地獄の指導教官 銀鬼
銀鬼は凛に一瞥をくれただけでそっぽを向いた。
怒った凛はリングで銀鬼と戦うことになったのだが・・・
「銀鬼ってどんな奴?」凛は黒鬼に訊いた。
「奴は地獄の亡者どもの中からスカウトしたんだ。地獄に落ちていながらどんな責苦にも根を上げず、逆に鬼をいじめていたような奴さ」
「えっ、元は人間だったの?」
「そうだ、だから見かけは人間と区別はつかねぇ。いや、最近ではだいぶ鬼らしくなってきたか。いずれにしても地上では銀狼と呼ばれてそのスジでは名の知れた悪だったらしい」
「あなたそんな奴の指導教官だったの?」
「ああ、奴を獄卒にと指名したのは俺だからな、閻魔様直々のご指名で俺が指導する事になった」
「ふ〜ん、鬼っていうのも大変なんだ。ただ人間をいじめているだけかと思った」
「馬鹿なことを言うな、人間の本性ってやつは鬼より怖い。そんな人間を獄卒として管理していかなきゃなんねえんだ、そしていずれは真っ当な人間として現世に送り返してやる、それが俺たちの仕事なんだよ」
「そうなんだ・・・」
凛は初めて地獄のシステムを知った気がした。
「着いたぞ、ここだ」
黒鬼が指したのはプロレスのリングだった。
「あ、これ知ってる、テレビで力道山が西洋人を空手チョップでぶちのめしてたもの」
「これぁそんなもんじゃねぇ、銀鬼はニューヨークの地下格闘技場でマフィアの賭け試合の選手として命懸けで戦っていたんだ。地上のプロレスなんてママごと遊びみてぇなもんさ」
黒鬼はリングに近づいて行った。
「おい、銀鬼ちょっといいか?」
リングの上から振り向いた男の額には角がなかった、否、額の両側に角の芽のような突起が二つ出ていた。
「黒鬼教官長か、何の用だ?」銀髪の鬼が振り向いた。
「新しい助手を紹介したい、ちょっと降りて来てくれ」
銀鬼はチラリと凛を見て、興味を失ったようにそっぽを向いた。
「今は忙しい、後にしてくれ」
「忙しいって、お前ぇ一人で突っ立っているだけじゃねぇか?」
「これが一人に見えるか?」
銀鬼がリングのマットに顎をしゃくった。
下からは見えにくいが、確かに誰か倒れている。
さらに近づくと鬼が三体倒れているのが見えた、白いマットが赤い血で染まっていた。
「どうしたんだ、こいつら?」黒鬼が訊いた。
「ふん、なんの恨みか知らねえが俺にちょっかいかけて来たからよ、みんなまとめて相手してやったんだ」
「生きてるのか?」
「まぁな、あんたらが来なけりゃ今頃どうなっていたかは知らねぇがな」
「ううう・・・」一体の青鬼が呻いて体を起こそうとした。「まだだ・・・この、クソ野郎」
「まだそんな元気があったのか、良かろう、望み通りに踏み殺してくれる」
銀鬼は青鬼に近寄ると右足を高く上げた。
「やめなさい!」凛は思わずリングに飛び上がった。
銀鬼は凛を無視して力一杯青鬼を踏みつけた。青鬼はカエルの潰れたような声を発して痙攣すると、グッタリとなって動かなくなった。
「ひどい・・・」
銀鬼はギロリと凛を睨んだ。
「やめろ216号、それ以上そいつを刺激するんじゃねぇ!」黒鬼が慌ててリングに駆け寄ってきた。
「誰だ、お前?」銀鬼が訊いた。
「死神216号、現世では凛と呼ばれていたわ」
「そいつがなんの権利があって俺に指図をする?」
「銀鬼、216号は死神局に頼まれて、しばらく助手として預かることになっている」黒鬼が言った。
「そうよ、それに武技を指導するようにも言われてるわ」
「なに、俺を差し置いて武技を指導するだと?誰だ、そんな間抜けなことを言ったのは?」
「局長よ」
「ワハハハハハハハハ、可笑しくて涙が出る。その局長ってのは気でも狂ってるんじゃねぇのか?」
「銀鬼、そいつは玉藻を倒してるんだ、そこら辺の小娘と一緒にするな」
「誰だろうが関係ねぇ、この教場に武技を教えるのは俺一人だ!」
「私は誰がここで武技を教えようとどうでもいいわ、だけど局長命令なの、黙って帰るわけにはいかないわ!」
