地獄の指導教官 黒鬼
妙心館の面々と分かれた凛は、死神局に戻っていた。
局長の命令で獄卒の教場に赴いた凛は、そこで黒い鬼と会うが・・・
「凛がおらんごとなってから、もう一ヶ月が経ちますたい」熊さんがしんみりと言った。
「儂らが見た夢を繋ぎ合わせたら、凛が玉藻を倒した事は間違いなさそうじゃな」平助が言う。
「刑部の話では死神局に戻るとか・・・」王が後を続ける。
「しかし、そう上手く戻れるものでしょうか?」槇草はやや懐疑的だ。
「凛ちゃん元気かしら、もし死神局に受け入れて貰えなかったら戻って来れば良いのに」メイメイが寂しそうに言った。
「強情な奴だったから、帰るに帰れなくなったのかもしれませんね」
「儂らは刑部の屋敷で、山姥に介抱されて傷は癒えたが、凛はどうなったんじゃろうな、玉藻にやられた傷と火傷はかなりのものだと思うのじゃが?」
「私もそれが心配です、今頃何処かで苦しんでいたら・・・かわいそう」メイメイの目に涙が浮かんだ。
「ばってん、今まで戻らんちゅうこつは無事死神局に戻れたとやなかろうか、おいはそげん思いたか」 「うん、きっと玉藻を倒した事を手土産に、強引に復帰を迫ったのかもしれない」
「気の強か娘じゃけん、そげんこともあっじゃろう」
「今頃、死神局のデスクで鼻でもほじっておるかもしれんぞ」
「まぁ、無門先生ったら、ひどい!」
「じゃが、ワシも心配はないと思うぞ、凛々に悲劇は似合わん」
「王先生まで・・・」
「いつかひょっこり現れるかもしれませんね」
「そんときゃおいが稽古でこってり絞ってやるたい」
「ははは、その時の凛の顔が見ものじゃな」
「ふははははは・・・・・・はぁ」
皆が一様に溜息をついた。
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「ふあっくしょん!・・・・・ぐす、風邪でも引いたかなぁ?」
凛は獄卒の教場の扉に手をかけた。
獄卒とは地獄に堕ちてきた亡者たちに苦難を与える鬼の事である。
結果を言えば、凛は死神局に復帰を許されたのであった。
玉藻を倒した事と、湯築砦の女子供を救った事で情状酌量の余地を認められたのである。
だが、それで三人の人間を妖怪として蘇らせた罪が完全に許された訳ではない。
復帰にあたって、凛は局長から次の事を言いつけられた。
一つ、暫くの間、獄卒の教場の助手を務める事。
二つ目はそこで鬼たちに武技を教える事である。
死神局の建物は、地上13階と地下100階に分かれており、獄卒の教場はさらにその下の鍾乳洞の中にあった。
鉄製の重い扉を押し開けると、そこには思わぬ風景が広がっていた。
「なにここ、まるでアスレチッククラブじゃない!」
そこには色とりどりの鬼たちがそれぞれの持ち場で練習に勤しんでいる。
「あれは何?」
こんもりと盛り上がった丘の斜面に、鬼が何匹か取り付いて登っている。よく見ると斜面には健康センターにあるような石のイボイボがたくさん付いていた。
「ははぁ、針山のつもりなのね、でも裸足で登ったら痛そう・・・あっ、あれは血の池地獄だ!」
赤い染料を溶かし込んだ50メートルプールでたくさんの鬼が泳いでいる。
「あんなところで泳いだら、みんな赤鬼になっちゃうわよ」
次に見たところには、大きな釜が轟々と燃える薪の上に据えられていて、鬼たちが赤い顔をして熱さに耐えていた。
「あれって五右衛門風呂じゃない、釜茹で地獄かしら?」
凛が感心しながら見ていると、不意に後ろから怒鳴られた。
「誰だお前!勝手に入っちゃいかん!」
驚いて振り返ると、顔に髭を生やした筋肉隆々の黒い鬼が怖い顔をして睨んでいた。
もちろん額に二本の角を生やして、レトロな虎柄のパンツを履いている。
「ゲッ、虎パン!」思わず口に出た。
「こりゃ制服だ、俺だって好きで履いてるんじゃねぇ・・・ってお前ぇは誰だ?」
