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11 罠と回想

 謎の人物は身軽に手すりから飛び降り、罠にかかった二人を嘲った。

「何かと思ったら躾のなってない野良犬と雌猫かあ」

 それは少女の声だった。白っぽい金髪がランプで暗闇に浮かび、薄青い目は鬼火のようだった。クスターの喉が引きつったような音を出した。


「誰なの? オーレイリアを連れてきなさい!」

 網に捉えられ宙吊りにされてもわめくレータを心底軽蔑した目で見上げ、少女――令嬢の乳姉妹ソニヤは冷気を感じさせる声で言った。

「あんたたちみたいなゲスな輩にトゥーリア様が穢されたなんて反吐が出る」


 前侯爵夫人の名にレータは目を血走らせながら叫んだ。

「あの女の仲間なのね! どこまでも私の邪魔をして!」

「うるさい」

 ソニヤはわざとらしく耳を押さえた。そして二人が持ち込んだランプが転がる所に進んだ。


「あーあ、絨毯が油だらけ」

 彼女は自分が手にしたランプを染みの端に斜めに立てかけた。今にも倒れそうな様子にクスターが焦った。

「お、おい、ちゃんと置けよ、危ないだろ」

「そうだよね、倒れたらどうなるかな?」


 更にランプを傾けながらソニヤは真顔で言った。二人のわめき声がホールにこだました。

「やめろ! やめてくれ!」

「誤解よ! 私はただ別れを言いに……」

 聞き苦しい二重唱を無視してソニヤは倒れかけたランプをそのままにホールを出た。背後では戻ってこいと大騒ぎをしている。


「ま、油ぎれのランプなんだけどね」

 倒れるより火が消える方が早いだろうが、それまでに火事で焼け死ぬ恐怖をたっぷりと味わえばいい。

 ソニヤはしっかりと裏口の鍵をかけてメリルオト侯爵家を後にした。




 王都アームンクの貴族街。その一角にある屋敷にソニヤは入っていった。中にいた人々に帰還を告げ、主である乳姉妹オーレイリア・ロイヴァスに報告する。

「予感的中でしたよ、あの女狐は甥とか言う若い男を離れに引き入れてました」


 周囲の人々から嫌悪の声が漏れた。一歩間違えれば被害者になるところだったオーレイリアは、至って冷静だった。

「気付かれないように移動して正解だったわね。それにしても何のひねりもなく同じ手を使うなんて……」


 十七年前、病弱だった母トゥーリアはロイヴァスの厳しい冬を避けて南部の王都に居を移した。辺境伯は国境の守備という重責があるため王都の屋敷は半ば捨て置かれた状態だった。改修工事が冬に間に合わないと分かった時、辺境伯と懇意の間柄だった先代のメリルオト侯爵が侯爵邸に逗留するよう提案したのだ。

 それが妻と息子の愚行を誘発するなど想像もしなかっただろう。


「侯爵家のお祖父様は本当に私たちを気遣ってくださった。あの男と顔を合わせなくてすむよう離れを改築してくださったのも、ご自分が先立った後のことを踏まえて手を打ってくださったのも感謝しているわ」

 先代侯爵が示してくれた愛情は罪悪感だけでは無かったと彼女は思っている。

「カルヴォネン家との縁談は、もし私が王都に留まることを選択した時のためだったのよ。結果的に無駄になってしまったけど」


 彼女の言葉にロイヴァスから来た人々は同意した。

「トゥーリア様やお嬢様のご様子を、頻繁に詳しくロイヴァスに届けてくれました。先代様もヨハンネス様も感謝しておられました」

 彼らが天上で再び親友となっていることを人々は願った。


 オーレイリアと共に初めてロイヴァス邸にやってきたキジーは、辺境領からやってきた人々に引き合わされた。北部の人間がこれほど集まっているのは故郷にいた時以来だった。大勢が滞在するための準備は忙しかったが、懐かしい言葉を聞く度に戻っていくのだと実感が湧いた。


 元侯爵令嬢がメリルオト侯爵に離籍を叩きつけたあと、侯爵は憤然と本邸に引き上げていった。侯爵夫人はわめき立てたがカルヴォネン公爵夫人にみっともないと一蹴され、更に愛娘ファンニを公爵家に連れて行かれて半狂乱だった。

