姑獲鳥(うぶめ)
突然の織姫の入院で、秦は深夜の帰宅を余儀なくされた。
その時出会った絶世の美女。
しかしその腕に抱かれたものは・・・
姑獲鳥
ある小春日和の穏やかな日、平助が道場で寝転んで昼寝をしていると、建て付けの悪い玄関の引き戸を苦労して開ける音がして槇草が飛び込んできた。
「師匠そこの駅前に・・・!」
「何じゃいきなり挨拶も無しか」平助がムックリ起き上がる。
「あっ、師匠こんにちは」槇草が今更のようにお辞儀をした。
「もう遅いわ、いったい何事じゃ」
「そこの駅前に献血車が来てるんですよ、こんな田舎町に珍しくないですか?」
「献血か、儂のような年寄りの血は役に立たんよ。して、お前はやったのか?」
「牛乳瓶二本分採りました。はい、これ献血手帳とバッジです」槇草が嬉しそうに平助に見せた。
「ふ〜ん、それは良い事をしたの」平助はお座なりな返事をした。
「それでご相談なのですが・・・」
「何じゃ?」
「今日稽古が終わったら、肉食いに行きませんか?」
「なぜじゃ?」
「だって、血を造らなきゃ。あれだけ採ったんだから肉でも食わなきゃ貧血を起こしてしまいますよ」
「お前は普段から血の気が多いんじゃ、牛乳瓶二本くらい何とも・・・」平助はふと気付いて言葉を切った。
「ははぁ、さては今日美希さんがおらんのじゃな?」
「あ、バレましたか。そうなんです美希と小太郎は剛道館の義父の所へ行ってるんです」
「どうした、愛想を尽かされたか?」
「違いますよ。今日はお手伝いの重さんが風邪で休んでるので、泊まりがてらお三度に行ったんです」
「それで?鬼の居ぬ間に命の洗濯を決め込むつもりなのじゃな」
「酷いなぁ、それ美希に言ったら大変ですよ。でも、うん、まぁそうかな、それもあるけど久しぶりに師匠と呑みたいなぁと思って」
「何と、殊勝ことを言ってくれるではないか」
「熊さんと王先生も誘いましょう」
「うむ、たまには良いか。可愛い弟子の誘いじゃ、断る訳にもいくまい」
「そう来なくっちゃ、今日は心ゆくまで呑みましょう!」
平助が満更でもなさそうに立ち上がる。
「じゃがその前に稽古じゃ」
「はい!」
槇草はいそいそと道着に着替え始めた。
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「ここは安くて美味いのですよ」肉の乗った七輪を目の前にして槇草が自慢げに言った。
「しかし、この煙はもう少し何とかなりまっせんかなぁ」熊さんが煙に目をシパシパさせながら訴える。
「この広い店内でこれだけの人が肉を焼いているんです、換気扇なんか効きゃしませんよ」槇草が更に胸を張った。「それだけ人気店だと言うことです」
確かに、壁に貼ってある品書は煙で燻されて黄色くくすんでいる。
「さ、師匠、王先生、熊さん、食べて下さい、今日は僕の奢りです!」
「うむ、では遠慮無く頂くとするか」平助が言った。
「槇草君、儂まですまんなぁ」王が恐縮した体で頭を下げる。
「何を仰っているのですか、先生の存在を信じなかったお詫びです」
「そういやぁ王先生、鎌鼬騒ぎではご活躍だったそうじゃごわはんか」
「いやいや、特段する事もなかったわい」
「兎に角、食べましょう。せっかくの肉が炭になっちまう」
「じゃっどじゃっど」
四人はビールで乾杯して、次々に肉を網に乗せた。
「しかし槇草どん、今日はどげんか風の吹き回しですな?」熊さんが訊いた。
「ああ、昼間に駅前で献血したのですよ。それで減った分の血の補給です」
「献血か、懐かしいのぅ」王が遠い目で肉から立ち昇る煙を見た。
「献血に何か思い出でも?」槇草が訊いた。
「あまり良い思い出では無い」
「うむ、あの『黄色い血』のことじゃろ?」平助が頷いた。
「黄色い血ちゃ何ですな?」
「槇草も知らんか?」
「はあ、どこかで聞いた気はするのですが・・・」
「そうか、あれは戦後すぐの事でな・・・」
平助が説明を始めた。
戦後、民間の血液銀行による売血(買血)が盛んに行われるようになった。
血を売るのは主に貧困層の人達で、生活の為に売っていたのである。