「あっ、ごめんなさい、死神局から来た216号です」
慌てて頭を下げた。
「なんだ死神局の者か・・・」
黒鬼はマジマジと凛の顔を覗き込んだ。
「ははぁ、お前ぇだな、局長の言っていた最近復帰したドジな死神と言うのは?」
凛の頭に一気に血が上る。
「ドジは余計でしょ!」
「だって人間を三人も生き返らせたそうじゃねぇか、死神にあるまじき行為だ。もしそいつらが地獄に落ちる亡者だったとしたら、俺らの客を奪ったことになるんだぜ」
「そんな事知らないわよ、私だって好きでやったわけじゃないんだから!」
「だからドジだって言ってんだ、口答えすんなら局長に言ってお前ぇを引き取ってもらうぞ!」
「そ、それは・・・」困る、もしここで追い返されたら元も子もない。凛ははらわたが煮え繰り返るのを必死で堪えた。
「ごめんなさい、生意気な事を言いました」
「わかりゃいいんだ、俺は黒鬼、ここで教官長をやっている。こい、みんなに紹介してやる」
黒鬼は案外あっさりと許してくれた。(ひょっとしていい奴かも)・・・と、凛は思った。
最初に針山の訓練場に来た、ここは青鬼の担当のようだ。
「おい青鬼、ちょっと降りて来い!」
黒鬼が丘の頂に向かって声をかけた。
「なんだ教官長、俺は今忙しいんだ!見てみろ、こいつらこんな所もまともに登れやしないんだぜ、これじゃ亡者どもに馬鹿にされちまう!」
生徒と思しき鬼たちが、みんなへっぴり腰で丘を登っている。
「そりゃお前ぇの指導が悪ぃからだ、四の五の言わずに降りてきやがれ!」
「チッ、わかったよ、ちょっと待ってな」
青鬼はひょいひょいと斜面を飛ぶように降りてきた。いったい彼の足の裏はどうなっているんだろう?
「来てやったぜ、用はなんだ?」
「新しい助手を紹介する、死神局の216号だ」
黒鬼が凛を指差して言った。
「なんだ、小娘じゃないか、なんでこんな奴が助手なんだ?」
「局長に頼まれたんだよ。なんでもこいつは玉藻をやっつけたんだと、見かけによらず腕は確からしい。生徒達にはこいつが武技を教える」
「ふ〜ん、強そうには見えないがな」
青鬼は凛を横目で見やった。
またもや凛の頭に血が上る。
「じゃあ、試してみたら?」
「おっ、威勢のいい小娘だ。いいぜ、いつでも相手になってやる」
青鬼が凛に向かって身構えた。
「よせ、手合わせなら格闘訓練の時にいつでもできらぁ、今はまだ紹介だけだ」
「チェッ、まあいいさ、俺は青鬼、生意気な女は嫌いじゃないぜ、よろしくな」
青鬼は右手を差し出してきた。(鬼って案外さっぱりした奴が多いのね)
「216号、現世では凛と呼ばれていたわ」
「凛か・・・いい名じゃないか」
握手をして青鬼と別れた。
「次はあそこだ」
黒鬼が指差したのは五右衛門風呂だった。
側に寄ると熱気で顔が熱くなる。
「おい黄鬼、ちょっといいか?」黒鬼が訊いた。
「なんです教官長?」
細身で眼鏡をかけた黄色の鬼が、金棒で釜の中を掻き回しながら返事をした。湯気でメガネが曇っている、あれじゃ何も見えないんじゃない?
「お、黄教官、もも、もう上がってもいいですか?」
釜の中から声が聞こえた。
「う〜ん、百度で五十四分ですか・・・まぁいいでしょう、上がってください」
眼鏡を額に上げながら、温度計とストップウオッチを睨んで黄鬼が言った。
「ふう、助かった・・・茹で上がるかと思った」
釜から出てきた鬼は全身真っ赤だったが、地の色は何かわからない。
「では明日もう一度テストしますから、今度は百度で一時間半を目指してくださいね」
「ひえ〜そんなに入ってたら死んじゃいますよぉ!」
「亡者の皆さんにはもっと入っててもらうのです、鬼のあなたがそんな事も出来ないんじゃ、獄卒として亡者を指導する事は出来ませんよ」
「は、はい・・・」
「では行きなさい、また明日お会いしましょう」
鬼の生徒は項垂れてどこかへ行ってしまった。少し冷えた躰は藍色だった。あれが元の色だろうか?
