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記憶の彼方から

作者: 鹿島涼

雨が果てしなく降り続いている。


まだ外回りの途中だったが、仕方なく公園に避難した。

会社に戻りやることも溜まっていて、こんなところで道草を食っている場合じゃないのだが..。

男は小さく舌打ちをし、屋根のあるベンチに座り雨を見つめた。


自分と同じように雨宿りしている青年がいた。

年は自分より20歳は下に見える、まだ若手社員という感じだ。

10分程時間が経ち、ますます雨が激しくなり途方に暮れかけたところで、突然青年に話しかけられた。


「これ、よかったらどうぞ。」

青年は缶コーヒーを差し出している。すぐそこの自動販売機で購入したのだろう。

それは昔男がよく飲んでいた銘柄だった。


「ああ、ありがとう。お代は..。」

いきなり話しかけられて面を食らい、慌てて財布から小銭を取り出そうとした。


「あ、お金はいりません。それにしても、この雨、早く止んで欲しいですね。」

「ええ、そうですね、全く。」

青年も男の隣に座った。しばらく沈黙が続いた後、青年は言った。


「失礼ですが、営業職の方ですか?すみません、身なりがとてもしっかりしていて行き届いていたので..。」

「ええ、薬品メーカーの企業営業ですよ。医者を相手にすることが多いのでね。まあ、ある程度は。」


確かに男はどんなに忙しい時でも皺のないシャツに、髪型はしっかりセットをし、誰に対しても隙のないように振る舞おうとした。昇進したてだったので部下にも舐められないように常に気を張っていたし、傲慢な医者達にも対等だと認められるよう努力した。


青年は道端に流れ落ちる雨の跡を、目で追いながら言った。

「私も営業職に就いたばかりで、でも正直自分には向いてないような気がしています。」


「初めはみんなそうですよ。特に入社したての時は。」

と言いつつも、男は心の中でなんて考えの甘い男なんだ、これだから今の若者は..と呆れた。男は若い頃からがむしゃらに仕事をし、上司に擦り寄り、時には同僚を蹴落としながらやっとのことで今の地位を獲得したので、人の弱さを許せないところがあった。


「私は最近やっと主任になってんですけどね、今の若い者はすぐ泣き言を吐くし、一度死ぬ気で仕事に打ち込んでみたらいいんですよ。死ぬ気でね。」


「死ぬ気で..ですか。でも死んだら何もかも終わりですね。ずっとずっと我慢して、やっと楽になれたのに。悔しくて悲しいのは、死んでからも変わらない。人は私を忘れていく。私の死に様が脳裏に焼き付いて、悔恨の日々を過ごしてきた上司も、最近私のことを忘れつつあるんです。あの人には、死ぬまでずっと私のことを忘れて欲しくはないのに。」


男は青年の横顔を見つめた。

『一体何を言っているんだ、この青年は..。そういえば誰かに似ている。』


「日々のストレスをぶつけるように、私に罵声を浴びせた後、喉が渇いたのか、満足そうにその缶コーヒーを飲み干していましたよね。」

男は慄きを覚え、心臓が止まりそうになった。


「君は…。」


「忘れては困ります。あなたには私の幻影で苦しんで欲しいんだ。あなたが私を追い詰めて殺したのだから。忘却によって楽になろうなんて、そうはいきませんよ。」

青年はごく当たり前の日常会話でもするように、淡々と話した。


男は青年を見据え、記憶の彼方から彼の名前を掘り起こそうとした。


確か青年は私の昔の部下だった。入社したてで視野も狭く、反抗的な態度が気に入らないので、世間というものを教え込んでやろうと、少し厳しくしたことはあった。しかし、ある日出社してこないと思ったら、この公園で自殺したと警察から連絡があった。私は特にお咎めはなかった。当然だ、この男が弱く、自分から勝手に首を括ったのだ。私が悪い訳はない。ずっとそう思っていたが..。





「お義父さん、ここにいたんですね。もう、またこんなスーツなんて引っ張り出して。」

向こうから30歳前後の見知らぬ女が駆け寄ってきた。青年は消えていた。

「さあ、帰りましょう。よくここに来ますけど、何かあるんですか?まったく徘徊なんてされたら、家のこと何もできやしないわ。」


男は最近発症した痴呆によって何も思い出せず、無意識に足が向かう方向に歩いてきた。ただ、あの青年のことははっきりと思い出した。

「ああ、やっと忘れられると思ったのに。いつになったらこの記憶から解放され、楽になる時が来るのだろう。」


女は傘をさして男の腕を取り、雨の中を歩き出した。男はきっとまた自分がここに呼ばれるのだろう、記憶の彼方から..彼によって、と予想していた。

初短編です。三題噺のキーワード「雨/道草/コーヒー」を元にしています。

生きていると何かにつけ後悔に苛まられ、無意識に何度も夢に出てくるような事柄があります。だいぶヘビーな話になってしまいましたが、普段は意識外に追いやっていても決して自分の中からは無くならない、悔恨や苦悩を書きたかったのだと思います。

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