ドヤ街や貧民窟の近くに血液銀行ができ、そこでお世辞にも良い環境とは言えない状況で採血が行われていた。
それらの場所は梅毒患者や肝炎感染者が多く、その血液を輸血した者の多くが感染した。
血液検査の手法も確立していなかった当時、医者もそれくらいのリスクは仕方がないと諦めていたのである。
『黄色い血』の由来は、こういった人達が頻繁に売血を繰り返す為め、赤血球の回復が追いつかず透明な血漿が多くなり、血が黄色に見えた事が始まりである。
「儂は軍の仕事でアメリカにおったのじゃが、市民は血液銀行のことをバンパイア、吸血鬼と呼んでおったな」王が言った。
「日本での転機が訪れたのがライシャワー事件じゃ」平助が続ける。
「あっ、それ僕も知ってます。確か僕が中学生くらいの時の話だ」
「うむ、当時の駐日アメリカ大使のライシャワー氏が暴漢に刺されると言う事件が起きた。一命は取り止めたもののその時の輸血が原因で肝炎を発症し大きな社会問題になったのじゃ。その事件をきっかけに、民間の売血制度が見直され赤十字の献血運動が広がったのであったな」
「ふ〜ん、今日の献血の裏にはそんな過去があったのですね」
「じゃが、この問題はそれで終わったわけでは無い」
「まだなんかあっとですか?」熊さんが興味津々に訊く。
「自分の体の一部が売り物になる、と知ったのじゃよ」
「え〜それはどう言うことですか?」
平助は槇草の注文したホルモンの皿に箸をつけた。「これがレバー、これが小腸、これが心臓・・・」と順番に網に並べて行く。「これと同じ事じゃ」
「・・・?」
「人の内臓が商売になる、と云う事じゃな」王が捕捉した。
「臓器売買の事でごわすか?」
「そうじゃ、医療技術の進歩と共にこの問題が顕在化して来たのじゃよ」平助が言った。「人の意識が、人体は神聖なものだと云う視点から、機械の一部だと云うふうに変わって来たのじゃ」
「内臓だけでは無いぞ、骨や皮膚、角膜や骨髄、精子卵子まで人体のすべてが売り物になる」
「うへぇ、それじゃまるでフランケンシュタインじゃ無いですか」
「バンパイアにフランケン、西洋の妖怪のオンパレードじゃな」
「何だか食欲なくしちゃったなぁ・・・」槇草がゲンナリとして箸を置く。
「よし、この話はこれで終いじゃ。槇草、気を取り直して食べようぞ!」
「よ〜し、仕切り直しだ!」
単純な槇草は、一口ビールを煽ると再び箸を取って網の上の肉に突進した。
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ここは辺鄙な場所にある病院のバス停。
「やあ、何とか最終のバスに間に合った」
売れない幻想作家、秦龍三は疲れた声で呟いた。
秦は同じアパートの住人織作美姫、通称織姫の盲腸の手術に付き添ったお陰でこの時間になったのだ。
今日の夕方、秦が自分の部屋の鍵を開けていると、向かいの織姫の部屋から呻き声が聞こえた。
「どうしたんだ、織姫!」秦が織姫の部屋のドアを開けようとするが鍵が掛かっていて開かない。
「織姫、大丈夫か!」もう一度呼んだ。
「せ、先生・・・助けて」苦しそうな織姫の声が聞こえた。
「よし、待ってろ!」秦は力一杯ドアノブを引っ張ったがびくともしない。
しかし、木造二階建ての古いアパートである、二度三度と繰り返すうちにミシッ!と音がした。
「よぉし、もう少しだ!」秦は壁に足を掛けて思い切り力を入れた。『後で修理代を払えばいいか』満身の力を込めてノブを引くと大きな音を立ててドアが開いた。
中に入ると、織姫が台所で蹲っている。
「せ、先生・・・お腹が・・・痛い!」織姫は両手で右の下腹部を押さえて喘ぐように言った。
「きゅ、救急車を呼ぶ!」
それからが大変だった。救急車はすぐに来たのだが、近くの大きな病院はベッドが満床で受け入れてくれない。
救急隊員があちこち連絡を取ってくれて、やっと見つかったのがこの病院だった。
元々は結核専門の病院だったらしく、街中を離れた寂しい所にある。
緊急手術が終わって、入院の手続きなどを済ませたらこの時間になったのだ。
「しかし、病院下だなんて気味の悪い名前のバス停だよ」
