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2 『亡霊』の反撃

 『亡霊』と呼ばれる侯爵令嬢は燭台を手に使用人を案内した。離れの玄関ホールには立派なシャンデリアがあるのだが、その下には何故か古びた埃まみれの家具が乱雑に置かれていた。

 それらを避けるようにしながら令嬢の後に続き、小さな灯りが照らす姿をキジーはそっと盗み見た。


 侯爵家の長女はよく観察すれば至って健康そうだった。簡素にまとめられた赤褐色の髪は艶があり、姿勢が良く足取りもきびきびしている。『亡霊』というあだ名と結びつくのは肌の白さくらいだ。


 侯爵令嬢は二階の一部屋の前で立ち止まった。

「この部屋に置いて」

 唯一灯りがついていた部屋だ。中には普通の家具類が置かれており、人が生活している空気があった。


 ほっとしながらキジーはトレーをテーブルに置いた。そして、暖炉に火が入っていないのに気付き首をかしげた。

 ソルノクート王国の短い夏が過ぎ長い冬へと急速に季節が移る時期だ。夜は暖房がないと結構厳しい。テーブルにある大ぶりなサモバールには火が入っているようなので、これが暖房代わりなのだろうか。


 そんなことを考えながら、キジーは退出の命令を待った。だが、部屋の住人は別の事に気を取られているようで、なかなか声をかけてくれない。ここは自分から言い出すべきかと悩んでいると、突然陰気な音が響いた。思わず壁まで後ずさったキジーは、それが時計の時報だと分かった。


 ――……びっくりした。こんな夜中に鳴らないようにしてないんだ……。

 離れの住人に視線を戻した彼女は、異様な光景を目にした。侯爵家の訳あり令嬢は呼吸も忘れたように立ち尽くし、小さな置き時計を凝視している。突然令嬢はキジーを振り向いた。


「今日は何日?」

「え? ……あー、昨日がかまど掃除の日だったから葡萄月の一の十曜日、じゃなくて日付が変わったから二の一曜日です」

「葡萄月二の一曜日……」


 口の中で復唱し、令嬢は両手を組んだ。

「……ああ、感謝します、聖光輪よ」

 その感動ぶりが理解できないキジーは戸惑うばかりだった。

 ――時間が経てば日付が変わるのなんて当たり前なのに、何でここまで喜んでんの?


