風・空
風の精と対峙する王、己の影と向き合う平助。
どちらも譲らぬ勝負の幕は切って落とされた・・・
風の巻
玉藻が右手を上げた。
その途端突風が吹き、旋風が砂を巻き上げ王の視界を遮った。
風が収まり王が静かに目を開けると、周囲から兵助達の姿が消えている。
その代わり、視線の先に一人の若武者が立っていた。いや、立っていたと言うより浮かんでいたと言った方が正しいかもしれない。
「我は颶風丸、異国から武術の達人が来ていると聞いて手合わせに参った」
薄紫色の狩衣を着たその若武者は、躰の周りに風を纏っていた。銀色の頭髪と裂けた袖が風に靡くことでそれがわかる。
若者に見えるが妖であれば見かけは当てにならない。
王はメイメイに渡された槍の石突を地について、若武者に訊ねた。
「お主いったいどれだけの年月生きておる?」
「さて、とんと覚えておらぬが牛若に剣術の手解きをしたのが確か八百年ほど前だったか・・・」
「牛若丸と言えば源義経であろう、日本の歴史には疎いが平安の末期ごろか。ワシは見かけは爺いじゃが妖となってからはまだ数年、残念じゃがお主の相手になるような達人ではない、諦めて帰るがよい」
「謙遜には及ばぬ、我は西に名人が居ると聞けば行って太刀合い、東に達人が居ると聞けば行って勝負を挑んできた、此度は異国の達人と聞き何は差し置いてもやって来たのだ、是非とも太刀合ってもらわねば困る」
「全く自分勝手な言い分じゃの、しかし武術家の性として強い相手と戦いたいと言う気持ちはわからぬでもない。折角其方に選ばれたのじゃから相手をせぬでもないが、その前に一つはっきりさせておきたい事がある。お主玉藻とはどう言う関係じゃ?」
「玉藻?ああ、あの女狐か、我は奴になど興味は無い、ただあの女狐から其方の事を聞かされたので来たまでだ」
「では、奴に騙されて来たのではないのじゃな?」
「もとより我の意思だ」
「そうか、では尋常な勝負じゃと思って良いのか?」
「いかにも、そう思ってもらって構わぬ」
「分かった、では喜んでお相手いたそう」
「そうか有難い、では尋常に勝負、勝負!」
颶風丸は腰に佩いた太刀を抜いた。
王は槍を一度扱くと、穂先を若武者に向けて構えた。
「行くぞ!」
「応!」
王は遠間から鋭く一歩踏み込むと、右手で槍尻を握り片手突きに颶風丸を突いた。
颶風丸は太刀で槍を受けもせず、前に出ながら躰を捌き穂先を後方に流すと、王が槍を戻す動作に合わせて滑るように間合いを詰めてきた。
「トッ!」
颶風丸の太刀の切先が王の鳩尾に伸びてくる。
王は右に飛ぶと身軽に受身を取って立ち上がる。
再び間合いが切れた。
「なかなかやるのう」
「其方こそ、来た甲斐があったと言うもの」
颶風丸は太刀を下段に構えると、上体を倒して地を蹴った。
一瞬で間合いが縮まり、王の槍が唸りをあげて迫ってくる。
颶風丸は槍を下から跳ね上げると、風のように王の傍らを駆け抜けた。
手応えはあった。
王がぐるっと一回転した、横一文字に胴を斬ったのだ、それもあり得る。
「やったか!」
トドメを刺そうと身を翻した時、横から槍の柄が飛んできた。
「しまった、回転したのはこのためだったのか!」
思わず太刀を立てて槍を受けた。
キン!と高い音を立てて太刀が折れた。
颶風丸は足元に旋風を起こして宙に舞い上がると、間合いを切って着地した。
「その太刀はもう使い物にはなるまい」
言った王の衣服の腹のあたりに、うっすらと血が滲んでるのが見える。
「其方こそ、無傷ではない」
「ふふふ、互角と言ったところか、だがこちらには槍が残っておる、ワシの有利は誰の目にも明らかじゃ」
「まだだ!」
颶風丸は折れた太刀を投げ捨てて拳を握りしめた。
「徒手でくるか・・・」
何を思ったか、王が槍を投げ捨てた。
「なんの真似だ?」
「武器のせいで勝ったと言われたら癪なんでな」
「後悔することになる」
「なんの、ワシはこの方が得意じゃ、遠慮なく参るが良い」
「ならば遠慮はせん、そのかわり武器を捨てたから負けたなどと言うんじゃないぞ」
「もとより、そのつもりは無い」
「ならばもう、言葉は不要だ」
颶風丸は固めた拳を胸の前で構えた。
王は両腕をだらりと下げて、ただ立っている。
颶風丸がジリジリと間合いを詰めた。
王は動かない。
あと一歩で颶風丸の間合いに入るその刹那、不意に王が動いた。
ウキャキャキャキャキャキャ!!!!!!