電信柱の街灯が、ぼんやりとバスの時刻表を照らしている。
「あと十分ほどでバスが来るな」秦はやれやれと独り言を呟いて、待合のベンチに腰を下ろした。
「あれ?」ベンチに座った位置からは、四階建ての病院の側面が見える。来た時には気付かなかったが、その下に黒い穴が開いていた。
「池・・・か?」大きな穴だと見えたのは池で、暗い水面が穴のように見えたのだった。池の辺に彼方を向いて立っている人影が見えた。
「誰だろう、こんな時間に?」
訝しく思った秦はベンチから立ち上がり、池の方へ歩いて行った。自殺では無いかと疑ったのだ。
近付くと女の人である事がわかった、長い髪が腰の辺りまで届いている。
「あの・・・」遠慮がちに声を掛けた。「こんなところで何をしているのですか?」
返事は無かった。
秦はもう一度声を掛けた。「あの・・・」
女の顔がゆっくりと振り向いた。
秦は息を呑んだ、この世のものとは思えぬほどの美しい女だった。その白い顔が背後の暗闇から浮いて見える。
「何かご用でしょうか?」か細い声で女が訊く。
「いえ、間違っていたらごめんなさい。貴女は今自殺しようとしていたのではありませんか?」
「ほほほほほほほ・・・」場違いな笑い声が響いた。「それはご親切に、でも私は自殺なんてしませんわ」
「そ、そうですか・・・それは良かった」
「だって私は・・・」女が身体ごと振り向いた。「もう、死んでいるのですもの」
秦は腰を抜かすほど驚いた。女が幽霊だったからでは無い。振り向いた姿があまりにも異様だったからである。
女は血管の浮いた白い乳房を露わにし、真っ赤な腰巻きだけを着けて立っていた。否、赤いと見えたのは大量の血で染まっていたからだ。そして同じく血塗れの赤子をその胸に抱いていた。
秦は眩暈を感じたが、幻想作家の意地にかけてもここで気を失うわけにはいかない。
「あ、貴女は・・・」秦は気丈に訊いた。
「私は姑獲鳥、この病院に集まるたくさんの赤子の魂を救うために来ました」
「魂を救う?」
「そうです。この病院は、違法に人工中絶を行なっています。そして、その胎児を製薬会社に売っているのです」
「そ、そんなものを買ってどうするのですか?」
「胎児は製薬会社にとって宝の山です。内臓や皮膚は移植の為、細胞や組織は様々な病気の治療薬の研究開発や実験に使われて、莫大な利益を得ているのです」
「それで貴女はここで何をしているのですか?」
「強い男を探しているのです」
「何の為に?」
「製薬会社のプロパーに化けて胎児を買いに来る、西洋の妖怪を退治する為です。私では到底太刀打ちできませんから」
「西洋の妖怪って・・・」
「吸血鬼や狼男のことです」
「でも、どうやってそいつらより強い男を見つけるのです?」
「こうやって・・・」姑獲鳥は抱いていた赤子をそっと秦に差し出した。「抱いてやってください」
秦は血塗れの赤子を受け取った。
「優しく抱いてやってね」そう言って姑獲鳥は二、三歩後退さった。
赤子は大人しく抱かれている。死んでいるのだから当然だろう。そう思った時、腕がズンと重くなった。
「わわわ・・・!」秦は慌てて赤子を落さぬよう抱きしめた。しかし、赤子はどんどん重くなって行き遂に耐えきれずあえなく尻餅をついてしまった。
「また、ダメでした・・・」姑獲鳥は恨めしそうに呟いて、背後の暗闇に溶けるように消えて行った。
「ま、待って・・・この赤ちゃんはどうするのですか!」秦は暗闇に向かって叫んだ。
「あれ・・・これは」よく見ると、秦が抱いていたのは石の地蔵菩薩だった。
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「・・・と、言うわけなのですよ無門先生」
秦は妙心館道場で平助と対面し、昨夜の出来事を語った。秦はメイメイを通じて妙心館と関わりを持つ作家だ。
メイメイが日本に嫁して間もない頃、通り魔に襲われた親子を救った事がある。
それを目撃した秦は、後日偶然に出会ったメイメイの許しを得て、メイメイとその押しかけ弟子の葛城カナをモデルにしてファンタジー小説を書いた。