 ひとしきり騒いで気が済んだのか、侯爵家の令嬢は彼女に笑いかけた。どこか近寄りがたかった令嬢が意外なほど親しげな印象に変わった。

「ああ、驚かせたわね。今日は私の誕生日なの」

「……あ、えっと…、おめでとうございます」


 幾分棒読み気味にキジーは祝福した。それを気にする風もなく、侯爵家の長女は両手を上に伸ばした。

「十六歳よ。これが何を意味するか分かる? 何をするにも親の許可を取らなくて良いの。私は私の行きたい所に行って、私のなりたい者になるわ!」


 『亡霊』と呼ばれる令嬢はこの家を出た事すらほとんど無かったと聞かされていたキジーには意外だった。

「その……、どこに行くんですか?」

 当然な質問に令嬢が答えようとした時、離れの玄関扉を乱暴に叩く音がした。


「出てこい、『亡霊』!」

「妹の婚約祝いにこないなんて、馬鹿にしてるのか?」

 明らかに酒が入った様子の怒鳴り声に、侯爵令嬢は眉をひそめた。

「ファンニの婚約者のお友達のようね。程度が知れるわ」

「ど、どうしましょう、お嬢様」


 おろおろするキジーに、彼女は平然と答えた。

「放っておけば良いわ、飽きたら本邸に戻るでしょう」

「でも……」


 怒鳴り声は次第に聞くに堪えない下品な挑発に変わっていった。

「中に入れろよ、どうせ夜中に屋敷をふらついて男漁りしてんだろうが」

「寂しいなら俺たちが相手してやるよ」

「いいのかよ、不細工だって噂だぜ」

「そんなの、暗くしてりゃ関係ないだろ。用があるのは首から下だけなんだから、袋でもかぶせとけよ」


 どっと起こる笑い声に令嬢は首を振った。そして黙り込むキジーを見て、目を瞠った。おどおどしていた下働きの少女は様子を一変させていたのだ。

 座った目で窓の外を睨みつけるキジーの唇から低い声が漏れた。

「……殺してやる!」


 トレーに置かれたナイフを掴み、少女は玄関に突撃しようとした。彼女の手にそっと触れたのは侯爵令嬢だった。

「そんなことしなくても、面白い物を見せてあげる」

 令嬢は玄関ホールへと歩き出した。キジーは慌てて後を追った。


 外では相変わらず怒鳴り声と扉を叩き蹴る物音が続いている。侯爵令嬢はホールに置かれた箱の一つから金属線を取り出し、扉のノブに結びつけた。

 そして彼女はキジーに手招きした。

「この窓が眺めがよさそうよ」


 玄関脇の小窓から酔っ払って騒ぐ青年たちがよく見えた。ドアノブを掴んで壊れそうなほど乱暴にこじ開けようとする。令嬢はにやりと笑い、金属製の握りに繋がる線を箱の中のつまみに接続させた。その時だった。


「わああああっっっ!」

 絶叫が離れに響いた。ドアノブを掴んだ青年が全身を痙攣させている。

「どうした?」

「おいっ!」

 仲間が彼に触れると即刻同じ反応が襲った。

「ぎゃああああ!」

「助けてくれ!」


 侯爵邸の離れ前は阿鼻叫喚となった。さすがに使用人や客たちが異変に気付き、続々と駆けつけてくる。

 笑いをこらえながら侯爵令嬢は金属線を扉から取り外した。使用人を振り向き、彼女は小声で指示する。

「さあ、証拠隠滅を手伝って」

 状況が全く理解できないまま、キジーは令嬢と一緒に金属線を箱に収めて蓋をした。


 侯爵家の庭園では、ようやく謎の現象から解放された青年たちが地面に倒れていた。

「何事だ?」

 急を聞いて駆けつけたメリルオト侯爵が彼らに質問したが、答えられる者は皆無だった。誰もがろれつの回らない状態で、それでも必死に恐怖を訴えた。


「あ……、あ、あれ、は……」

「……魔法だ……」

「…違う! ……呪い、……『亡霊』の……」

 それは侯爵家の長女を示す言葉だった。侯爵は顔を上げ、閉ざされた扉に向けて怒鳴った。


「オーレイリア! 開けろ! お前はお客様に何をしたのだ!?」

 しばらくして、きしんだ音とともに玄関の扉が細く開けられた。その隙間から見えるのは青灰色の瞳だった。


「ご機嫌よう、お父様」

 丁寧な挨拶に侯爵は更に声を荒げた。

「このような無礼な真似をしておいて、言うことはそれだけか!」

「無礼?」


 扉の奥で冬空のような目が眇められた。思わず言葉を途切れさせる侯爵に、オーレイリアは淡々と告げた。

「そこの、しこたま聞こし召した方々の言動は無礼でないとでも? 人の家の玄関を壊す勢いで叩く蹴ると好き放題した挙げ句に、口にするのもはばかれるようなことをわめき散らして。どこの無頼漢かと思いましたわ」


「し、失礼なことを言うな! 次期カルヴォネン公爵のご友人だぞ!」

「あらあら」

 オーレイリアは楽しげに喉の奥で笑い声をたてた。

「次期公爵様にご忠告してあげては? お友達は選べるのですよ、家族と違って」


 実の父親に向けた視線と声は冷え冷えとしていた。怒りに言葉を失っていた侯爵は扉を引き開けようとした。

 が、その直前に重い扉は閉められ施錠の音が続いた。


「開けろ!」

 侯爵の命令を娘は無視した。

「あまりに乱暴な様子に使用人がすっかり怯えてしまいました。皆様お引き取りください」


 それを最後に離れ内部からの返答はなくなった。面子を潰された侯爵は拳をわななかせたが、執事が小声で耳打ちした。

「旦那様、まだお客人が残っておられます。ここは穏便に」

「……分かっている」


 今夜は大事な娘の晴れの宴なのだ。こんなことで台無しにできない。侯爵は必死で笑顔を貼り付けた。

「どうもお見苦しい所をお目に掛けました。扱いの難しい年頃で」

 反抗的な娘の我が儘で押し通そうとする彼に周囲は同調した。


「どこもそんなものですよ」

「まったく、娘たちには手を焼かされる」

 何とか起き上がった青年たちは使用人に支えられ、侯爵たちは本邸に戻っていった。

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