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12 虐殺の村

虐殺の回想ですので、苦手な方は気をつけてください。

     *          *



 ミュラッカ村は日の出と同時に動き出す。


 夏が終わり日が短くなるにつれ、畑仕事や冬の準備は大急ぎになってくる。まだ五歳のキジーも例外ではなく、寝床から出るとすぐに母親や姉を手伝って細々した作業をした。


 各家の奥さん連中が連れ立って畑の根菜を採りに出かけた。いつもなら着いていくキジーは姉が瓶詰めの作業をするのを手伝った。年の離れたミッラは冬が終わると二軒隣の青年ラッセとの結婚が決まっており、少しでも姉と一緒にいたかったのだ。


 薪を運んできた父が不審そうに窓の外を見た。

「家畜小屋が騒がしいな」

 彼は家畜の様子を見てこようと裏口を開けた。村はずれの方から悲鳴がし、礼拝堂の鐘が鳴ったのはその時だった。


 父は血相を変えて斧を手にした。

「ミッラ、キジー、森に逃げるんだ! 急げ!!」

 そう言って外に出た父の怒号に銃声が重なった。近所の住人の叫び声が家の中まで響いた。蒼白になったミッラがキジーの手を掴むと、有無を言わせずに床下に押し込んだ。


「じっとしてて、絶対に出ちゃだめ!」

「ミッラ、傭兵が!」

 ラッセの声は悲鳴にかき消えた。。暗い床下でキジーは必死で息を殺した。乱暴にドアが開けられる音がし、大勢の足音が続いた。そして姉が引きずり出される音が。


 それから先は悪夢の中にいるようだった。聞いたこともない粗暴な声がした。

「さあ、俺たちを楽しませろよ。こいつを助けたいんだろ?」

「やめろ! ミッラに触るな!」

「ラッセ!!」


 叫び声、悲鳴、下卑た笑い声と荒い息、すすり泣き。その後に支配したのは沈黙だった。何よりも恐ろしい沈黙だった。


 気がつくと床の隙間から煙が流れ込んでいた。懸命に咳を堪えながらキジーは床下の空気窓から外に這い出た。

 彼女の目に映ったのは、燃える村だった。暴虐の限りを尽くした傭兵の姿は見えない。煙の中、轍の跡が残る道に転々と死体が転がっていた。その中に頭を打ち抜かれた父がいた。


 目を見開いた父の死体が恐ろしく、キジーは半泣きで彷徨った。

「……お姉ちゃん」


 近くの水くみ場に彼女はいた。無残な姿で恋人の死体に折り重なって。

「お姉ちゃん、起きて。お姉ちゃん!」

 縋り付いて揺さぶっても答えはなかった。キジーは一人、泣きながら森に向かった。


 ミュラッカ村の背後に広がる森の入り口には、何百年も村を見守ってきた大木がある。生まれた時から見慣れているそれを目印にキジーは歩いた。

 だが、次第にはっきりと見えてくる大木はいつもと違っていた。大きな実のようなものが無数にぶら下がっているのだ。


 やがてそれが実ではなく吊るされた人だと分かった。畑に出ていた女たちが捻れた人形のように風に揺れていた。どれも顔の見分けが付かないほど酷く殴られ苦悶の表情を浮かべている。


 その中に見慣れた模様のスカートをキジーは見つけた。破れ汚れているが母が着ていたものだ。少女に残酷な現実が押し寄せた。もう誰もいない、自分は一人きりだと。

 崩れるように座り込み、キジーは泣いた。吐きながら泣き続けた。幼い慟哭だけが森に響いた。



     *        *



 目を伏せ、メイドの少女は語り終えた。どこか焦点の合わない眼差しでぽつぽつとその後をたどる。


「後になって辺境軍が来てくれて、みんなを弔って泣いてたあたしを教会に連れてってくれたんです。ぼんやりとしか覚えてないけど。その時に、姉ちゃんが殺されたラッセの後を追ったんだって、なまくらな小刀しかないせいで死にきれずに何度も喉や胸を突いた痕があったって、話してるのを聞いた…」


 半死半生の状態で、燃える村の中で惨殺された恋人を見つけて絶望したのだろうか。家族も伴侶も未来も全て失ってしまったと。せめて幼い妹が生き残ったことを知れば何かが変わっていたかもしれない。