一方、織作美姫は、子供の頃のトラウマを癒す為、一時新興宗教に身を染めていたのだが、ひょんな事からこの小説を読んで改心し、秦の熱烈なファンになる。
ある日織姫は、秦のアパートに押しかけ、向かいの部屋が空いているのを知ると強引に引っ越して来てしまった。
少林寺拳法の有段者で腕に覚えのある織姫は、秦の小説の主人公であるメイメイに勝負を挑み完膚なきまでに叩きのめされた。
織姫はメイメイに勝つ為に平助に弟子入りを志願し、現在唯一の女弟子になった。
(この辺の事情に興味のある方は拙著『梅見坂奇譚』3話パラレルワールド〜7話メイメイvs織姫をご覧ください)
「そうか、ここ数日稽古に来んと思ったら、入院しておったのか」平助が言った。
「ただの盲腸なのでそのうち出て来ると思います・・・それより、その幽霊の事をどう思われますか?」
「その幽霊は、自分で姑獲鳥だと名乗ったのじゃな?」
「はい」
平助は腕組みして考えた。そして思い切ったように顔を上げる。
「分かった、今度織姫の見舞いに槇草を連れて行け」
「え、槇草さんを?」
「あ奴でも何か役に立つやもしれぬ」
「でも槇草さんはお化けの類は苦手だと織姫から聞きましたが」
「それが最近改心したようでな、今お化けアレルギーを治そうと必死に努力しているところじゃ。今回のことはちょうど良いリハビリになる」
「はあ、ではそう致します・・・」
平助に言われて、秦は首を捻りながら帰って行った。
「王、どう思う?」平助が天井を見上げて訊いた。
「姑獲鳥に間違いなかろう。美女というところには多少引っかかるがな」
「それは、個人の美意識の問題じゃろう?」
「うむ、そうじゃな・・・ちょっと待て」
王が天井の穴からスルスルと降りてきた。
「これが姑獲鳥じゃ」妖怪図鑑を広げて王が指差した。
「確かに美人かと問われれば微妙じゃの・・・まぁ、それはさておき、姑獲鳥は妖怪かそれとも幽霊なのか?」
「この図鑑によれば幽霊は妖怪の一種とされておるな、昔は幽霊と妖怪の境目は曖昧だったのじゃよ」
「どうしてじゃ?」
「そもそも自然というものが曖昧なものなのじゃ。樹の枝と幹、山と川の境目など曖昧じゃろ」
「うむ、そうじゃな・・・」
「自然と共生していた時代であればそれも当然じゃろう。今は山と川の境目は護岸工事でくっきりと分かれておる・・・平助は、額と頭の境目がどこか言えるか?」
「髪があればこの辺だとは言えるがつるっぱげなら・・・どうじゃろ?」平助が薄くなった頭部をさすりながら言った。
「人間は自然を排除して物事に切れ目を入れた。じゃから人体も切り刻んで部品の一部のように扱う事が出来るようになったのじゃ」
「それと姑獲鳥が出て来た事が何か関係があるというのか?」
「それは分からぬ、しかし現代人への警鐘のような気がせんでも無い」
「そもそも姑獲鳥とはどういう妖怪なのじゃ?」
「うむ、これは説明が難しい。姑獲鳥は半鳥半人の妊婦の妖怪で、元々は中国の複数の伝承が統合された妖怪じゃった。それが日本に伝わり日本の妊婦の妖怪『産女』と同一視され姑獲鳥と書いて『うぶめ』と呼ぶようになったのじゃ」
「それはややこしいのう」
「まぁ、妖怪の伝承にはややこしいものが多い」
「して、日本の姑獲鳥はどのような振る舞いをするのじゃ?」
「そうじゃな、基本的なところを言うと、姑獲鳥は四辻や水辺に現れると言われている。そして通行人が通りかかると、死んでしまった我が子を抱いて欲しいと懇願する。抱いてやるとズンズンと重くなりやがて持ちきれない重さになってへたり込んでしまう。抱き仰てやるとそのお礼として、『怪力』『宝玉』『名刀』といったものを授けてくれると言う」
「害のある妖怪ではないのじゃな?」
「まぁ、一部の伝承では、抱ききれなかった男を恨んで、高熱で死に至らしめるとも言う」
「では、秦君が危ないではないか」
「誰かが赤子を抱き仰てやれば良いのじゃ」
「そうか、やはり槇草に頑張ってもらうしかないな」
「槇草君にとっては良い試練になるのぅ」
爺い二人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。