「すみません、お待たせしました。教官長何か御用ですか?」
「おう、邪魔してすまねぇ。新人の紹介だ」黒鬼が凛の背中を押した。
「死神局216号です、今日から助手をするように局長から言われて来ました」
「そうですか、ここの仕事は死神局と違って肉体労働ですから、頑張ってくださいね」
(へ〜理知的な鬼もいるんだ)凛は少し感心した。
「はい、ありがとうございます」
「よし、次だ!」
黒鬼は先に立って歩き出した。
「お前ぇ、泳ぎは得意か?」
「えっ?一応は泳げますけど」(って、実はあんまり得意じゃないのよね)
「どうして?」
「まぁ、行けばわかる」
さっき入口から見えた、真っ赤な50メートルプールに来た。
血の池地獄を模した水の中で、たくさんの鬼たちがもがいていた。
プールサイドの監視台には、虎柄のビキニを着たセクシーな女の鬼がメガホンを持って座っている。
「おい、そこ!もっと足を強く蹴るんだ!さもなきゃ沈んじまうぞ!」
「赤鬼教官、もうダメですぅ、あ、足が攣って・・・あぁぁぁぁぁぁぁ」
鬼がブクブクと沈み始める。
「なんだい、情けないねぇ、お前それでも男かえ?」
「ははは、はい・・一応・・・ブクブク」
「あと一時間頑張れ、それが出来なきゃチ○ポ切って男なんかやめちまえ!」
「そんな殺生な・・・ブクブクブク」
「おい、赤鬼、その辺にしといてやれ」黒鬼が声をかけた。
「なんだ教官長、私のやり方にケチつけようってのかい?」
「そうじゃねぇ、昨今獄卒は人手不足なんだ、無駄に死なせちゃもったいねぇ」
「だったら自分で助けてみな」
「お前ぇ、俺が金槌だって知ってんだろ?」
「だから言ってんだ、そんくらいの覚悟も無しに口出しするんじゃないよ」
「わかったよ、じゃあ俺の代わりにこいつでいいか?」
黒鬼が凛を指差した。
「えっ!なんで私!」
「だからさっき聞いたろ、泳ぎは得意かって」
「ええええええ〜〜〜〜〜!!!」
「誰だい、その発育不良の娘は?」
赤鬼が豊かな胸を誇示するように突き出して言った。
(なに、発育不良って?もしかして私の胸のこと言ってる?)
「あんた最近女の趣味を変えたのかい?」
「そうじゃねぇ、こいつは新しく入った助手だ、お前ぇに紹介しようと連れてきたんじゃねぇか」
「ふ〜ん・・・」赤鬼は疑わしげに黒鬼を見た。「じゃあ、そいつでいいから、そこの溺れかけの軟弱男を助けさせてみな」
黒鬼が凛を見た。
「そう言うこった、よろしく頼むぜ」
「ええっ、なんで私が助けなきゃなんないのよ!」
「嫌ならいいんだぜ、局長に言って・・・」
「わかった!わかったわよぉ、やればいいんでしょう、やれば!」
凛は怒りに任せてプールサイドに駆け寄った。
「ちょっとあんた、そのまま飛び込むつもりじゃ無いだろうね?」赤鬼が言った。
「じゃあ、どうしろっていうの!」
「そこの更衣室で水着に着替えて来な」
「水着なんて持ってないわ」
「大丈夫、いろいろ取り揃えてあるから好きな物を着りゃいいさ」
凛は渋々更衣室に入って行った。
(なるほど、言うだけの事はあるわね)
デパートの水着売り場も叶わないくらいの品揃えだ。だがどれも凛にはサイズが大きかったり、派手すぎて気後れするようなものばかりだ。
「う〜ん、困った・・・」
部屋中を見渡していると、隅っこのハンガーに掛けてある紺色の水着が目に入った。
「これだ、これしかない!」
凛は早速セーラー服を脱いで着替えた。