まるで猿のような叫び声をあげて王がジャンプした。
「なにっ!」
不意をつかれた颶風丸だが、咄嗟に両腕を交差して顔を覆った。
バリバリ!っと腕が引き裂かれた。
颶風丸が後ろへ倒れながらも、下から王を蹴り上げる。
王は後方へトンボを切って着地した。
颶風丸が立ちあがろうとした時、王が胸に飛び乗ってきた。
王の両太腿で両腕を挟まれて颶風丸は動けない。
胸に王の両掌があった。
「これで終わりじゃ」
王は気合いと共に渾身の勁を放った。
颶風丸は一瞬雷に打たれたように痙攣した後、空気の抜けた風船のようにぐったりとなった。
「良い勝負じゃった・・・」
その上に覆い被さるように、王がゆっくりと崩折れていった。
空の巻
玉藻が右手を高く上げると、目の前に巨大な鏡が現れた。
鏡には自分の姿以外何も映っていない。
自分は玉藻の妖術にかかっている、それは間違いない。
右手を持ち上げてみた。
当然鏡に映った自分も右手をあげる。何もおかしくはない、だが何かが不自然だ。
「ん?右手?」
平助は気付いた、これは鏡ではない。
「お主、誰じゃ!」
目の前の相手は答えた。
「無門平助じゃ、お主こそ誰じゃ?」
「儂は・・・」
答えようとしてやめた、どうせ玉藻の妖術なら、答えるほど深みに嵌まって行く。
目の前の自分は自分ではない、『敵』だ、ならば倒すしかあるまい。
平助は腰の刀に手をかけた。
目の前の敵も刀に手をかけている。
全く隙が無い、姿だけではなく技のレベルも同じと言って良い。
「ふふふ、楽しくなってきた」
自分が言いそうな事を目の前の敵が言った。
これではどちらが本物かわからなくなる。
平助は一切口を開かないことに決めた。
鯉口を切って腰を落とす。
「居合か?」
言葉を無視して瞬時に刀を返し下から斬り上げる。
「そうくるか」
敵も瞬時に後方に尻餅をつくように身を沈めながら刀を抜き合わせた。
二人の平助の真ん中で、刃が噛み合い火花を散らす。
「ここからは剣術の勝負だな」
敵は青眼に構える。見慣れた自分の構えだ。
平助は右足を引いて刀を後方に引いた。自ずと前面を敵に晒すことになる。
「相打ち狙いか?」
敵は左足を出して右八相に構えを変える。
その変化を逃さず刀を回して踏み込んだ。
敵も同時に前に出て、真っ向から斬り下ろしてきた。
二本の刀が空を斬り、ギリギリで互いの躰がすれ違う。
『相抜け』。達人同士でしか起こり得ない現象だ。
「やるな、さすがは儂じゃ」
「・・・」
「どうじゃ、剣を捨てぬか?」
「・・・」
敵は平助の目を見つめながら、ゆっくりと刀を鞘に納めた。
平助も同様に刀を納め下に置いた。
互いに横に移動して刀から距離をおく。
「徒手空拳・・・言うなれば『空』の勝負じゃ」
「ふむ」平助は禁を破って口を開く。「気に入ったぞ」
平助は左足を前にして入身に構える。両手は開手で体側に添えた。
敵も全く同じ構えを見せる。
「相抜けは無しじゃ」平助が言った。
「望むところじゃ」
それから二人の平助はピクリとも動かなくなった。
一時間が過ぎ二時間が過ぎた。
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」
不意に鏡の平助が呟いた。
「そうか、その技で甲乙を決めようと言うのじゃな」
「そうじゃ、表裏突きじゃ」
『突き』とは躰を一本の槍と化して、躰ごと相手を貫く技だ。もとより『当て』とも『打ち』とも違う。ましてや西洋の『パンチ』などと言うものとは似て非なるものだ。
『表裏突き』とは、言うなれば平助の必殺技だ。
起こりを見せず膝を抜き、真空状態を作ったその一瞬で躰の左右半身を入れ替え、敵に体当たりをする。
平助と鏡の平助、自も他も無く、ましてや敵も味方も無い、一つの実態と影のように一体となった。
シュッ!
風切り音と共に二人の躰が風に舞う。
次の瞬間、互いの顔面には互いの拳がめり込んでいた。
二人の平助は一つに重なり合ってその場に崩折れた。