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病室の扉が開いて槇草が顔を覗かせた。
「織姫、元気か!」
「あっ、槇草さんお見舞いに来てくれたんですね嬉しい!」織姫はベットの上に身を起こして手を振った。
槇草に続いて秦が入ってくる。
「先生、今日も来てくれたんだ、ありがとう!」
「い、いや、成り行き上仕方なく・・・」
「ええっ、心配してくれてると思ったのにガッカリだわ」
「し、心配はしていたさ・・・」何とも歯切れが悪い。
「織姫、師匠が心配していたぞ」槇草が見かねて口を挟む。
「ありがとうございます。帰ったら織姫は元気です、って伝えてください!」
「了解だ、退院したらすぐに顔を見せてやれ」
「はい!」
「ところで先生、看護婦さんに妙な話を聞いたんですが」織姫が秦の方を見て言った。
「どういう話だい?」織姫の機嫌が直って秦はホッとした。
「産婦人科の病棟に幽霊が出るんだそうです」
「・・・」
「この手の話は病院には付き物なのであまり詳しく聞かなかったんですが、なんでも赤ちゃんを抱いた女の幽霊なんだって」
「やっぱりな」槇草が言った。
「やっぱりって・・・何がやっぱりなんですか?」織姫が怪訝な表情で槇草を見た。
「秦君、織姫に説明してやってくれ」
秦は先日遭遇した不可思議な出来事を織姫に話した。
「ふ〜ん、そんなに美人だったの?」織姫は妙な所に反応した。
「師匠の話では、むしろ醜女だと言っていたが・・・」槇草が言った。
「いえ、私も帰ってからいくつか資料を探して見たのですが、確かに百怪図巻や化け物づくしの姑獲鳥はお世辞にも美女とは言えませんが、月岡芳年の描く姑獲鳥はゾッとするような妖艶さで・・・」
「先生、私よりお化けの方が好きなのね」
「い、いや、そんなことは言ってない、ぼ、僕はただ・・・」秦は織姫から視線を外すと額に手を当てた。「あ、熱が出てきたような・・・」
「また、そんなんで誤魔化して!」
「まぁまぁ、落ち着け織姫。今はそんな事より姑獲鳥をどうするかが問題だ、放っておくと秦君が危ないかも知れんのだぞ」
「それはそうですけど・・・」織姫は不服そうに唇を尖らせる。
「兎に角、今夜バス停で待つ事にしよう。また現れるかも知れん」
「槇草さんは赤子を抱き仰る自信はありますか?」秦が訊いた。
「分からない、でも君よりは可能性があるだろう」
「失敗すれば槇草さんも呪われるかも・・・」
「そうだな、でもそんな美人に呪われるなら本望じゃないか」
「まぁ、槇草さんまで・・・」織姫は溜息を吐いた。「男の人ってほんとどうしようも無いわね、美希さんに言いつけちゃうから」
「ままま、待て今のは冗談だ俺はお化けには滅法弱い、それにこの頃は変なことばかりで参っているんだ。だから美希に言いつけるのだけは勘弁してくれ!」
「変な事って?」
「あ、いや、こっちの事だ」織姫はまだ王の事や最近頻繁に起きる怪異の事を知らない。
「気になるわぁ・・・」織姫は目を細めて槇草を見た。「兎に角槇草さん、先生の為にも頑張って下さいね!」
「あ、ああ、任せておけ」
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槇草と秦は病院を出て、バス停のベンチに座って待つ事にした。
「現れますかねぇ?」秦が訊いた。辺りはもうすっかり暗くなっている。
「まだ姑獲鳥は目的を果たしていないのだろう。だからこそ病棟に現れたのだ、きっと出るに違いない」
「そうですね、怖いけど期待して待ちましょう」
「ところで秦君、織姫の事どう思ってるんだい?」槇草が話題を変えた。
「どうって・・・」
「織姫は君にぞっこんだよ。跳ねっ返りだが悪い人間では無い」
「それは・・・そう、分かっています」
「老婆心ながら君ももう良い歳だ、そろそろ身を固めたらどうだ?」
「しかし、僕の稼ぎではとても織姫を養っては行けません」
「大丈夫だよ。織姫も仕事をしているんだ、二人で頑張ればなんとかなる」
「はあ、そうですね・・・」
あたりはすっかり暗くなった。だが今夜は満月で曇りの日よりも辺りの様子がよく見える。