「着替えたわよ、これでいい?」
「プッ・・・」赤鬼が笑った。
「な、何がおかしいのよ!」
「そうね、それがあんたにはお似合いよ、そのスクール水着」
「言ったわね!」
「おいおい、喧嘩してる暇はねぇぞ、あいつもうもたねぇ」
黒鬼が指差す先で、鬼の角がブクブクと沈んで行った。
反射的に凛はプールに飛び込んだ。
角が沈んだと思しき所を目指して、クロールで泳ごうとしたが水が纏わりついて思うように泳げない。
(なに、この水普通じゃないわ)
「ああ、言い忘れてたけど、その水は人間の血に似せて作ったものよ。どう、色も粘性も本物そっくりでしょう?」
赤鬼がおかしそうに言う。
(あいつ、絶対許さない!でも今は早くあの鬼を助けなきゃ)
凛は必死に泳いで、やっとの事で鬼が沈んだ場所に辿り着いた。
「確かこの辺だったけど?」
赤い液体のせいでどこに沈んだか目視できない。凛は立ち泳ぎに変えて足で水中を探る。
しばらく探っていると、指先に固いものが触れた。
凛は大きく息を吸うと、目を瞑って見当をつけた辺りに思い切って潜った。
さっき足に触れた物が手に触った。鬼の角だ。
凛はそれをグッと掴むと、もがくように水面に向かって液体を掻いた。
やっとの思いで水面に顔を出し、片手と両足でプールサイドに辿り着く。
黒鬼が手を取って凛と鬼を引き上げてくれた。
「ハアハアハア・・・」
四つん這いになって呼吸をした。
そばで溺れた鬼が長々と伸びている。
黒鬼が腹を力一杯押すと、赤い液体を口からピュー!と噴いて鬼が目を覚ました。
「お、俺助かったのか?」
「そうだ、その娘が助けてくれたんだぜ」
鬼は驚いた目で凛を見た。
「あんたが俺を助けてくれたのか?」
凛は荒い呼吸をしながら頷いた。喋ったら吐きそうだった。
「ありがとう、一生恩に着るぜ!」
鬼は凛に何度も頭を下げてプールサイドから出て行った。
「やるじゃないか、見直したよ」赤鬼が言った。
「あ、あんたねぇ・・・あんたのおかげで二人とも死ぬ所だったのよ」
凛は赤鬼を睨みつける。
「いざとなったら助けるつもりでいたさ、こんなこと日常茶飯事だからねぇ」
「えっ、毎日・・・」
「そう言うこった、すまねぇ助手の採用試験だと思ってくれ」黒鬼が済まなそうに言った。
凛は納得はできなかったが、不承不承頷いた。ここで怒ったら何もかも水の泡だ。
「いいわ、合格なのね?」
「ああ、ここはな・・・だが」
「なに、まだあるの?あるなら先に言っといて、今みたいに不意打ちじゃ身が持たないわ」
「次に行くところが最後なんだが、これがちょっと難問でな」
「難問?」
「次は銀鬼だが、奴はこの教場では一番の腕自慢だ、この教場で奴に敵うものはいねぇ」
「あなたも?」
「ああ、俺は奴の指導教官だった。だから奴も俺には一目置いている、だが、他の奴らには容赦が無い。ましてお前ぇが武技を指導をするなんて知ったら逆上するに違いねぇ。そうなったら俺にだって止められるかどうか・・・」
「面白いわね、そうと決まったら早く行きましょう」
プールの出口に向かおうとすると、監視台の上から赤鬼が声をかけてきた。
「あんた結構喧嘩っ早いのね、気に入ったわ」
「そりゃどうも」
「名前は?」
「216号・・・通称凛」
「そう、凛か・・・銀鬼には気をつけなよ」
「心配してくれるの?」
「まぁね、あんたとはうまくやっていけそうだから」
凛は軽く手を挙げると、黒鬼と一緒にプールを出て行った。




