いたところで針葉樹の影に誰かいるのに気付いた。一瞬警戒したが、その正体はすぐに分かった。
オーレイリアは彼に声をかけた。
「あの子は眠っています、邪魔をしないでください」
「辛辣だな、再従妹殿」
ロイヴァス辺境伯の息子サウルが苦笑いしながら出てきた。輸送部隊の女性陣が彼に挨拶をするのににやけ顔で応えるのを見ても、オーレイリアは何も言わず歩き出した。意外そうに彼が後を追う。
「君も疲れているんじゃないのか」
気遣う言葉に彼女が返したのは全く別のことだった。
「……ミュラッカ村が壊滅したのは『北風の王』のためなの?」
オーレイリアの声はやや掠れていた。いつもの軽薄な口調で応えようとしたサウルは、表情を改めた。
「そうかもしれない。あの村が鍵だったとは思いもしなかったが」
「山脈の中の小さな村が兵役で男手を取られることもなく存続してきた。何かがあると気付くべきだったわ」
苦々しく呟いた後で、彼女は再従兄を振り向いた。
「大叔父様はどこまでご存じなの?」
「親父殿も確信はなかったようだ。極秘の探索隊として通常警備を装っていたところにクリオボレアスの営巣地が襲われたと情報が入り、兄上は主力隊と一緒に出撃した。ラウダ峡谷に」
「おびき出されたのね」
「そうだ。発見を恐れて低空を飛んでいたのが徒になった。突然の爆発で峡谷が崩落し、
僕たちが駆けつけた時は手遅れだった。兄上の遺体を回収することしかできなかったよ」
「主力部隊の生存者は?」
問いかけるオーレイリアの声は微かに震えていた。サウルは首を振った。
「いくらもいないだろう。だが、生きていれば『北風の王』の探索を続行しているはずだ。親父殿の最優先指令だからな」
「……生きていれば…」
再従妹の絞り出すような声にサウルは意外そうな顔をした。
「君は…」
そこに小柄な姿が飛び込んできた。伝文を手にしたソニヤだった。
「オーレイリア様、王都から風ツバメが来ました。アロネン商会の鳥です」
「アロネン商会?」
怪訝そうなサウルにソニヤが手短に説明した。
「ロイヴァスに運ぶ武器を調達した商会です」
「再従妹殿の取引相手か」
短い伝文を読んだオーレイリアは驚きの声を出した。
「クロニエミから? ハルキン伯爵領軍に警戒が必要? 正規軍に動きあり?」
「本当か?」
覗き込んだサウルもその内容を知った。
「クロニエミの情報なら間違いはないだろう。問題は王都の意向だ」
オーレイリアは彼に尋ねた。
「援軍だと思う?」
「これまで再三の増援要請に応えなかったのに? 裏があると見るべきだろう」
「同感よ。ソニヤ、ヨーセフを呼んでちょうだい。それからすぐに返信を送るわ」
「はい、お嬢様」
オーレイリアは筆記筒を取り出し、電文の裏に現在の状況を簡潔に記した。餌と水をもらいひと息ついた風ツバメは、再び空へと飛び立った。
同じ頃、王都アームンク。豪壮なカルヴォネン公爵邸で女主人が侍女から報告を受けていた。
「ファンニ嬢の本日の日課です。修正点はございますか」
日課表に目を通した公爵夫人スイーリスは少し考えた後に告げた。
「そうね、歴史をもう少し長くして。特に我が国の国防に関して繰り返し教え込んで。誰が国境を守ってきたかをね」
「承知しました」
「上達したなら小さな褒美を。やる気を起こさないならいつ返品されるか分からないと自覚させなさい」
侍女が下がると、話を聞いていた娘たちがくすくすと笑った。
「聞いた? お母様ったら厳しいわ」
「飴と鞭ね。あの子には効果的よ」
「シェルヴィア、サネルマ」