「あっ、最終バスが来ましたよ!」秦が遠くに見えるヘッドライトを指して言った。
バスが二人の前で停車して、扉が開いた。
「乗られますか?」運転手が訊いた。
「いや、良い、行ってくれて構わない」槇草が答えた。
「このバスが最終になりますが?」
「わかっている、ありがとう」
バスは扉を閉めて走り去る。
「もう少し待ってみよう。出なければ病院の守衛さんに訳を話してタクシーを呼んで貰えば良い。勿論姑獲鳥のことは内緒だが」
「もう、それしかありませんね」
どのくらい待っただろう。病院の灯りも救急玄関の表示と常夜灯を残して全部消えてしまった。
「出ませんねぇ」
「うん、今日は無駄足だったかも知れん」槇草が諦めかけた時、池の辺がボウっと明るくなった。
「出た!」秦が槇草の袖を引いた。
満月の明かりに照らされて、女が池の方を向いて立っている。二人はベンチから立ち上がり、そちらに歩いて行った。
「こ、こ、今晩は・・・」秦が恐る恐る声を掛ける。「こ、今夜はあなたの求める人を連れて来ました・・・」
姑獲鳥はゆっくりと振り向いた。
槇草は息を呑んだ。秦の言ったように凄い美形である。ただ、その姿ゆえ凄みが増して凄まじい。
「その方ですか?」姑獲鳥が槇草を見る。
「は、はい、ま、ま、槇草と云います・・・ど、ど、ど、どうぞお手柔らかに」槇草は遠のく意識を何とか繋ぎ止めようと腹に力を込める。
「その方も駄目だったら、二人とも呪い殺しますが・・・良いですか?」
「か、か、か、覚悟は出来ています」
姑獲鳥はジッと槇草を見据えた。「では、この子を抱いてやって下さい」
槇草は赤子を受け取った。血まみれで死んでいる筈なのに何とも安らかな寝顔に見えた。
「絶対に落とさないように」姑獲鳥は少し後退さった。
槇草の腕の中で赤子はジワジワと重さを増して行く。腕の力を抜き、赤子を支えることだけに集中する。
空手の稽古の時のように、腰を落とし骨盤を閉じ、仙骨を立て姿勢を保つ。重心は両足の中央に落とした。
足の裏が池の岸の柔らかい土にめり込んで行った。槇草は脂汗が流れるのを感じながら、静かに目を閉じる。
どのくらいの時が経っただろう・・・永遠の時間が過ぎ去ったように感じる。
「槇草さん、槇草さん・・・」
秦の声で我に返ると赤子の重みが消えていた。
目を開けると両手を槇草の方に伸ばして姑獲鳥が立っていた。槇草はそっと赤子を姑獲鳥の腕に返すとホッと息を吐いた。なぜか幽霊に対する恐怖心が和らいでいる。
「やっと、望みの人を見つけました」姑獲鳥は赤子を抱き取ると言った。「あなたに宝物を授けましょう。『怪力』『宝玉』『名刀』のうちどれが望みですか?」
「名刀を」槇草は即答した。
「承知しました。但し、お願いがあります」
「何でしょうか?」
「この病院に胎児の亡骸を買いに来る西洋人を追い払って欲しいのです」
「西洋人?」
「はい、正確には西洋の妖怪と言ったほうが良いでしょう。彼らは新鮮な胎児を収穫する為、日本の医師たちと結託して計画的に流産の日を決めているのです」
「それはいつかわかっているのですか?」
「月に一度、満月の日の夜中に」
「えっ、じゃあ今日じゃないか!」槇草は驚いた、もう幾らも時間が無い。
「間違いありませんか?」
「産婦人科の病棟で予定を調べました」
「ああ、看護婦さんはそれを目撃したのか」秦が言った。
「あれは失敗でした。可愛い赤ちゃんについ見惚れてしまって・・・あっ、そんな事よりこれを」
何処から取り出したのか、姑獲鳥は一本の刀を槇草に授けた。
「備前長船の名刀『鬼斬り丸』です」
質素な拵えの刀だったが抜いてみると青白い刀身が月明かりを反射して氷のように美しい。
「これを、僕に・・・」
「はい、よろしくお願い致します」
そう言い残して姑獲鳥がフッと目の前から消えた。
二人は呆然とその場に立ち尽くす。
暫くして槇草が呟いた。「約束は守らなくちゃな」
「呪い殺されたくはありませんものね」
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槇草と秦は病院裏の駐車場の植え込みの中に隠れて待った。