「ふん、黙って帰ったほうが身のためだぜ。死んじまったら助手さえできなくなる」
「だったら試してみれば」
「よせ、216号、これは教官長命令だ!」
「ごめん、もう後には引けない!」
銀鬼は無言で、倒れている三体の鬼をリングの外に蹴り落とした。
「望み通りに試してやる、どこからでもかかって来な」
血に染まったリングの上で、凛は両腕を上げて顔の前で構えた。
「武器を使ってもいいんだぜ」
「そんなものいらない、あなたなんか素手で十分よ!」
凛は妙心館の面々から、しっかり徒手格闘術も仕込まれている。
凛が前に出ると、銀鬼が腰を落とした。
レスリングのフリースタイルのような構えから、一気に凛の足にタックルを仕掛けてきた。
凛は前に飛んで銀鬼の頭上を飛び越えると、受け身をとって立ち上がった。
銀鬼が瞬時に振り返って、地を這うように追ってくる。
飛び上がって躱そうとした凛は、足首を銀鬼に掴まれて転倒した。
銀鬼が腹の上に乗ってきた。
「どうだ、これで動けまい」銀鬼が勝ち誇ったように言った。
凛は両脇を締め、銀鬼の膝が上に上がってくるのを防いだ。
同時に左膝で銀鬼の尻を蹴り上げる。
銀鬼が凛にのしかかるようにして両手をマットについた。
その機を逃さず、凛は銀鬼の左腕をロックしてその方向に躰を捻る。
「オワッ!」
銀鬼の躰がふわりと浮いた。
凛はするりと銀鬼の躰の下から脱出した。
両者が素早く立ち上がり睨み合う。
「やるな、ここまでとは思わなかった」
「人を見かけで判断するものじゃないわ」
「どうもそのようだな。ご忠告ありがとよ」
銀鬼の構えが変わる。両腕を持ち上げてサウスポーに構え、軽いステップを踏み始めた。
凛は右の手刀を銀鬼に向け、左拳を胸前に構えた。
銀鬼の右拳がシュシュ!っと音を立てて繰り出される。
軽く前に踏み込みながらのパンチは、大きな破壊力は生まないけれど、当たれば確実に戦闘力を奪われる。
凛は慎重に拳を躱しながら右へ右へと移動した。
それを阻止するように左の拳が飛んできた。
凛は前手刀で受けると同時に、前足で蹴りを放つ。
一瞬銀鬼の前進が止まった。
凛は左の拳を銀鬼の鳩尾に叩き込んだ。
銀鬼は背を丸めてうずくまる。
「もらった!」
凛の強烈な右回し蹴りが銀鬼の顳顬に飛ぶ。
ガツン!と音がして凛の足背に痛みが走った。
銀鬼は首を捻って額で凛の蹴りを受け止めていた。
銀鬼はニヤリと笑うと凛の足首を両手で掴んで振り回した。
凛の躰が大きく振れてリングロープまで飛ばされる。
バウンドして帰って来たところに銀鬼の左ストレートが炸裂した。
凛はかろうじて両腕を交差させて受け止めたが、再びロープへ飛ばされることになった。
「これで終いだ!」
続いて繰り出された右の拳が、凛の顔面に向かって飛んでくる。
その時、凛の躰が宙に舞い上がった。
ロープの反動を利用して銀鬼の頭上を飛び越える。
空中で凛の折り畳んだ右足が、バネ仕掛けのように飛び出した。
ゴキッ!と嫌な音がリングに響いて、凛の右踵が銀鬼の後頭部にめり込んでいた。
凛は羽のようにリングに着地すると銀鬼に向き直って構えをとった。
銀鬼は向こう向きにゆらゆらと揺れていたが、やがて朽木が倒れるようにゆっくりと倒れていった。
「お前ぇなんて奴だ、銀鬼を倒すなんて・・・」
黒鬼がリングに上がって来て、銀鬼の躰をゴロリとひっくり返した。
仰向けになった銀鬼は白目を剥き出して気を失っている。
「女と思って侮るからよ」
「いや、こいつは本気だった。目ぇ見りゃわかる」
「これで私を認めてくれるかしら?」
「認めるも認めねぇもねぇ、銀鬼は負けたんだ、大人しく軍門に降るだろうよ。こいつはそれくらい潔い奴だ」
「じゃあ、救護班を呼ばなきゃ。下に落ちてる鬼たちも治療してもらいましょう」
「ああ、ついてこい。救護班の場所を教えてやる」
黒鬼はリングを降りて歩いて行く。
凛はその後を小走りでついて行った。