 二人で早くここを出て行こうと相談していた時、ソニヤが伯爵邸の用意ができたと教えてくれたのだ。


「あの、皆さんはいつからここに?」

 そっと尋ねると、ソニヤが気さくに答えてくれた。

「オーレイリア様からロイヴァスに帰属したいという打診が来てからすぐに準備してたの。私は乳姉妹権限で真っ先に手を上げて、他にも来たがってた連中が多くて喧嘩になりかけて」


 彼女の言葉に周囲が笑った。

「嘘言うなよ、ソニヤ。頼むから行かせてくれって親父さんに泣きついたんだろ」

「してないって!」

 むきになって言い返す少女に笑い声は広がるばかりだった。年長の女性がその場を仕切った。


「さあ、夜も遅いんだから休まないと。お嬢様もお疲れだよ」

 見張りを残して人々はおとなしく割り当てられた部屋に戻った。

 その流れの中でソニヤはすっとオーレイリアの隣に立った。

「北部からの続報です」


 概要を聞いたオーレイリアは、メイドの少女に声をかけた。

「部屋に来て休むのを手伝って」

「はい」

 疑うことなくキジーは令嬢の後を追った。




 部屋の中が自分とメイドの少女と乳姉妹だけになったのを確認し、ドアの外の気配を伺った後で、オーレイリアは二人を座らせた。


 彼女はまずキジーに用件を話した。

「覚えている? 私があなたに約束したことを」

 はっとした顔でキジーは令嬢の顔を見た。辺境への同行を求められた時に囁かれた言葉『あなたの家族を殺した者に復讐する機会をあげる』を忘れたことは一度も無い。

 ただ、その後の状況変化のめまぐるしさで確認することができずにいた。


 オーレイリアは小柄な少女の反応を見て、乳姉妹であるソニヤに視線で合図をした。ソニヤが努めて冷静な声で報告した。

「北部の教会からの定時連絡で、十年前のミュラッカ村襲撃の生存者、ティモ老人が亡くなったとのことです」


「ティモ爺ちゃんが?」

 思わずキジーは口を挟んだ。辺境伯家の令嬢はそれを咎めることなくソニヤに続きを促した。

「死因は?」

「教会裏の小川で倒れていました。溺死だそうです」


 一応自然死ということで届けは出されたそうだ。だが、キジーは疑問点を突いた。

「でも、ティモ爺ちゃんは足が悪くて支えがないと歩けなかったのに」

 ソニヤは頷いた。

「教会の者もそう証言していました。それでも最近は高齢のためか奇行が多かったこともあって診断を覆せなかったかと」


 そして、ショックを受けた様子のキジーに気の毒そうな視線を送ると、彼女はより衝撃的な報告をした。

「これで、ミュラッカ村生存者はあなただけです。キジー」

 メイドの少女は呆然とした声を出した。

「……え? でも、他にも助かった人がいたって」

「その人たちも全て亡くなりました。事故死と原因不明の突然死で、しかもここ半年以内で」

「…どうして……」


 震えるキジーの手に自分の手を重ね、オーレイリアが尋ねた。

「私たちもそれが知りたいの。あの日に村に何か変わったことはなかったか思い出してもらえるかしら」


 キジーは目を閉じた。これまで意識的に思い出すまいとしてきた故郷の村。ロイヴァスの分水嶺と呼ばれる険しい山脈の麓で細々と生きてきた人々。

 頭の中に鮮やかに甦ってた来たのは戸を開けると流れ込んでくるひんやりした空気、遅い日の出。いつもの一日になるはずの朝だった。


 目を開け、メイドの少女は膝の上に置いた自分の手を見た。あの日、この手はずっと小さかった。幼い自分の周りにいたのはたくましい父親、働き者の母親、いつも自分を可愛がってくれた年の離れた姉。北部の厳しい環境の中、寄り添って生きてきた村の住人。


 二度と帰らない光景が鮮やかに甦る。それが根底から破壊された日のことを、キジーはぽつぽつと語り始めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ファンニ良いですね。悪役でも合理的な奴は嫌いじゃない 彼女とその婚約者の罪は父公爵と継母と強姦未遂甥よりは軽いだろうし納得です。嫁ぎ先で義母と義姉妹から虐められる罰はあると示唆されてる(と…
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