日付が変わる頃、車のヘッドライトが近づいて来るのが見えた
まるで霊柩車の様な、真っ黒いライトバンが駐車場に入って来た。
男が二人乗っている。
ヘッドライトが消えて、助手席から細身で長身の男が降りてきた。黒いスーツに身を包み黒いネクタイを締めている。
続いて助手席から降りてきた男は、まるでプロレスラーのような体躯に、夜だというのに濃いサングラスをかけていた。
駐車場の蛍光灯が明滅する中、男たちは救急玄関から中に入って行く。
顔見知りなのだろうか、守衛はチラッと一瞥しただけで二人を通した。
「槇草さん、どうします?」
「出て来るまで待とう、中で騒ぎを起こすのはまずい」
二人は植え込みに戻って身を潜めた。
三十分程待った頃、男たちが肩から保冷バックを下げて戻って来た。
サングラスの男が車のハッチバックを開けて保冷バックを積み込んでいる。あの中に胎児の骸が入っている筈だ。
黒スーツの男が助手席のドアを開けた時、槇草が植え込みから飛び出した。
「槇草さん、これ!」秦が慌てて鬼斬り丸を持って追いかける。
「要らん!素手の相手に刀は無用!」
「で、でも、相手は怪物・・・」
「誰だ?」秦の声を遮るようにサングラスの男が振り向いた。
「ある人・・・に頼まれて、胎児の体を喰い物にする者達を懲らしめに来た」
「喰い物にするだと、そんな証拠がどこにある?」
「今、車に積んだ保冷バックを見せてみろ」
「ふん、お前たちに見せる義理はない」
車に背を向けて、サングラスの男が身構えた。
「見せておやりなさいウルフ・ヘンジ」
助手席のドアを閉めながら黒ずくめの男が言った。
「し、しかしデトラフ・・・」
「ふふふ、日本風に言うと“冥土の土産“よ」
「何だか女のような話し方だな」槇草が呟く。
「気をつけてください槇草さん、あれは吸血鬼です。そしてあのでかい男はおそらく人狼」
「よくわかったわね、あなた何者?」
「ぼぼぼ、僕は幻想作家だ!」
「ほほほほほ、それでよく知っているのね」
デトラフと呼ばれた吸血鬼はサングラスの男を見やった。
「ウルフ・ヘンジ、私たちの正体を知った人間を生きて帰すわけにはいかないわ。とっとと殺っておしまい!」
「久しぶりに新鮮な肉にありつけるってわけだ」
ウルフ・ヘンジはサングラスを投げ捨てた。
月明かりを背にして金色の瞳が輝いた瞬間、身体中の筋肉が盛り上がり、銀色の体毛が針のように逆毛だつ。
四つ脚で立った人狼の、捲れた唇から唸り声が漏れた。
「あわわわわわ!」
「秦君、植え込みまで退がっていろ!」槇草が叫んだ。
秦が鬼切丸を抱えたまま後退る。
槇草が腰を落とし右の入身に構えた途端、人狼が地を蹴った。
そのスピードは人間を遥かに超えて一気に間合いが縮まった。槇草は体を捌くことを諦め正面で人狼の突進を受け止めた。
牙が槇草の頸動脈に迫る。
刹那、槇草の躰が沈んだ。
相手の力で後方に倒れながら、背中が駐車場のコンクリートに触れた瞬間、大きく右足を跳ね上げた。
人狼が宙に舞う。
素早く立ち上がったのと、人狼が着地したのが同時だった。
今度は槇草が地を蹴った。一瞬遅れて人狼が振り返る。
前蹴りが下から掬い上げるように人狼の顎を蹴り上げる。
人狼は後ろに吹っ飛び、コンクリートに後頭部に打ちつけ口から泡を吹いた。
長い舌がダラリと口角から垂れ下がる。
槇草はその舌を右手でしっかり掴むと、思い切り引っ張った。
子供の頃、猟師であった祖父に教わった。山犬に襲われたら決して背中を見せて逃げてはならない。噛みついてきた口の中に思い切り手を突っ込み、舌を握りしめるのだと。そうすれば山犬は何もできなくなるのだと。
祖父の教えが役に立った。
人狼はヒクヒクと痙攣すると、白目を剥いて動かなくなった。
「あらあら、早かったわね」デトラフが余裕の表情を浮かべた。
「病院の敷地内は犬の散歩は禁止だって書いてあるぞ」
槇草が皮肉を言い返す。
「こんなくそ生意気な人間にやられるなんて狼族の恥っ晒しよ、ウルフ・ヘンジ!」
ムッとしたデトラフが人狼をなじる。
「グルルル・・・」
人狼は苦しげに呻いたが、起き上がることは出来なかった。