公爵夫人が咎めると、姉妹は首をすくめた。そこにメイドが訪問客を告げた。
「アロネン商会の方がお見えです」
「通しなさい」
アロネン商会は公爵夫人の実家の傘下にある豪商で、公爵邸を訪れることも珍しくない。いつものようにサロンで彼らを迎えたスイーリスは意外な者が混じっていることに驚いた。
「クロニエミ、なぜあなたが?」
「ご無沙汰しております、公爵夫人。本日このような形で紛れ込んだのには理由がありまして……」
彼は数通の書簡を取り出し彼女に渡した。
「手紙の写しのようね」
その内容に公爵夫人の眉が跳ね上がった。感情を抑え込み、彼女は出入りの商人に言った。
「ここまで愚かとはね…。ロイヴァスのお嬢様はご存じなの?」
「あの方には風ツバメで急報を飛ばしました。辺境領の者も付いておりますので、適切な判断をしてもらえるものと」
サロンの窓から見える空に顔を向け、公爵夫人は亡き友人が残した令嬢の無事を祈った。
同じ公爵邸の一室で、一見無関係な光景が繰り広げられていた。
「それでは、この時の辺境伯軍の指揮官は?」
「先代のヘンリク様です」
「よろしい。理解が早いですね、ファンニ嬢」
「恐れ入ります」
家庭教師に優雅に応え、メリルオト侯爵令嬢は本日の授業を終えた。メイドたちが本や筆記具を片付ける中、疲労感と幾ばくかの達成感を覚えつつ自室に戻る。
廊下を歩きながら壁に掛かる公爵家の人々の名を彼女は口にした。
「初代公爵コンスタンティン様、二代目アレクサンテリ様……」
この屋敷に単身で連れてこられた時はどうなるかと思ったが、カルヴォネン家の生活は思ったほど悲惨ではなかった。
確かに実家にいた時のように両親や使用人にちやほやされて贅沢三昧はできないが、あの家では得られないものも多かった。知識や教養を叩き込まれるのは大変でも進歩があれば認めてくれる。
温厚な公爵はともかく、夫人と義姉になる娘たちには最初ビクビクしていた。しかし彼女たちは意外なほど寛大だった。公爵夫人はマナーや勉強に進歩が見られると必ず褒めてくれたし、姉妹は努力のご褒美だといって贈り物をくれた。
オーレイリアの侯爵家離脱の一件でしばらくサロモンとはぎくしゃくしていたが、本気で公爵家に入るために勉強していると認識されてからは何かと励ましてくれるようになった。
「君がこんなに頑張り屋で真剣に学ぶことができるとは思わなかった。僕もできる限り協力する。分からないことがあれば言ってくれ」
彼の言葉はこの上もなく頼もしかった。侯爵家にいた時のように遊び歩くだけではこのような関係は築けなかっただろう。
部屋に戻り、テーブルに置かれた本を見てファンニは首をかしげた。本の間から封筒が覗いていたのだ。
「何でこんな所に…」
封筒を開け文面を読んだファンニは顔色を変えた。それはメリルオト侯爵夫人からの者だった。
「お母様? どうしてこんな…、お祖母様? ハルキン伯爵家の?」
どうやら父方の祖母が侯爵邸にいるらしいということは分かったが、母はどうも混乱しているようだ。今すぐ会いたいという泣き落としの言葉が延々と書き連ねてあった。
封筒に触れたファンニは中身が一通だけでないことに気付いた。一回り小さな封筒が入っていたのだ。それも堂々と侯爵家の紋を押した物が。
「アンニカ・メリルオト……、もしかしてお祖母様?」
何故母からの手紙にという疑問が開封するのをためらわさせた。
「……これ、どうしよう…」
明らかに極秘に届けられた手紙だ。カルヴォネン家の人々の目に触れたくないのだろうという見当は着く。ファンニは手紙を手に廊下に出た。