 ミュラッカ村の虐殺事件は覚悟していたより遙かに凄惨だった。オーレイリアとソニヤは声もなく小柄な少女を見つめた。

 無意識のうちにキジーは拳が白くなるほど自分のスカートを握りしめていた。それをオーレイリアがそっと両手で包む。


「話してくれてありがとう。つらいことを思い出させてごめんなさい」

 そして彼女は敵だらけの屋敷で側にいてくれたメイドを抱きしめた。

「守れなくてごめんなさい」

 当時、辺境軍主力は国境を越えてきたザハリアス遊撃軍と交戦していた。ミュラッカ村の襲撃を知り竜騎兵が急行したが間に合わなかった。


 しばらく鼻をすする音が続いた後、ソニヤがそっと言った。

「女たちまで殺し尽くすなんて傭兵のやり方じゃないですよ。奴らは気に入った女を掠って奴隷のように使うのが常なのに」

「そうね、メリルオトのお祖父様もただの略奪ではないとお考えだったわ」


 オーレイリアも同意し、ためらいがちにキジーに質問した。

「その日の直前、いつもと変わったことはなかったか覚えてる?」

 鼻の頭を赤くしたキジーは考え込んだ。あの日の記憶は強烈で、その前がどんな様子だったかはかなりおぼろげだ。


「……畑や森の様子は特に……」

 言いかけて彼女は顔を上げた。

「ティモ爺ちゃん、…マウリ爺ちゃんにローペ爺ちゃん、年寄りばかりが森に入ってった。爺ちゃんたちにしか分からないって父さんたちが何かを話してて……」


 大人の会話を盗み聞きなどすれば酷く怒られる。それでも何か面白い話はないかと耳をすませるのが子供たちだ。

「森の中、老人にしか知識のない何かが……」

 それが村の運命を狂わせたのだろうか。オーレイリアは考えたものの何も浮かばなかった。ソニヤの方を見ても、お手上げだと肩をすくめるのみだ。


 ここが切り上げ時かと判断し、辺境伯の令嬢は二人に告げた。

「すっかり遅くなってしまったわね。明日も早いのだし、休みましょう」

 心得顔にソニヤがキジーの手を引いて主の部屋を出た。

「あなたはあたしと一緒の部屋よ、よろしくね」


 キジーの沈んだ気持ちを引き立てるようにソニヤは他愛ない雑談をした。

「出発の準備が出来るまで、ここがあたしたちの部屋になるの」

 案内された部屋は簡素なベッドが二つ並んでいた。それぞれに小さなテーブルとクローゼットが付いている。


「あたしはドア寄りの方にするわ。これでも見張りくらいは出来るのよ。北部で暮らすと嫌でも目が良くなるし。この街じゃあまり役に立たないけどね」

 彼女の軽快な話術にいつしかキジーは自然に笑っている自分に気づいた。ソニヤは手早く着替えて寝床に潜り込むとランプの火を消した。


「おやすみ。明日も忙しくなるよ」

「おやすみ」

 あまりに色々なことがあった日の記憶が何とか落ち着くと、メイドの少女は数年ぶりに家族の魂の浄化を聖霊と聖光輪十字に祈った。




 翌朝、辺境伯邸は早くからアロネン商会の荷馬車がひっきりなしに荷物を運び込んだ。一段落した所で、キジーは辺境領や商会の人たちに飲み物を配る手伝いをした。


 噂好きの荷運び人は某侯爵家のネタで盛り上がっていた。

「夫人が若いツバメと密会してたのを取り押さえられたって?」

「いや、二人してこそ泥しようとしたって聞いたぞ」

「え? 離れの亡霊に取り殺されかけたんじゃ……」


 ああでもないこうでもないという声は次第に大きくなり、屋敷の中にいる者にまで伝わった。

 その騒動の原因であるソニヤは素知らぬ顔で彼らの会話に入り相づちを打った。


「へえ、そんなことがあったんだ。お貴族様は暇なんだね」

「暇も金もある奴なんて何するかわかんねえからな」

「妙な会合とか?」

「そうか、何かを呼び出す儀式かもしんねえな」


 噂が雪ダルマ式に膨れ上がるのを聞いていたオーレイリアは乳姉妹にそっと忠告した。

「ほどほどにしておきなさい」

「はあい」

 ぺろりと舌を出し、ソニヤはすっかり打ち解けた様子でキジーと一緒に仲間の昼食を用意した。


 屋敷の庭に続々と集まる軍事物資を眺め、オーレイリアはこれらを輸送する手はずを考えた。

「かなりの重量になるから、荷馬車だと大所帯になってしまうわね。山脈に入ると馬でも引き上げられるかどうか……」


 北の空に向けられた目は、遙か先の国境地帯を見据えていた。

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