デトラフが槇草を見据えた。
「仕方ないわね、今度は私が相手よ!」
長いマントを纏ったと思ったらデトラフが吸血鬼の正体を現した。
目は血走り口からは犬歯がニョッキリと生え出た。
それだけでは無い、両手の指の爪がサーベルのように伸びている。
あの爪でひと撫でされたら、躰は切り刻まれてミンチになること請け合いだ。
槇草が知らず後退る。
その途端一陣の風が吹く。
槇草はデトラフを見失った。
「ここよ」
背後で声がして振り返ると、デトラフが影のように立っていた。
右手が高く上がり、さっと振り下ろされた。
「わっ!」と叫んで槇草が尻餅をつく。
そこに左手の爪が襲いかかる。
咄嗟に横に転がって何とか逃げることが出来た。
「ちょこまかとネズミみたいね」デトラフがほくそ笑む。「でも、これで終わりよ」
両手を大きく振りかぶる。
「槇草さん、これ!」
秦が背後の植え込みから鬼切丸を投げた。
槇草は地を蹴ると、空中で鬼切丸を受け止め受け身を取って立ち上がる。
「ありがたい、あの爪は刃物だこれを使っても卑怯にはなるまい」
槇草はサッと刀身を引き抜くと鞘を秦に投げた。
「終わるまで預かっておいてくれ」
「りょ、了解しました!」
「そんなものを持っても同じ事よ!」
デトラフが叫びながら襲いかかってくる。
刀と爪が交錯し、風が一拍遅れて夜気を切り裂いた。
槇草とデトラフの立ち位置が入れ替わる。
途端にデトラフが向きを変え、秦に飛びかかる。
秦は呆然と立ち尽くす。
「あっ、卑怯者!」
槇草が追ったが到底間に合わない。
秦の命は風前の灯。
その時
何かが植え込みから怪鳥のように飛び立った。
それは空中で一回転すると、踵をデトラフに叩きつけた。
「あっ、織姫!」秦が叫ぶ。
織姫は着地と同時に脇腹を抑えて蹲る。
「ふ、傷口が開いたかもね・・・」
デトラフは思わぬ奇襲を喰らって、もんどりうって倒れた。
「な、なに今の?」
頭を振ってフラフラと立ち上がる。
その瞬間、鬼切丸がデトラフの首を斬り飛ばした。
首は空中でクルクルと回りながらニッと笑った。
「油断したわ、今回は私の負けね・・・」
そう言うとデトラフは黒い霧となって闇に溶けていった。
「織姫、大丈夫か!」
槇草が織姫に駆け寄った。
秦はハッと我に返ると植え込みを飛び出した。
「織姫、なんて無茶な事を!」
「だって、先生が危なかったんだもん・・・」
「ば、ばか・・・君にもしもの事があったら、僕は、僕は・・・」
「嬉しい、先生心配してくれるんだ!」
織姫が秦に抱きついた。
「秦君、許してやれ。織姫のお陰で俺たちは助かったんだから」
「わ、分かっています・・・でも」
織姫は秦を見詰めた。「良かった、先生に怪我がなくって」
秦はおずおずと織姫を抱きしめた。
「う、うう・・・」
ウルフ・ヘンジが呻きながら身を起こした。
「気が付いたか?」槇草が言った。
「覚悟はできている、殺すが良い」
「あの胎児の体で、助かる人がいるのだろう?」槇草が黒い車を指した。
「ああ・・・」
「俺には事が重大すぎて、良し悪しを判断する事はできない。だが、今あの胎児の体を無駄にする事も出来ない」
「なら、どうしろと?」
「今日ここを去ったら、二度と日本に来るな」
「ああ、お前のような奴がいるんじゃ商売にならないからな」
「分かったら行け」
ウルフ・ヘンジはノロノロと立ち上がって運転席に乗り込んだ。エンジンを掛けるとクラクションを鳴らして駐車場を出て行った。
「あ痛たたたた・・・」
「織姫、大丈夫か?」槇草が訊いた。
「まだ手術の痕が、完全に塞がっていなかったのね。ちょっと出血しているみたい」
「さあ、病室に戻って医師に診てもらおう」秦が織姫を抱き起こした。
秦と織姫が救急玄関に消えると、槇草が小声で呟いた。
『ところで王先生、いつから居たのです?』
王の姿は見えない。
『最初から、ずっとじゃよ。危なくなれば出ていくつもりじゃった』
『僕は、合格ですか?』
『何がじゃ?』
『妖怪と・・・その、付き合っていけますか?』
『うむ、儂が太鼓判を押す。合格じゃよ』
『良かった・・・』




